脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

設定は荒唐無稽だが、描かれているのは昔ながらの「親子関係」問題 『約束のネバーランド』鑑賞記

 

約束のネバーランド

約束のネバーランド

  • 発売日: 2021/05/19
  • メディア: Prime Video
 

 同名のコミックの実写化作品。原作は少年ジャンプ誌上で約4年間連載されたようなので、それなりに人気のあった作品なのだろうが、私は未読である。

 

物語の舞台は2040年代のとある孤児院。ママと呼ばれる院長、イザベラに愛情いっぱいに育てられている20人ほどの、幼児から思春期くらいまでの少年少女。彼らは、里親に引き取られる日を待ちながら何不自由なく暮らしている。引き取られていった子供たちもおそらくは幸せに暮らしているはずだ。彼らから孤児院には手紙が来ないが、それは彼らが幸せすぎて孤児院のことなど顧みている暇がないからだ…。

 

しかし、この手紙が来ない理由というのはひょんなことから判明してしまう。里親に引き取られていったはずの子供達は殺されて、「鬼」の食料になっていたのだ。この孤児院は鬼たちになるべく質の高い食料である子供たちを飼育する「農場」だったのだ。

 

このことに気づいたメインキャスト、エマ(浜辺美波)、レイ(城桧吏)、ノーマン(板垣李光人)の3人が孤児院からの脱走を画策するというのがメインストーリー。

 

原作を読んでいないせいか、何故鬼の食料として子供が飼育されるに至ったのか?「農場」の管理側に回る人間の選考基準はなんなのか?鬼と結託している人間がいるのは何故か?などの背景が全くわからないし、作品中で詳しく説明もされないので釈然とはしないのだが、とにかく、鬼は人間の子供を食料としており、人間社会は子供たちを生贄として、鬼の世界と共存することを選んでいるのだという与件だけは伝えられた。イザベラを出し抜くために、いかにメインキャスト3人が努力し、それとわからないような訓練を他の子供に施すか、というのが見どころとなる。

 

コミックの世界観を無理やり実写化したせいか、キャストのキャラが不自然。自毛があんな色した奴がいるわきゃねーじゃん。カツラカツラした髪型も不自然。たまにセリフが完全に棒読み口調になっちゃったりするところもご愛嬌とは言い難い。イザベラの北川景子が優しさの裏側にとてつもない残忍性を秘めた女性をうまく演じていただけに残念。

 

その他のキャストとしては渡辺直美が結構いい味を出していた。本来は道化役であるはずのピエロを怖がる子供がいるように、ユーモラスなんだけど結構怖いっていう役を好演していた。巨体なのに鬼ごっこで意外に素早く子供に追いついてしまうところなど、筒井康隆先生の傑作短編ホラー『走る取的』を思い出させた。彼女が思いもよらぬところからヌッと出てきたらそりゃ怖いわ(笑)。

 

さて、そろそろ題名のココロについて触れておこう。孤児院内で、外の世界のことを知らず、また知る努力も求められずにヌクヌクと暮らす孤児たちは、幸せな幼児そのものだ。「ママ」によって示される世界が全てで、そのことに対して何も疑問を持たず、衣食住は保証されている。考えてみれば、こんな安らかな暮らしは理想の暮らしだ。楽園に暮らし、知恵の実であるリンゴを齧ってしまう前のアダムとイヴの姿だと言っても良い。しかし、成長とともに、子供は「ママ」によって与えられた世界の外に、もっと大きな世界があることに気づいてしまう。その大きな世界に向かって踏み出していきたいという欲求は、社会的動物たる人間にとっては、閉じられた世界の中に安住する欲求よりも強力なのだ。かくして、子供は親の与えた世界から旅立っていく。そこにどんな危険性があろうと、なんの保証も無かろうと、そんなことを無視して突き進もうとするのだ。

 

子供を愛し、自分の分身だとまで感じている親は、かつては自分もそうして親の作った世界から飛び出してきたにもかかわらず、なるべく子供を自分の作り上げた世界の中に留めておこうとする。外の世界に飛び出そうとする子供たちをなんとか捕まえておこうと強力な障壁を作ってみたり、必要以上に外界の恐ろしさを説いたりしてなんとか子供を束縛しようとするのだ。

では束縛に抵抗しきれなかった子供が、親の作った世界に安住し続けたらどうなるのか?この物語では「鬼」の食料となって無惨な死を遂げる姿が描かれるが、現実の社会においては、実世界に適合できない「社会的死者」となるしかない。自力では生活できない、緩慢な死者の誕生だ。

 

外界から、深い崖と高い壁で隔絶され、情報も遮断された孤児院は実にわかりやすい「親の束縛」のメタファーだし、その隔絶された孤児院内の秩序を保ち、外界への欲求を感じさせないよう振る舞うママ、イザベラの姿は「毒親」そのものである。設定こそSFだが、物語の構造は、どんな親子関係にも常につきまとう、自立したい子供と自立させたくない親のせめぎ合いを描いたものだ。この作品がウケるということは、現実の親子関係に息苦しさを感じている、子供たちが多数存在することの証なのではあるまいか?

