脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.225(休職日記62 お題と徒然)

今週のお題「思い出のゲーム」

 

まずはお題から。少し前までかなりハマり込んで、今でもその残り火に悩まされているのが「CivilizationⅥ」。最新版より一つ前のバージョンだ。世界各国の文明の指導者から1名を選び、科学、文化、制覇、宗教のいずれかのジャンルで世界を席捲すれば勝ちというシミュレーションゲームだ。以前のバージョンにも何度かハマった記憶はあるが、今回が一番重症だ。

 

何しろ一度机の前に座ってゲームを立ち上げたが最後、他のことに何も手がつかずにただただこのゲームをやるということしか頭の中になくなってしまうのだ。なんとか、連載記事とか、ラグビーの記事だけは書き続けられたが、ブログやnoteには手がつけられないという日々がずいぶん長く続いてしまった。文章を書くという行為に費やすエネルギーも吸い取られてしまったが、それ以上にブログやもnoteを書くにのに必要なネタとなる行動、すなわち読書するとか、映画見るとかラグビーの試合見るとか、そっち方面に全然食指が動かなかったのだ。

 

病んだ場所がココロであるゆえ、多少の現実逃避は仕方ないとは思ったが、それにしても時間を空費しすぎた。最近ようやく飽きが来て、読書や映画鑑賞、ラグビー観戦の方に気持ちが向かい始め、それに伴って文章を書く量も復活しつつはあるが、いまだにちょっと手持ち無沙汰だと、ゲームを立ち上げてしまう。実に由々しき傾向だと自分自身を責めながらも一度始めてしまうとなかなかやめることができない。依存症ってのはこういう状態なんだろう。

 

先日、ちょっとした「やらかし」をしてしまった。今年は地区の班長ってやつを任され、色々と「お仕事」をしなきゃいかんのだが、その一つに古紙の収集がある。業者に売って区費の足しにして様々な活動に使うためだ。先週の日曜がその当番に当たっていたのだが、完全に失念していて、すっぽかしてしまったのだ。この「お仕事」は2人一組で行うのだが、前回の当番の際は、私の相方となるべき人物がすっぽかしてくれたため、1人で仕訳やら、倉庫への収納なんかの肉体労働をみっちりやった。だからというわけではないが、今回は相方さんに任せ切ってもさほどの罰は当たらないだろうと思ってはいる。しかし住民の皆さんからの信用度の低下は免れない。私の相方氏は名ばかり班長というか、最低限のことはやるが、誰がやるのかが曖昧な業務にはまず出てこない方なので、誰もいかなかったのではないかという恐れもある。まあ過ぎてしまった日のことなので今更悔いても仕方ないのだが…。

 

数ヶ月前から、新しいサイトでラグビー記事を書いているが、先日、編集長氏から「記事の内容はいいのにタイトルが弱過ぎてかなり損している」という指摘をいただいた。ネット記事は見出しとなるタイトルが全てだと言っても過言ではないそうで、私のタイトルはいつもインパクトに欠けているのだそうだ。

 

私は、他者との会話の中でパッと面白いことを言うことを常日頃から心がけており、短いセンテンスで的確に笑いをとることが「得意」だと思っていた。それゆえ、コピーライターを志望してみたりもしたのだが、どうやら少なくとも文字を書く場合は、少ない言葉で心に刺さるフレーズを書くのは得意ではなかったらしい。コピーライターの教室でも褒められたことがあるのは比較的長めなボディーコピーで、一言でズバリと言い切るキャッチコピーはいい評価をもらえなかった。つまり、一言で言い切るよりも、いろんな言葉を連ねていく中で「最適解」を導き出し、内容の全てで勝負するというスタイルが向いているらしい。

 

作家の阿刀田高氏は「文章を書く力を5であるとするとそのうちの2くらいはタイトルを決めるのに使う」と言う趣旨のエッセイを書いていたと記憶する。文章の内容全体で勝負するという「基本線」は曲げないにせよ、もう少しタイトルに気合を入れるべきなのだ、と言うことを実体験として学ばせてもらった。

 

 

大なり小なり他の政党でも同じような事件はあるんじゃないのかなぁ… 『日本共産党 悪魔の事件簿』読後感

 

 

最初にお断りしておくが、私は日本共産党の支持者でもないしシンパでもない。

 

ただし、日本共産党という存在は存続すべきであると考える。理由は一つ、この政党は何でもかんでも反対に回るからだ(笑)。議員諸氏の「学歴」の比較でも、自民党に次ぐ高さを誇っていたのが共産党だった時代があった。世の中の大多数が向かおうとする方向に微力ながらもブレーキをかける「知力」を持っている存在であるというのが私の共産党に関する認識。主張や政策には賛同できないが、自民党が数の論理で押し通そうとする政策に、常に大所高所から理想論をぶつけて、ささやかながらも「待った」をかける存在でいて欲しい、というのが私の希望だ。

