脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.130(お題と引き続き荷解きの日々)

今週のお題「読書の秋」

 

昨日一日、内装の業者の方が頑張ってくれたおかげで、クローゼット、靴箱、本棚が完成。これで家屋本体は全て出来上がった。外構と駐車場の完成までにはまだ二週間ほどかかるようだが、ベッドやソファーなども搬入され、いよいよ生活する環境は整った。

 

とはいえ、まだまだ圧倒的な段ボールの山々がそびえ立っており、およそ生活できるような環境下にはない。日中は目一杯荷解きして、夜は実家に帰って、食事、入浴、就寝する日々がまだ続く。ちなみに本日は旧居に一旦舞い戻って、捨て残した粗大ゴミを処理し、ついでに大掃除に勤しまねばならないため、荷解きには一切手をつけられない。今更、旧居のことなんぞ面倒臭い限りだが、こっちはこっちでそれなりに重要だ。残しておけば莫大な費用を請求されてしまう(笑)。

 

さて、本棚が完成したことで、ようやく膨大な山々のかなりの部分を占める書籍類に手をつけることができるようになり、昨日1日で4割ほどを荷解きした。

 

けち臭い私は基本的に文庫化されてから買い求めるようにしていたので、所有する書籍の大半は文庫本と新書だ。ところが、出来上がった本棚は、棚板は可動式ではあるものの「大きな本」を収納する前提で作り上げられていた。そのため、一旦縦ではなく横置きで文庫本を約500冊ほど収納したのだが、流石に見た目がいかにも不恰好。そこで、急遽棚板を2枚ほど追加してもらうことにした。

とはいえ、縦置き二段、奥行き三列という、後ろに入ってしまったが最後、半永久的に日の目を見ないような書物が発生するのは事実だ。読んで、残しておく必要なしと認めた本は、すぐさまブックオフ行きという手段を講じて、徐々に見苦しくない本棚にして行く予定だ。

 

幸いにして、今後は片道二時間以上の通勤時間は発生するし、風呂にも半身浴用の段差がついた。読書する時間はたっぷりある。「紙の本」から優先的に読み進めていこうと、本の山を見直して、改めてそう思った。

 

というわけで無理やりお題への流れを作ったが、私は活字中毒者で、本なしには1日たりとて生きていけない存在だ。以前は、読む本を忘れてしまった場合は駅の売店で売っている本を買い求めて、通勤電車内で読んでいたくらいだ。最近は電子書籍タブレットを常に持ち歩くことにしている。なお、スマホにも電子書籍購読用のアプリは導入してあるので、もしタブレットを忘れても、そっちで読むこともできる。本の実物、タブレットスマホの3つを忘れてしまったら、流石に家に取りに帰る。

 

さて、読書の傾向としては、節操なくなんでも読む乱読派だ。好きな作家(数が多いので書ききれない)の本は全部買うし、気になったタイトルの本は躊躇なく買い求めて読む。以前は大型書店に行くのが楽しみだったし、随分と金も遣ったのだが、最近は本屋に行っても、実物を買う前にまずタブレットで電子化されているか否かを確かめて、電子化されていないもののみを買うというパターンに変化した。買うスピードに読むスピードがついて行っていないので、本が溜まるばかりだからだ。電子書籍なら場所を取らないし、好きな本を半永久的に持っておくこともできる。欲しい本が全て電子化されているわけではない、というのが少々不満ではあるが、それでも八割方は電子で手にはいる。というわけで、今後、家の中の本は減っていくはずだ(笑)。とはいえ、週に二度ほどの出社の度に大きな本屋に寄っては衝動買いしまくる、みたいなことになりそうな公算大ではあるが(苦笑)。

 

ところで、活字中毒者たる私だが、ここ数日はまともに読書できていない。理由は簡単。引越しにまつわる諸事がシンドすぎて、寝床に入った途端に即就寝という日々が続いているからだ。入浴時もしかり。湯船に浸かるとすぐに眠くなってしまうので、タブレットはおろか、紙の本も、いつ湯船の中に落としてしまうか危なっかしくて持って入ることなどできない。

