脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

今更言われなくてもわかってるよ!って内容の一冊 『今の会社で満足してますか?脱!会社員』読後感

 

 

話の内容からすると別口のブログ向きなのだが、見出しつけたり、段落区切ったり、番号なしのリストにするのが面倒臭いし、第一、見出しつけるほどの長さの文章でもなかったので、こっちに書くことにする。

 

題名で真っ正直な質問を質問を投げかけて来ているので、真正面から答えようと思う。

 

「全っっっっっっっ然満足してません!!」

 

小さい「つ」の多さでニュアンスを感じ取っていただきたい。

 

理由はこのブログでも散々愚痴って来た通り。この本に倣ってギュッとまとめてしまおう。

  1. 希望する職種に就けなかった。
  2. 現在までに面白いと思える仕事を与えられた期間はわずか半年。(在籍は30年以上)

なんだ、はてなさんの方でもリスト化機能とかデフォルトであるんだね、初めて知ったわ、という感慨はさておき、給料は悪くないが、やり甲斐の全くない仕事に30年以上も就かされて、ホトホト嫌気がさしてるってことだ。

 

故に今は自分の進むべき道を文筆活動であると思い定めて、そこについては努力もしているし、軌道に乗って、収益が増えたら、定年前だろうとなんだろうと、とっととやめてしまおうと考えている。

 

決意もし、アクションを起こし始めた身としては、この本に書いてあることは「何を今更」という類のお話ばかり。

 

会社に不満があるなら、とっととやめてフリーで働きなさい。ただし辞めるならちゃんと食っていけるだけのアテを考えておきなさいよ。

 

要約すれば上の二文で済んでしまう。

 

そうですよ、だから今のうちに文筆業だけで食っていけるよう、各種のサイトには応募しまくってるし、クラウドソーシングのサイトにも登録して既にいくつか案件抱えている状態ですけど、何か?まあ、まだ食っていくには程遠い収入しか得てませんけどね。何しろまだ文字単価一円以下の案件ばっかりですし、大きな綱も一本切れちゃいましたしね。

 

ってのが今の私の状況。ま、特にクラウドソーシングの方はやり始めたばかりだし、より一層の努力が必要だってことも重々承知している。

 

言ってしまえばフリーランスの心得集の「まとめ本」。言うは易く行うは難し、という類の言葉がずらずらと並んでいる。私は疲れたり、うつっぽくなったりすると、ついついKindleの検索に「会社が嫌い」とか「仕事が嫌い」とか「フリーに生きる」みたいなワードを放り込んで、リストアップされた本を眺めて、役立ちそうだと思った本を読んだりしているのだが、この本を選んだ理由はただ一つ。「Kindle Unlimited」のリストに入っていたからというもの。日頃思っていたことを改めて文字で確認することはできたが、明日からのウイークデイを憂鬱に思う気持ちの解消にまではつながらなかった。

いい映画の方程式通りのコメディ 『インターンシップ』鑑賞記

 

久々の映画鑑賞記は、録り溜めHDDで半分腐りかけていた標題のコメディ。主演を務めたのは脚本・監督も兼ねているもあるヴィンス・ヴォーンオーウェン・ウィルソンのコンビ。実話を元にしたストーリーで、日本ではビデオスルーされた。

 

ビリー(ヴィンス・ヴォーン)とニック(オーウェン・ウィルソン)は時計販売会社の中年やり手営業マン。ある日、売り込み先に行った得意先から、自分達が所属する会社が倒産したことを知らされる。

 

冒頭からいきなり無理矢理な展開。普通、社員に何にも告げずにいきなり会社を消滅させるなんてことはないはず。訴訟社会のアメリカなら間違いなく訴えられて、おそらくは経営者不利な判決が下るはず。なにせ、経営者はのんびりと余生を過ごすためにリゾート地に移住する計画まで立ててまでいるのだ。お上には楯突かないことを小さい時から躾けられている日本人でも、裁判所に駆け込むような設定だ。

 

この設定に、無理矢理だというツッコミを入れられないように「実話を元にした」という解説が入っているのではないか、と勘繰りたくなるくらいだ。

 

で、途方に暮れた二人は、世界一の検索エンジンGoogleインターンシップに応募する。応募資格が「大学生」であることから、オンラインの大学の学生であると身分を偽り、オンラインでの面接を受ける。このオンライン面接のやりとりが、一つのくすぐりどころなんだろうが、今ひとつ切れ味の鋭さにかけていた気がする。