支離鬱々日記100(ちょっとした気づきと、無理やりお題に寄せてみる)

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

 緊急事態宣言はどうやら延長されそうな気配である。人の接触を強制的に制限した結果として、特にひどかった東京、大阪の新規感染者はある程度抑えることができたという「実績」からすれば仕方のないところだろう。中小の企業たちがバタバタ倒れている現状を考え合わせると、決して軽々に判断してはいけないことなのだろうが、なるべく早く事態を収束させるためには、ある程度仕方のない痛みなのかもしれない。「仕方ない」で潰れてしまった中小零細企業の皆様にとっては「仕方がない」では済まないお話ではあろうが…。

 

そんなわけで、まだまだ在宅勤務主体の時期は続きそうだが、在宅勤務の一つの利点は、好きな音楽を聴きながら仕事ができるということだ。

 

現在のところ第二世代のiPodClassica120GBに手当たり次第ぶっ込んだ色んな曲を接続したミニコンポから垂れ流しで聞いている状態なのだが、このiPod君もそろそろ色んなところにガタが来ているとみえて、最近は音飛びしたり、接触がうまくいかなくてミニコンポから音が出てこないなどの不具合が生じるようになってきた。

 

そんなわけで後継機として買い求めたのが↓のアイテム。

 

 

もう数ヶ月前に買い求めてはいたのだが、iPodと同期していたWindowsPCとの相性が良くなかったと見えて(FIIOが中国製でASUS台湾製だからというわけではないのだろうが 笑)、曲の移行が全くうまくいかなかった。何しろ、PCがM5を認識しないのだ。ファームウエアを導入しようとしてもデバイス同士が「つながっていないこと」になってしまっているんでは、文字通り手も足も出ない。そんなこんなでしばらく机の隅にほっちっちになっていた。

 

先日KVMという装置を導入してminimacの端子近辺がスッキリし、接続端子が露出してきたので、TypeCの端子同士でM5とminimacを接続してみたら、見事に接続機器として認識された。というわけで、試しにminimac上にある曲を移行してみたら、問題なく聴けた。ただ、やり方の問題なのか、機器同士の性能の問題なのか、ミニコンポにはデバイスとして認識されなかった。まあ当面はiPod君に頑張ってもらって、その期間内にミニコンポとの接続についてはなんとかなるよう対策を講じたいと思う。ってこの状態はまるっきり、今の政府のコロナ対策のワクチン接種の状態そのものじゃねーか、おい。どっちも先行きの見通しが全く立ってない、って洒落になってねー、っつーの全く!!

 

昨日、建築会社との打ち合わせのため帰省し、そのついでに、新居の状況を見てきた。土曜も作業すると聞いていたので、差し入れを用意して現場に行ってみたら、誰もいなかった。打ち合わせの際に聞いたみたら、訪問前日の金曜日、郷里は大雨でその日に予定していた作業ができず、それに伴って土曜日は作業が中止になったそうだ(この辺ちょっとだけお題に引っ掛けてみた 笑)。

 

ともあれ、地鎮祭の時は凸凹なタンポポの群生地だった場所が平らに整地しなおされ、これから建物が建つよ!とでもいうように、コンクリートの土台の上に鉄筋が張り巡らされていた。。こういう光景は『ビフォーアフター』でくらいしか観たことがない。いよいよ本格的にお話が走り出したんだということを実感した。

 

実際の場所を見てみると、予想より庭に相当する空間が狭いことに気づいた。少しばかり野菜でも植えてみようか、などと考えていたのだが、その辺は望み薄のようだ。まあ、田舎のことゆえ、新鮮な野菜は近所で手に入るし、なんなら、農家の親戚が持ってきてくれたりもするから、大して落胆はしなかったが。

 

さて、建築会社との打ち合わせは、内部の収納に関する調整と外壁の色、屋根の色、サッシュの色などを決めるためのものだった。色に関しては、別に楳図かずお先生のようにボーダーにしようとも思わないし、林家ペー・パー子夫妻のように過剰なまでにピンクにこだわるような趣味は持ち合わせていないので、設計会社の方のオススメ通りの色にした。落ち着いたツートーンカラーになる予定だ。その他床と建具の色見本が示された。1ヶ月後くらいに実施予定の次回の打ち合わせ時に決定する予定。また、次回の打ち合わせ時には建築の進捗具合の実態の確認とともに、キッチンのショールーム見学も建築会社の方と同行して行う予定。一つ一つのピースの形が決まり、嵌め込まれていく様はなかなかにワクワクする。

