脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

長年の夢、実現目前 『あたらしい書斎』読後感(再読 家買うシリーズ4)

 

あたらしい書斎

あたらしい書斎

 

 

以前、別口のブログで紹介した一冊を、今回再読してみた。実際に家を建てる、という現実に即して眺めてみた場合にどう感じたかについて、改めて綴ってみることにする。

まずは過去の投稿の再録。

 

『ふとkindleで見かけて衝動DLしたのが標題の書。私の将来の夢の一つに結びついている内容です。

私は最終的には自分の書斎を持つのが夢です。知的な物事に囲まれた部屋で文章を書く、なんてシーンを想像すると意味もなくワクワクします。まあ、今の住まいにも私の部屋はあり、そこが書斎といえなくもありませんが、室内干し用の物干し台が常備してあるため、濃い生活臭が漂っている上、乾燥機を回している関係上、夏は暑くて仕方ありません。名ばかり管理職ならぬ名ばかり書斎ですね。まあ、立派な書斎に見合うようなアウトプットは出せておりませんので、致し方ないことではありますが…。

将来的には機能に優れ、収納もたっぷりある書斎が欲しいなぁ、と思っております。そこで書く文章は名作に違いありませんから(笑)。少なくとも「アウトプットするぞ」という気持ちが高まるような知的な空間が欲しいですね。

さて、標題の書は、「書斎の定義」に始まり、机や本棚といった書斎の「構成物」や本棚への本の収納の仕方を紹介し、最終的には書斎に特化した住宅を建ててしまうところまで言及しています。さすがに、書斎に特化した家を建てるのは少々酔狂が過ぎるというものですが、もし家を建てるようなことがあれば、自分なりに使い勝手を考えた書斎をカスタムメイドしてみたいというのは事実です。実際はせいぜい大きな本棚を買うくらいでお茶を濁されてしまうでしょうし、そもそもの問題として、家を建てるほどのオカネが貯まるのか?という疑問が大きく立ちはだかっています(泣)。

まあ、L字型の机を導入することと、出来うる限りの電子書籍化、そして必要性を十分に考えた蔵書の絞込みについては考えて行きたいと思います。特に蔵書の絞込みに関しては今すぐにでも着手しないといけません。すでにして二つある本棚はすべて満杯である上、机の上にも少なからず書籍が積上げられているという状況が出来しております。電子書籍化されたもので必要なものはなるべく買いなおしてはいるのですが、ここでもたちはだかるのがオカネの壁。先立つものが不足していると何事も難しいですね(ため息)』

 

基本的に、↑の時と全体的な印象は変わらない。書内に紹介されているような、本の収納スペースを中心に据えた建物を建築してしまうほどの酔狂な趣味は持っていないし、収納に値するような本を多数抱えているわけでもない。間取りの一つとして4畳半ほどのスペースをもらい、そこにL字型の机を設置し、壁に作り付けの本棚を設けるというくらいが現実的な選択となる。あとは会社用の衣服を収納するワードローブと、スピンバイクでも置ければ十分だ。ワードローブとスピンバイクに関しては他の部屋に置くという選択肢ももちろんある。

机に関しては、PCの作業スペースと、筆記具を使って書き物(あるいはお勉強)をするスペース、プリンターをおくスペースと書物のスキャンスペースを取りたいと考えているので、なるべく大型なものを入れたいのだが、あまり大きなもの(≒高価なもの)を入れてしまうと、いざ使い始めて不便を感じた際の模様替えなどがしにくくなるというアドバイスもさまざまな書籍から得ているので、ここは少し考えたい。プリンタなどは棚を設けて、そこに積んでしまうという手もある。少なくとも、現在の収納用のケースを無計画に積み上げた結果として出来上がった雑然を絵に描いたような、しかも他におく場所がないという理由だけで、馬鹿でかい室内干しスタンドまでが同居して始終乾燥機が稼働しているような部屋とはおさらばして、整理整頓の行き届いた、汚すのが恐れ多いような書斎を作り上げることが理想だ。そんな書斎なら、さぞかし私の文章のクオリティーも上がるに違いない(笑)。

 