 

したがって、基本的には読後感を記すのがコンセプトのこの駄ブログも身辺雑事の羅列ばかりになってしまっている。私の知的活動の根源は読書にあるので、一刻も早く片付けを終了させて、読書に勤しむ日々を取り戻したい。

支離鬱々日記Vol.129(完成の遅れと荷解きの日々)

怒涛の荷造り→荷出し→荷受けと進んで、ここ二日は、比較的ゆるゆると荷解きを続けている。

 

新規に購入したベッドの設置や、カーテンの設置などもあり、一旦受けた荷を、業者の方々の作業のために別の場所に移動するという作業があったこともあるが、荷解きのペースが上がらないのは、まだ家が完成しきっていないからだ。

 

未完の箇所は、クローゼット内のハンガーラック、下駄箱、そして書斎だ。いずれの箇所も後はユニットをはめ込むだけなので作業にかかれば大して時間はかからないだろうとは思われるのだが、この3つの場所はすなわち収納場所であるので、完成しないことには当然のことながら、荷解きはできない。特に書斎に収納すべきモノの量が膨大なので、ここが定まらないと、仮置きしている場所が空かず、本来その場所に収まるべきものが収まらない。書籍類なら適当に積んでも置けるが、PCをはじめとする電器類も多々あるので、積む順番などにも気を使わねばならず、これも少々ストレスだ。何よりも一番こだわりたい場所に手をつけられないままというのに相当なストレスがある。まあ、本日の完成を待つしかない。

 

というわけで、ここ二日は最高権力者様とともに、台所関係を主に整理した。食器、調理器の方は最高権力者様が行い、私は主に食品庫を担当。

 

まあ、食品のストックってのはいろんな種類があるもんだ。各種調味料、レトルト食品、即席麺、レンチン白飯に乾燥パスタ、シリアルに缶詰、日本茶の茶葉にハーブティーの茶葉、義嫂の郷里であるベトナムの食材、飲料、そして酒。この辺は細かいモノも多かったので、それこそアナーキー状態で箱詰めされていたり、食器の緩衝材として隙間に詰め込まれたりしたので、取り出すだけでも一苦労。まだまだ食器の箱も開けきっていないので、いつどこからどんな食材が飛び出すかわかったもんじゃない。様々に断捨離はしたつもりだったが、余計なモノを溜め込んでいるなぁ、というのが素直な感想。

 

というわけで、とりあえず箱から出したモノたちを、カテゴリーごとに小型のコンテナでまとめることにした。断捨離、あるいはミニマリストの考え方からするとモロに逆行するのだが、「モノがある」という現状を整理するためには、収納器具の導入やむなしとの判断だ。一気に買い込むと、無駄になる可能性があるので、徐々に買い揃えて行くことにはした。しばらくはホームセンターに足繁く通うことになるだろう。

 

荷出しは時間に追われる上に、とにかく詰め込むこと優先なのでストレスばかりの作業だが、荷解きは、どこに何を収納するか、どうやって収納するのかを考えるという知的な作業を伴うので、結構楽しい。きちんと整理された状態を見直すのは一種の快感ですらある。今は本棚完成後の収納「完成図」を想像しながら一旦は食品庫の「完成」を目指していこうと思う。

支離鬱々日記Vol.128(ついに郷里への帰還)

久しぶりの郷里の目覚めは冷え冷えとしていた。実家の寝床で、寒さを感じて目が覚めた。やっぱりここは田舎なのだ(笑)。

 

昨日は一日、荷出しと旧居の掃除、様々な手続きに終われた。夕刻実家にたどり着いたときには疲労の極。普段は嫁の立場を心してか、実家ではマメに立働く最高権力者様も、昨日は炊事を母に任せてずっと着席。

 

無理もない。一昨日は深夜まで片付けに追われた上、昨日は早朝から荷出しにまつわる雑務に忙殺されたのだ。

 