 

採用担当の責任者は当然面接の時点で彼らを振るい落とそうとするが、ライルという担当者が一人だけ「多様性」を謳うGoogleには異色の存在が必要だとして彼らの採用を主張。インターンとしての採用が決まる。

 

この辺は、巨大企業Googleに少し阿っている感もある。Googleの懐深さを描き出したいのだろうが、相当援助してもらったんだろうな、って苦労がしのばれてしまう。映画制作って大変だなぁ…。本筋に関係のない感慨を巻き起こさせながらも、物語は進行。

 

ここで、以前紹介した『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』でいうところの第一の試練が主人公二人に訪れる。インターンたちは数名のチームに分かれてさまざまな課題をクリアするというミッションを与えられるのだが、年齢も高く、言動も明らかに周りから浮いていた二人には誰も寄りつこうとしない。結局はやはり他のチームに入れなかった3人の落ちこぼれと、採用を強く押したライルの6人で「チーム・ライル」を組むことになる。

 

この落ちこぼれで、目的意識も行動もバラバラなチームが、いかにして一体感を醸成させるかまでが、第一の試練。主人公コンビの方法は恐ろしくアナログ。イマドキ日本の会社でもこんなことはやんねーぞ、という方法なのだが、デジタルの最先端企業とはいえど、結局一番大切なのは人間同士の結びつきで、その結びつきを強めるためにはある程度「腹を割る」ことが必要なのだということが、字幕に書かれていたかと錯覚するくらい明白に伝わってきたし、私自身はこういう展開、決して嫌いではない。どんな方法だったかは是非本編をご覧いただきたい。

 

チームを一体化することに成功した「チーム・ライル」の快進撃が始まる。エリート然としたライバル、グレアムが率いる一流大学の学生ばかりのチームを相手に、トップ争いを演じることになる。

 

僅差で競り合う両チームに残された課題は二つ。ここで前出の『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』でいうところの第二の試練(絶望的な失敗)が発生する。ビリーの初歩的なミスで「チーム・ライル」のラス前課題の得点が0になってしまったのだ。このミスをどう解決して逆転するのかが、ラストまでの見どころ。結果的にはハッピーエンドに終わるのだが、何をどうしたら逆転につながるのかは、こちらも是非とも本編をご覧いただきたい。

 

結論は中盤で感じた通り。「デジタルの最先端をいく企業だからこそ、人間同士のつながりが重要だ」という、この一点に尽きる。会社はあくまでも仕事の場であって、恋愛関係などは望ましくない、という暗黙の了解を覆す、3組のカップルの恋愛模様が描かれることも、この主張の隠し味になっている。

 

というわけで、実にもって『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方」に書かれていた公式に忠実な作りの作品だった。あまりにも忠実にすぎたために評論家の評価は低かったようだし、日本では上述の通りビデオスルーであったりもしたのだが、興行成績は決して悪くなかったそうだ。凝った作品ではなかったが、スポ根モノ好きな私にとっては、見終えたあとにそれなりの感動をもたらす作品ではあった。まあ、映画鑑賞の上級者に言わせれば、言いたいことが明白すぎて幼稚だ、ってことになるんだろうとは思うが。

 

 

 

 

2022〜23年シーズンラグビー観戦記1(帝京大学vs早稲田大学 菅平夏合宿での練習試合 TV観戦)

まったく、いつの間にスカパーは大学の夏合宿の練習試合まで中継するようになったんだろう?

シックスネーションズも、スーパーラグビーも、ザ・ラグビーチャンピオンシップも外国勢同士のテストマッチ中継も全てWOWOWに持っていかれちゃった今となっては、高校、大学、リーグワン、それにジャパンのテストマッチくらいしかコンテンツがないのはわかるが、にしてもいくら強豪校同士とはいえ、練習試合の中継って、どうなんだろう?まあ、私は普段観られない試合が観られるのは歓迎なんだが、スカパーさんの商売考えると、いろいろ考えてしまう。ラグビー中継が全くなくなる、なんて日が来ないことを祈るしかない。

 

