脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記104(単なる愚痴)

元中日コーチの門倉健氏が発見され、無事帰宅されたそうだ。

 

家族によれば「うつ病」の診断を受けたとのこと。マスコミが世間を騒がせたことに対しての説明責任やら原因追及やら、言い立てるとは思うが、今は何しろ全てをシャットアウトして休養に努めることだ。入院でもなんでもして一旦全てを白紙に戻し、ココロのエネルギーが戻ってくるのを待つしかない。休むことしか「うつ病」の寛解方法はないからだ。

 

私の奉職している企業では年に一度、社員の満足度調査みたいなものが行われる。

 

私はこの調査に関してはネガティブな意見しか書けない。実績をあげれば望みはかなうと、散々尻を叩いたくせに、いざ実績を上げたら希望をかなえるどころか僻地に島流しにされた上、持病の関係で実質上就くのが無理だと申告していた仕事を、その僻地の営業所の都合だけで押しつけられ、結果としてうつ病を患うに至ったからだ。

 

これで会社生活に満足しろという方が無理だと、少なくとも私は思う。いろんな不満を我慢していることに対して会社はカネを払うのだ、という理屈は理解しているし、フリーランスになって食っていくほどのスキルも勇気もないから今の会社にしがみつくしかないというのも事実だ。

 

しかし、そうは言ってもどうしたって不満はある。会社の中の尺度とは違ったところで勝負しようとは思っていても、同期や後輩が「出世」した姿を見ればどうしたって、彼我の差を意識せざるを得ない。また、自分の不満の原因に毎年毎年向き合うことはセカンドレイプならぬアニュアルレイプとでもいうか、傷口を拡大再生産しているだけの結果のような気がする。もとより、過去は変えようがないし、現状でいくら頑張ってみても、自分の望む未来には、少なくともこの会社に奉職している限りは到達する可能性は0だ。

 

昨日、小一時間かけて、会社の悪口そのもののアンケート回答を書き記した後、一気に身体中の全てが鉛と化したかのような疲れを感じた。いろいろ予定があったのだが、全て取りやめて、ぼーっとしている他なかったし、今朝の目覚めもよくなく、仕事に向かう気力が湧かない状態が続いている。

 

何をどう熱弁したところで、どうせ何も変わりはしない、という諦めはメンタルにとって最も良くない。たとえそれが事実だとしても、どこかに希望がないと、人間なんぞやってられねぇ。

 

そんなわけで、鬱憤晴らしと、その鬱憤をいかに的確に表現するかの文章修行を兼ねて、ブログにしてみたが、鬱憤の表現が陳腐でワンパターンで、余計にストレスが募ってしまった(苦笑)。

 

どうせ、私の意見なんぞ、どこにでもいる不平不満分子が喚いている、単なるノイズくらいにしか考えてもらえない(おそらくまともに見てももらっていないだろう)のだから、適当にすましてしまえばいいのだ。全ての質問にいちいちコメントを入れるだけ時間とココロのエネルギーの無駄遣いだったのだ。一晩たって、ちょっとだけ冷静になった脳みそはそういう考えを浮かび上がらせてくれた。来年からは選択肢を選ぶだけにするか、調査そのものをバックれるか、どちらかにすることにしよう。

人生いろいろ、ドラフト指名順位だっていろいろ、挫折もあれば成功もある『ドラフト最下位』読後感

 

 著者村瀬氏は、現在のDeNA横浜ベイスターズという球団が大洋ホエールズと名乗っていた時代からの熱烈ファンで、この球団の歴史を丹念に辿ったルポルタージュ『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』という好著を上梓されている方である。リンクもしたが、この書の読後感については別口のブログに書いているのでご興味のある方は是非ご一読を。

 

さて、標題の書は、16人のドラフト最下位指名選手にスポットを当てたルポルタージュ集である。ご親切なKindleさんが私の過去の読書履歴からオススメしてくれたし、前述の書も読み応えがあったので、素直にKindle Unlimitedを利用して読んでみた。

内容的には非常に満足した。特に最下位指名を受ける際の、選手自身の焦りや喜び、周囲のイラつきやシラケぶりなど、ドラフト会議翌日のスポーツ新聞のベタ記事でしか読んだことのない現場の状況が興味深かった。

 