 

なお、コロナ禍の影響もあってか最近、建築資材、特に材木の入手通常よりも時間がかかっているそうで、工事自体の進捗は少し遅れているのだという。それでも予定通りに仕上げる目処は立っているとのお話ではあったが、なるほどこんなところにもコロナの影響。目に見えないところで、社会の歯車の噛み合わせが狂ってきているようである。

怪我人続出・問題噴出の巨人は今年も優勝できるのか?そしてやられっぱなしのソフトバンクにリベンジはできるのか?『巨人軍解体新書』読後感

 

巨人軍解体新書 (光文社新書)

巨人軍解体新書 (光文社新書)

 

 

web上で巨人軍に関する様々な投稿をしているうちに、その文章が編集者の目にとまり、一冊の本にまとまって出版されたという、今の私にとって最も羨ましい形で世に出たゴジキ氏による、文字通りの巨人軍解体新書。主に1990年代以降の巨人軍について様々な角度からの分析を試みている。

 

5/19の巨人は、今年の問題点が全て噴出した形で、広島相手に2-10と惨敗した。せっかく主砲岡本の技ありの一発で先制したのに、5連勝中の先発高橋優貴がすぐに追いつかれる。その後逆転されたところで、火消しに出てきた田中豊樹が急なアクシデントで降板すると、続いて出てきたFA井納が満塁本塁打を浴びるなど大炎上して1イニングに一挙9点を奪われるという失態。

 

先発投手が頑張っていた開幕当初はなかなか打線が繋がらず、打線の調子が上向いてきた現在は、中継ぎ以降のリリーフ陣が踏ん張りきれない。特に、ローテーションの一角を担うことを期待されていた井納は出てくればボコボコに打たれるの繰り返しで、今やどこにも投げる場面がないという状態で早くも二度目の二軍落ち。大黒柱の坂本を怪我で欠いているという大きなマイナス要素はあるものの、ここをチャンスと躍進する新戦力も出現していない。つまり坂本の後継者が育っていないことが露呈してしまったわけだ。

 

田中、井納は即座に二軍落ち。代わりの昇格は、野球以外の要因で離脱していた抑えのデラロサはいいとして、もう一人が井納ほどではないにせよ、出てくりゃ打たれる印象のある桜井…。何度かいろんな場で投稿してきたが、人材がいそうでいないのが現在の巨人投手陣だ。

 

二軍に目を転じれば、いや今の状態なら正確には三軍だが、コロナ感染で欠場者が大量に出た際に声すらかからなかった高額取りの不良債権陽岱鋼って存在もいる。カネにものを言わせて、他球団からそれなりの実績のある選手を引っ張ってくるのは良いのだが、ここ数年の「当たり」は丸くらい。その丸にしても今年は絶不調で、つい先日はチャンスに代打を送られる体たらく…。

 

他球団の主力級選手を引っ張ってくることで2〜3年の間の戦力維持はできるものの、出番を奪われた若手が伸びない。仕方がないのでまた他球団の有力選手を引っ張る…。FA制度が導入されて以降、ずっと継続している巨人の悪しき伝統だ。最近の原監督は、あぶれた戦力は積極的にトレードして活躍の場を他球団で与える方向にシフトしているが、それまでは飼い殺しだった。先に述べたような陽岱鋼のような期待はずれも少なからず。これまた先述の井納などは早くもその気配濃厚だ。

 

ドラフト、外国人などの「正当」な補強も失敗続き。ドラフトではその年の「目玉」に果敢にチャレンジするのはいいのだが、高校生野手のビッグネームはことごとく外して、その場で大学生投手に方針転換って年が3年続いた。で入団したメンツは桜井が伸び悩み、鍬原は大怪我。ようやく高橋優貴が今年花を咲かせようとしている状態。外国人も、自前の獲得網ではハズレばかり。一番活躍しているのは楽天から緊急トレードで獲得したウィーラーだというのが皮肉な現状の全てを物語っている。救いは、今年獲得したスモークが今の所それなりに働いているということ。同時に獲得したテームズに至っては、最初の試合でいきなりアキレス腱を切って今年は絶望。昨年鳴り物入りで入団してきたサンチェスも今ひとつ安定感に欠ける。

 

散々悪口を書いたが、私はこれでも生まれてこの方、他の球団に浮気したことのない筋金入りの巨人ファンである。一時期近鉄バファローズという「側室」はいたし、今でもその後継球団でもあり、所縁のある仙台を本拠地にしている楽天イーグルスには淡い恋心を抱いてはいるが、本気でファンなのは巨人だけだ。札束で頬を引っ叩くような強化方針には辟易としながらも、父親から刷り込まれ、その後の大量のメディアへの露出状況により繰り返し強化された「忠誠心」は今更覆すことができないほどに強力なものだ。まあ、色々突っ込むのに事欠かない球団であることもその一因だが(苦笑)。