というわけで、関東大学ラグビー対抗戦の覇権争いを繰り広げるであろう両雄の対決である。このチームは春にも練習試合を行っており、その際は52-26のダブルスコアで帝京が勝利したとのことだった。岩出監督という一時代を築いた監督が退任したものの、強化方針は見事に受け継がれており、相変わらず強いらしい。強化に必要な栄養分の摂取を基本とし、科学的な根拠に基づいたトレーニングで鍛えられたフィジカルは、近代ラグビーのキモである、ブレイクダウンの攻防において無類の強さを発揮する。

 

このフィジカルを凌駕するとすれば、早稲田は持ち前のスピード勝負に持ち込むしかない。接点での攻防をなるべく短くし、ボールのリサイクルを繰り返し続けることで、スタミナを奪うフィットネス勝負を仕掛けるというのが根本的な戦略になる。

 

こう考えると、力の明治に技の早稲田という図式が見事に当てはまった、大学ラグビー華やかなりし頃の早明戦をイメージしてしまうのだが、帝京は明治ほどミスをしない可愛げのないチームだし、早稲田も走力「だけ」ではなくフィジカルバトルにも長けた選手を揃えるという方針にチームの舵を切っている。

 

大学レベルでは最高峰の一戦と言って良いこの戦い、いきなり早稲田の三連続トライで始まった。早稲田は意図した通りのスピードラグビーで、浅いフェイズの密集戦はなるべく素早くボールを出すことに特化し、外側での勝負に持ち込んで走り勝つことに成功していた。

 

前半20分までの勢いなら、早稲田の圧勝に終わってもおかしくない試合だったが、どっこい帝京もただでは終わらない。練習試合でもあり、本当にギリギリに追い詰められた状況ではないという一種の気楽さもあってか、自分達の強みであるフィジカルバトルをしっかりとやり続けた。焦ることはない、自分達のやるべきことをやってさえおけば、チャンスは必ず巡ってくる、という信念は「岩出イズム」の遺産だろう。前半の後半は逆に帝京が三連続トライを奪い返し21-21のタイスコアで後半へ突入。

 

まだ発展途上のチーム同士ゆえ、細かいミスが目立った。早稲田は伝統的にミスの少ないチームなので、さほど目立たなかったし致命的なものはなかったが、帝京は、ノックオンや、味方キック後のオフサイドなど、初歩的なミスが結構目立った。秋の「本番」ではこうしたミスは命取りになりかねないので、意識して修正すべき点だろう。

 

後半は、前半最後の悪い流れを断ち切るかのようの早稲田がテンポ良く攻め立てたが、そこはフィジカルバトルには絶対の自信をもつ帝京。なかなかディフェンスラインを突破させない。外側への展開にもよくついて行っていた。帝京もフィジカルの強さ「だけ」ではない選手が揃っている。球際の巧みさで何度かジャッカルにも成功していたし、ミスで焦ることもなかった。色々やられても最後にはスコアで上回っているのは俺たちだよ、という太々しさまで感じられた。

 

試合は後半最初のトライこそ早稲田が奪ったものの、そこから帝京が二本のトライを取り返して見事な逆転勝ち。さて、ここから早稲田がどう巻き返すのか?フィジカルバトルを真正面から挑んでくるであろう、明治はどうなんだろうか?リーグ戦の雄東海大は?天理や京産大といった関西勢は?ということで興味は尽きない。ま、ラグビー好きの皆様にとっては、練習試合まで放映してくれるとは、いい時代になったということなのかもしれない。

支離鬱々日記Vol.160(挑戦と挫折の日々)

ここのところ、こちらのはてなブログちゃんの方を可愛がってなかったので、久しぶりにこちらに投稿。

 

ライターの窓口を広げる活動のお話だから、本当は別口さん向きなんだけど、あっちは、そもそもの目的を考え併せると「敗因」を冷静に分析しないといけないので、一種の「セカンドレイプ」状態となってしまう。そうでなくても夏バテがきつい上に、会社の仕事も忙しい。その上、冷静に自分の悪いところを分析なんぞしてたら、文字通りココロがぶっつぶれるので、今日はこっちで思いっきり愚痴る。

 

向こうは、どんだけお金になるかを追求する場だし、こっちは楽しみとか本音を吐露する場だと位置付けているので、これでいいのだ。PCだってそのために分けてんだし。本当はIDが乱立しすぎて、いちいち切り替えるのが面倒だからなのだが。まあ、今後、家の外で執筆するような機会が増えたら、きちんと使い分けましょう。

