脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.176(休職日記13 休養のための「好きなこと100選」抽出その3)

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

 

好きなものとはいえ、100個も選び出すのは容易なことではない。ただ、改めて考えてみると、好きではないものってのは好きなものの数倍は身の回りにあるので、たまには自分の好きなものを思い返してみて、意図的にそれらを身の回りにおいてみるという作業も必要になるのかもしれない。というわけで3回目行ってみます。

 

21.ビール

最初の一杯はビールに限る。逆にいうと、最初の一杯以外のビールにはそれほどの価値を認めていないのだが。銘柄は百花繚乱状態だが、特にこだわりはない。出てきたものは飲む。ただし、ドライビールは好みではない。薄すぎて味わいを感じない。好きな方の味は、サッポロの黒生かエビス、サントリーのマスターズドリームあたりかな。

 

22.ウイスキー

酒を「本格的」に飲み始めた大学生時代はバーボンの全盛期。IWハーパー、フォアローゼス、アーリータイムスなんかをよく飲んでた記憶がある。当時の好みはエインシャントエイジだったかな。今は某大手が取り扱うようになって、流通量がぐっと増えたメイカーズマークが好きだ。スコッチも最初は親父の貰い物だったカティーサークやらジョニ赤やらのブレンデッドから入ったが、今はボウモアみたいにそれこそヨードチンキ一歩手前くらいに臭いやつの方が好み。アイリッシュはカネマラ。ピィティーな香りとメロウな口当たりが同居しているところがお気に入り。カナディアンはカナディアンクラブ。まあ、日本で流通しているカナディアンはほとんどカナディアンクラブしかないけどね。ジャパニーズはローヤルかな。水割りで飲むには一番口当たりが良い。

 

23.村上龍

最近はほとんど小説家としての活動をしていないようだが、もう一度彼の、刺激的でありながら、現実に深く根ざした作品を読んでみたい。『限りなく透明に近いブルー』で「芥川賞の概念を変えた」とまで言われたが、そのような革命的な作品を望む。個人的なベストは『半島を出よ』だな。

 

24.焼肉

一度でいいから、自分の思う通りに腹一杯食ってみたい気がする。最高権力者様と一緒だと、主に彼女が私ほどは肉類が好きではないという理由でリミットを設けられてしまうのだ。彼女の不在時に、一度肉をバカ買いしてきて思いっきり食ってみたいという願望はずっと持ち続けている。

 

25.イタリア

死ぬまでにもう一度行ってみたい国。どの街に行っても歴史そのものがドンと中核にあるし、食い物は美味いし、ちゃんとしたところでちゃんとしたものが買える。10数年前に行った際に買い求めたバッグやブックカバーなどいまだに使っているものがある。フィレンツェとかローマにじっくり腰を落ち着けて、街中をあちこち歩き回るような旅にしたい。

 

26.白飯

先日、新潟に所用で行き、泊まった旅館で出てきたのが新潟米の炊き立てご飯。実に美味かった。私の味覚の原点であり、日本食の根本的な愉悦の一つ。いいコメをしっかり炊いた飯なら漬物とか海苔とかをおかずに何杯でも食えてしまう。健康にはあまり良くないので、当家は基本的に雑穀を混ぜて炊いた飯を食っているので、たまにいい旅館に泊まった際は、それこそ朝から三杯飯。

 

27.ジョセフィーヌ

macaro-ni.jp

俗に言う「幻のドレッシング」。当家の所在地ではおそらく1軒のスーパーでしか取り扱いがない。このドレッシングを食ってしまうと、他のドレッシングには戻れない。姪っ子ちゃんなどはサラダの皿に残ったやつをすすり込んで飲んでしまうほどだ。ただし、例外が一つ。「かつはな亭」のキャベツ用ドレッシングだ。千切りキャペツだけならこっちの方が私にとっては好み。

 