 

さて、シーズン制覇はもちろんのことだが、ここ2年それこそ手も足も出ない状況で8連敗しているソフトバンクに勝つにはどうしたら良いのか?についてもゴジキ氏は文中で述べてくれている。具合的な内容は本文に譲るが、守備の方で言えば、まず先制点を与えないことと、昨年の栗原選手のようなシリーズ男を出現させないこと、攻撃面ではパワーピッチャーに力負けしないような対策を講じることというのが主な主張だ。私も概ねこの主張には賛同する。ただし、今のセリーグの投手に、ソフトバンクに匹敵するようなパワーピッチャーはあまりいないように思う。強いてあげれば、各球団のセットアッパー、抑え投手はそのイメージに近いが、どうしても対戦機会が限られてくるため、特に主力の打者が試合の中で修練を積むことはなかなかに難しい。でも、今のままではそれこそ3年連続の4連敗という事態が出来しかねないのも事実。できうる限りのデータを収集して、そこから考えられる対策を、それこそ今から地道にやっておくしかないのだろう。ソフトバンク専属の先乗りスコアラーを貼り付けてもいいくらいだ。実際にもうやっていることかもしれないが。

 

阪神タイガースは関西人のおもちゃだが、巨人はアンチも含めて、日本人全体のおもちゃだと言って良い。私は今後も愛憎半ばするファンであり続けると思うので、いろんな刺激を貰い続けられるおもちゃであり続けて欲しいものだ。

支離鬱々日記99(たまにはお題で書いてみよう+糖尿病その後)

今週のお題「やる気が出ない」

 

ここのところ、私の日常の大半を占めるのはこの「やる気が出ない」という情動だ。少なくとも会社の仕事に関してはやることはあるのだが、締め切りギリギリになるまで本当にやる気が起きない。今までの経験則から、締め切りギリギリにやった仕事は、どうしてもやっつけになってしまうのでミスが多発することはわかっているのに、である。ずっと焦ったような、追い詰められたような気持ちでい続けることは、わかりやすいストレスの元凶だし、やった後の爽快感というか解放感も覚えてはいるのだが、それでも出ない時は出ない。困ったものだ。そして私にはまた、こういう時に対処する方法として、具体的に紹介できる方法もない。ひたすら締め切りギリギリになるまで追い込んで、「やらざるを得ない」という状態を作り出すしかないのだ。

 

原因はわかっている。会社の仕事に全く興味が持てないからだ。私のやりたい仕事、やるべき(と自分自身が考えている)仕事は今の業務にはないし、今後も希望する仕事ができるような部署に移動することはほぼ不可能。何か自分のやりたいことに役立つスキルを見つけてそのスキルを磨くためのエクササイズだと思って仕事しろ、というような論調のエッセイやら、ビジネス本やらはたくさんあるし、実際に読んでみたりもしたが、どうしても絶望感が先に立ってしまう。従って、コソコソと会社の仕事をサボっては駄文を書きつける毎日なのだが…。

文章を書くことに関しては、内容や出来栄えはともかく、少なくとも苦痛は感じない。自分自身の中から出てくる考えなり感情なりを言葉で表現するという行為は、自分にとっては快感の分野に属するものなのだろう。ただし、会社の仕事にまつわるストレスの強さが、文章を書く心地よさを上回ってしまうことも多々あるから、寝食を忘れてしまえるほどの好きなことではないらしい(苦笑)。

さて、会社にいるときはただぼーっとしている訳にもいかなかったので、その時に無理やりやる気を喚起するためにしていた小細工だけはいくつかあるので書いておくことにする。

 

1.事の大小を考えず、まず何かをやりだしてしまう。

どんな雑用でもいいから、とにかく動く。いらない書類をシュレッダーにかけに行くだけでもいいし、有象無象からきたメールの整理でもいい。とにかく脳に変にネガティブなことを考える隙を与えないために、目の前のことをどんどんやり続ける。いきなり脳をフル回転させようとしても、脳の方で、フル回転させたときのストレスを覚えてしまっていて、拒否されるだけなので、騙し騙し少しづつ回転数を上げていくための錯覚テクニックだ。

2.業務の単位ではなく作業の単位までブレイクダウンして紙に書き出し、それをチェックしていく。

これも一種の錯覚発生テクニック。例えば「昨年の売り上げの資料を作る」というミッションを与えられた場合は、「データベースにアクセスしてローデータを取る」、「製品毎、地方毎、月毎にまとめる」、「まとめた内容をグラフ化する」、「グラフ化の前にどのようなグラフならわかりやすいか、過去の資料や、他社のプレゼン資料などを参照する」という具合にできるだけ、具体的な行動にまでブレイクダウンしてしまうということ。やる気が出ないことの一因はやるべきことの全体像が想像できないことにより、霧の中を手探りで歩くような状態だと認識してしまって、混乱を生じるからだということが言われている。従って、わかりやすく目印を辿るような方法が有効だ。このブレイクダウンにより、課題の問題点そのものに対して、整理ができるという副産物もある。