いずれにせよ、会社の業務を在宅で行うことも含め、一番多くの時間を過ごすことになるはずの場所なので、ここには最大限こだわりたい。勉強部屋として離れ(単に母家を増築するより安かっただけ)を建ててもらった中高生時代とも、大学生時代のアパートとも、独身時代を過ごした寮の部屋とも違う、生活臭を完全に排した、自分のやりたいことだけをやれる(やりたくもないが、会社の仕事もできる)空間がついに持てるのだ。家を建てるということへの喜びの大半はこの空間を持てることであると言って良い。

支離鬱々日記78(二度目の緊急事態宣言と家買うシリーズ3回目)

首都圏におけるコロナ新規感染者の激増が止まらない。

 

もはや感染爆発と言って良い状態だ。東京都の感染者は連日2千人を超えているし、隣接3県も軒並み、連日感染者の最高数を更新している。

私の奉職する会社も例外ではなく、ついに先日は同じ部署の同僚が感染したとの連絡が来た。在宅勤務実施のおかげで、この同僚とは1ヶ月前にすれ違ったきり。発症は年末休暇に入ってかららしいから、私が感染している可能性は限りなく低いのだが、ついに身近な、顔見知りに感染者が出たというところに、昨今の感染爆発の実態を見た思いだ。

 

とりあえず1ヶ月ほど、昨年4月並みの外出規制をかけることにはなったが、こういう事態を招いたのは、明らかな人為的ミスであろう。以前にも書いたが、韓国やドイツなど、一度厳しい行動制限をかけはしたが、その後その規制を緩めた途端に感染が再拡大したという事例はあったのだ。なぜそこから学ぼうとせず、あまつさえ、「Go Toなんちゃら」とかいう、行動促進策まで打った結果が現時点の感染爆発につながってしまったのだ。評論家ならずとも「一体国は何をやっとったんじゃ、ゴルァ!!」と言いたくなる。

 

確かに外食産業や、旅行業界などしんどい商売は多々あろうし、そうした業界団体からの突き上げもあったのだろうとは思う。しかしながら、根本的な解決策がない中での、外出拡大刺激策はいかにも稚拙であったと言うしかない。こういう時こそ、得意の国債発行でも何でもして、補償を手厚くし、瘡蓋が完全に固まるまでの血止めをすべきだったのだ。

 

兎にも角にも、感染拡大の防止は焦眉の急である。無闇に出歩く人間が出ないよう、特に大きな盛り場あたりには警察官なり、警備員なりを配置すべきだろう。そういう人員に飲食業等の従事者を起用すれば雇用の創出、生活の補償にもつながるのではないか?まあ、そんなに簡単なものではないというのは、素人でもわかるんだけどね…。

 

家を買うことになってから、カタログやら書籍やらをどっさりと手に入れ、いろんな情報を入手している。まだ、具体的な像はできてはいないが、希望だけは膨らんでいる。膨らんだ希望だけを詰め込んだら、広大な邸宅ができてしまい、その分費用もかさむ結果となってしまう。どこが妥協点になるのか?先日相談した親戚筋の専門家によると、「坪60万」というのが一つの目安だそうだ。粗粗の見積もりとしては、その時点の要望を全て盛り込んでもその範囲内には収まると思う、と言うのがその方の見立てではあったが、いろんな情報を比較検討した結果として、いくつか追加事項が出てきそうなので、それは都度都度相談していくしかない。家を持つということは嬉しいことには違いないので、そういう調整には全く苦痛を感じない。会社の仕事ではあり得ないことだ(笑)。

 

ところで、そもそも家を買うことになった要因の一つは、母親の老化が、日々のケアを必要とするレベルにまで進行したことにある。ただし、四六時中一緒にいると家族のそれぞれにそれなりのストレスがかかり、それが積み重なると、新たなるトラブルにつながりかねないということで、近距離での別居という形を取ることにしたのだが、最高権力者様が、介護経験のある知人から「別居ではなく、同居にすべき」という意見を聞き込んできたことで、別居にするか、同居にするかという問題に遡ることになった。