28.関根勤

現在一番好きな芸人。つい先日もカンコンキンシアターを鑑賞してきたばかりだ。氏の正統派のボケからちょっと外した笑いが実にいい。私自身、彼のちょっと外した、ただし知っている人にしかウケないというレベルにまでは外さない笑いの視点を身につけようと努力している。そう言う意味では好きな芸人というよりは「ものの見方」に関しての師匠と言って良い。年齢的にそろそろ舞台がしんどくなる頃ではあるが、できうる限り長く活躍して欲しい方だ。

 

29.ボサノヴァ

最近の音楽的な好み。何かの作業をする際にBGMとして流しておくには最適だ。変に耳に刺さることなく、快適な音域で落ち着いたメロディーが流れる。運転中に聴いていると眠くなってしまうことがあるので要注意だが、デスクワーク時にはほぼ毎日毎時間流している。いわゆるスタンダードな曲をいろんな人がいろんなアレンジで演奏してるのが特徴的なジャンルでもある。ちなみに現在のBGMはセルソ・フォンセカです。

 

30.ルネ・マグリット

不思議絵の大家。筆使い、とか印象とか言うよりは、意表をついたアイデアで勝負するというのが彼の画風。私には絵心はないが、アイデアだけなら考えつくことができるかもしれない、という淡い期待を抱かせてくれる稀有な画家。展覧会などが開かれる際には出来うる限り足を運ぶことにしている。

 

というわけで、今回はここまで。

 

支離鬱々日記Vol.175(休職日記12 休養のための「好きなこと100選」抽出その2)

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

 

お題に無理矢理こじつけシリーズの第二弾。好きなモノだけを100個あげてみるというのは、なかなかに精神衛生には効果的だ。嫌いなことを考える必要がないし、好きだという感情に一時浸り切れる。

 

なお、思いつくままに書いているので、順番にはさほど意味はないが、先に出てきたものの方が、現時点では心の中で大きなウエイトを占めているとは言えるだろう。

 

11.姪っ子ちゃん

現在3歳。気まぐれな赤ちゃん時代をへて、現在ではワガママな保育園児へと成長した。最高権力者様の兄君のご令嬢ゆえ、私とは血のつながりはないのだが、家を訪問した時にダッシュで駆け寄ってくる可憐さには血の繋がりなんぞ及びもつかない「可愛いパワー」がある。彼女が今後どのような成長を遂げるかを見届けること、並びに試練の時に適切な援助をすることは私にとってのライフワークの一つであると言って良い(笑)。

 

12.北杜夫

小学生時代に、エッセイ集『どくとるマンボウ途中下車』を読んで以来のファン。読書の楽しみを教えてもらうと共に、「いつかは筆で食っていきたい」という密かな願望を持ち続けさせてくれた方。故に文筆業者としての私は勝手に没後弟子であると考えている。「マンボウもの」の軽妙洒脱さと、「幽霊もの」の重厚さを持ち合わせた稀有な作家。読者としては基本的には「マンボウもの」のファンだが、書き手としては「幽霊もの」のような作品を書きたいというのが希望である。

 

13.松田聖子

色気付いてきた中学生時代に初めてファンになったアイドル。ただしファンであるのは神田正輝氏と結婚する前までの彼女。楽曲で言うと『ボーイの季節』まで。結婚、離婚、出産を経て、自由奔放に生きる女性のアイコンとして祭り上げられてしまった現在の彼女は逆に見るに忍びない。『裸足の季節』から『ボーイの季節』までの期間の楽曲は今聴いても素晴らしい。

 

14.新宿

いろんな意味で世話になった街。20代までは着るものは伊勢丹デブ専コーナーで買うことが多かったし、飯もいっぱい食ったし、紀伊國屋というでかい本屋にも足繁く通った。歌舞伎町にも随分金使った。今でも十分に魅力的な街ではあるが、別段行かなくても全部事足りてしまう街にもなってしまった。

 

