脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ナイアガラサウンドの源流を探る一作 『ナイアガラの奥の細道〜ルーツ・オブ・ナイアガラ・ポップス』鑑賞記

 

 

私のポピュラー音楽の嗜好の原点は、高校入学時に買い求めた『Niagara Triangle Vol.2』であり、かれこれ40年近く大瀧師匠のファンであり続けている。

 

それ以前はYMO山下達郎氏のファンだったのだが、この両者をつなぐアーティストとして大瀧師匠を意識し、大瀧師匠が、やはり私が高校入学時に強く意識していた佐野元春TBSラジオの深夜番組『ユアヒットしないベスト10』の常連だった)、杉真理(当時日産の車のCMソングがよく流れていた)とユニットを組むということで、是が非にもという感じで買い求めた一作だった。で、聴いてみたら当時の私の心境には実によくマッチした。世にはニューミュージックとアイドルポップスばかりが流れていたのが当時だったが、フォークの流れを汲んだニューミュージックの「四畳半」的な貧乏臭さもなく、またアイドルポップスが描き出す安っぽいラブソングの世界でもない、おしゃれな世界観に大いに惹かれたのだ。いろんなお遊びの入るアレンジも、「シンセサイザーでつくる音楽が最先端で、アコースティックな音楽なんて古臭い」と思っていた私の好みにぴったり合った。今思うと、実に狭小な趣味しか持ち得ていなかったと苦笑しながら振り返る他ないのだが。

 

兎にも角にも、今現在に至るまで音楽の好みのど真ん中にあるのはナイアガラサウンドであることは間違いない。

 

ところで、大瀧師匠の音楽に関しては、嫌う人も結構いる。主な理由は「ほとんど全てのフレーズが外国の曲のパクリだから」ということになるだろう。

 

まあ、しかしそんなことを言い出したら、日本のいわゆる歌謡曲の作曲家のほとんどは「完全オリジナル」などとは口が裂けても言えない作品ばかりを世に問うていることになる。また、「オリジナル」とされる海外のポピュラーミュージックだって、クラシック音楽からフレーズをパクってたりもするだろう。数学的にいうと、今ある音階の組み合わせというのはごく少ないものののようで、その中から、全くの新規に、心地よい(=世に広く受け入れられる)組み合わせを引っ張り出すのは至難の技だろう。

 

私自身は大瀧師匠というのは音楽におけるスタイリストまたはコーディネーターであると考えている。スタイリストは、現存する数あるアパレルの中からカッコよく見える組み合わせを考えて、皆の前に提示して見せるのが仕事。使っている服は服として独立して存在しているが、その組み合わせを考えることは著作権の侵害には当たらない。そしてその組み合わせは個人のセンスで、カッコよくもダサくもなる。やや暴論じみているが、要は聴いた際に心地よく感じられる世界を提示してくれるのなら、その出自は問わないというのが私の姿勢で、大瀧師匠の描き出してくれる世界は私に取ってはひたすらに快適だったのだ。だから責める道理がない、というのが私の理屈。他の理屈はあって然るべきで、私は別に他の考えを持つ人に宗旨替えさせようとか、私の考え方だけが正しいなどというつもりはない。

 

大瀧師匠はそもそも、「コピーよりオリジナルの方が上」という考え方には異を唱えているし、ある人が「あの曲は、A,B,Cの三曲からフレーズをパクったでしょう」と問い詰めてきたのに対し「君、三曲しかわからなかったの?その三曲の他にC,Dも使ってるよ」と切り返したりもしている。ある意味開き直りだが、私はこの考え方を支持する。さっきのスタイリスト云々のオハナシもあるが、日本には「本歌取り」という、オリジナルを踏まえた上で、新たに意味を付与する伝統的な和歌の技法だってある。大瀧師匠流の「本歌取り」が彼の作り出した作品たちだと考えても良い。

 

さて、紹介した3枚組のCDアルバムには、「なるほど、これがあの作品の源流か」と思わされる作品ばかりが収められている。聴く曲聴く曲「あ、このフレーズ『さらばシベリア鉄道』に使われてた」とか、「この曲は松田聖子の『いちご畑でつかまえて』のサビ前のフレーズに微妙に音を変えて使われてる」という発見ばかりだ。温故知新ではないが、新鮮な発見が多々あった。年季の入ったナイアガラーの皆さんに取っては「何を今更」的な作品ばかりかもしれないが、ファン歴は長くても、バックグラウンドを「学習」することにまで頭が回らなかった身としては、大瀧師匠が好んだポップスの世界の一端に触れられただけで素直に嬉しい。しばらくはヘビロテで聴きまわすことにする。

 

 

支離鬱々日記95(家買うシリーズ14 地鎮祭)

新居建設計画が走り始めて約半年、そろそろ着工しようかという頃合いになってきた。

 