 

3.今の状態を文章化してみる
課題を整理するという作業とも似ているが、それ以前の状態として、自分の心の中がどうなっているのかを書き出してみる。メモ書きでもいいし、パソコン上に打ち出してもいい。一体自分が何に迷っているのかを認識できればその迷いへの具体的な対処方法をリサーチすることができる。私の場合は、後々駄文のネタにすることもある。仕事に全く関係ないことに考えの方向が脱線することもあるので、サボりにつながることも多いが(苦笑)。

 

ちなみに今現在もこの駄文を書いていることで、少し仕事に関してのやる気も出てきたような気はする。ウォーミングアップ効果はあったのだから、完全なサボりではなかったと強弁しておく(笑)。

 

閑話休題

 

人間ドックの結果から再検査を命じられて1ヶ月半。受診した医師の指導に従い、食事量の削減、適度な運動を心がけた結果、再検査時より2.2kgほど体重が減り、血液の各種データも正常値近くにまで改善したとの診断を受けた。

「体重の減分をきっちりコンマ一桁まで言う方はしっかりとした意思で取り組んでいる証拠です。なぜなら、ホンの少しの差であってもこだわることで、何か一つでも自分を褒めたいと言う意識があるからです」とは担当医の言。相変わらずユニークな方である。
GW突入後からは休日には必ず5kmくらいは歩くようになったし、平日もなるべくウォーキングはするようにしている。酒も週に2回せいぜいハイボール二杯程度に抑えたし、その際のツマミは魚肉ソーセージかナッツにした。晩飯は抜くか、食べてもサラダとメインディッシュだけで炭水化物は全く摂らないようにした。端的に言えば摂取カロリーを減らして消費するカロリーを増やすという、ダイエットの王道を実行しただけだ。たまには酒も多めに飲んだり、甘い物を食ったりもしたが、その場合は、翌日の食事を減らすとか、運動を多めにするとかして、帳尻合わせをした。今のところは順調に節制が進んでいる。

ただし、短期的に節制をするのはさほど難しくないが、節制を「し続ける」ことは至難の技だ。減量後いわゆるリバウンドを起こす人が過半数だという事実が物語っている。私の場合、会社の仕事に関するストレスが高いので、時にその解消のために暴飲暴食をやらかすことがあるので、そうしたストレスを生じさせないためにもなるべく早く現状からの脱却を図らなければならない。とりあえず、今のところ減量に関しての「やる気」だけは持続しているようなので、このやる気が継続しているうちに、新しい生活への努力も始めたいと思う。

成功の秘訣は本人の努力のみならず「人」「環境」との幸運な巡り合い 『ドラガイ』読後感

 

ドラガイ

ドラガイ

 

 

田崎健太氏によるドラフトの指名順位に関連づけてプロ入り後の活躍・挫折を描いたルポルタージュシリーズの第二作目。私はこのシリーズを第一作『ドライチ』、第三作『ドラヨン』そして標題の作の順で読んだが、順番に関係なく、濃い内容が詰められたシリーズである。

 

現行制度下では、支配下、育成ともにドラフト指名しないと交渉権が認められないので、ドラフト外入団選手という存在は滅亡してしまったが、その昔は、ドラフト指名にかからない「隠し球」的な存在の選手が多数存在した。私が一番印象に残っているのは巨人・西武でリリーフ投手として活躍した鹿取義隆氏である。彼が入団した年、巨人は江川卓氏の「空白の一日」騒動でドラフト会議自体をボイコットしたため、誰もドラフト指名しておらず新人選手として入団したのは鹿取氏一人。当時小学生だった私は、単純な価値観からの判断で「ドラフトにもかからないような選手なんか望み薄」という感想を持った。しかし、一年目から中継ぎでいい働きを見せ、後の王監督時代は来る日も来る日も登板して「鹿取られる」という流行語まで生み出した。なんでこんな選手がドラフトにかからなかったのだろう?という素朴な疑問が今でも湧いてくるのだが、他球団のドラフトにかかってしまったら、「巨人鹿取」は存在し得なかったわけで、まさに不幸中の幸いだった。

 