指名を受けそうな選手に対してはマスコミが貼り付くし、それに伴って周囲も緊張する。しかし指名されないまま時間だけが経過し、野次馬や後輩たちが一人去り、二人去りし、マスコミも緊張感を無くした頃合いに、ようやく指名が確定する。待ってる時間、本人も変な緊張感を持続しなければいけないし、周囲もヤキモキする。常に手の届かない場所にかゆみを感じているようなもので、私なら到底耐えられない。多少自分の身に起こったことで類似する状況を考えてみると、就活時期に内定の電話を待つ時の気持ちだろうか。ドラフト指名にかかる可能性のある選手なら、周りの人間の方がよほど気を揉むのかもしれないが…。

 

ここのところ立て続けに読んで紹介した田崎健太氏の「ドラフト三部作」に取り上げられた人たちに比べると、この書は挫折した人の例の方が圧倒的に多い。資質がプロのレベルに合致しなかったのか?環境に恵まれなかったのか?各人各様の理由は是非とも本文に当たっていただきたい。

 

さて、選手の中で一番気になったのは、指名を受けた球団は楽天だが、2019年春にヤクルトに移籍した今野龍太投手である。彼の出身高校は宮城県岩出山高校。私は宮城県には都合6年近く住んでいたが、この高校が話題になったことは一度としてなかった。宮城の野球の強豪校といえば、仙台育英東北高校が双璧で、両校ともにプロ野球の世界でも活躍するような選手を多数輩出しているが、岩出山高校は部員数すら満足に集まらない弱小高校。いかに今野投手が優れていても、一人の投手に任せきりで勝ち抜けるほど甘くはなく、当然甲子園出場などは夢のまた夢。そんな高校からでも、逸材を見つけてしまうプロのスカウトの網の張り方の広大さと、素質を見抜く眼力には改めて感心せざるを得ない。なお、今野投手指名の決め手は、ドラフト前日に同投手の投球をVTRで見た当時の楽天の監督星野仙一氏の「面白い。ええやないか。」の一言だったそうである。

 

野投手はまた、この書で紹介された選手たちの中で、唯一NPBの現役選手でもある。今シーズンは4月に移籍後初勝利を挙げたそうだ。

 

本当にギリギリのところでプロ野球という世界に滑り込むことのできた彼らを待っているのは、アマチュア時代をはるかに超える過酷な競争社会だ。入ってしまえば一位指名も最下位指名も関係なく、横一線の競争だというのはタテマエで、球団の体質や慣習にもよるが、同じ高卒でも、ドラフト上位指名選手と下位指名選手では雑用の有無や寮の部屋などで差がつけられることが多いそうだ。下位指名の選手は雑用などもこなしながら、上に這い上がるチャンスを得るために上位選手を凌ぐ修練を積まなければならない。で、与えられたチャンスは確実に生かさないと生きていけない。こういう過酷さの上に立つレギュラー選手たちはそれだけで大したものなのだ。ちょっと打てなかったり、勝てなかったりしただけで、一般庶民が簡単に批判などしてはいけない存在たちなのだ(笑)。中には勘違いして不倫の相手を取っ替え引っ替えするような奴もいるけどね。

 

また、本文の中では、ダイエーやヤクルトで活躍した田畑一也氏も取り上げられていたが、彼は「再生工場」とまで言われた野村克也氏に見出された一人である。彼らは、本人の努力に加え、その努力に裏打ちされた「実力」を見出す人にも恵まれた事になる。つまり選手の実力を見極める眼力を持った人の存在が指導陣にも求められることになるのだが、野村氏を超えるような目利きは今の所存在していないような気がする。

近年では、育成ドラフトなどというものも支配下選手のドラフトと同時に行われるようになり、育成選手から大成した選手も少なからず出現しているが、特に巨人は、数年後のドラフト上位候補となるような「原石」を多数囲い込んでしまっているようである。囲い込むのはいいが、その中から一人でも多くの磨き上げられた「玉」を輩出して欲しいものだ。お得意の札ビラ作戦は、選手ではなく、ソフトバンクのスタッフ陣に発動すべきではないだろうか(苦笑)。

 

支離鬱々日記103(ちょっとした時事ネタとお題も少々)

今週のお題「そうめん」

 

外出の自粛が叫ばれる状況は変わらないが、いつの間にか月日は経過するもので、コロナ禍下で二度目の夏を迎えようとしている。

 

これからの時期は、暑さに当てられて、食欲が落ちる方が多いということで、冷たくして食べるのが一般的で、しかもツルツルと喉越しよく食べることのできる、そうめんの需要は高まるということではてなブログさんもお題を選定したのだろう。

 

では「冷麦」の立場はどうなるのか?細めのうどんの立場はどうなるのか?