15.現在の家

念願だった書斎を持てたことが一番のお気に入りポイント。親戚筋の建築士にいろんなアドバイスを受けながら建てたので、使いやすい快適な家に仕上がった。まあ、欲を言えばキリはないが、終の棲み家としては上々の仕上がりではないかと思う。

 

16.郷里

一昨年、高校卒業と同時に離れていた郷里に36年余りを経て移住した。まあ、夫婦共々の実家があったこともあって、ちょいちょい帰省はしていたので、見慣れた風景の中に帰ってきたとでも言う状態ではあったが。根本的な人情風土は変わっていない気はするが、それでも我々が暮らしていた青春時代に比べればいろんなところが変わっている。そんな変化と、自分自身の中に息づく「土地の人間」としてのギャップを味わっている毎日だ。

 

17.Macintosh

入社間もなく、職場に導入されたのがMacintosh IIC。当時はほぼエクセルの専用機ではあったが、このPCに出会ったことが私のデジタルライフには大いに影響を与えた。現在の会社の仕事にもつながってるし、ライターとしての活動にもつながっている。ちなみに現在使用中のMacminiは5台目で、IIS,Powermac,iMac,Macbookproが歴代の愛機である。初期の頃はほぼ高級ゲーム機状態だったが、今はちゃんと知的生活に寄与している。

 

18.池袋

20代の新宿にとって変わったのは池袋。服を買いに行くのも、本屋に行くのも、飲み屋に行くのも池袋。東京在住時の最寄りターミナルステーションが池袋であったため、自然にそう言う街になって行った。現在でも東京に通院する際は池袋を拠点に動く。高速バスも走っているし、各種の手続きも全て池袋で済む。最近は車で上京することが多いので、飲屋街を闊歩することができないのが少々寂しい。

 

19.YMO

中学時代のポップミュージックを席巻していた存在。ろくすっぽ音楽に対して知識がなかった私は実に単純に「シンセサイザーを使ったテクノポップスこそが最先端の音楽で、今までの音楽は全て古臭い」と思い込んでしまった。アコースティックサウンドの素晴らしさ、クラシック音楽の素晴らしさを知った今に至っても、やっぱりYMOってのは「最先端」の音楽だったという意識は心の奥底に刷り込まれてしまっている。高橋幸宏氏、坂本龍一氏が相次いで亡くなってしまったのは寂しい限り。

 

20.日向屋

佐野ラーメンの超人気店。いつ行っても混んでいて、数時間待たされることも珍しくないが、待つだけの価値はある店だ。澄んだ鶏ガラスープが、佐野ラーメン独特の青竹打ちちぢれ麺によく絡んで実に美味い。チャーシューがバラ肉であるのも嬉しい。スープがあっさり目なのでバラ肉の脂身はいいアクセントになるのだ。アウトレットでの買い物にひっかけて訪問頻度は高い。

 

今回はここまで。あと80個か、先は長えーな。

 

支離鬱々日記Vol.174(休職日記11 無理やりお題で書いちゃいます)

お題「好きなものを100個、ひたすら書き出してみる」

 

ここ数日、実家から引き揚げてきた書類の類の整理に忙殺されている。私の実家は、母方の祖母、伯父(母の兄)、私の父、そして母の4人の終の棲家になった。で、母の物持ちがいいというか、捨てる勇気がなかったというか、のおかげで年金やら保険やら記入欄が一杯になった通帳やらが4人分ごっそりと出て来た。

 

祖母と父はもう20年も前に死去しているので、さすがにとっておくべき書類というのはそうないと思えるのだが、祖母の遺産を相続するための手続きが済んでいない現時点においては、何を捨ててよいのかの判断がつかない。ネットなんかで検索しても私のニーズを満たす答えは出てこない。専門家に依頼すりゃ金取られるしなぁ。ということで、結局私にも捨てられない書類がどんどん出てくる。伯父の書類も然り。父の書類に関しても、相続人の第一位である母の存命中は結局捨てきれないだろう。