荷出しそのものは、事前に8割方箱詰めを済ませておいたため、タンスなどの大物や、TVなどの電化製品の梱包作業などを含めても2時間弱で済んでしまった。毎度のことながら業者の皆様の手際の良さには感心する。家具の小さな傷の確認や梱包仕切れなかった雑品の箱詰めなどの指示をする他は何もすることがなく、掃除機をかけたり、捨てる予定のゴミをまとめておく以外はほぼ丸投げ。結構なお値段は取られたが、取られただけのことはあった。

 

とはいえ、業者の作業中は忙しない気持ちをずっと継続していたし、荷出し中も荷出し後も細々とした掃除や不用品の処理で文字通り休む暇がなかった。最終の大型ゴミ出しと大掃除のために、近日中に再度上京予定。ついでに期日前投票やら何やらも済ませて来る予定だ。

 

というわけで、本日は新居での荷受けだ。実はまだ、完成状態の家は見たことがなく、本日の朝、鍵を渡されて引き渡しとなった後に初めて見ることになる。したがって、大型の家具の配置などは現地で指示しなければならないのだ。で、荷受けの大騒ぎの後は、荷解きと整理という、引越しの最大のクライマックスを迎える。今夜も泥のような疲れに見舞われることは必至だ。まあ、嬉しい疲れではあるのだが。

 

以前から記している通り、今回は永年勤続のご褒美の少々長い休みを転居にまつわる諸事に充てることとしたので、ゆっくり荷解きする時間だけはある。普段の、転勤に伴う転居であれば、私は仕事の合間合間の荷解きとなるので、しばらくは落ち着かない状況が続いた上に、最後は面倒臭くなって、ダンボール箱のまま押入れに押し込んで終了、などという事態に陥るのだが、今回は終の住処となる住居で、しかも時間には余裕がある。整理の仕方をしっかりと考えた上で、必要なものがすぐに取り出せるような収納をやり遂げたいと思う。

 

なお、寝具は明日届くので、週末にかけて、しばらく実家暮らしが続く。早く本当の新居に移住したいものだ。

 

 

 

 

糖質よりは脂質の方が身体に良い? 『心の不調の9割は食事で治る』読後感

 

 

人間ドックで糖尿病の疑いを指摘されて、栄養指導と投薬治療で減量と数値の改善がなされたため、なんとか発症危機を回避したのが現在の50代半ばの私の身体の状態。

 

栄養指導については、大学病院の栄養士と医師、さらにかかりつけの内科医から受けたのだが、どの方も微妙に言うことが異なる。荒っぽくまとめてしまえば、食う量を抑えて総摂取カロリーを減らすことは共通しているが、糖質にかなりの摂取制限をかけて、その分を脂質の摂取で補って満腹感を得るか、全ての食物を均等に減らすかというのが大きな違いということになる。正直私はどの方の説を採れば良いのか、迷いが生じてしまった。

 

というわけで、泥縄式ではあるが、改めて栄養をどのように摂れば良いのかについて、いろんな書物に当たって見ることにした。新しい本を探すよりは、今まで手当たり次第に溜め読しておいた電子書籍のストックをまず当たることにしたら、一番最初にヒットしたのが標題の書。

 

カラダの不調も問題だが、ココロの不調はそれ以上に問題。引越しの準備が本格化したというのに、夏頃から新しく加わった仕事で厄介な事案が持ち上がったり、その関連で腐り脳筋弱り毛根バカのいい加減ぶりに再度キレたり、このバカとは別人の「上から目線女」に、これまたとてつもなく厄介な事案を、私がやるのがさも当然(私の担当業務として明文化されているわけではないし、この上から目線女にだって時間をかければできる仕事だ)という口調でポンっと振ってこられたことで精神状態が著しく悪化したため、どちらかといえば、精神状態をなんとか平静に保つための参考になれば、と思い読み始めた。ちなみにこの上から目線女が振ってきた案件はなんとか引っ越しに関わる休暇の前に仕上げたが、私の不在中に私の仕事を担当してもらう同僚には、締めギリギリまでもったいつけて提出を伸ばすようお願いした。同じような「被害」に遭っている同僚氏は大笑いして快諾してくれた。ま、あの女にはこのテのイヤミは通じないだろうけど…。こういう行為を取ってしまう悪しき精神状態を打破するための方策は是非知っておきたい(笑)。