 

そうめんに限らず、冷麦も細めのうどんも(いや太いうどんも然りだ!!)冷たくて喉越しが爽快である食物に変わりはないはずだ。なぜそうめんだけが夏の代表的な食品として持てはやされるのか?これはイメージ戦略の上手さとしか言いようがない。そもそも、うどんと冷麦とそうめんを分ける基準はたった一つ、麺の太さだけなのだ。

JAS日本農林規格)の規定によれば、麺の直径が1.3mm未満のものがそうめん、1.3mm 〜1.7mmのものが冷麦、1.7mm以上のものがうどんとなるそうだ。世の中には、「冷麦は麺を打つときに油を使うが、そうめんは使わない。だから漢字で書くと『素麺』となる」とか、「そうめんは麺生地を捻りながら伸ばしていくので、麺の中には空洞がある」などの規定の仕方もあるようだが、現行のJASの定義では麺の太さのみが判断基準なのである。仕事の関係で知り合った、そうめんの有名なメーカーの方に伺ったのだから間違いない!!

 

ヒネクレ者の私としては世間一般のそうめん偏重の雰囲気には迎合したくないので、あえて、暑い時期は冷麦やうどんを食すことが多かった。

 

今年は、冷たい「白い」麺類が食卓に姿を現す機会そのものが激減しそうだ。理由は、私に糖尿病の疑いがあることだ。精白された小麦から作られる麺類はその太さのいかんにかかわらず、食後の血糖値の急激な上昇を招く。しかも喉越しがよく、するする入ってしまうために、ついつい量を過ごしてしまうし、また消化も良いのですぐに腹が減ってしまう。

 

減量と、それに伴う糖質制限を試みている身にとっては最悪と言って良い食物なのだ。回数を増やすどころか、それこそ「たまにはいいか」くらいの頻度に止めるべきで、「夏の在宅勤務時の昼食の定番にしよう」などとは胃に穴が空いても言えない状態なのである。

 

大体において、私は、夏場に食欲が落ちるようなヤワな消化器系を持ち合わせていない。むしろ「夏バテを防ぐためだ」などと称して、平常時よりも飯を多く食っていたくらいだ。冷たくて喉越しの良いそうめんなどは、学生時代はそれこそ一度に500g以上茹でては一気食いしていたものだ。もはやそんなことは望むべくもないが(苦笑)。

 

散々そうめんをディスっておいてなんだが、最後に私が好むそうめんの食い方を紹介しておこう。それは焼きそうめんだ。茹でて麺つゆつけて食うのに飽きた際に試してみて、そこそこに仕上がったので、しばらく常食していた。

作り方は至って簡単。好みの肉と野菜を切り揃えて、ごま油で炒め、最後に茹でたそうめんを加えて、麺つゆで味付けするというものだ。味は、焼うどんそのもの。麺つゆでなく、ナンプラーなどを加えれば、ビーフン風になるし、ウスターソースなどで味付けすればソース焼きそば風になる。ケチャップならナポリタン風だし、麺つゆベースにカレーパウダーを加えるのもいい。いずれの場合も、麺は博多ラーメンでいうところのバリ固くらいの茹で加減にしておくことがコツ。まあ、茹ですぎて余ってしまった際のリメイクにも応用可能ではあるがね。

 

新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身会長の「緊急事態宣言下での五輪開催は絶対避けるべきだ」という趣旨の発言、いわゆる「尾身の乱」が波紋を呼んでいる。

 

「尾身会長は五輪の開催の可否を決める立場にない」とする自民党幹部氏やら、「自主研究の成果発表」と小学生の夏休みの宿題程度に扱った田村厚労大臣、「違う地平からの発言」として無視を決め込もうとする丸川五輪担当相…。いずれも開催ありきの発言で、反対意見を力で押さえ込もうとする意図がミエミエだ。

 

確かに、尾身氏には五輪開催の可否を決める権限はない。しかし、尾身氏を分科会に招いた意図は、感染症の専門家として、現状をどう把握し、対策を打っていくのかについて助言を得るためだったはずだ。その専門家が「避けるべき」と判断したというのに、なぜ政府与党はその意見を無視しようとするのか?