母親は、自分ではまだまだ一人で行動できると言い張っているが、正月休みの帰省時に日常の立ち居振る舞いを見ているとやはり危なっかしい場面が増えている。また、認知症は、ある時一気に進むこともあるそうだ。いざという時は、いかに近距離とはいっても別居では駆けつけるまでにタイムラグが生じる。そのタイムラグが致命的な事態を引き起こす可能性は十分に考えられる。

となると、実家そのものを我々夫婦と母親が同居できるように改築または建て替えることの方がベターな選択となるのかもしれない。母親は今の家に手を入れることを嫌がるかもしれないが、検討はしておくべきであろう。

ついでに言うと、その知人は、まず自治体のケア関連部署に連絡を取ることを推奨してもくれたようだ。早速調べて、次回の帰省時までに、疑問点などを確認しておくことにする。

 

移住の一応の目安としておいた秋に向け、やることは多そうだ。会社の仕事時間を削ってでも調べておかないとね(笑)。

支離鬱々日記77(2021年頭雑感)

ブロ友の皆様、3日も遅れてしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。本年も、節操なくいろんなことに口を挟む予定ですので、よろしくお願いいたします。

 

コロナウイルス騒動が始まってから、1年が過ぎ去ろうとしているが、いまだに根本的な解決への見通しは不透明なままだ。当面は、コロナの感染を防ぎながら、必要最低限に経済を回して時間を稼ぎ、その間に有効な治療法保を確立していく、というのが粗々な日常生活への復帰ストーリーということになろうか。その上で、現状としてはまず第三次感染拡大を止めることが最優先事項だと思うのだが、国の対応がはっきりしない。コロナで死ぬか、経済的困窮で死ぬか、という事態に追い込まれている人々が少なからず存在しているというのは承知しているが、何しろ、感染の沈静化が実現しなければ、外国はおろか国内の往来でさえ不自由な状態が続くのだから、それこそ全集中で感染対策に取り組むべきだろう。

まずは何しろ特効薬の開発だ。有効性はまだ不透明ながら、海外の大手製薬会社が次々とワクチンを開発し、量産化に踏み切っている。日本もまずは、どうせ暇な製造業の製造ラインを全てワクチン生産に振り向けるような対策をとったらどうか、さまざまな調整が必要となるだろうし、またライセンス料に相当するカネもバカ高く取られることになるのだろうが、そのくらいの出費は覚悟の上で、取り組まないといけない事態であると思う。

 

工場の生産ラインの調整やワクチン製造に関わる人々を増やすことは雇用の創出につながるし、そこで発生する賃金は、まさに経済を回すことに繋がる。製造設備も人材育成も一朝一夕に行かないことは重々承知だが、先行き不透明なまま休業補償にじゃぶじゃぶ金を使うよりはマシだと思うし、大量に生産する体制を整えても、世界的な需要はしばらく高い値で安定しつづけるだろうから、リターンだって見込める。一方で各種の研究機関には今の課題を全て棚上げにして独自のワクチンの開発に没頭させておく。一度こうした緊急事態対応体制を作り上げておけば、次に強力なウイルスが発生しても、今回よりは迅速な対応が取れるのではないか?

迅速な対応による被害の最小化が、結局は経済の被害の最小化につながるのだから、無節操なカネのバラマキや先行き不透明な経済活動の制限などの対症療法だけでなく、根治療法的な施策をぜひ考えていただきたいものだ。そのために特別な省庁を設けてもいいくらいの事態になってきていると思う。

 

短い正月休みだったが、今回は盛り沢山な帰省となった。

 

まずは姪っ子とたくさん触れ合えたこと。今月で生後9ヶ月になる彼女は、いろんな刺激に対していろんな表情を見せるようになってきた。私が「高い高い」をしてあげると、実に素晴らしい笑顔を見せてくれるし、不満があれば、これまた実に愛くるしいしかめっ顔を見せてくれる。何かこの子に禍をもたらすモノがあれば全力で排除してやる、という気持ちが自然と湧き上がってきてしまう。子を思う親の気持ちの一端に触れた気がする。少なくとも中学生レベルであれば、情操教育としての音楽は当家の最高権力者様が、お勉強は私が対応できる。いくらでも教えてあげるし、トラブル発生時の緊急避難場所としての「親戚の家」にもなってあげるから安心して甘えておいで。バカ叔父はすっかりメロメロである。暇さえあれば、スマホに収めた写真や動画を鑑賞する日々がしばらく続くことだろう。