そんなわけで、着工に先立つ祭事である地鎮祭を、先日の雨天をついて執り行ってきた。

 

当日は三隣亡ではない土曜日だったので、氏神様の神主さんが超多忙だとのことで、当初の開始予定よりも一時間遅れでスタート。なお、建築会社の方が前もってテントを張っておいてくれたので、お供物も我々も濡れ鼠にならずには済んだ。

 

さて、地鎮祭には施主もいろんな準備が必要だ。当家の場合は、設計事務所社長が親戚だったこともあり、随分と色々便宜を図っていただいたようだが、その辺はケースバイケースらしいので、今後、住宅を新築する方は、建設会社、または設計会社に相談いただきたい。なお、ここで買い求めたモノについての費用は、税金の控除の対象となるかもしれないので領収書はなるべく取っておくほうが良いとのことだ。

 

○神事に必要なお供物

神酒、米、塩、鮮魚、野菜など。当家の場合は、神酒と米、塩のみ用意し、鮮魚、野菜などは建築会社の方が手配した。野菜と鮮魚は、もしかしたら建築会社の依頼で、神主さんに持参いただいたかもしれないが、そこは確認し損ねた。お神酒については特に銘柄の指定などはないが、松竹梅など縁起の良い名前のものが選ばれるとのこと。米も塩も特にこだわる必要はなし。場合によっては、米は前もって洗った上で乾かしたものを求められることもあるそうだが、これもまた確認していただきたい。

○神主さんへの謝礼

通常は初穂料という名目で神に捧げるという形を取る。これも建築会社等に要相談だが大体3万円くらいだそうだ。

 

○参加者への弁当手配

元々は祭事の後に酒食でもてなすのが正式な儀礼とされていたのだが、最近はわざわざ宴席を設たりせずに、弁当と飲み物を手配して持ち帰っていただくというのが一般的らしい。当家は、新居近くの親戚が知り合いの仕出し業者に「お友達価格」で手配してくれたが、場合によっては事前に受け取っておくなどの作業も必要になる。

○近所周りの手土産品

当家の場合は地鎮祭の直後に、建築会社の方々と共に、隣接する家々と、工事用の車両が借りる駐車場の大家さんに挨拶回りを済ませた。その際には手ぶらというわけにもいかないので、千円程度のお菓子の詰め合わせを手土産に持っていった。なお、建築会社はタオルと、やはり少額のお菓子の詰め合わせを持参していた。こういうことは面倒くさがらずに、最初にきちんと挨拶しておくことが肝要だ。何しろ、これから短くはない期間顔を突き合わせることになる皆様なのだ。ビジネス書などには「礼儀正しさに勝る攻撃なし」などとも書かれている。印象をよくしておいて損することはない。当日の感じでは、一軒を除いては特に厄介な感じのする方はいなかった。問題ありそうな一軒に関しては、今後慎重に付き合い方を探っていくしかない。

 

多少話は前後してしまったが、地鎮祭本番についての感想を少々。

 

地鎮祭というのは、土地の氏神様に、敷地内に設た神棚に、一時的に降臨いただき、そこで、工事の安全とその土地に住まう人間の家内安全を願う儀式だ。というわけで、一番最初は参加者と供物を祓い清める。神社でよくやる、幣をバサバサするやつだ。頭を軽く下げて祓い清めていただく。

次に神主さんが祭壇に氏神様を降臨させる儀式がある。ひとしきり祝詞をあげた後、「ウゥ〜オゥオォォ〜」ってな感じの唸り声のようなものをあげることで神をお呼びする。この叫び声、どこかで似たようなものを聞いたことがあるぞ…、ええーとどこだっけ?あ、そうだ、甲子園の高校野球の開始時と終了時に鳴るサイレンだ!!なるほど、甲子園の試合には野球の神様を呼び寄せているのか。あと一つ、秋田のなまはげが家々をめぐる際に、家に入る時に挨拶がわりに発する唸り声にも似てる。要するに、神様が降臨されたぞ、ってアナウンスなんだなこれは。

 

などと、ある種文化人類学的なとりとめのない思考の奔流に身を委ねているうちに、「本番」の神事。最初に土地の四方を祓い清める。ここで、用意した米と塩、お神酒を四隅に撒く。次に祭壇に向かって右側に設てあった砂の山を崩す、という工事の開始をシンボライズした儀式がある。設計会社の代表者が、山の上にある草を鎌で刈り、施主である私が鋤で砂山を崩し、最後に建設会社の代表者が、シャベルで、私が崩した土を平にする(とはいっても実際には崩した砂を一すくいするだけ)というのがその内容。いずれも道具は木製で、実際の工事にはとてもじゃないけど使える代物ではない。三者の全てが「エイ、エイ、エイ」という3回の掛け声とともに動作し、3回目の「エイ」で、実際に草を刈る(実際はむしりとる)、山を崩す、崩した砂を平にするなどの動作を行う。