 

日本という国のメンツのためか?国民の健康と引き換えにしなければならないメンツなら、そんなもん、福島原発で貯められている汚染水の中にでも叩き込め!

 

大金主元のNBCから莫大な補償金を求められるからか?だとすればまずはIOCを巻き込んで、今回のこの事態が予測もし得なかった天変地異であることを主張して、補償金について交渉すべきだ。その上で、今やるべきは、主体が国になるのか都になるのかはわからないが、裁判の場などで徹底的に戦うくらいの覚悟を持ってその準備を進めていくことではないのか?

 

のらりくらりと結論をさけ、先延ばしにするのは与野党を問わない政治家の「本能」ではあるが、先延ばしできる期限まで既に1ヶ月半しかない。今腰を上げずにいつあげるというのか?

 

やる?やらない?の議論ではなく、やらないと決定して、その後どういう手段で損害を最小限に止めるかが、今やるべき議論である。首相は「安全安心を第一に開催」と繰り返し述べているが、五輪開催そのものが安全安心な事態ではないのだ。

 

アメリカの「シンペイちゃん」は大人の心さえときほぐす 『幸せへのまわり道』鑑賞

 

 

トム・ハンクス主演のハートウォームな一作。

トム・ハンクスが演じるのは30年以上も就学前の児童を対象とした番組の司会者を勤め上げたフレッド・ロジャース。彼の歌う主題歌は、ある年代のアメリカ人なら、日本のアラフィフ世代の人間が大体ピンポンパン体操の歌を口ずさむことができるのと同じようなノリで口にできるに違いないだろう。とにかく彼の地では、広く知れ渡った人物だったらしい。

 

作中でも、障害を持ち、それゆえ頑なだった少年に時間をかけて丁寧に向き合った結果、最終的にはその少年にハグされるほどに打ち解けてしまうシーンが描かれるが、視聴率とか制作の都合とかいうものを一切考えずに、どうしたら目の前の人と心を通わせることができるのかを、最優先事項として考え、行動する。結果的に、彼の番組の内容は多くの子供達の心に強い影響を与え、その後の人生をも左右するような行動規範として生き続けていくのだ、ということが語られる。

 

そんなある日、フレッド氏の元を雑誌『エスクァイア』の記者、ロイド・ヴォーゲルがインタビューのために訪れる。先ほど紹介したハグのシーンはロイドが最初にフレッドと会った際のエピソードだ。

 

ロイドは辛辣な文体のゴシップ記事専門の記者であり、なぜ自分が、老舗子供番組の「人形と戯れる老人」のインタビュー記事など担当させられるのかという疑問と不満を持ちながらフレッド氏が指定した番組の撮影スタジオを訪問し、彼の番組制作をつぶさに眺めていく。事前に、ロイドは編集長から、このインタビューはフレッド自らがロイドを指名したとも聞いており、二重の意味で疑問を持ってもいる。

 

明らかに、やる気のないロイドに対し、フレッドはインタビューされるどころか、どんどんロイドにロイド自身の私生活についての質問をぶつけていく。

 

映画の展開としては冒頭から、ロイドの私生活上の問題は明らかにされている。ロイドは家族を捨てて出て行った父ジェリーに対して強い怒りを感じており、ロイドの姉の結婚式で、久しぶりに会うことになったジェリーを殴ってしまったばかりだったのだ。おまけにジェリーはなんとかロイドとの蟠りを解消しようと、家に押しかけてきたり、待ち伏せしたりしていた。

 

数多くの子供達に触れ、その中にいる問題を抱えた子供たちに寄り添ってきたフレッドには、ロイドの辛辣な文体が自らの内面のなんらかの怒りの吐露だということが一眼で分かったのだろう。というわけで、インタビューという名目でロイドを呼び出し、その原因を突き止めるべく、質問攻めにしたのである。

 

仕事にはならないし、触れられたくない部分にズバリ切り込んできたフレッドにイラつくしで、いよいよ怒りの遣り場を無くしたロイド。そんな時ジェリーが倒れた…。

 