 

単なる憂さ晴らしがこの駄ブログの本意ではないので、書籍の内容紹介に移ろう。

 

いろんな方が提唱しているが「腸は第二の脳」だそうだ。腸で吸収した物質が脳に影響を及ぼし、ひいては体全体の健康に関わってくるというのがこの説の論拠。腸には有益な物質を吸収する機能の他、有害な物質を排除する機能もあるので、腸をいかに正常に働かすかが、健康の鍵を握る。したがって、脳の調子を整えたければ、まず腸の調子を整えなさい、というのは筋道の通ったお話だ。ではどうしたら腸を整えることができるのか?そのための有効な食品は何か?これについての詳細は是非とも本文に当たっていただきたい。

 

1つだけ、早食いは健康には絶対に良くないとだけは言っておく。しっかり噛んで、吸収に最適なレベルに分解しておかないと、腸は不要あるいは有害な物質と判断して吸収せずに流してしまうそうだ。とあるTV番組の早食い大会で優勝した経験があり、会社の昼食の弁当などはものの5分で「飲んで」しまう(以前の部署の上司にそう指摘された 笑)私にとっては非常に耳の痛いお話だ。実際に肥満体は解消できてないし、体の各所にガタがきている現在においては真剣に取り組まなければならない課題かもしれない。

 

もう1つ。この書は基本的には糖質を抑えることを推奨している。例えば、疲れたときには甘いものを食うといい、などという言い伝えがあるが、あれは思い込みにすぎないのだそうだ。確かに脳のエネルギー源の1つはブドウ糖であるが、それよりもケトン体によってエネルギーを供給する方が良いそうだ。ゆえに、糖質を取るよりは脂肪を摂取することの方が良い、ということも提唱されている。著者自身、疲れを感じたり、小腹が空いたと感じた時はココナッツオイルを少々舐めることで紛らしているとのこと。「脂肪は悪」という刷り込みがある身にとっては、なかなかに抵抗感が強い方法ではあるが、脂肪分そのものの味わいは決して嫌いではない(むしろ大いに好むところ 笑)なので、在宅勤務時などには試してみたいと思う。世には「断糖多脂」を旗印にしたダイエット方法などを提唱する方もおり、この説を提唱している方が、焼肉屋で牛脂だけを炙って食ってたり、おやつにバターの塊(ただし、そのバターは非常に高価なグラスフェッド、すなわち牧草だけで育てられた乳牛の牛乳から作られたもの)を食ってたりする姿をTVで拝見した記憶があるが、ここまで極端なことを実行する決心まではつかないが。腸に行く前に胃もたれしそうだし…。

 

まあ、心の不調は何か特定のものを食ったからと言っていきなり改善するものではないが、日々食事に気をつけることで、健全な状況を保つ一助にはなるということだけはわかった一冊だった。

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.127(もろにお題その2)

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

今日も今日とて、引越しの荷造りが続いているが、朝寝が大好きな最高権力者様が起き出してくるまでの早朝の短時間だけは自由に使えるので、息抜きを兼ねて、お題に乗っかってみるシリーズその2行ってみよう。

 

10年間の変化か…。変わったようでいて変わっていないのが日常だし、改めて考えてみると随分と変わっているのも日常だ。思いつくままにつらつら書いて行くことにする。

 

最初に思いつくのはラグビーかな。10年前はまだ現役で、20代の奴らに混じって、クラブチーム選手権なんかにも出場してた。もともとなかった持久力は加齢によりますます衰えてはいたが、スクラムに関してだけはまだまだ勝負になると思っていたからだ。筋力の維持向上のために週に2〜3回はジム通いしてたし、休日には近所の公園を走ったりもしていた。で、実際にスクラムで負けたと感じた試合はあまりなかった。