 

その後、神主さんから玉串を受け取って、それを神様に捧げ、その際に工事の安全と、家内安全を祈る。施主の私は一番最初。神様に尻を向けるのは失礼に当たるので避けねばならぬ行為なのだが、ついつい振り返って戻ってしまった。神様大変申し訳ありません。来年は初詣にお邪魔して、いつもより多めにお賽銭献上しますからお許しください。

 

なんてなことを考えているうちに、参加者全てが玉串を奉納し、儀式は終了。色々流儀はあるようだが、今回はここでお神酒のお裾分けをいただき、飲んだふりだけして、先ほど崩した砂山に注いだ。最後に氏神様を天にお見送りし、地鎮祭は終了。いよいよ近日中に工事が開始される。

 

地鎮祭後には前述の通り、ご近所に挨拶回り。そしてその後、建設会社に場所を移して、正式な契約書の締結。久しぶりに、自分の実印を手にして捺印した。今月中に手付金を支払い、いよいよ実際の建設がスタートする。まだまだ現実感はないが、あと半年後には、当日米だの塩だのを撒いた土地には家が建つのだ。ワクワク感はたっぷりあったが、知らない人の家に行くのはなかなかにプレッシャーだったようで、全てが終わってから、実家に戻った際にはかなりの疲れを感じた。おかげで、この機に併せて実施しようと思っていた、実家の電話機のナンバーディスプレイ表示がきちんと実行されたかについての確認をケロッと忘れてしまっていた。現住所に帰ってきたのちに実家に電話したら、きちんと電話の相手先をアナウンスしたとのことで一安心。母の介護についても一歩前進した。

普通の人々の共感を呼ぶのにぴったりのポジションはドラフト下位指名の選手たちだ 『ドラヨンなぜドラフト4位はプロで活躍するのか?』読後感

 

ドラヨン なぜドラフト4位はプロで活躍するのか?

ドラヨン なぜドラフト4位はプロで活躍するのか?

  • 作者:田崎健太
  • 発売日: 2019/10/16
  • メディア: 単行本
 

 

ドラフトに焦点を当てた田崎健太氏のルポシリーズ。私が読んだのは2冊目なのだが、このシリーズは氏にとっての3作目で、この作の前には『ドライチ』(既読)、『ドラガイ』がある。

 

さて、副題にもある通り、ドラヨンの選手は大活躍したイメージが強い人が多い。筆頭はイチロー氏だろう。鈴木一朗という銀行の記入見本に出てくるような平凡な本名の彼の高校時代の主なポジションは投手。そのため投手としての獲得を目指した球団の評価は非常に低かった。ヤクルトなどはスカウトが指名対象から外してしまっていたほどで、打者としての素質を高く評価していた当時の野村監督から、後になって担当スカウト氏は手酷い叱責を受けたというこぼれ話もある。打者としても「当たれば儲けもの」くらいの感覚だったのではないかと推測されるのがドラフト4位という指名順位だろうと思う。プロ入り後も3年間は不遇の時期が続いていたが、策士仰木彬氏が監督に就任し、登録名を「イチロー」にしてから大ブレイク。その後の活躍は広く知られた通りだ。本人の努力と、指導者の慧眼がうまくマッチングしたことで最高のサクセスストーリーが描かれた。

 

標題の一冊にはイチロー氏の事例は取り上げられていないが、彼の事例に勝るとも劣らぬブレイク事例が6名分記されている。阪神で4番打者を務め、晩年には「代打の神様」と呼ばれた桧山進次郎、国際舞台に強かった他、シーズンでも15勝を挙げたロッテの渡辺俊介、西武・中日で通算2000本以上の安打を打ち首位打者も獲得した和田一浩(余談ながらこの方のご令室は私の知り合いの娘さんである)、日本ハムで守護神を務めた武田久、巨人・中日に在籍し犠打の世界記録を持つジイこと川相昌弘、広島の本塁を長い間守り、珍プレー番組の常連でもあった「ペテン師」達川光男の各氏である。

 

ちなみに桧山氏が指名を受けた1991年のドラフト会議ではオリックス鈴木一朗(前述の通り、後のイチロー)、広島は「アニキ」金本知憲近鉄中村紀洋、をそれぞれ4位で指名氏している。各氏の後々の活躍を考えるとこの年は空前絶後のドラヨン当たり年だった。さらにいうとこの年はパンチョこと故伊東一雄氏が最後に司会を務めた年にあたるそうだ。

 