当時のことは今でも巨人軍にとってはタブーの一つであるせいか、鹿取氏は本書には登場しない。一方で、江川騒動の年のドラフト外で黎明期の西武ライオンズに入団した、博久、雅之の松沼兄弟は登場している。巨人の金満ぶりは今に始まったことではなく、この当時もこの二人を合わせて獲得するために、ドラフト指名選手よりも随分と高い契約金を提示したそうだが、「球界の寝技師」こと根本陸夫氏が監督で、かつ、球界の盟主の座を巨人から奪うことを野望の一つとしていた堤義明氏がオーナーだった西武ライオンズは、ポンと2倍の金額を提示したそうだ。なお、松沼兄弟は必ずしも金額だけで西武に転んだわけではない。要因の詳細については是非とも本文を読んでいただきたい。

 

さて、本書には上述の松沼兄弟の他、投手として入団したものののちに野手に転向して2000本安打を達成した石井琢朗氏、抑え投手として「勝利の方程式」という言葉を最初に身に纏うようになった他、巨人の他に在籍した近鉄阪神の全ての球団で優勝を経験した石毛博史氏、低迷期の阪神新庄剛志氏とともに盛り上げた亀山努氏、広島一筋で、抑えに、先発にと奮闘した軟式野球出身の大野豊氏などが紹介されている。

 

この駄文の題名にした「人」「環境」との幸運な巡り合いを体現したのが大野氏である。彼は高校卒業後、野球部はあるものの、あくまでも社業が中心という信用組合に入社し、お遊び程度の軟式野球に甘んじていたのだ。入社して3年目に、ライバルチームのエースだった選手がプロ野球のテストを受けて合格したというニュースを聞き「もしかしたら自分も」という気持ちで本気でトレーニングして広島カープの入団テストを受けることにしたのだ。受験に際し、大野氏は当時の上司に辞表を提出したそうだが、「一週間有給休暇をやるから、ダメなら戻ってこい」という言葉で送り出されたそうだ。いいか悪いかは別にして、「社員は家族」という言葉がまだ生きていた時代の、おおらかなエピソードではある。この言葉に背中を押された大野氏は見事合格し広島カープの一員となる。そして入団2年目には、「優勝請負人」と言われたリリーフエース江夏豊氏が入団してくるのだ。大野氏は江夏氏の一挙手一投足を見つめつづけ、プロの投手としての全てを吸収するのだ。あの時信用組合の上司が背中を押してくれなかったら…、あの時に江夏豊氏が移籍して来なかったら…。カープのマウンドに大野氏の姿はなく、その後のカープの隆盛もなかったかもしれない。そうなると現在に至るセリーグの勢力図にも変化があったかもしれない…。こう考えると、「人」や「環境」との出会いがいかに重要かが実感できる。

最後に、この書にはもう一人、意外な人物が取り上げられている。故野村克也氏の義理の息子、団野村氏である。団野村氏は野村克也氏の後妻に入った沙知代夫人の連れ子であり、克也氏とは血の繋がりはない。日本人のメジャーリーガーの代理人として暗躍していたり、沙知代氏との「電話バトル」の音声が暴露されたりと、なんとなく「胡散臭い」人物であるというイメージしかなかったのだが、ドラフト外プロ野球の世界に身を投じていた歴史があるとは知らなかった。ヤクルトスワローズに入団した同氏は、選手としては首脳陣とソリが合わずに不遇をかこち、選手というよりは外国人選手との通訳の占めるウエートの方が大きかったようだが、ここで得た経験を元に、代理人として生きていくことになるのだから、やっぱりこの方も「人」「環境」との出会いが「野球人生」に大きく影響を及ぼした事になる。

 

ドラフトの順位に関係なく、「プロ野球球団」に選手として引っ張られた以上、何かしら抜きん出たものがあるのは確か。そこからどう努力していくかが、一番の成功要因であることは間違いないが、努力の「方向性」を微調整してくれる「人」との出会いや、努力が成績に直結する「環境」も大きな意味を持つことを教えてくれた一冊だったように思う。

 

 

支離鬱々日記98(GWあれこれ2)

昨日はあと二日休みがあると思うと気が楽、みたいなことを書いたが、本日夕刻から早くも明後日を憂鬱に思う症状が始まってしまった。つくづく、今の仕事が、そしてそんな仕事しか割り振らない会社ってものが嫌いなんだと思い知ってしまった。早く来い来い定年退職。もう郷里に家が建つことも決まったし、引っ込んだ後の生活についても大体の道筋は見えた。定年まではあと10年余りだが、なるべく早くおさらばしたい。

 

とはいえ、あと数年は生活に必要な原資はどこからか調達し続けなくてはならない。文筆業でなんとかなればそれが一番なのだが、こちらについては、今のところ全く何もツテがない。ようやくGoogle AdSenseの審査には通ったが、まだ全然カネにはならないレベルだ。今後はこの駄ブログを続けていくとともに、書きかけの小説を仕上げてしまうこと、各種のコンテストに挑戦することなどを並行して続けていくしかない。

 