母親の老化は確実に進行している。以前にも増して同じ話ばかり繰り返すようになったし、日常生活のほんのちょっとした判断(例えば、物品のちょっとした移動など)にも、随分と時間がかかるようなった。何よりも一つ一つの動作が格段にノロくなった。足取りもヨタついているし、ちょっとした段差などへの対応もおぼつかない。気を遣う余裕も無くなってきているのだろうか、最高権力者様が奮発して取り寄せたかなり高額なイタリア風おせち料理を一口食って、「やっぱり昔ながらのおせちの方がいい」と言い放って、思いっきり最高権力者様の気持ちを逆撫でにしたりした。母の本音としてはわかるのだが、それでも言っていいタイミングってものがあるだろう!!と言いたくなる最高権力者様の気持ちも理解できる。こういうことの積み重ねが嫁姑問題みたいなものにつながるのだと思うと、スープの冷めない距離での別居という選択は実によく練られた経験則なのだとしみじみ思う。一緒にいれば細かい対応は可能だが、息が詰まるというのも事実。ことあるごとに100kmほどの距離を移動しなければならない現状に比べれば段違いに手厚いケアができるようにはなるのだから、それを以って良しとしてもらうしかない。

 

新居建築プロジェクトも一歩進んだ。親戚筋に当たり、実際に建築を依頼する建築事務所の経営者と実際に面談する機会を得て、こちらの要望、予算などを全て聞いてもらった上、疑問点についても色々と教えてもらうことができたのだ。次回は2月の中旬に設計図の素案を持ってきてもらうことにもなった。その日に向け、こちらも本やらカタログやらをたくさん見て読んで勉強しておこうと思う。一生に一度の大きな買い物だ。検討を重ねるに越したことはない。10月の引っ越しに向けては、5月上旬の着工となるようだ。目標が具体的に定まったことで気合も入った。会社の仕事ではあり得ないことだ(笑)。

少年ジャンプのヒットの法則に忠実な作品『鬼滅の刃』読後感

 

鬼滅の刃 1-22巻 新品セット

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2020年を代表する大ヒットコミック。コミックの単行本のみならず、TVのアニメ、その延長としての劇場版映像作品、さらにはその映画版のノベライズ本が軒並み大ヒット。映画は日本の映画興行収入の一位獲得目前だし、ノベライズ本もぶっちぎりのベストセラー。さらには登場キャラや作品の世界観を商品に付与した、いわゆる「コラボ商品」も巷に溢れ返り、それがまた全て予想を上回る売れ行きだというのだから、作者も出版社も、コラボ企画者も全てが笑いが止まらない。それこそ社会に対して鬼のような絶大な影響力を及ぼしたこの作品、遅ればせながら読んでみた。

 

主人公竈門炭治郎(おお、一発で正しく変換された)は、鬼に、妹の禰豆子(こっちはダメ)を除いた全員を惨殺される。その際、禰豆子は瀕死の状態で生き残っていたが鬼の血を浴びたため、自身が人の血肉を求める鬼と化してしまう。これ以上鬼の被害者を出さないため、そして禰豆子を人間に戻すために、炭治郎は鬼殺隊に入隊し、さまざまな強敵と戦ううちに、戦力がアップし、また力強い友を得ていき、最後には最大の敵である鬼舞辻無惨に立ち向かう、というのがストーリー。

これだけの人気を誇る作品にイチャモンをつけのは少々怖いのだが、あえて言おう。ストーリーの骨子は「鬼切丸」そのものだ。要するに普通の人間には太刀打ちできない暴力性を持った鬼に、特別な能力を持った人間たちが立ち向かう、というのが基本構造だ。

 

 

 

ここに少年ジャンプの黄金律が加わる。すなわち「正義•友情•勝利」という三つのキーワードで表される展開だ。この三つのキーワードは、『リングにかけろ』以降のギャグ漫画を除くヒット作品には全て貫かれている。『北斗の拳』が典型だ。また、最初はギャグタッチであった『キン肉マン』や『魁!男塾』なども、シリアスな武闘モノに転換して大ヒット作に成り上がっていった。