というわけで、この後の展開は是非とも本編をご覧いただきたい。ほとんどネタバレだが、結末までのストーリーは各人で観ていただいて各様の感想をお持ちいただくしかない。

 

何かトラブルを抱え、そのトラブルの解決策を一人で見つけることができない時に頼りになるのは経験豊かな他人だ。子供にとっては、その「経験豊かな他人」の役割を演じるべきは、本来なら親であるはずだが、ロイドの場合はその親との確執がトラブルなのだから誰に頼っていいのかわかるはずもない。一人前の男としては簡単に弱みを見せられないという意地っ張りな部分もある。そんな心持ちのロイドにピッタリと寄り添ったのがフレッドである。フレッドにとっては大人であろうが子供であろうが、悩みを持っている人間を救うことこそが使命であり喜びでもある。その原理に従って行動した結果は…、ご想像の通りのハッピーエンドなのだが、押し付けがましさのない、素直に共感できるハッピーエンドではあった。親との確執の全くない子供なんぞないはずだから、このエンディングによって救われた人物も少なくないのではないか、と思う。

 

ところで、タイトルにした「シンペイちゃん」とは、『ママとあそぼうピンポンパン!」において、三枚目役だった坂本新兵氏のことだ。フレッド・ロジャース氏という存在を理解した際に、その役割に一番近い人物は日本でいうと誰だろうか?と考えて、一番最初に思い浮かんだのが彼である。彼は親しみやすい外見を持ち、細かな笑いを誘う三枚目というキャラ設定の下で、子供たちに番組のエッセンスをうまく伝える役割を担っていた。主役と脇役の違いはあれどフレッド氏の人物像と被る部分が多々ある。私生活において、フレッド氏に神学校で学んだ経験があったり、坂本氏に長い間保護司を勤めた実績があったりと、「人助け」系の顔があったことも共通している。お二人とも他人の抱えた問題を黙って見過ごすところができない人なのである。

 

最後の最後に余談の余談を一つ。ロイドの父ジェリーはロイドの姉の結婚式で酔っ払って一曲歌うのだが、その曲が『Something Stupid(邦題恋のひとこと)』。これはフランク・シナトラが実娘のナンシー・シナトラとデュエットしてヒットした曲であり、これを娘の結婚式で歌うというのは日本でいえば芦屋雁之助の『娘よ』を花嫁の父が歌うようなものだろう。私なら居心地の悪さに思わずトイレにでも逃げ込みたいようなシュチュエーションであり、そんな歌を臆面もなく歌いきるジェリーの「弁えのなさ」を象徴するシーンだと勝手に解釈した。なお、この曲は大瀧詠一師匠がご自身の娘さんとデュエットしようとして果たせなかった曲だそうで、のちに竹内まりや氏のカバー曲集アルバム『Longtime Favorites』の中で、竹内氏とデュエットしている。

 

支離鬱々日記102(今年三度目のTOEIC受験と季節の変わり目)

 

 

今朝、オンラインで今年三度目となるTOEICを受験した。オンライン受験のいいところは、ネット接続下のPCかタブレットが用意できれば時と場所を選ばないこと、問題数が少なく、それに伴って実施時間が紙のテストに比べれば半分で済むこと、などなどあるが、試験後即座に得点が判明するところが私にとっては1番のメリットだ。

 

で、今回も終了の手続きを済ませた瞬間に結果が出た。リスニング420点、リーディング415点の合計835点!!!年初に立てた830点という目標をクリアしてしまった。これでTOEICテスト対策認定講師の受験資格が取得できたことになる。

 

今回の勝因はなんと言っても↑の公式問題集を繰り返し学習したこと。最近日課となりつつあるウォーキングの時間の最初の10数分は付属のCDから落とし込んだリスニング問題を聞きまくったし、リーディング問題も全部で四周くらいはこなした。その他は「千本ノックシリーズ」の文法問題を何度か見返しただけ。数々の参考書類に書いてあるとおり、公式問題集は最良の参考書だ。

 

2月と4月に受験した際はそれぞれ735、705と伸び悩んでいたし、4月の受験以降はリスニング対策以外はほとんど手付かずだったため、まぐれだったという可能性も否定し得ない(というよりまぐれである可能性のほうが強い 笑)のだが、曲がりなりにも4月の受験時までは、気合いを入れて問題集を反復学習してはいたので、「基礎学力」はついていたのだろう。20kmを走り切る練習をしていたおかげで、多少サボっても 10kmならそれなりのタイムで走れる実力が身についたとでも形容できようか?あんまり自慢にはならないが…。