 

そんなこんなで、私の書斎は仕事場ではなく物置と化している。何しろ母が「とりあえず取っておいた」書類は、時系列も対象人物も全くバラバラな状態で保管されていたのだ。それを封筒やら保存用のケースから引っ張りだして、とりあえず内容が一目でわかるようにファイリングしている最中だ。まだまだ書類の伏魔殿は1/10も開いていない。こういう仕事は私が最も忌み嫌っている会社の仕事内容と大差ない。つまり、ココロが休まらない状態がずっと続いているのだ。しかも、カビなのかホコリなのかよくわからんが、いろんなものが部屋の空気中に放出されて、ここ数週間、ずっと鼻水たらたらの状態だ。

 

こうして心身ともに私をシンドイ状態にしておきながら「私ゃ、お前のことが一番心配だよ」みたいなことを、母はことあるごとに言ってくる。それ故、母と会うとイラつきを押さえることができない。で、ちょっとした言葉のはずみで罵り合いが発生し、「私は早く死にたい」の一言で大抵重苦しい沈黙時間となる。というわけで、疲れ切ったココロが余計にささくれ立って、新たな消耗を生む。

 

そんなこんなで、本は読めないし、二時間近くの映画を観るのもシンドイしでブログのネタが尽きた。そういう時の「お題」頼み。今回はわざわざお題のリストから引っ張り出した。

 

さて、好きなモノを100個ひたすら挙げていくというのが「お題」だが、さすがに一気に100書くのは難しいし、読む人も途中で投げ出してしまうだろう。私が読者でも100ものトピックスを一気に読むのはつらいし、各々の事柄について一言くらいは触れたい。というわけで、10個を目安として何回かに分けて書くことにする。

 

1.ラグビー

高校時代に出会って、大学時代にサークルに属して始めて以来40年近くプレーし続けているスポーツ。今や生活の一部であり、人生の中でも大きなウエイトを占める。観るのも好きだが、私にとっては「やるスポーツ」である。

 

2.執筆活動

最初からこっちの道に進めば、今頃はこんな駄ブログで愚痴ることはなかったかも知れないが、経済的に困窮してどこかでホームレスになっていたかも知れない。どんなモノゴトにもいい面悪い面両方が存在する。

 

3.読書

こいつも生活の一部であるとともに、人生の中でかなりのウエイトを占める。本を読んで新しい世界を疑似体験する。これは大きな喜びだ。読書しないやつの気が知れない。ま、人それぞれだけどね。

 

4.食うこと

もろに生活の一部。生物としてエネルギーを取り込むという本能の一つでありながら、食物を味わうという高度に知的な人間的な営みでもある。なんぞと、偉そうなこと言ってるが、好き嫌いは多いし、微妙な味の違いなんぞよく分からん!!

 

5.歌

カラオケ大好き。第9も歌ったし、オペラにも一度出演した。もう一度『最後の雨』を原キーで歌える高温を取り戻すためにボイストレーニングに通ったりもしたが、いまだ果たせず。楽しみであるとともに、人生上の一つの課題でもある。

 

6.テレビ

ドラマもバラエティーもドキュメントもニュースもすべて好き。今の言葉で言えば我々の世代は「TVネイティブ」。今までの半生を振り返ってみてもTVの影響というのは大きい。最近の情報環境はネットに大きく傾いているようだが、まだまだTVの影響力は強い。

 

7.ビートたけし

現時点での40~60歳台の人間に最も影響を与えた人物の一人。私の「笑い」の原点はこの方の「毒ガス」。

 

8.ワープロ

大学時代にバイトで金貯めて買ったのが富士通OASYS。この機器に精通したことで、私の会社生活はかなり変わったし、その後のデジタルライフにおいては常に一歩先を歩むことができた。今はその貯金をすっかり使い果たして遅れをとっている状態だが(苦笑)