 

最初の二つがすんなり決まったのは本当に僥倖だったのだ。ついに7連敗したし、もう一件も「興味を持っています」という返事が来てから、はや1ヵ月。ほとんど望みはないだろう。こんだけ連敗が続くと、私は本当はものすごく無謀な挑戦をしているんじゃないだろうかと不安になってしまう。今までの実績はともかく、不採用という形で明確に否定されてしまったのは事実なのだから。正代の気持ちが初めて理解できた気がする。誰も負けたくて負けているわけではないのだ、と言い切れないところが大相撲界の暗部ではあるのだが。私も最初から落ちると思ってテストライティングまで書いて提出しているわけではない。

 

本当なら、今頃はブログではなく、お金になる原稿を書いていたはずなのだ。一所懸命に真面目に書いていたか、思いっきりふざけて書いていたかは別だが。真面目な文章書いて、実績を積んで名を売った上で、思いっきり悪ふざけするってのが、理想だったが、真面目なお話も書けないんじゃ、文字通りお話にならない。

 

仕方がないので、1本サイトに応募したのと、ランサーズの案件も一挙に6本応募、おっと、ランサーズでは提案って言葉で表すんだっけ、一挙に6本提案してみた。何しろ動かなきゃ、黙ってて、仕事が舞い込むほど甘くないし、私の知名度なんざまだ無名に分類されるレベルのものだ。

 

今は拾ってもらった二つのサイトで目一杯頑張って実績を残すことが一番、その次にめげずにいろんな案件に手を挙げてみること、3時のおやつは文明堂、と言いたいところだが、福砂屋のカステラの方が美味い。もっというとCO-OP長崎カステラは安い割に美味い。

 

明日は憂鬱なお江戸行きだ。通勤時間が全くの無駄。電車なんかに乗ってる暇があったら原稿書いてたいよ。ラグビーネタで何本か書かなきゃいかん企画があるんだ。レシピサイトの方も明日あたり次のレベルに進んで欲しいって指示が来そうだしな。

 

明日は、ういろうとあんみつをリクエストされたからそれを買うのと、太いうどんと天ぷら、夕食のメインディッシュを買って、ついでに秋シーズンに重宝するダンガリーシャツデブ専服屋に買いに行ってと。そのくらいの楽しみがなきゃ、お江戸なんぞに行きたくはないわ。

 

とにもかくにも、7つのチャレンジは始まった。いくつまともにチャレンジさせてもらえることやら?

なんだかよくわかんない箇所もあったけど… 『憂うつデトックス-「未来の不幸な自分」が幸せになる方法-』

 

 

カウンセラーとして活躍し、うつに関する著作も多い大嶋信頼氏による「不幸な未来」の回避方法を述べた一冊。

 

自動車教習所に通った経験のある方は、座学の際に「人間は無意識に目が向いた方向に進んでしまう。従って、何かに衝突しそうになったら、咄嗟に視線を逸らして回避することが有効」という主旨のお話を聞いたことがあると思う。この一冊の主旨もざっくり言ってしまうと、その自動車教習所の教えと一緒。最悪の事態を想定して、コトを進めていくのは悪いことではないのだが、悪い想定に引っ張られすぎると、自然と悪い結果をもたらす方向に行動してしまい、結果的に最悪の状態を招くことになるので、一旦、最悪の想定を忘れて行動してみましょう、というものだ。

 

この指摘はすんなりと私の心には刺さった。ここ数年は常に「ミスしたらどうしよう。資料に間違いでもあったら、上司には叱責されるし、他部署の人間からは信頼を失くすしで、ただでさえ窓際の私にはそれこそ居場所がなくなってしまう」などと勝手に想像を暴走させて、憂うつな気分になってしまっていたことは確かに多かった。物事に取り掛かる前に、悪い想像だけで、既にして仕事全体の8割方の疲労を感じてしまっていた。

 

実際は、ケアレスミスが多いのが私の最大の欠点につき、チョコチョコとしたミスは確かにあったが、概ね問題なく物事は進んでいった。最悪の事態なんざ、逆にそうそう簡単に勃発するものではないのだ。とはいえ、ケアレスミスも積もれば「バカ扱い」されるし、楽観していて痛い目にあったことも少なくはないので、やはり物事は少々悲観的に考える癖はついてしまっている。そしてその悲観的な思考は仕事への憂うつさにつながり、やがては身動きできなくなるまでに疲弊してしまう。月に数度襲ってくる「今日は何もできない」という気分なんぞはまさにその精神的疲労が蓄積した結果だ。