今後はいよいよ目標を900点において、より高度な英語学習に勤しむつもりではある。合格ラインギリギリで受かったやつが、より高得点を目指す人のための講座を持つ、なんてのは笑い話でしかないからだ。まずは、公式問題集と、より高得点を目指す問題集を並行して反復学習することにする。「継続は力なり」だ。腐り脳みそ毛根弱体化マッスルバカに見せつけてやりたいと思ったが、昨日紹介した書籍によれば、そういう行為は余計なカルマを背負うだけのものらしいので、やめておく。まあ、あのバカには何を言っても響かないだろうから、言うだけ虚しいというのもある。

 

今朝方にはまた、つい最近まで一緒に仕事をしていた人が急逝したとの知らせが入った。時節柄コロナか?とも思ったが、詳細は明らかにされていない。さほど親しい方ではなかったので、持病の有無に関しても定かではないが、60にみたぬ年齢でのご逝去はいかにも早すぎる。

 

なんてなことを、同僚とTV電話していたら、なんと、別の方も不治の病とされている大病に罹患して、余命2ヶ月もない状態だというのが判明した。いやはや。お二方ともご健在の日々しか知らないので、実感が湧かないというのが正直なところだが、私自身も、いつそういう状態になってもおかしくない歳周りに突入しているのだということを再認識させられた。ちょうど医者の指導を受けたこともあり、少し節制した効果で2ヶ月で5kgくらいの減量には成功したが、こちらも油断せず、継続していくしかない。「継続は力」ではあるのだが、「継続するには力が必要」という側面もある。何しろ油断はできない。特に今みたいな気温の上下動が激しい日々は、以前に比べて明らかに体調が悪化するようになった。こんなことにも気を使わねばならない年輪を重ねた人生って、面倒臭い。

現世は次に生まれ変わって人間界に戻る際の修行の場?『祖父・多田等観が語った チベット密教 命がホッとする生き方』

 

 

昨日のブログでも書いたが、一昨日の金曜、久々にココロのエネルギーが枯渇するような状態に見舞われた。こういう時の私の対処法は、なるべく長く寝ること、制限をかけないで少々健康に悪い食い物でも好きなだけ食うこと、そして、精神安定剤的な書物を読むことだ。

 

というわけで、現実の本棚に並べたら、小さな移動図書館くらいの蔵書にはなりそうなKindleから引っ張り出したのが標題の書。題名通り、とにかくなんだか「ホッと」してみたかったのだ。

 

著者佐藤伝氏は題名にもある通り、多田等観氏のお孫さんだ。

では多田等観さんって何者?

秋田の田舎の寺の三男坊として生まれ、京都に修行に出たらひょんなことからチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ師に直接教えを乞うこととなり、現地の僧侶ですら取得に10年かかるというゲシェー(博士)という資格を3年で取得し、貴重な経典とともに帰国したという、日本におけるチベット仏教のレジェンドだそうだ。すごい方もいたもんだ。自らの浅学を恥じるばかりである。

 

で、その等観氏の息子さんのお子さんが著者佐藤伝氏。佐藤氏のお父さんは脳外科医で、佐藤氏は祖父からチベット密教のエッセンスを、父親からは脳の科学的な仕組みを学び、現在では、自分自身で自分の行動をどう制御するのかに重点を置いて、時間をマネジメントするためのカウンセリングや、そのノウハウを教える教室などを経営しているそうである。祖父と父の教えが幸せに融合した好例と言って良い生き方だろう。

 

さて、多田等観師の説く、人間の人生の基本理念をごくごく荒っぽく言うと「流れに任せて生きること」ということになるだろう。これは何も根無草のような生活を送れということではない。

人間が苦しむのは、何かしらの欲求を無理やりに叶えようとするからで、叶うも叶わないも、宇宙が定めた流れによるもの。一つ一つの物事に一喜一憂することをやめ、努力は惜しまないものの、その努力が実らなくても必要以上に落ち込んだり、悔しがったりしないことが肝要だという教えである。

 