 

9.大瀧詠一

俗に「20歳くらいまでに聴いていた音楽が一生聴く音楽になる」などと言われるが、私の場合の当該アーティストは大瀧師匠だ。師匠の音楽から派生していろんな音楽を聴くようになったと言ってもよい。

 

10.最高権力者様

なんだかんだ言っても、彼女の存在は大きい。いやいやながらも会社生活を続けているのは、彼女を食わすため。その分日常生活ではお世話になりっぱなしだ。彼女抜きの生活は考えられない。

 

一旦ここで今回は終わり。あと90個は折を見て書いていきます。

支離鬱々日記Vol.173(休職日記10『うつ病になってマンガが描けなくなりました』読後感)

 

 

 

早いもので、昨年末から休職に入って半年経ってしまった。会社の制度上、休職に入って6ヶ月を過ぎると、「正式」な休職となるらしく、続けて7年休職したままだとクビになってしまうらしい。後9年経てば定年退職だから、もう、このまま「休職消化」で逃げ切っちゃおうか、などという、会社の経営者が聞いたら「わりゃ、確信犯的に病気装っとんのとちゃうんか?舐めとったら向精神薬大量に飲ませた上で、ビニール袋顔に被すぞゴラァ」と脅されてしまいそうな考えも頭に浮かばないではないが、一応復帰するつもりではいる。まあ、復帰したところで私に取っての明るい未来は会社にはないのだが。

 

文筆活動の方に軸足を移し、そっちの方向で食っていくことに努力する毎日ではあるが、文筆活動に専念するにしても、一般の社会人として生きていくのに必要なレベルまで気持ちを復活させなければならない。その一つのバロメーターはやはり、「普通のリーマン」として会社に通って仕事がこなせる状態に戻ることだろう。というわけで、今、会社で非常に忙しい思いをしている皆さんからすれば、サボっているようにしか見えないだろうが、ちゃんと私の中ではいろんなことと戦っているのだ!!と強弁しておく。会社の仕事から逃げたい、という気持ちに負けているのは事実だが、戦闘を放棄しているわけではないのだ。

 

さて、標題のコミックは、我々世代が大学生の頃に『コージ苑』、『勝手にシロクマ』などのギャグ漫画で一世を風靡した相原コージ氏の闘病記だ。ギャグ漫画家として、精力的に活動してきた相原氏は、50代後半に差し掛かった頃から、アイデア出しに非常に手間取るようになる。以前に読んだ↓によれば、

 

 

芸人というのは惨めな最期になることが運命付けられているという。加齢とともにカラダを張った笑いは取れなくなるし、その場その場で笑いを取るだけの「瞬発力」も衰えるし、しまいにゃセリフの滑舌までが悪くなって、笑われるよりは憐れまれるようになってしまう。

 

ギャグ漫画家も芸人に似た最期をたどるような気がする。加齢とともに体力が低下するから、新しいモノのインプットの量が減っていく。仮にインプットしたとしてもそれを消化するセンス、時宜に合わせて笑いに変えるセンスは年々鈍っていく。悲しいことだが、相原氏もそういう年齢に差し掛かってしまったようだ。とはいえ、近年の作品は決してつまらないとは思わなかったので、ギャグ漫画家としてのセンスが鈍っていたわけではなさそうだ。ただ、同じアウトプットによりエネルギーを必要とするようになってしまったらしい。

 

最初は漫画のネタ切れで済んでいた。これはこれでギャグ漫画家としては致命的なダメージではあるのだが、それでもまだ人間として生きていくことは十分可能だ。しかし、相原氏は思考力が極端に低下し、精神的にも身体的にもどんどん痩せ衰えていくのだ。そしてついに自殺を決意して、さまざまな方法を実施してみたそうだ。どの方法も死の前に襲ってくるフィジカルな苦しみに耐えきれず失敗に終わったようだが。

 