 

何もやってもない状態なのに、想像だけで疲れてしまう。さらになんとか無理して行動を起こしても、失敗する方失敗する方に気持ちも行動も勝手に向かってしまう。これほど馬鹿らしいことはないのだが、ここ最近のお話だけではなく、考えてみたら、既にして小学生時代にはこの、勝手な悪い想像に取り憑かれていたということに気づいた。

 

小学校時代のボス的な存在のやつが、実にもって教師を代表とする「公的権力」を味方につける事が上手かったのだ。体格自慢であった私は、おそらくまともにケンカをすれば、ワケなくそいつをノシてやることはできたと思うのだが、「暴力はいけないという常識」を当時の権力の象徴である教師から教え込まれた私は、文字通り武器を失った。そこで暴力を肯定するような考え方を身につけていたら、今頃刑務所暮らしだったかもしれないので、正しい教えであったことに間違いはなかったのだが(苦笑)。

 

ただし、ここで暴力をはじめとする「悪いこと」をやったら、警察に連れて行かれて、少年院とかに入れられて、一気に犯罪者の仲間入りして、将来的に悪い人間と認定されてまともに生きていけない、とまで考えてしまう癖がついてしまったことは私にとっては大いにマイナスだった。のちの生活で厄介なメンタルの病を得てしまうような思考癖であったからだ。

 

まあ、現在は「四の五のいう前にまず行動」を信条にして、変な想像が走る前にコトを始めてしまうことにしているので、そうした態度でいることについては間違ったことではないという事が書いてあったのは理解できたし、今後も実践していく予定だ。早速、ライティングの方で色々と挑戦し始めている。会社の仕事については間違っても「挑戦」しようなどという気は起こさないが、まず取り掛かる、という姿勢だけは持ち続けている。

 

ところで、大嶋氏は途中から「脳内時間旅行」なる概念を持ち出してきた。私の理解が足りないのだろうが、どうもこの概念がうまく理解できなかった。脳内で未来まで見通して失敗してきたのだから、その失敗策を取らないようにすれば成功につながる、という理屈だと一旦は理解しておく。大嶋氏の「理論」によれば、この脳内時間旅行は他人の未来まで変えられるというのだが、このあたりはさっぱり理解できなかった。ここも他人を直接変えるというよりは、他人の反応をある程度予測しておくことで、最悪の状態とならないように対処を変え、結果的に、「自分の解釈」が最悪にならないようにする事なのだろうと強引に解釈しておく。

 

なにしろ、最悪の場面ばかり予想して、身動きが取れなくなってしまう状態こそが最悪で、何か行動を起こしさえすれば、悪い結果ばかりで終わるものではない、という意識を持っておくことが大切、ということだけは理解した。

結局モノゴトはとことんまでやり続けないと成功しない 『自意識とコメディの日々』読後感

 

一時は自らもお笑い芸人を目指しながら、現在ではコントの原稿やバラエティー番組の構成、果てはドラマの脚本まで書いてしまうという、お笑い界の「黒田官兵衛」のような存在のオークラ氏による、自分自身の半生記。芸人としての挫折と、コント作家として今をときめくお笑い界のスターたちとの関わりを綴っている。

 

私はミーハーな性格かつ目立ちたがり屋だったこともあり、特に中学生くらいまでは熱心にお笑い番組を観て、そこで生み出された笑いをコピーして皆の前で再現することに喜びを感じていた。単なる真似では幼稚だと感じられるような年回りになってからは特にビートたけし氏の「笑い」を吸収しようと努力した。すなわち、その場その場の状況に応じて、的確かつ毒を含んだ上で笑いを取れる言葉を発することを心がけたのである。残念ながら、この修練は見事に身を結ぶことなく、単にビートたけしっぽい口調で、皆に嫌われる発言をするだけの男と見做されるようになってはしまったが(苦笑)。

 

進学校とされる高校に入った後は、いわゆるお笑い番組を放映している時間は「お勉強」の時間であり、番組の視聴そのものからしばらく遠ざかった。代わりにラジオの「コサキン」にはどハマりし、コロナ禍前までは関根勤氏の『カンコンキンシアター』と小堺一機氏の『おすましでSHOW』は毎年観に行っていた。しかしながら、コサキン以外の新しい笑いに関してはすっかり疎くなってしまった。