さて、ドラヨンの選手たちに共通することは一つ。最初から恵まれたポジションを与えられていた訳ではないということだ。上位指名の選手たちは即戦力として期待されてすぐに一軍で使われることが多い。また、素質を見込んで指名し、育成に数年費やす場合も指導者がつきっきりで英才教育を施すというイメージがある。対して4位指名レベルになると、何らかのアピールポイントはあるものの、「上手く育って貰えば儲けもの」くらいの感覚で、首脳陣から向けられる熱量はドラフト上位指名選手に向けられる熱量と比較すれば明らかに落ちる。スタート時点でのこの遅れを取り戻すためには、努力、それも自分のストログポイントを徹底的に活かす努力をするのが最低限必要なことであり、その上で数少ないチャンスでその努力の成果をしっかり見せなければならない。

 

ドラヨンから大成した選手たちが骨太な感じがするのは、こうした努力と運をものにしてきたという物語を、世に出てきた時点で既に背負っているからなのだろう。何年かに一度必ずドラヨンで活躍する選手が出現し、その度にスポーツ紙やスポーツ雑誌で「ドラヨン」選手特集が組まれる印象があるが、すんなり世に出たドライチ選手たちよりも読み応えのある文章に仕上げることができるが故の風潮だろう。努力しながらも報われなかった選手が、ある日大活躍をする、あるいは慧眼の持ち主に大抜擢を受け、華々しく一軍の試合に出場する…、努力が報われていないと感じている世の中の絶対多数の人間にはウケるネタであるのは間違いない。

 

まあ、プロ野球の球団からドラフト指名を受けるような選手の運動能力というのは、そもそもずば抜けているはずなので、何かしらのきっかけで大ブレイクを果たしてもおかしくはない人物たちが揃っている。そのきっかけってやつが、どんなもので、いつその人物のもとに訪れるか分からないから、人生は悲しいし、面白い。

 

良い指導者との出会いかもしれないし、コンバートやフォーム改造、役割の変更(中軸を打つような選手から繋ぎ役への変更、先発から中継ぎへの転向など)などのわかりやすい変化かもしれないし、実戦の場での気づきかもしれない。イチロー選手の打撃開眼はある試合でボテボテのセカンドゴロを打ったことから、というのはよく知られた話だ。そのきっかけに気づかない場合だってあるだろう。

 

そしてこういうことの全てはいわゆる普通の人々の生活の中にもあるお話だ。なんらかのきっかけさえあれば俺だって…という思いは多くの人々の心にあるはず。だからこそ、そうしたきっかけを掴んだドラヨンの選手たちのサクセスストーリーは人々の心を奪うのだ。

 

 

これからもドラヨン選手たちから新しいスターが続々と生まれてきてくれるだろう。スカウト諸氏にはその時の人気や知名度に関係ない本当の「お宝」を発掘し、ドラヨンで指名していただくことを期待したい。

支離鬱々日記94(健康のお話)

先日、人間ドックの結果が返ってきた。脂肪肝と糖尿の疑いありで、要再検査という通知。

 

この分野に関しては大いに心当たりありだ。元々が超肥満体(身長170cm、体重112kg、体脂肪率は35%)であることに加え、昨年1年間は、コロナのおかげでジムも休みだったし、外出自体を忌まわしむ風潮もあったりで、汗を思いっきりかくようなトレーニングは全くできなかった。おまけに暇を持て余して散々酒をかっくらってしまった。若い時ならいざ知らず、人生も半世紀を過ぎ、あちこちが傷み出してきた頃合いでもあった。まあ、出されるべくして出された再検査通知だったということになる。

 

で、かかりつけの内科医で血液と尿の検査を受けたら、ものの見事に初期の糖尿病と診断されてしまい、大学病院の糖尿病専門外来を紹介されてしまった。

 

大学病院ってのは建物からして物々しいが、予約を取るのも一苦労だ。何しろ四月の頭に予約を申し込んだのに、実際に受診できるのは7月の頭なのだ。おいおい、3ヶ月もあれば、病気が進行して重篤化しちまうんじゃねーのかよ、と心の中では突っ込んでいたが、その辺を見透かしたように受付のおねーさんからは「糖尿病外来の前に、循環器の外来を受診してもらい、まずは血管の状態を調べることになります。こちらは来週の中頃なら予約できます」とのこと。否も応もないとはこのことだ。その場で予約し、早速受診してきた。

 

でかい病院の中を、散々移動させられて、一時間半ほどの間に採尿、採血、心電図、胸部レントゲンを済ませ、それから30分ほど待って、ようやく受診。おかげで読書が進んだ。

 

医師は開口一番「はい、明白な糖尿病です。まずは、この病気について知りたいことがあったら質問してください。全部答えます」との発言。では、ということで初歩の初歩から色々聞いてみた。結果について下記にまとめておく。

 

○まずは体重を落とすことが必須条件。体重は運動では落ちないので食事を注意深く摂っていくしかない。

 