 

ところが加齢は思わぬ形で現れてくるもので、ある日の試合でスクラムを組む際に、相手とかなりの勢いでぶつかり、直後から背中のあたりに強烈な痛みを感じた。なんとか試合をしのいで、整体に行ったのだが、痛みは引かず、整形外科に行ったら胸椎ヘルニアの診断を受け、医者から「命に関わる可能性があるから、ラグビーなんていう激しいスポーツは控えたほうがいい」と言われてしまったため、引退を決意。

 

実に寂しかった。20年以上も打ち込んできたスポーツから離れることが心身に多大なダメージを及ぼすことを実感した。その後、5年ほどの空白期間を経て、シニアチームに加入し、「自分の納得できる範囲で最大限の努力をする」という覚悟でプレーすることで何割かは精神の「ハリ」は取り戻せた気はするが、でも、もう年齢に関係ない「現役」でいることは叶わないので、命を張ってもいいと思えるような気持ちの高揚はない。ちなみに現役引退後ほどなくして、職場が変わったが、その職場では職務も人間関係もうまくいかず、二度も休職する羽目に至った。その一因には真剣勝負のラグビーから離れてしまったことがあるように思う。

 

ラグビーといえば、日本におけるラグビーの「位置」は劇的に変わった。2011年のW杯までは通算で1勝しかできずに「お情け出場」だのなんだのと陰口を叩かれ、典型的なマイナー競技に陥ってしまっていたが、2015年の南ア戦勝利、いわゆる「ブライトンの奇跡」で一気に潮目が変わり、自国開催の2019年W杯では史上初のベスト8入りを果たし、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。低減傾向に歯止めがかからなかった競技人口も回復しつつあるようだし、このままの人気を保ち続けていただきたいものだと、切に思う。昨今のコロナ禍でジャパンとしての活動に支障が出ているし、国際試合そのものの数も減っているし、今夏の五輪の7人制ラグビーは男女ともに惨敗だったりと、逆風ばかりなのが気がかりだが、2023年に躍進を遂げられれば、また一瞬で風向きは変わる。なんとかもう一度強いジャパンを魅せていただきたいものだ。

 

ちらっと先述したが、この10年で職場は2回変わった。最初の異動で配属になった部署が、これまでの会社人生では最悪の部署だった。業務には全く興味が持てなかったし、人間関係も最悪で、結果として2回も休職を余儀なくされた。おかげさまで、会社からは完全に余剰人員扱い。二度目の異動でいわゆる出世などには絶対繋がらない部署に移り、これまた絶対に出世には繋がらない業務を割り振られて捨て扶持をもらってめでたく飼い殺しである。

 

虚栄心と言う名の上っ面の向上心だけはまだ持ち合わせているので、会社の仕事とは別のところでなんとか自己実現ってやつを果たそうと、日々文章修行に励んでいる。ただ、文章修行に励むことが本当に自己実現なのかという疑問は常に内在する。捨て扶持をもらいながら、好きなことにエネルギーを浪費しているだけではないか?と内なる自分が時折自分を責めてきたりするのだ。好きなことをやってカネがもらえることが最高の幸せのはずだ、と言い返しながらも、責めてくる声にもそれなりの重みがあると思わざるを得ないという葛藤の日々である。

 

2019年には何の因果か、オペラってやつに小さいながらも役付で出演した。出演した団体は素人集団で、お世辞にも質が高いとは言い難かったが、それでも、演じるとか歌声で聴衆に何かを訴えることの難しさや奥深さの一端には触れることができた。ドラマや映画などで、簡単に演者の演技を酷評していたのが恥ずかしくなるほど、人前で何かを演じるということについて考える機会となった。この経験は継続していきたいと考えていたのだが、これもコロナ禍の関係で大声を出すことがはばかられる雰囲気だったり、喉の調子をおかしくしたりで、団体の活動には参加できないまま、故郷に移住することになってしまった。故郷で落ち着いたら、改めて楽譜の読み方から学び直そう、と考えている。こっちに関しては自分で宣言しない限りは「現役引退」はないので、一生モノの挑戦にしていきたいとは思う。