もう一つの道は、地元で職を探すこと。幸いなことに、私の郷里の自治体では、今年も若干名ではあるが、中途採用の口があるらしいので、試験にチャレンジしようと思う。早速、受験準備として、どんな対策が考えられるのかをネットで調べてみた。同じようなことを考え、実行した人は少なくないと見えて、いろんな情報があった。

 

まずは試験にパスすることを考えなければいけない。試験には一般教養と論文とがあるらしい。一般教養は5択の問題らしく、とんでもなくバカな結果に終わらなければいいとのこと。一応、問題集も紹介されていたので、後ほど買い込んで勉強してみることにする。

問題は論文だ。くだらないことは毎日書き散らかしているので、書くことそのものについての抵抗感はないのだが、もちろん問われるのはその中身。結局、自分の今までの職歴をどのように今後の職務に活かすかという事が問われるとのことなので、その辺を一度じっくり考えてみる必要はある。なお、同じ記事の筆者氏は、文章に書くためのアピール内容を暗記しておくくらいの覚悟で練り上げておくことを推奨していた。これも参考にしたい。

 

いざとなれば、スーパーの荷出しでも、コンビニの店員でも、運送業の荷物の仕分けでもなんでもやるつもりでいたが、同じやるなら、心身ともにさほどプレッシャーにならない事務職の方がいいに決まっている。新卒の就職活動時には一切考えもしなかった、地元の自治体への就職を考えるようになったとは…。人間変われば変わるものだ。歳食った影響も大いにあるけどね(苦笑)。

 

本日は、朝のウォーキングの際に、体の現状を確認するため、ちょっとジョギングしてみた。

 

一歩目を踏み出した瞬間に「あ、カラダが重い」と感じた。一昨年までは、強度はともかく、週に1、2度はトレーニングしていたし、ちょいちょいオジサンラグビーチームの試合にも出ていたので、節々が痛むことはあっても、カラダが重いと感じたことはなかったのだが、今朝のカラダは今までに感じたことのないような重さだった。重力が地球の1/6だという月面から、いきなり地球上に送り込まれるとこんな感じなんだろうな、というような重さだった。

 

こんな重さを感じなくなるまでには鍛え直したい、そこまで鍛え直さなければ、ラグビーなんぞやる訳にはいかない。怪我も怖いが、こんな状態のままラグビーやったって自分の思い通りのプレーができるはずもないので楽しくないだろうからだ。なんとか、秋のシーズンまでにはプレーしていてフラストレーションのたまらないカラダに作り変えておきたいものだ。

 

今日は、思い立って衣替えを行った。とは言っても、長袖の衣料をしまいこんで、半袖の衣料を通常使うタンスに入れ替えただけだが。ここで気づいたのが実に多くの半袖衣料を持っているということ。まだ袖も通していないものも何着もあった。どうせ今年は外出もできないし、通信販売で春夏用の服でも買うか、と漠然と考えていたのだが、この「在庫」を見て「買い足すどころの話じゃねーわ。こんなにデッドストック化してた服があるじゃん」ってことに気づいた。無駄金使わずに済んだ。

 

 

支離鬱々日記97(GWあれこれ)

今年のGWも後半戦。現時点であと二日も休みがあると考えられることは、非常に喜ばしいのだが、明後日の夜の憂鬱さはおそらくかつてないほどに重くなるだろう。何しろ今回は気晴らしらしい気晴らしができなかったのだ。

 

そんなことを言いながら、前半には帰省した。母親を通院させるためだ。車の運転をさせないというのも目的の一つだが、それ以上に、実際の日常の行動で実践させるよう言い含めるため、医師の助言を一緒に聞くというのが大きな目的だ。

 

本当はいろんな刺激を脳に与えるために、料理をさせるというのが一番いいそうなのだが、本人には全くやる気がない。朝と晩は食事を一緒に摂る友人がいてその方に作ってもらっているし、昼は出来合いのもので済ます、という生活パターンを何年も続けているため、家事をするという習慣がなくなってしまったようだ。医師からも自分で料理をすることを推奨されているし、特に夜間に車の運転をさせるのが不安であるため、なんとか自炊の習慣を根付かせたいのだが…。

 

今回の帰省中の食事も結局は当家の最高権力者様が担当した。「今後は、例えば『稲荷寿司が食べたい』みたいに、あんまり手のかからないものをあらかじめ作ってもらっておくように頼んでみるといいかも」というのが最高権力者様の提案。試してみる価値はありそうだ。「じゃ、どこかで買ってきて」と言われてしまう可能性も否定し得ないが。

 

さて、今回の帰省の最大の目的は、姪っ子ちゃんと遊んでくることだった。先月の中旬に1歳の誕生日を迎えたばかりの姪っ子ちゃんは、まだ歩けないし、喋りもしないのだが、実に色々な表情を見せてくれるし、かなりはっきりとした意思を示すようにもなった。上下に歯が生えたので、乳児用の菓子などもかじれるようになったし。叔父バカ満開ではあるがとにかく可愛いのだ!!