食事と運動は減量の両輪では?という重ねての問いに関しては「減量を目的とした運動だと、どうしてもオーバーワークになる。となると体重の重さから膝や腰を痛めやすいし、単純にキツくもあるので長続きしない」という回答。「適度な運動は体内の代謝を促進するので是非やってほしい。1番のおすすめは水中歩行です」という返事もいただいた。「体重は1ヶ月に1kg程度落とすのが最良の落とし方です。」とも。私の逡巡に間髪を入れずに言葉を挟み込んでくるこの医師はなかなかユニークな方である。

 

○手っ取り早い食餌療法としては「果物断ち」と「夕食抜き」を推奨

 

果物は、糖尿の大敵、糖分を多分に含む。ビタミンや繊維質などを摂取できるメリットよりも糖質を取り過ぎてしまうデメリットの方が多いし、他の食物に比べて我慢しやすいというのも理由の一つ。夕食抜きはカロリーの総量を抑えるのにことになるし、睡眠時に内臓を休めることにもつながる。昼飯の時間をなるべく遅くして、通常の夕食時間帯に空腹を感じないようにするという策が有効。医師お得意の追加豆知識として「空腹感を誤魔化すためには生野菜を齧ってるのが一番です」との言。明日から、冷蔵庫にキャベツでも常備しとくか…。

 

○何かを極端に制限する、あるいは何かだけを食べ続けるという食餌療法は推奨しない

 

「だいたいこういう方法は長続きしないんですよ」というのが最初の言。確かにこれは私も思い当たる節あり。結婚直後の一時期、りんごしか食わないという「りんごダイエット」をやってみたりしたのだが、文字通りの三日坊主で、三日もしたら飽きてしまった。それ以後しばらくはりんごを見るのもイヤというくらいに飽きた。最近では「金森式」という、それこそ脂分しか食わない減量法などもあるそうだが?という問いには「それもおそらくは長続きしないでしょう。何しろ摂取の総カロリーを抑えることしか道はありません」との答え。楽してできる方法なんぞないんだよ、ってのは痛いほどに伝わってきた。

 

最後に二週間後に最高権力者様(世間的にいうと女房)を伴って来院し、食事についてのレクチャーを受けるようにという言葉と、予約票をもらって診察終了。その日から、果物断ちは実施、夕食はまだ完全に抜くまでには至らないが、炭水化物の類を食わないことと、量そのものを従来の半分程度にまでは減らした。酒もほぼ毎日だったものを、週に2回程度までには控えるようにした。ちなみに受診した医師は大の酒好きだとのことで「まあ、量さえ過ごさなければ、ほどほどに嗜んでもいいですよ。これも我慢は長続きしませんし、ストレスを解消している部分もあるでしょうから」とのことだった。

 

受診後、ほぼ毎朝、近所の公園を三周(約3km)ほどウォーキングしている。花粉もそろそろおさまる頃合いだし、盛りを過ぎた桜を眺めるのも一興。いろんなところが澱んでいたカラダの中が動き始めるのを感じられた気がする。まだまだラグビーだって辞めたくはないし、新しい家を使い倒すまでは簡単には死ねない。姪っ子ちゃんの成人した姿だってみてみたいし、なんなら結婚式に出て披露宴で『娘よ』を歌って号泣するくらいのことだってしてみたい(笑)。できるだけ健康寿命を伸ばして、ある日、トイレで踏ん張っている最中にでもコロリと死んでしまうのが一番だ、と毒蝮三太夫師匠だって言っている。間違っても失明したり、脚を切断などという糖尿病の合併症になんぞかかりたくない。

 

閑話休題

 

本日は思いたって、以前から気になっていた新宿の誠眼鏡店に行ってきた。以前に紹介した書籍の中で述べられていた、この店の社長星野氏の「自分に最も似合わないと思われるような眼鏡こそが人生を変える」という言葉がずっと頭の片隅に引っかかっていたのだ。で、早速、店員の方に「思いっきりイメージを変えるための眼鏡を選んでください」とお願いして、いくつか候補をあげてもらい、その中から1本選んで作ってもらうことにした。まあ、確かに自分一人で行ったのではおそらく選ばないだろうな、という形ではあった。今後は、執筆活動をするときにこのメガネをかけることにする。誰が会社の仕事になんぞ使うもんか、と言いながら、すっかり忘れて会社にかけて行ってしまいそうな気もするが…。まあ「メガネは顔の一部です」から仕方がない。

 

で、店からは練馬某所の自宅まで徒歩で帰ることにした。どうせ、近所の公園を歩くのなら、歩いて帰れば交通費の節約にもなるし、道々の変化のある風景に触れ続けることはいい刺激にもなると考えたからだ。ちょうど天気も良かったし、午後の一番暖かくなる時間帯でもあった。

 