 

正義のヒーローが過酷な修練で必殺技を手にし、苦闘の末に次々と敵を打ち破り、最後は巨大な悪を倒す。その過程でさまざまな能力を持った友たちと出会い、力を合わせることによって、新しい必殺技を手にしたり、あるいは友の死による悲しみや怒りが主人公の巨大なパワーに変わる。

 

この作品が私がイメージしたストーリーと異なるのは、敵のキャラの物語が同情を買いやすい、すなわち、「人の道を外れて鬼になったのにはやむに止まれる理由があった」という隠されたストーリーの描き方が巧みだということだ。ラスボスの鬼舞辻以外は、それぞれに同情を買うにふさわしい物語を背負っており、いまわの際にはその悲しい物語が再現される。そして、ヒーローの炭治郎はその悲しみを我が物として感じとり、精一杯の慈悲の心で見送る。そしてその悲しみを汲み取った心がまた強さを増すための糧となっていくという構造は実に見事にジャンプのヒット作のパターンを踏襲している。『北斗の拳』のケンシロウも同じように死んでいった者たちの悲しみを背負って大きくなる、とされているが、あの作品の場合は、最初の宿敵南斗聖拳のシンを倒した時点で一旦完結した物語を、読者からの高い評価で無理やり続けてしまったので、設定に無理があった。極悪非道な敵役は死んでからしばらくして、無理やり主人公たちから悲しみを背負わされたキャラに作り変えられてしまうのだ。最大のボスキャラ、ラオウなんぞはその典型である。

 

もう一つは結末の潔さである。『リングにかけろ』をはじめとして、死んだはずのヒーローたちが生き返る(あるいは絶体絶命の状態で落命していたと思わせておいて、かなり強引な手段で助けてしまう)作品もジャンプヒット作の悪しき伝統だったのだが、この作品では生き返りは一切ない。煉獄杏寿郎という、かなりのいい男キャラ(人気も高いらしい)も、出てきて最初の戦いで、割と呆気なく死んでしまう。そして生き返らない。

物語自体も、鬼舞辻を倒したらそこでお終い。スピンオフ作品はいくつかあるようだが、実は鬼舞辻の血を濃く受け継いだ子供なり親戚なりがいて、次の敵となって立ちはだかる、みたいな強引な延命策は取られていない。これだけ世間を騒がしておきながら、実際の連載はすでに終了して、続編への含みも一切なし、というのは潔い限り。ようやくジャンプも往生際が良くなってきたようだ。

 

合間合間にちょっと笑えたりほのぼのとしたシーンが入るのだが、この加減もなかなか快適だった。この辺は、かっこいいとか、歌が上手いとかダンスが切れてるとかの「基本的な価値」の他に、TVのバラエティー番組のひな壇のコメントで笑いを取れるような「頭の回転が速い」タレントが人気を博すのと同じような傾向だろう。こうしたシーンが効果的に作用したことで、ジャンプの「ヒット作制作マニュアル」の沿うだけでなく、ちょいと一味変わった作品となったこともヒットの要因の一つであろうと思う。

現時点での比較的若い層の日本人にウケる要素というのをいくつか抜き出せただけでもこの作品を読んだ価値はある。「子供の読むもの」とバカにして読まなかったら後悔したであろう作品であることは事実だ。

ゾンビ発生状況下における殺人事件ってのは新鮮だったが… 『屍人荘の殺人』鑑賞記

 

屍人荘の殺人

屍人荘の殺人

  • 発売日: 2020/06/16
  • メディア: Prime Video
 

 

神木隆之介主演ということで、彼のファンである当家の最高権力者様が借りてきたのが標題の作。私一人でレンタルDVD屋に行ったら決して借りて来ない作品だが、最高権力者様のご相伴に預かって鑑賞。

 

主人公の葉村(神木)は神紅大学生。ミステリー愛好会というサークルに属し、同会の会長明智恭介(中村倫也)とともに「神紅のホームズ•ワトソン」などと呼ばれている。ただし、名探偵というよりは迷探偵と言った方が良いようなコンビであるらしいことが最初のシーンで示される。