なるほど確かに「ホッと」できる考え方ではある。欲望こそが向上心の原点であり、競争に勝ってステータスをあげていくことこそが豊かな暮らしを作り出す、という世界の中にどっぷりと30年以上も浸かってきてしまった身にとっては、理解はできてもなかなか実践するのは難しい考え方でもあるが。

 

現に私もこの書で説いている行動理念に共感する部分は大きいのだが、それでも、あえて言えば「男は出世してナンボじゃい!!」という考え方を簡単には捨てられない。会社で管理職になるのはまっぴらなのだが、何か文芸作品のひとつも世に問うて、願わくばベストセラーになってがっぽり印税いただきたい、などという欲は捨てきれないのだ。強烈な承認欲求と物欲の塊なのだ、私は。自分で書いていて少々気恥ずかしくもあるのだが、まだ、現世は次回に人間界に生まれてくるための修行の場だから、しっかりと徳を積んでおこう何ぞという殊勝な気持ちには到底なれない。失敗した時にもっともらしい言い訳として使えるなくらいにしか思えていない。俗物そのものだ(苦笑)。

 

人間は宇宙という大きな存在の一部であり、今生きている世の中というのは、たまたま巡り合わせた場であって、ほんの数十年でまた宇宙に戻り、またいくばくかの時間を経たら生まれ変わる。そんな中で今の悩みなんざホンの一瞬の些細なことに過ぎねえんだから、クヨクヨしても始まらねーよ、という新しい視座をもらったことは一つ大きな収穫だった。

 

もう一つ。最後の方に「夫婦は前世では仇同士だった」という章があり、この章には微苦笑を浮かべさせられた。佐藤氏によれば、前世で仇同士だったからこそ、現世では夫婦として相和す運命を選び取って両者が生まれ出てくるのだという。「この人しかいない」「運命的なものを感じた」という状況が両者に生じるのは「前世の反省」があったからだそうであり、お互いがお互いの前世での所業を許せる状態になっていなければ、現世でもひどい夫婦喧嘩をしたり、離婚してしまったりするそうだ。あはは。私と当家の最高権力者様、世間でいうところの配偶者とは前世でどんな諍いを起こしていたのだろうか?たまに、絶対に相容れないような価値観の違いを感じることはあっても、お互いに深刻な事態にならないのは、双方が前世を深く反省している証拠なのだろう(笑)。

 

それにしても、もし前世が現世に影響するというのなら、せめて、前世の失敗の記憶くらいは残しておいて欲しいものである。でないと、多分私は懲りずに同じ過ちを繰り返してしまいそうな気がする。

支離鬱々日記101(日々の徒然と、無理やりお題に寄せてみるその2)

今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

今週は金曜日の早朝に目覚めた瞬間に「あ、今日は何もできない」という精神状態が出来し、そのまま会社を休んだ。こういう状態になったのは実に久しぶりだ。昨年の早春より在宅勤務が基本となって以来、おそらく初めての出来だったと思う。

 

理由として思い当たる最大のものは、ここ数週間取り掛かっていた厄介な仕事が木曜でようやく終わったということだ。細かい資料を拾い、それを集計して、多少なりとも解説を加えて、公的機関に提出する、という業務で、毎年この時期の恒例業務ではあったのだが、今年は、事務所の移転やらなんやらあったし、捺印が廃止になったのはいいんだが、その分社内での回覧はどういう手順で行うのか、などに手間を取られて、予定よりも一週間ほど遅れてしまった。おまけに最後の最後には、よく資料を読みもしない、閲覧部署の管理職者から、見当違いの質問が飛んできたりして、その受け答えにも多大なストレスがかかった。「んなもん、資料見りゃ書いてあるだろうが。見もしねーくせに、質問してくんじゃねーよ。しかも『こんなものを提出する意味がわからない』だと?てめえ、会社での地位が上だからって何でもかんでも口挟んでくんじゃねーよ。文句があるなら、てめえでやりやがれ」と言いたい気持ちをグッと堪えて丁寧に対応したのだが、こういうストレスのボディーブローは後からじわじわくる。私の場合は一夜明けた途端にノックダウンだったわけだ。

 