眼鏡店は大ガードのすぐ近くだったので、すぐに甲州街道に歩みを進めて、山手通りまでは自分なりにかなりの速いペースで歩いた。山手通りを池袋方面に折れて大久保通りまで。で大久保通りを中野方面に向かう。この辺には以前の営業職時代に足繁く通った得意先があったので、その日々を懐かしく思いながら歩く。普段は記憶の淵に沈んでいる思い出たちを愛でながら、もみじやま通りを右折して、住宅地の中のゴミゴミとした通りを歩く。その昔はここも車で通ってたんだから無茶したもんだ。今ならこんなゴミゴミしてて人通りも多い道なんぞ怖くて車なんか乗り入れられねーよ、などと思いながら、汗ばんできたので羽織っていたジャンパーを脱ぎ、ついでに自販機で無糖のお茶を買って水分補給。ところがこのあたりから少し体調がおかしくなった。考えてみたら、朝におかゆ一杯と野菜ジュース、ヨーグルトを口にしてから何も食べていない。流石に腹が減った上に、血糖の上昇を抑える薬も飲んでおり、その薬の注意書きには、低血糖の症状が出る場合がありますとも書いてあった。少々やばいと思ったので、手近なコンビニに飛び込んで、無糖のチョコレートと、ロカボの素煎りアーモンドを買って食いながら歩いた。これは結構効果があった。脳が糖を摂ったと勘違いしたのかどうかはわからないが、体調が持ち直したのだ。その後、適宜、小休止をとり、アーモンドとチョコレートを齧りながら、なんとか一時間半ほどかけて10km強の道を歩き通した。何事もやり過ぎは良くないし、適当な休養と栄養補給は効果的だということを学んだ一時間半だった。

 

 

 

 

支離鬱々日記93(家買うシリーズ13 お金の話)

今回は、家という、「普通の人間」の私生活においては最大の買い物と言って良いものに際して、一番重要なもののお話だ。すなわちお金である。

 

当家には子供がいないので、自由になるお金は子持ちの家庭に比べれば少々多い。従って、お金を借りずに家を建てることも可能ではあるのだが、何かと不安な将来に備えて、手元の資金をなるべく多く持っておきながら、必要な分は然るべき金融機関から調達して家計を回していくというのも検討すべきだというアドバイスを友人からもらっていた。

 

で、助言をくれたのとは別の友人が奉職している銀行に相談に行ってみた。銀行に勤める友人は、その銀行内ではそれなりの地位にいるので「お友達価格」で対応してもらえるかもしれないという下心満々で支店内へ。

 

さて、自己資金があるなら、何も無理に利息の支払いに追われるようなローンなど組まなくてもいいじゃねーか、というのが素朴な疑問として湧き上がると思う。その疑問に対してはまず単純な回答が一つある。

 

住宅ローンを組んだ場合には、住宅ローン控除というのが受けられるのだ。10年間にわたり住宅ローン金額の年度末の残高の1%が戻ってくる仕組みだ(ただし控除の総額は最高で400万円までという制限がある)。

その他、当家は普通の定期預金などより、多少なりとも金利が良い貯蓄などもいくらかあるので、その預金を吐き出して失う利息と、借財することで支払わなければならない利息とを比べた場合にどちらが得かというのが、主な確認点だった。

 

しかし、お話はその比較にいくまでに、早くも「借りない」という結論の方に大きく傾いてしまった。

 

両親ともに公務員の一人息子であった私は、今まで借金などした経験がなかった。似たような境遇である当家の最高権力者様、世間で言うところでは配偶者も然り。借金する際には利息以外に払わなければいけないお金があったという事実を今回の件で初めて知ったのだ。財テクとかに安易に走らないでよかった(苦笑)。

 

さて、支払わなければいけないお金を列挙してみる。
まずは手数料が5.5万円
印紙代が1〜2万円(借入金額により違うとのこと)
保証料4万円強
抵当権10万円(ローン契約時)+5万円(実際に建築の際の追加認定時)
抵当権の抹消2万円
合計で20万円以上にもなる。住宅ローン控除を受けても結局は支払う金が高くなる。

さらにローンの審査に通るためには健康状態やら、資産状況やらいろんなものをチェックされる。それこそ当家の持つ社会的な信用情報を丸裸にされてしまう上に、審査に通らないことだってありうるのだ。貸す方の取りっぱぐれを防ぐためには仕方のない制度であるとはいえ、七面倒くさいことこの上ない。一応金利は「お友達価格」で対応してはもらったのだが、それでもやっぱりかなりのコストがかかってしまう。それも私が定年まで勤め上げることを前提としている。別の道が見つかればとっとと逃げてしまいたい私にとってはこれもネック。

 

相談の場を設けてくれた友人、並びに実際に実に丁寧に対応してくれた方には誠に申し訳ないのだが、これだけのコストがかかってしまうのでは流石に借りられない。借りられるステータスも一つの資産だという考え方もあるのだが、まあ、一番金のかからない方法を選択することにした。