そして、いよいよこれは重症だということで、シャバと完全に隔離された精神病棟に入院することになる。上記の2冊は発病から入院、そして入院中の生活の一部を紹介している。たまにくすぐりは入るが、基本的には相原氏ご自身によるドキュメンタリー作品だ。

 

私の状態は相原氏に比べれば数段マシだし、普段よりも食欲はむしろ増しているような状態で過食による健康障害を注意しなければならないほどではあるが、それでも、自分自身の気持ちが自分にはどうすることもできない状態にあるというシンドさについては十分に理解できる。実際に自殺を考えたことだってないわけではない。今は会社の仕事に関しては全くやる気が起きないし、自分がやりたいことだと思い定めている文筆活動だって、何にも手につかない日がある。それこそ、身動き一つするのが苦痛でずっと寝床でゴロゴロしている日だってある。苦痛のもとである会社の仕事から離れて6ヶ月経ってもまだこの体たらくなのである。会社に復帰する日などというものは想像すらし得ない。

 

同病相憐むというか、相原氏の重篤さに比べればまだ自分はマシだと思えたことは一つ有意義なことではあった。このシリーズはまだまだ続くようなので、自分の病状と重ね合わせる意味も兼ねて追いかけていこうと思う。

 

3年半ぶりのお楽しみは原点回帰 『カンコンキンシアター34 クドい! ~飯尾和樹スターに成りました~』鑑賞記

kankonkin.com

 

オフィシャルサイトをリンクしたら、いきなり公演場所が東京グローブ座になってたけど、前回(2019年夏)からは銀座の博品館劇場になったじゃねーかよ。情報アップデートしとけよな、とか書くと演者の皆さんのSNSで毒を吐かれそうなので、紹介するのみにとどめておく。ただし、大きく羽根を広げたハシビロコウの威嚇ポーズだけは残しておくとしよう。

 

というわけで、もはや観劇から1ヶ月も経ってしまったが、以前は必ず鑑賞記を書いていたよなぁ、と突如思いついたのとちょうどブログネタが切れたところだったので、鑑賞記を書いておく事にする。

 

博品館劇場の写真を2枚ほど。

 

 

私が友人と共に鑑賞したのは4/24(月)の回。千秋楽は関根座長をはじめ団員の方々が大暴れすることが多く、それゆえ競争率が高い。また以前の公演で初日を鑑賞したことがあったが、初日の公演はまだチームとしてこなれておらず、緊張感が目についたこともあったので、演者の肩の力が抜け、かつ比較的競争率が低いこの日の公演のチケットをゲット。

 

当日の物販コーナーでは初期カンコンキンの人気者山中伊知郎氏が自著の手売りに余念がなかった。

 

まあ、何しろ3年半ぶりだ。座長がその分歳食ってキレがなかったらどうしよう?とか心配しながら鑑賞開始。オープニング後の小休止コーナーで「森です」が復活したのは嬉しかった。

 

今回はタイトルにした、最近いろんな番組に引っ張りだこの飯尾和樹氏を最大限に活かすのかと思ったら、以前のカンコンキンよりも出番が減ったような気がする。稽古の時間が取れないんだろうな、と少々残念。天野ひろゆき氏が無理矢理モノボケを振る名物コーナーはそれなりの尺を取っていたが、それ以外に目立った場面はなし。

 

この日の舞台に限っては相方のやす氏の方が目立っていた。天野ひろゆき井川修司両氏が徹底的にツッコミまくる記者会見ネタはここ数年の定番だが、このある種のいじめに近いようなツッコミコントは往年のコント55号を彷彿とさせる。浅井企画の伝統芸と言って良いだろう。

 

訓示を垂れようとした校長先生がいきなり倒れて、介抱にきたウド先生が、倒れた校長先生の体をいじくり回し倒すネタ、前回までは作家の有川氏が校長先生役だったが、今回からは岩井ジョニ男氏に代わっていた。このネタはくすぐりに弱い有川氏が堪え切れずに変な反応をしてしまうところが面白かったのだが、岩井氏はしっかり耐え切ってしまっていた。岩井氏ならではのリアクションが欲しかった。