直接的な原因は仕事の一区切りだが、ここ数ヶ月、家のお話でバタバタして、しかも生まれて初めて支払いのために現金の札束をみたり、持ち運んだりした、というのも普段とは違う緊張感と疲労をもたらしたようだ。いずれにせよ、金曜は半日寝て、そのあとは何するでもなく、ぼんやりと過ごした。たまにはこういう日があっても仕方ない。

 

ここ数ヶ月、主には新居に関しての用事のため、何度か帰省しているのだが、ここ二回ほど、実家には高校時代の同級生からの手紙が届いていた。別になんということもなく自身の近況報告と、恩師を招いての同窓会をやる、みたいな内容だったのだが、高校卒業以降、ボツ交渉だったやつから、いきなり連絡をもらったりすると、こいつは市議会議員選挙にでも出るつもりなのか?と変に勘ぐってしまう。純粋に高校時代を懐かしむような気持ちになれないほど、スレてしまったんだなぁ、と一人で苦笑した。考えてみれば、東京の予備校で浪人生活を送ることを決意して以来、地元の県の県民に戻ったことがない。今年の10月に引っ越すことになれば、実に36年ぶりに故郷の県民に戻るのだ。気持ちの根っこには県民性が横たわっているのは事実だが、それでもすでに郷里の住民であった時間よりも、他の場所で暮らした時間の方が倍以上あるのだ。ほとんど見ず知らずの土地に移住するのと同じようなものである。

 

同窓会の方は今回はパスした。実際に時間が取れそうもない時期だったのと、まだまだコロナの影響もあるから移動は最低限に抑えたいと思ったからだ。移住して落ち着いたら、新たな人間関係を構築するつもりで顔でも出してみようかと思う。市議会とかの話が出た瞬間に帰ってやろうとも思ってはいるが(笑)。

 

さて、お題についても少々。

 

今のように、一度デバイスに音楽ブチ込んでおけば、あとでちょいちょいプレイリストが作れてしまうような時代のはるか前から、私は自分で好きな曲を集めたカセットテープを作るのが好きだった。クリスマスソングをはじめ、いろんな季節ごとのテープを各種作ったものだ。車の助手席で聞いてくれるのは男の悪友ばかりだったが(半泣き)。

 

一番凝ったのは夏の歌特集だったと思う。私の大学生時代は、チューブが『シーズン・イン・ザ・サン』を筆頭とした夏向けの歌で数々のヒットを飛ばし、「歌う季節労働者」としての最盛期を迎えていた頃だった。その他にも杉山清貴1986オメガトライブなども夏向きの歌が多かったし、いわゆるシティポップスの歌い手たちも、夏には必ず曲をリリースしていた。古くからの定番、ビーチボーイズもいれば、大瀧師匠も『ロンバケ』は完全に夏向け、山下達郎氏も夏向きの曲を多々出していた。角松敏生氏がギター奏者としてインストゥルメンタルアルバムを出したのもこの頃。そんなわけで、あっという間に90分テープ3本分が出来上がり、その後も年に1本は作っていたような気がする。大学卒業とともに、一気にそんな暇も熱意も無くなってしまったが…。

 

就職直後は営業職として、毎日営業車を乗り回す日々が続いた。結構な田舎が担当地域だったので、ラジオ局も大してないし、電波状況も悪い地域だったため、車両にはカセットの装置が配備されていたので、カラオケ練習用のテープを作って毎日聞いて、歌を練習していた。ASKAとか槇原敬之とか毎日歌いまくっていたものだ。当時は軒並み原キーで歌えたのだが、今は2つ以上下げないと歌えない。加齢はこんなところに現れる(苦笑)。

最近は、歌いたい曲、というのが唯一の基準で、マイプレイリストを作っている。電子のデバイス上でちょいちょいとできてしまうので、気楽なもんだ。というわけで、昔の持ち歌から米津玄師まで手当たり次第ぶっ込んで出来上がったヘビロテプレイリストのラインアップは400曲を超え、そろそろ500曲に達しようという勢いで増え続けている。このリストは実に節操がない。演歌の後にSuchmosが流れたと思えば、オペラの曲に続いてゴールデンボンバーがかかるというアナーキーなリストになっている。目下のところこのリストはやはり心置きなく大声の出せる車中で聴きながら、歌うという鑑賞形態をとっているが、事故でも起こしてドラレコの録画映像に調子っ外れの星野源とかが入っていたら末代までの恥を晒すことになるので、慎重な運転につながってくれている(笑)。