ナイアガラーの夢が実現した4枚組CD 『大瀧詠一作品集vol.3 夢で逢えたら』鑑賞記

 

 

世にネットが急速に普及し始めた前世紀末。

 

私は大瀧詠一師匠の作品を愛好する方々のメーリングリストに入れてもらっていた。そこから得られた知識は、ほぼ『ロンバケ』以降の師匠の作品しか知らなかった私にとっては、まさにあたらしい世界の発見だった。いろんな蘊蓄を持っている方々がそれこそ毎日惜しげもなくそれを披露してくれていたのだ。

 

メーリスの一つの大きな議題の一つがバージョン違いやアレンジ違い。大瀧師匠は同じ作品でも例えば、終わりをフェイドアウトにしたものと、きちんと歌いきっているもので発表していたりする。そういうことに異常に詳しい方々ばかりだったのだ。私は到底そこまでのマニアにはなれなかったが…。

 

そんな流れの中で、いつも誰かが話題にしていたのが『夢で逢えたら』は一体何人の人が作品として発表しているのか?ということだった。で、標題の4枚組CDはこの積年の問題にズバリと答えてしまった商品である。

 

詳細な知識をお持ちのナイアガラーの皆さんであれば、それこそ「いやあの人が発表したものが入っていない」などのご意見をお持ちかもしれないが、少なくとも私にとってはこの商品で全てと言い切ってしまって良いほどの充実したコレクションではある。

 

唯一、私が入っていない、と指摘できるのは松本伊代氏のカバー作だ。高校時代にTBSラジオしかまともに入らなかった群馬の片隅で、「ヤングタウン東京」(ザ・ぼんちが司会で故甲斐智枝美氏がアシスタント)公開放送時に歌ったのを一度聴いたきり。アルバムに入っていないかと収録作をググってみたのだが、引っかかってきたのはほぼ全ての作品を収録したベストボックスだけ。それもコンサートの様子を収めたDVDの中の収録曲なのでCD化された音源はないのだろう。まあ、標題の商品には何人かの方のライブ音源も収録されてはいたので、コレクションに加えるという手はあったのかもしれないが、その辺は大人の事情ってやつかもしれない。

 

さて、この『夢で逢えたら』という作品の私なりに解釈は、かき氷のようなものだということになる。大瀧師匠が提供したのは削った氷という素材だけ。その素材にどんなシロップをかけ、どんなデコレーションを施すかは制作に携わった人の手腕というわけだが、縁日の屋台で売ってるようないかにもなシロップをかけたものもあれば、生のフルーツをふんだんに使った贅沢なもの、手作りのシロップをたっぷりかけたもの、かき氷ってカテゴリーで食わなくたっていいんじゃね?と思わせるようなクリームたっぷりな濃厚なもの、しまいにゃ、ガスバーナーで表面を炙るようなケレン味たっぷりなものまで様々な仕上げ方がある。で、いかにもなシロップかけたやつが、超豪華なものに完敗しているかというとそうでもない。安物のシロップかけた氷にはそれなりのジャンクな美味さがある、ってのがこの例えの理由だ。

 

むしろ安いシロップの方が満足度が高いことだってありうる。この商品の中にも石川ひとみ北原佐和子石井リカメロン記念日など歌唱力にあまり恵まれているとは言えないアイドルの方々の作品が収められているのだが、歌の上手い岩崎宏美やアレンジが特徴的なラッツ&スターなんかの作品と比べて見劣りしているとは思わない。むしろ作品の世界観の表現としては、いかにも儚げな少女のイメージをまとったボーカルの方が馴染む気がするのだ。メロディー的にも歌うのに難しい部分はなく、歌詞(珍しく大瀧師匠ご本人の作詞)も思春期から成人を迎える前くらいまでの少女のちょっと幼い夢見る気持ちを表しているのだから、女性アイドルが歌うのが一番ふさわしい。

 

大瀧師匠プロデュースの松田聖子のアルバム『風立ちぬ』に収録されなかったのが不思議なくらいだ。いかにもブリッ子に相応しい世界観だと思うんだけど…。まあ、その辺は大瀧師匠なのか、当時のスタッフの考え方なのか、だが、いずれにせよ一度歌ってみて欲しかった(今の彼女には歌ってほしくない…)作品ではある。

 

最後に私の中のベストな作品をあげておこう。それはシリア・ポール氏の歌唱作である。そもそも私がこの曲に触れたのは『Niagara Fall Stars』という、大瀧師匠が楽曲提供した人々の作品を集めて作られたアルバムだった。つまり、一番最初に『夢で逢えたら』という作品とはこういうものだ、と刷り込まれたバージョンなのだ。最初に聴いた時の感動を今でも思い出させてくれるのはシリア・ポール版なのである。彼女の歌声も、ちょっとモヤがかかって一枚極薄の壁を隔てて響いてくるようなアレンジもどこか不明瞭な夢の中の世界をイメージさせるのに相応しい。