 

ここ数年の公演で定番化した「井川修司の闇」、今回も毒舌満開で面白かった。彼が歯切れのいい司会を務める、公演終わりの大喜利も楽しみだったのだが、最近は時間の制約でそれも無くなって少々寂しい。

 

さて、肝心の座長は、いつもの評論家ネタで下ネタ満載。このネタは相手役の女子アナがコメントを言った後にいきなり変な動作をして「お前があんまり生意気だったからKGBの自白強要のポーズで脅してやったんだ」とかいう訳のわからないフレーズで締めるところが面白いのだが、今回はこの例えネタは1回だけ。もっと見たかった。

 

これもお約束のモノマネネタは藤岡弘、氏をフィーチャー。モノマネネタもその人物をかなり大胆にデフォルメするところが面白いのだが、そもそも藤岡弘、という人物自体、今が旬という人物ではなかったので、少々いつもに比べれば産んだ笑いは少なかったように思う。続々とタレントデビューしているご子息ご令嬢を登場させたところに、それなりに新味を加えていることは感じ取れたのだが。もうちょいマニアックな人選でマニアックなデフォルメが見たかったというのが正直なところ。まあ、これは個人的な好みの問題かもしれない。

 

終演時間は、博品館劇場とのせめぎ合い。前回はアンコールに応えることなく、観客は早々に退場だったが、今回は一応座長が3回登場してご挨拶してくれた。そこで「馬場コール」でも起こせばジャイアント馬場のモノマネの一つもやってくれたかもしれないが、今回は「大人の客」ばかりだったので、そういう動きもなし。

 

帰途についた時、全身に疲れを感じた。疲れを感じるくらい笑ったのは事実だったようだ。

 

阿刀田先生の真骨頂 『コーヒー党奇談』読後感

 

実に久々に読んだ、阿刀田高氏の短編集。

 

落語で言うところの人情噺的な作品であったり、東西の古典に関しての解説本であったり、エッセイ集であったりと、さまざまな作品集を上梓している阿刀田氏ではあるが、私の認識では短編、それも「奇妙な味」のする短編の名手だ。デビュー作でもあり、直木賞を受賞した『ナポレオン狂』を読んで、氏の魅力に取り憑かれた私は、大学時代から出ると買いしてしばらく積ん読しておいて、実際に読んで、またしばらく積ん読というパターンを繰り返してきていたのだが、ここ十数年はちょいと長くご無沙汰していた。

 

文章のそこかしこに伏線が張られているので、あらすじは紹介しにくいし、秀逸なオチに関しての感想など述べようものなら、一気にこれから読もうとする読者の興を削ぐ事になるので、普通の小説の読後感を書くよりもかなり気を使わなければいけない。

 

読めば楽しめることはわかっているのだが、読んだ後に感想を書かなければ読了したことにしないという自分で定めたルールゆえに、ついつい本棚から手に取るのをためらっていたのだ。

 

そんなためらいを、一時的に押し流したのが、実家の整理。本棚をひっくり返したら、大学時代の傾倒ぶりを示すように、まあ、とにかくたくさんの阿刀田氏の著作が出てきた。そうした本たちは売ったりせずに、現住所の書斎の本棚、または納戸に仕舞い込んだのだが、書斎の本棚を整理していて目についたのが標題の書。

 

手にとって一気読みした。

 

12編の短編が収められたこの一冊は阿刀田氏にとっての原点回帰とでもいうべき、奇妙な作品を集めたものだった。現実と、非現実の間で起こる不可思議な出来事と、それに振り回される人間たち。題名にもした通り、これぞ阿刀田ワールド、という作品がずらりと並べられていた。

 