 

最後に、1番の変化は何と言っても故郷に戻ることを選択したことだろう。会社という場に集まる必要性というものが社会的に低下したということも1つの要因だが、一番は母親の衰えが激しいこと。往年に比べちょっとした動作が驚くほど鈍くなっているし、記憶力も衰えている。言動もおかしなものが増えている。まだまだ介護レベルとしては軽症の部類に入るが、この衰えの坂道は決して逆転することはない。衰えの速度を遅くすることしかできないので、手が打てるうちに手を打っておくための移住だ。新しい家が建ったことは素直に嬉しいのだが、今後の通勤や介護のことなどを考えると、手放しで喜んでばかりもいられない。旧友との交流を復活させたり、暮らし方を様々工夫したりと楽しみの方が多い、と無理やり信じ込んで生活して行くしかないだろう。

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.126(もろにお題)

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 

引越しの作業はたくさんあるのだが、気持ちを落ち着かせるために敢えてお題に乗っかってみる。

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ライター活動を始めた際のペンネームをそのまま使用。ライターとして活動していき、いずれは文筆一本で食っていきたいので、「売れる」まではこの名前で活動することにしている。

 

はてなブログを始めたきっかけは?

文筆業を収入源とすることの一環として、ブログのマネタイズを画策。で、Google AdSenseに登録するためのノウハウ本を買い求めたら、Google AdSenseに登録しやすく、かつ使い勝手の良いブログとして「はてなブログ」が推奨されていたから。ついでにいうとその本ではWord Pressの方がよりプロ向きとしてさらに推奨されていたが、ブログの外っ面よりは内容で勝負だと思っていた(見てくれをカスタマイズするだけの知識もない 苦笑)ため、初心者向けとされていたはてなブログを選択。ちなみに今まではアメブロエキサイトブログ、FC2なども利用したことがある。どのブログも一長一短あるし、繰り返しになるが中身で勝負が身上なので、特に思い入れはない(はてなブログさん、すみません 笑)。

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

下記参照。

citrus-net.jp

 

一応名のある(実入りはない)サイトで紹介されたことでそれなりの反響があったし、身近な人の一人から「あの記事読んで、面白そうな本だと思ったんで、書籍を購入して読みました」というお言葉もいただいた。別に書籍の購読を促すのを目的とはしていないが、書籍の面白さを伝えることができたと実感できたエピソード。

 

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

本を読んだのはいいが、内容を片っ端から忘れてしまうので、読書日記として残しておこうと思い立ったのが、根本的な動機。したがって、本を読んだ後は、ほとんど習慣的に、ブログを書かねば、という気持ちになる。映画やラグビーの試合を観た時も同様。書くという習慣ができてしまった後は溜まった鬱憤の吐き出しにも用いることになった。最近はこの「使用方法」が多い(苦笑)。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

今の所1つだけ。直近に読んだ、栄養学の本についての読後感。最近は、タイトルだけ決めて、アマゾンのリストから書籍のリンクだけ引っ張り出しておいて、下書き保存しておくことが多い。

自分の記事を読み返すことはある?

たまに暇つぶしで読むことはある。おお、こんなこと考えていたんだ、とか他人事のように読むことができる。

好きなはてなブロガーは?

申し訳ないが、思いつかない。自分が書くことで手一杯です。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

独自のマネタイズ施策を是非実施してください。できるだけ高収益なものをお願いいたします。いい記事が書けるよう目一杯努力します(笑)。

10年前は何してた?

ラグビーの現役を引退。東日本大震災後に、徒歩で川崎から高輪まで移動。イタリア旅行。心身ともに、人生の後半に入ったことを痛感させられた一年だった。

 

この10年を一言でまとめると?