そこに現れたのが本作のヒロイン剣崎比留子(浜辺美波)。彼女は捜査に窮した難事件をいくつも解決した実績があるという設定。その実力が確かなモノであることを示すエピソードも最初に配備されている。

 

この3人は、神紅大映画研究会の合宿に参加することになる。同会のOBである七宮は富豪のボンボンで、七宮家が所有する豪華な別荘「紫湛荘(しじんそう、すなわち題名と引っかかっている)」で行われるこの合宿は別荘のある土地で行われる夏フェスを鑑賞するのが目的という建前だが、実際は七宮とその仲間が女漁りをするためのもの。前年の合宿では一人の女子学生が行方不明になったという曰く付きのイベントで、今年の実施前には研究会の部室に脅迫状じみた書面が置かれていた。その辺の謎解きのためにミステリー愛好会の二人と剣崎が招かれたという設定だ。

 

で、夏フェスの開催中、いきなりゾンビが出現する。何だかよくわからない特殊機関の策略でウイルスを打たれたからなのだが、この特殊機関の目的がよくわからない。何のために夏フェスでゾンビの病原体をばら撒くようなマネをしたのか?これについては最後まで種明かしがされない。とにかく、主要な登場人物たちを紫湛荘に閉じ込めるための条件を整えるためだけに発生させられた事件である。なお、主人公キャラの一人と見做していた明智は、紫湛荘に逃げ込む前にゾンビの大群に捕らえられて、あっけなくゾンビ化してしまい、謎解きに絡むことも、迷推理で剣崎を撹乱することもなく、出番をほぼ全て終えてしまう。今や当代きっての売れっ子で、『この恋あたためますか』に主演している中村倫也だが、この作品の製作時点では、主人公を演じるほどの格とは認められていなかったようである。作品のおける登場シーンの多寡、印象の強さは時に残酷なまでにその人の評価を表してしまうものだ。妙なところで納得してしまった。

 

さて、物語では、外界と遮断され、逃げ道もない紫湛荘の中で、しかも鍵がかかった状態の部屋の中で殺人事件が起こる。外にはゾンビの大群、中には姿の見えない殺人犯、というかなりサスペンスな展開なのだが、何というか、登場人物たちには今ひとつ緊張感が感じられない。全ての登場人物の年齢が若すぎたせいなのか、例えば『犬神家の一族』に出てきた双子の老婆のような、作品全体の雰囲気を怪しいものにするキャラクターの登場がなかったせいなのか?壁の向こうにはゾンビの大群というホラー要素は常について回ってはいるものの、怖さに関しても緊迫感に関しても、アクセントというかクライマックス的なシーンがなく、淡々と紫湛荘内で殺人が行われ、一人一人「正常な人間」が死んでいくという印象だった。それなりに伏線があったりして、それはしっかり回収されていき、最後にはちゃんと辻褄の合った謎解きはなされる。

 

中途半端な感想で申し訳ないのだが、ネタバレしてしまっては元も子もないので、こうした語り方しかできない。そもそもの設定はなかなか興味深かったのだが、結局その設定だけに終わってしまったという印象しか持ち得なかった。

 

 

支離鬱々日記76(家買うシリーズ2とその他もろもろ)

巣ごもり生活が始まって以来、朝起きて最初の作業は、ベランダのハーブ類への水やりだ。洗濯乾燥機兼除湿機のタンクに溜まった水をジョウロに移し替えて、プランターの上からたっぷりと注ぐ。注いだ瞬間に、ふっと花の淡い香りが漂う。科学的に考えると、水分が与えられたことによる植物の生理反応ということになるのだろうが、情緒的には花が「水をいただいた、ほんのお礼です」とでも語りかけてきてくれているように思う。こういう、勝手な思い込みによる想像の飛翔とでもいうべき精神作用こそが人間を人間たらしめているものなのだろう。勝手な思い込みが人間そのものに向くと、ストーカーなどの悲劇が起こったりする副作用もあるが(苦笑)、いろんな場面場面での機微みたいなものを感じ取れる感受性は養っておきたいと思う。

 