内容もあらすじも紹介できるものはない。一文一文に伏線が張り巡らされているからだ。読み手としてはスラスラ読めてしまうが後からじわじわと恐怖なり、不思議さなりが湧き上がってくる、阿刀田氏ならではの味わい深い短編たち。解説で新津きよみ氏も述べているが、スラスラ読めてしまうからといって、作家はスラスラ書いたわけではない、ということがよくわかる。ストーリーをしっかり作り込んだ上で、最後の最後まで本当の味わいをわからなくするという技巧は阿刀田氏ならではのもの。一品一品に非常に手間がかかっていてそれぞれの料理も素晴らしいが、全品を味わった後にはより一層の満足感が得られる、一流のシェフの料理を味わった時のような感動を覚えること間違いなしだ。

 

阿刀田ファンのみならず、阿刀田作品を読んだことのない方にこそぜひ読んでいただきたい。

 

 

結末の苦さは「程よかった」ものの… 『地獄の7人』鑑賞

 

USB-HDD録り溜め腐りかけ映画鑑賞シリーズその6は、戦争を題材にした作品の中では名作の誉高い標題の作。正確にはベトナム戦争を描いた戦争映画ではなく、ベトナム戦争後、ベトナム軍の捕虜になっていた米兵を救出する作戦を描いたものだ。

 

ジーン・ハックマンが息子のフランクを救おうと奮戦する陸軍大佐ローズを演じる。

 

捕虜たちがラオスに送られて、重労働に従事させられているという情報を掴んだローズ大佐は、かつてベトナム戦争に参加していたことのある5人の仲間と、現役の軍人ながらまだ実戦を経験したことのないスコットを加え7人でラオスまで乗り込むのだ。なお、スコットの父もやはりベトナムでの戦闘中に行方不明になっており、スコットは父救出の一縷の望みを託してこの作戦に参加したこととなっている。

 

作戦を遂行するための訓練を積む過程で、叩き上げの軍人5人と、エリート然としたスコットは対立するが、スコットの父が囚われているかもしれないことを知った軍人5人はスコットを仲間の一員として「正式」に認める。この過程が最初の試練。

 

終盤、越えることが極めて困難な試練は、当然捕虜救出作戦。手練れが揃っているとはいえ、たった7人で、敵が何人いるかもわからない捕虜の収容所に乗り込むなんざ、無謀もいいところだが、まあ、映画ゆえにその辺はうまく取り繕われてはいる。

 

激戦の中、ブラスター、セイラーの二名が死亡。ローズ大佐たちは二人の死を乗り越えて、収容所にいる捕虜たちを救出するのだが…、結末の前には実に苦い事実が待っている。ほぼほぼネタバレになってしまっているが、これは実際に作品をご覧くださいとしかいえない。完全な予定調和でなかったことで、アメリカ人のヒーローは全ての難事を解決して、憎々しいベトコンどもを思うさま成敗しちゃうんだもんねー、軍全体としては負けたけど、個別の戦いなら負けないやつはたくさんいたんだよーだというアメリカ讃歌、戦争讃美になってはいなかったことだけが救い。

 

そもそもの問題として、こういう救出劇というのは、思いっきり無理がある。果たして、捕虜の救出というアクションは「正しい」ものなのか?結局は自分の息子を救いたいという父親のエゴじゃねーかよ。趣旨に賛同して参加してくれた仲間たちや現地のアメリカシンパの命を危険に晒すことになる。何より襲いかかってきた敵は、正当防衛の名の下に全て殺しても良いというお墨付きを最初から与えてしまっている。アメリカ人一人の命は、ベトナム人数千人よりも重いという思想がもろに見えてしまう。

 

そうした無理やりさと、救出された捕虜の家族が涙を流して再会を喜ぶ姿を見せて、戦争というものの痛ましさ、愚かさを描いているのだという穿った見方もできなくはないが、アメリカの敵は徹底的に叩いて良いという根本思想の方が色濃く出ていると思う。