 

同じ曲だというのに、4枚全部聴き通しても少しも飽きることがないという事実がこの作品の素晴らしさを物語っている。企画を考えた方には是非ともカルトなナイアガラーたちを唸らせるような音源の収集を再度お願いしたい。

入団した時が野球人生のピークってのは切ない。でも… 『ドライチ』読後感

 

ドライチ

ドライチ

 

 

コロナ禍下ではあるが、今春はほぼ例年通りの日程でペナントレースの幕が開いた。9回打ち切りやら外国人の登録やら、細かい特別ルールはあるにせよ、日常の夕刻時の「定番」が戻ってきたのは喜ばしいことだ。

 

各々のチームが試合を行なっていく中で、より高い注目を浴びるのが新人選手。それも各球団の一位指名選手ともなれば、ファンは当然活躍を期待するし、アンチはどんなヤジを飛ばしてやろうかと手ぐすね引いて待ち構えている。序盤戦、阪神の佐藤選手はプロの壁にぶち当たっているようだが、日ハムの伊藤投手、広島の栗林投手などは上々の滑り出しを見せたようだ。我がジャイアンツの平内投手も、「宇宙人」井納投手の早々の二軍落ちを受けて、意外に早く出番が回ってくるかもしれない。将来性を買われた高卒選手たちはまだまだスポットライトを浴びるまでには至っていないが、巨人の岡本やヤクルトの村上のようにいきなりの大ブレイクを果たす選手が出てくる可能性は大いにある。また、プロ野球の今後を考えたら、大きく羽ばたくドラフト1位指名選手(以下ドライチ)が続々と出てくるようじゃなきゃ困るってもんだ。

 

さて、標題の書はズバリ言ってしまえば、期待を裏切ったドライチ8人の、プロ入り前から現役引退するまでについてを描いた一冊である。名前を見たら本当に錚々たるメンバーなのだが、すでに皆現役選手ではないし、球史に残るような記録を残した方もいない。巻頭に取り上げられた辻内崇伸氏などは、怪我の影響もあったが、ついに一軍では一球も放らないまま引退した。

 

レギュラークラスで働いたとすれば現巨人軍のコーチを務める元木大介氏くらいだが、彼も「曲者」止まり、つまり毎試合主軸で働くよりは、脇役として何試合かに一度印象的なプレーを見せていたに過ぎない存在だ。

 

荒木大輔氏や多田野数人氏もローテーションの一角を担ったことはあるものの、エースと呼ばれるまでには至らなかった。

 

彼らとて、「元ドライチ」というなんとも微妙な肩書きを得るためにプロの世界に身を投じたわけではなく、当然周囲からはクリーンアップであったりエースであったりを期待され、また自らもそうなるべく、陰に陽に努力を重ねたに違いない。人との出会いや身体のコンディション等々、ちょっとした運命の綾というか、時間のずれというかそういうもののおかげで大成できなかったのだ。彼らの背負う物語は、世の中に圧倒的に多い「敗者」にとっては大いに身につまされるオハナシなのだと思う。

 

「あの時にあんな奴が上司でなければ…」、「あと数ヶ月早くあの新製品が出ていれば…」、「あの時にあの地域を担当していれば…」、こうした我が身の不運を投影するには格好の相手が夢破れたドライチたちなのだ。

 

かくいう私自身も、数十年前に、周囲からも期待されてたし、自分も努力を惜しまないつもりで今の会社に入社したが、営業という仕事の内容が自分に合わないと感じ、なんとかその状況から脱するために、「自分の希望を叶えるには営業で実績を上げろ」という、時々の上司の判で押したような叱咤に従って、いざ営業で実績をあげたら、社内資格だけは上がったものの、結局はそのまま営業職で会社人生を全うしろと言われたに等しいど田舎の営業所への島流し。私の会社人生は「あの時別の会社に入っていれば…」で始まり、「あの時にあんなクソ上司のしたについていなければ」で止まっている。そしてこのまま終わってしまう可能性が限りなく高い。

 

この本のもう一つの「使い方」は、野球で大成できなかったドライチたちが、現在はどんな道を歩んでいるのかを知ること。例えば元ダイエー大越基氏は高校教師となり、何年か前には自ら率いる高校のチームを甲子園まで導いた。自らの努力で新しい道に進み、進んだ道でちゃんと成果を残している。

 

ただ単に挫折を味わってどん底を這いずり回るよりは、栄光から底辺までを見た経験をもとに、新たな道へと踏み出すことまでが、この本を本当に楽しみつくすこととなるのだろうと、私は考える。