 

理由は二つある。

 

ビートたけし氏のように世相そのものに毒を吐くような笑いこそが高尚な笑いであって、彼以降にうじゃうじゃ湧いて出てきたお笑い芸人たちを観るに値しないと決めつけて、最初から拒否してしまったことが一つ。

もう一つは、いわゆるビッグ3後のお笑いの第一人者、「ダウンタウン」を少しも面白いと思えなかったことだ。松本人志氏の少しハスに構えたモノの見方に関しては、感心させられることはあっても、笑いにつながる面白さとは、私にとってはちょっと違うのだ。また浜田雅功氏の激烈なツッコミを根底とした、他人をいじめることで笑いを取ろうという風潮にも違和感を感じた。まあ、これは浜田氏が意図したことでなく、演出する側が、浜田氏を「いじめっ子」にキャスティングしてしまったことによる効果なのだが。

 

そんなわけで、私はダウンタウン以降のお笑い番組はほとんど観ていない。一時ネタみせ番組がブームとなったこともあったが、そういうネタを楽しむためには、今現在の「若者」のカルチャーを理解しなければならず、もうそういうことにキャッチアップしていくのが面倒な歳になっていたのだ。病気その他で気力が失われていた時期もあったし…。

 

そんなわけで、昨今のバラエティーでひな壇に並んでいたり、ワイドショーなどで司会を任されている芸人も、大して面白くもないのに、いつの間にか定着しちゃってるなぁ、という感想しか持ち得なかったのだが、これは私が不明を恥じなければならない。

 

 

私は今、スポットライトを浴びている芸人たちが、いかにして面白さを追求し、その面白さが世の人々に受け入れられたかを知らないままに、「大して面白くもないくせに売れてやがんな」と勝手に思っていただけなのだ。

 

標題の書を読むと、いかに芸人たちが真剣に笑いに取り組んでいるのかがよくわかる。もちろん、真剣に取り組んだからといって実を結ぶか否かは全くわからないし、実を結ばないままに消えていった芸人だって星の数ほどいる。しかし、挑戦し続けなければ絶対に成功はやってこない。バナナマンアンジャッシュ東京03極楽とんぼ等々、彼らが曲がりなりにもTVに出演できているのは、コントライブなど、メディアには大きく取り上げられない場で、きちんと結果を出して、人々を楽しませる才能があると認められたからなのだ。

 

彼らのギャグとか、ひな壇での発言は、言ってみれば体操競技で大技に挑戦した時のようなもの。人々はその大技の結果だけ見て感動したり、批判したりする。しかし、その大技を繰り出すためには、たとえば、どのくらいの助走距離が必要で、その距離をどのくらいのスピードで走り、ジャンプする角度や高さはどれくらいで、どんな予備動作が必要かを全て理解しておく必要がある。さらにその次には助走スピードを上げるためにはどこを鍛えることが必要なのか、そしてその部位を鍛えるためにはどんなトレーニングが必要なのか、ということも考えなければいけない。そこまで考えた上で、さらに練習を積んでようやく技として披露できるというわけだ。

 

こう考えてくると人を「笑わせる」、「嗤われる」のではなく「笑わせる」という行為の難しさが改めて浮かび上がってくるし、日々「笑わせている」人々には敬意すら覚える。しかも皆が笑ってくれても自分自身では納得できないという状況だってある。オークラ氏は理想の笑いを求める姿勢を「自意識」として、常にその「自意識」に挑戦し続けている。妥協のなく「自意識」に挑戦することで笑いを生み出していこうとしているのだ。答えは常に自分の中にある。そしてその答えは挑戦し続けない限り掴めないのだ。

思いもかけず、真面目な結論をもらってしまった。私も自分の中の答えを掴むために努力し続けないといけないな、と思いながら電子書籍のスイッチを切った。

支離鬱々日記Vol.159(お題と徒然)

今週のお題「SFといえば」

 

おかげさまで、ここのところお金になる文章執筆が忙しくてブログにまで手が回らなかった。もっとも、会社の仕事も忙しくてストレスフルで、夕刻までにほとんどの精神的エネルギーを使い切ってしまうような状態でもあったので、余裕がなかった。