悪戦苦闘。現状のままではいかん、自分の思い通りの人生を生きていない。なんとか自分の人生を自分の手に取り戻すんだ…。そう思って生き続けてはきたものの、手に入ったのは田舎の片隅のちっぽけな家だけ。

 

支離鬱々日記Vol.125(荷造りの佳境とその他色々)

巨人がどん底だ。

 

この時期に来て10連敗。打線が低調で点が取れない時期が長かったが、打線の状態が上向き始めたら今度は投手陣が踏ん張れない。俗にいう「歯車が噛み合わない」状態だ。

 

一体いつから歯車が狂い始めたのだろうか。素人の私見だが、9/5の阪神戦に引き分けてからだろう。6回表を終わって6−0と完全な勝ちパターンで主力を休ませる策に出たら、見事に反撃を食った。試合自体は負けなかったが、チーム全体の調子というか空気というかは完全に変な方向に行ってしまった。加えて、様々に物議を醸した中田翔の獲得。打率が1割台の前半という実績が全てを物語っている。チャンスに出て来てあえなく三振って場面を何度見たことか。昨日の試合も、ウィーラーの二塁打で一点様で追い上げて、イケイケのムードが高まったところに出て来て空振り三振…。私生活をどうこういうつもりはないが、グラウンドで結果を出せていないという事実に関しては批判を受けても仕方ない状態だ。そういう選手を起用している監督の「任命責任」も当然問われる。打率だけ考えても、あの場面で現在の中田よりまだ打てそうな選手は残っていたと思うが。大胆な補強はいいのだが、実際に選手が働いていないのにその補強を正当化するために非情に徹しきれていないところが一番の問題だ。

 

先日、引っ越し前最後の打ち合わせに新居に行って来た。ほぼほぼ完成していたが、まだ内装が一部作業中。まあ、プロの仕事なんだから、今週の引越しまでには間に合うだろう。ただし、外構の工事はウッドショックや天候不順などで遅れた建物本体の建築スケジュール遅れを反映して入居後の完成となる見込み。

 

建物の完成遅れの原因の1つは便器不足だそうだ。便器の生産は現在ベトナムで行われているらしいのだが、現地は現在コロナが大流行中で、人出が厳しく制限されて、工場が稼働できていない状態とのこと。実際に現時点で新規の発注は停止されているとも聞いた。当家の場合は、親戚の設計事務所社長の日頃の人間関係で、グレードの高いものに差し替えという大胆不敵なメソッドを使用してなんとか遅れは最小限で防げたらしい。持つべきものは有力な親戚である(笑)。

さて、現住所では引越しのための荷造りが佳境だ。買取業者に大きな家具を6点ほど引き取ってもらい、中小の家具は昨日、今日で30点近く廃棄物処理場に持ち込む予定。今まで空間を占拠していたモノがなくなると、部屋は実に広かったことに気づく。つくづく余計なものばかりに取り囲まれて生活していたんだな、と実感した。

何度めかの決意だが、今後は「一つ買うなら一つ捨てる」を実践して、極力モノを増やさないことを心がけて行くしかない。現住居では本来あまり人目に晒したくないモノたちまで目につくところに置いておかざるを得ないような状態であったが、新居には納戸を設置したので、不要なモノを日常の空間に置いておくようなことはなくなるだろう。ただし、油断しているとすぐにモノで溢れかえってしまうのが収納スペースの宿命。本当に必要なモノか否かの見極めをした上で取捨選択していくしかない。

幸か不幸か、不要品を捨てまくったおかげで心理的に勢いがつき、一旦ペンディングとしておいた品々も、「捨てる」方向に気持ちが向かい始めた。私も古い革製品を随分と大胆に捨てた。いいんだ、これからを考えて、絶対に使う可能性のないモノたちだったんだから。思い出は心の中にだけしまっておけばよく、そのモノがなければ思い出せない思い出なんてものはそうそうあるもんじゃない。思い出す必要もないことかも知れない。あと二日は捨てることに徹してみようと思う。