年末にあたり、部署で、英語の成績表彰が行われた。基準はいくつかあるが、最も代表的なものは、当初の申告よりTOEICの点数が100点以上アップした、というもの。私がアドバイザーを申しつかったグループでは一人表彰者が出た。主にはその自人物自身の努力によるものだが、一応、私の指導が一つのきっかけになったとは言ってくれている。で、私がもっとも嫌っている腐り脳弱り毛根マッスルバカはどの基準に関しても、全く箸にも棒にもかからずだった。「自分でやります」などと宣言したが、見事に何もやってないことが露呈したわけだ。なお、このバカは「皆が頑張っている姿を見ることで自分の励みになり、やる気に繋がります」などという一見もっともらしいことも言っていたが、この結果を見て奮起する気になったのかどうか?私は何のハゲみ、いや励みにもならなかった方に2万点(何の点だ?)賭ける。来年はまたグループ分けが変わるらしいが、私はこいつと同じグループになることは断固拒否するつもりだし、同じグループになっても「みんなで学習する」とかヌカす場には一切関わらないつもりだ。他人に言われてやるんじゃなく、自身の中から湧き上がってきたモチベーションでやるからこそ、学びが身につくのだ。それを理解しようともせず、したがって実行もしないバカと「勉強」したって時間の無駄だ。バカはいつまででも一人でバカのままいろ!!

 

移住を考える際にまずやるべきことは何か?答えは今ある手持ち品の徹底的な削減だ。新しい家には新しい家の間取りにあったモノをはめ込むべきで、現在も含め、過去の住宅事情の中で買い求めた品を無理矢理挿入しようとしても齟齬が生じるばかりだ。とはいえ、最高権力者さまが嫁入り道具として買い求めた大きな箪笥や、大塚家具にまだ企業価値があった頃に買い求めたアンティーク家具などは、記念碑的な意味合いも込めて取っておかざるを得ないので、そうした事情を全て総合して取捨選択していかなければならない。

 

家具や電化製品などの大物以外にも、私にとっては最大の削減対象物品がある。それは、「本」である。今でこそ、電子書籍の採用で物体としての本を買うのはそれこそ年にホンの数冊にはなったが、10年くらい前までは、読書と同レベルで「本を買う」という行為に魅せられており(モノが電子版の書籍に変わっただけで、購買欲そのものは全く衰えていない…)、しかも本は基本的に手放さない事を信条としていたので、本という物体はたまるばかりだった。ここ数年で随分処分したが、それでも大きな本棚二つに、本が溢れかえったままだ。昨年、スキャナを購入し、取っておく本のデータ化に着手はしたのだが、一冊取り込むのに結構な手間隙がかかるので三十冊くらい処理したところで作業がストップしてしまっている。

今回の移住を機に、取っておく本の基準を大幅に見直し、半減を目標に削減に着手する。基本的に、一度読んだ本に関しては、文章作成の際の資料として用いることはあっても、再読することはほとんどないので、大胆に売り払い対象にする。単なる情報は今ならネットから簡単に手に入るし、陳腐化して意味をなさなくなっている内容ばかりの本も多い。それでも、どうしても残したい本は、それこそデータ化すれば良いお話だ。ゲームに費やしている時間を少し作業に回せば時間は捻出できるだろう。データ化作業への意欲が湧くかどうかには少々不安が残るが(笑)。

 

再読といえば、以前チラリと読んだ書斎の構築に関する本(電子版)を読み直している。この本を買って読んだ際には、まだまだ持ち家の中に自分のカスタマイズされた書斎を持つなんてのは少なくとも10年くらい先のお話だ、と思っていたが、急転直下、来年の今頃には、すでに体が自分好みに作った書斎の一部と化しているかのような状態となっているはずだ(笑)。書籍の紹介は後ほど改めてすることにするが、なにしろ自分だけの空間を作る、という作業は実に楽しい。広さ、机の配置、本棚の大きさ、椅子の種類に、机上のレイアウトなど。次から次へと空想が膨らむ。自分にイラストなどを描く才能がないことを恨めしく思う。ここはこうして、あそこはこうして、なんてなことを言葉で表すよりは、1枚サラッと絵にかいて示せば一発だ。とにかく、予算内で自分の考える、最高に快適な空間を作りたい。その部屋に入っただけでやる気にならざるを得ないような部屋を目指したいね。