 

また『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』を読んでから始めた、モーニングノートってやつに、今までこのブログに書き込んでいた愚痴やら、不満やらの類を全て書いているから、こっちに書くネタが不足してたってのもある。ネガティブなことを書きまくっていても読者はつかないそうだ。同じネガティブなことを書くなら、精一杯ギャグにして笑い満載の内容にでもしないと、つまんないブログだと認識されてそれでおしまい。でもギャグを考えるってのはそれはそれで多量のエネルギーを必要とする。ウケるお笑いのネタなんか書いている人はそれだけで尊敬に値する。

 

会社の仕事で疲れてしまうと、読書もしなくなるし、映画を観る気力も無くなるので、愚痴を封印した今となってはブログの書き様がないのだ。ラグビーネタは「お金」になる媒体に書いているしね。ただ、あまりほったらかしにしておくと、当たり前のオハナシだがPVが伸びず、それはそれで寂しい。ようやく書けそうなお題が出たので、早速乗っかってみることにする。

 

私にとっての最初のSFは中学校の図書館で出会った星新一氏のショートショート集だ。お話が短いので、いろんな舞台設定を覚えておく必要もないし、いわゆる起承転結がはっきりしていて、どの作品も洒落た味のオチがつく。私の読書への興味の扉を開いてくれたのが北杜夫氏なら、読書を日々の習慣にしてくれ本好きのハシクレにしてくれたのは星新一氏だと言って良い。次から次へと新しい世界が展開し、散々に興味をかき立てられた上で、見事な結末に唸らされる。これで読書の魅力にとりつかれない方がおかしい、と思えるくらいの魅力的な作品集の数々。とりあえず、図書館に所蔵されていたショートショート集は全て読んだはずだ。

 

 

 

 

その次は平井和正氏だろうか。角川映画のアニメ作品として『幻魔大戦』が取り上げられ、例によって散々いろんな場所で宣伝されたということもあって平井和正氏という作家の存在は気にはなっていたが、実は幻魔大戦はまだ読んでいない。一番最初に読んだのは『死霊狩り(こう書いてゾンビーハンターと読ませる)』。これで、平井氏のリアルなグロテスク描写にハマってしまった。中でも愛読したのがウルフガイシリーズ。満月の夜には不死身になってしまうという狼男一族の物語は一風変わったアクションヒーローモノとして、品行方正なヒーローばかりに触れてきた中学生に新鮮なショックを与えてくれた。

 

 

 

 

高校に進学してからは何と言っても筒井康隆氏。ドタバタから高校生には難解なシリアスさを持ち合わせた作品まで、実にバラエティーに富んだ作品を拝読した。私の書庫に唯一「全集」がある作家である。

 

 

傑作、話題作は数々あれど、どうしても一冊に絞れということなら↓になるだろう。

 

 

筒井版の水滸伝とでもいうべきこの作品は、全員がカッコイイヒーローではなく、むしろそれぞれに変なモノや事柄の専門家で、そうした人々が世の権威たちと戦う、という姿が実におかしかった。

 

大学に入ってからは、歴史小説の方に興味が向いたり、村上春樹氏が『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』とミリオンセラーを連発させた時期でもあり、SFからはすっかり足が遠のいてしまった。

 

で、今まで書いてきてお分かりの通り、洋物にはほとんど手を出していない。まともに読んだと言えるのはハインラインの『夏への扉』くらいだろうか。これも作品そのものへの興味というよりは山下達郎氏がこの作品をモチーフにした『夏への扉』という曲を作っていたので読んでみたというだけのオハナシだ。その後ハインラインにハマるようなこともなかった。

 

 

一時期は荒唐無稽なことを書きまくれるSF作家というものを自由な存在であると勘違いしていて、荒唐無稽な物語を書いてみようともしたのだが、先ほどのギャグと一緒で、荒唐無稽なモノを自分の中から作り出すのは非常に難しいし、多大なエネルギーの要るお話だ。むしろ、リアルな生活を描く方がよっぽど楽だということに気づいてからはSFを書いてみようなどという気は全くなくなった。ただし、今後文筆活動を続けていく中で、何か衝動が湧き上がってくる可能性がないともいえないので、その際はぜひ挑戦してみたい。ま、その前にまともな文章を書いて、きちんと物書きだと認識されないといけないのだが。