 

特に私は、普段家ではほとんど誰もやってくれない、力技(高い高い、とか横抱きにして、パパやママに空中から接近させるなど)を繰り出すので、気に入ってもらえたようだ。今回の訪問では、部屋に入った瞬間から、ずっと見つめられてしまった。一気に嬉しくなってしまったバカ叔父さんは、一所懸命に力技を使う。姪っ子ちゃんはキャッキャ、キャッキャと笑うのだが、この笑顔が実に素晴らしい。どんな美女に微笑みかけられたって、君の笑顔には叶わないんだよ、姪っ子ちゃん!!

 

困るのは、すぐに汗だくになってしまうこと。当家の母親などは「赤ん坊抱っこするのは湯たんぽ抱えてるようなもんだ」などと形容するのだが、幼児の体温は大人より少々高いために、ちょっと抱えて高い高いの10回も繰り返せば、すぐに汗だくだ。で、流石に汗を拭こうと、別の人に渡そうとすると、姪っ子ちゃんは、私の服をグッとつかんで離さないのだ。まさしく心を鷲掴みするような、彼女の「ギュ」は私にとっては世の中のどの薬物よりも強烈な喜びを与えてくれる。それでも彼女に私の加齢臭と脂肪分に満ちた汗を浴びせてしまう訳にはいかないので、なんとかママに抱っこを代わってもらって汗を拭くのだが、その間もずっと瞳をそらさずに私を見つめてくれるのだ。この状態を愛おしいと言わずして何を愛おしいというのか。汗を拭うのもそこそこにまた抱っこして力技に勤しむ事になる。

 

まだ体重は10kgをほんの少し超えたところだそうで、その程度なら、片手で上げ下げしていたダンベルよりかなり軽いので、負荷は大したことはないのだが、暑さに耐えることと、持久力を要求されるのが姪っ子ちゃんとの至福の時間。あの笑顔と「ギュ」を思い出すと、会いたさが募ってしまう。確かにこんな至福の時が待っているのなら、仕事が嫌いもヘッタクレもなく、頑張ってしまうよなぁ…、とほんの少し親の気持ちというのを理解した気はする。これからますます表情が豊かになる姪っ子ちゃんと過ごす時間は楽しみだ。

 

連休突入後、毎日10000歩以上歩いている。早朝、近所の公園を5周ほどするとちょうどそのくらいの歩数になる。早朝の清々しい空気の中、好きな音楽を聴きながら、そして季節の移ろいを感じる植物の変化を眺めながら歩くのは気持ちがいい。ぼーっとしながら歩いていると、文章のネタがふと浮かんできたりもする。去年のこの時期は、毎日早く起きてはいたものの、外出禁忌の空気に押されて、何もせずに無為に過ごしていたので、こうした感覚を忘れていた。おかげで、運動不足状態を生じ、生活習慣病の初期段階と診断されてしまった。これからは毎朝のウォーキングを習慣化し、徐々にジョギングも取り入れて行こうと思う。まだシニアラグビーの現役を諦めた訳じゃないし、向上を目指さないことには、加齢による衰えを食い止めることはできない。カラダが健康じゃないと、ろくに働いてもいないアタマの方もさびつくし、精神衛生上も良くない。在宅勤務中はとにかく歩こう。

 

連休中、地元の企業に就職している友人と久しぶりに会った。お互いの近況を語り合うだけで、あっという間に一時間が過ぎて行った。まあ、空白期間については、今後私が田舎に帰れば埋めていく時間はそれなりに持つことができるだろう。その会話の中でポロリと漏れ聞いたのが、地元の自治体がミドルやシニアを対象とした求人を行っているということ。ちょうどいい機会でもあるので、チャレンジしてみようと本気で考えている。どうせこれから生活の拠点は郷里になるのだし、現在在籍中の企業では、またどこかに飛ばされる可能性もある。せっかく、新居を建てたというのに、その新居に落ち着いて住まうこともできない状態にされてしまうのは嫌だ。もう「出世」の見込みだってないんだし、余計な苦労を背負い込むのは願い下げだが、在籍していれば命令を断る訳にはいけないのがサラリーマンの宿命。だったら、さっさと逃げてしまうのも一興だ。リモートワークに対して、社会全体のハードルが下がったこともあり、例えば、今後文筆業で食っていくにしても、田舎暮らしで、必要な時にお江戸に出ていく、などという形態も可能になった。

 

なんてなことを考えたり、実際にいろんなことをやったりしながら、ステイホームで過ごしているのが今年のGW。明日か明後日は、気が向けば、うどんを打ってみたいとも思ってはいる。