支離鬱々日記75(窓際サラリーマン家を買う その1)

母親の老化が急激に進んだことにより、来年中には郷里に家を建ててそこに移住することになった。感染の恐れで、月に一度程度できていた帰省を半年くらいしなかった結果として、母親の老化が急激に進んだことに対応するための移住であるので、これもコロナ禍がもたらした、思わぬ影響だ。現在の職場である都心部への通勤のシンドさやら、新しい住環境への適応など、住んでみなければわからないことだらけだが、曲がりなりにも一軒家を建てるということに関しては、不謹慎ながら少々ワクワクしているというのも事実。母の介護に迅速に対応できるというのが一番の効用だが、これからますます可愛くなる姪っ子にすぐに会いに行けるというだけで、バカ叔父はすでにメロメロ状態だ(笑)。

 

さて、住む場所に関しては、だいぶ前から、ほったらかしになっている実家近くの住宅地に決まっている。先日下見に行ったら、思いっきり近所の皆さんの駐車場と化してはいたが、交通の便も良いし、近くに商業施設も病院もあるので、快適な環境ではある。特に近隣には激しいアップダウンがないので、自転車を買ってそれを主な交通手段にしようと考えている。思えば高校時代は、どこへいくにも自転車だったのだ。そこで散々自転車に乗りまくったことで、足腰が鍛えられ、高校以降は「体育会系」に転向できたのだ。原点回帰。今の鈍り切ったカラダにはいい刺激となることだろう。

 

次に建築業者であるが、これもすでに、彼の地の建設業者の中では重鎮の地位にいる親戚筋に頼んで、よき先を紹介してもらうことになっている。その重鎮氏はかなり影響力のある方らしいので、変な手抜きとかぼったくりとかはないはずだそうだ。持つべきものは良い知人である(笑)。

 

三つ目は「家」という建築物に対しての知識を身につけることだ。なにしろ生まれて初めての体験だし、今後もあと1回あるかないかの大きな買い物であり、建築物である。書斎は欲しい、寝室も広めに、リビングは陽光を目一杯取り入れて、など、具体的、抽象的を問わず要望は山ほどある。そしてそこに制限を加えてくる大きな与件は二つある。

まず一つは土地の広さだ。宅地として整備された区画の一つなのだが、田舎にしては狭い土地である。駐車場とか、物干しを置くスペースとか考えるとかなり狭い建坪にならざるを得ないし、そうなると二階屋にして縦の容積を稼ぐしかなくなるが、今後高齢化していく自分たちのことを考えると、なるべく平屋にしたい…、なんてなことがまず漠然と浮かんで来る。

 

そして次は最大の問題、すなわちオカネの制約である。窓際サラリーマンで、かつ、現状の仕事に関してはほとんどやる気なく過ごしている身とあっては、今後の収入増は期待できず、なるべく現状の手持ち資金でなんとかするしかない。凝った作りにすればするだけ費用が嵩むというのは自明の理。いい材料を使ってしっかりとした、快適な家を作るに越したことはないのだが、金が無尽蔵にあるわけではないので、自ずと限界が訪れてくる。安物買いの銭失いにならざるを得ない部位も当然出てくるはずで、いかにレベルの高い妥協点を目指すかが勝負になってくる。

 

というわけで、本日は早速「家を建てる時に読む本」的なものを二冊買い求めてきた。こればかりは最高権力者様にもご覧いただかなければならないため、自分だけが読める電子書籍で買い求めるわけにはいかなかったからだ。まずはこの二冊を熟読して、基礎的な知識だけでも身につけておかなければなるまい。読んだ本の内容についてはまたこのブログで追々紹介していこうと思う。

 

何はともあれ、オハナシは走り始めてしまった。あとは後悔のないよう、しっかりと準備を整えてコトに臨むしかない。後になって希望と違う!!って駄々をこねてみても、簡単にリカバリーのきくものではないのだ。来年の年越しが新居での心地よいものになるよう、全集中で臨むこととする!!