 

標題の書は、元共産党員として板橋区議などを務めた経験のある松崎いたる氏による、共産党の闇の部分を暴いた内部告発だ。

 

とはいえ、少々こじつけが過ぎるんじゃね?と思った部分も少なからずあった。たとえば、世間を騒がせた「札幌ススキノ頭部切断殺人」事件の犯人の親が共産党系の病院に勤める医師であったというお話。確かに犯人の生い立ちに強く影響したのは親であろうし、その親が共産思想に染まっていたというのは事実なのだろうが、この猟奇犯罪の原因の一つとして共産党との関わりを持ってくるのには少々無理があるような気がする。そんなことを言い始めたら、世の中の多数派を占めているはずの自民党支持者の犯罪の原因も親の自民党支持にまで遡らなければならなくなる。「諸悪の根源は自民党だ」という乱暴な論理が成り立ってしまう。まあ、完全には否定し得ないが(笑)。

 

その他、政務活動費の中から政策を訴えるパンフレットの作成費を捻出しているが、印刷を依頼している企業とズブズブの関係で、その関係を利用して脱税スレスレの方法で資金を調達しているとか、共産党員がやらかした性犯罪の事例などが挙げられているのだが、前者は大なり小なりどこの政党もやっているであろうことだし、性犯罪は別に所属団体に原因があるわけではないと思う。事実の隠蔽なんて、某政権政党が一番得意としてそうだしね。

 

まあ、とにかく共産党が、党としてアピールしている「高潔さ」とはかけ離れた存在であることは理解できた。共産党は、本年2月に行われた衆院選で、議席を8から4に激減させ、今や文字通り政党としての命は風前の灯だ。こんな状況を反映して、かつてのような「孤高の存在」であり続けることを諦め、保守系の野党とも共闘を模索しているようだが、余計に中途半端感が高まって支持が減ってしまった。しんぶんあかはたの読者も減少の一途を辿っているようだし、政党としての体をなさず、単なる政治団体になってしまう可能性も現実味を帯びてきた。こういう内部告発の書が出版されるのも末期的症状の一つだろう。世の中の大きな流れに逆らう杭として存在していて欲しくはあるのだが、杭の土台はもはやグラグラのようだ。

 

 

 

 

ど真ん中のイヤミス作品 『聖女か悪女』読後感

 

 

県立図書館の著者名別陳列「ま」の欄に並んでいたのが標題の書。おいおい、このドロドログチャグチャの作風を誇る作家の本なんか、品行方正な図書館に置いといていいのか?という疑問が湧いてきたが、この本の他にも真梨氏の作品は数冊ラインアップされていたので、現代の日本文学の一派として存在が認められたのだろう。

 

さて、物語は、とあるタワマンの一室で8人もの変死体が発見されたことから始まる。お互いに全く関係ない8人が、なぜ変死体としてタワマンの一室に集められたのか?捜査陣の目はこの事件の鍵を握ると思われたマンションコンシェルジュの男に向かうが、その男は事件発覚後すぐに飛び降り自殺を図ってしまっていた。

 

当然、世間は騒然となり、事件の解明が声高に叫ばれるのだが、なぜか進展していかない。警察にも「上からの圧力」がかかってくるし、事件を追おうとするマスコミ内においては、記者やディレクターがいきなり左遷人事を受ける。どうやら国家権力にもマスコミにも影響力を持つ、「影の組織」があるらしいのだが…。

 

そんな困難な状況下でも、好奇心を働かせるのが人間の性。仮に真相を究明できたところで、発表できる可能性は極めて低いにも関わらず、ネタを追いかけるテレビ局のディレクターが狂言回しとなってストーリーは進んでいく。そしてこの事件より10数年前に起きた女子小学生集団誘拐事件「モン・キャット事件」との関わりが深いことが明らかになり、その事件の背後にはとある教団の存在があり、その教団に関わっているのは…、と次々と謎が明らかになっていく。焦らしやもどかしさ、のちの謎解きに繋がる伏線をたっぷりと仕込んである文体、是非とも本文に直接当たって味わっていただきたい。真梨氏独特の「後味の悪さ」を引きずりながらも、真相に迫っていく快感が味わえる。

 

ストーリーについてはこれ以上言及してしまうと、ネタバレになってしまうので強制終了させていただく。犯罪の影に、政府すら動かすことのできる巨大な存在が潜んでいる、ってのは刑事ドラマやらサスペンスドラマの定番だが、今回の「影の組織」は一体どんな存在なのか。真梨氏の異名「イヤミスの女王」にふさわしい、実におどろおどろしい味付けがなされた組織であるとだけ記しておこう。

 

『殺人鬼フジコの衝動』を読んで以来、真梨氏の描き出す世界観には魅せられていたのだが、ここのところ「字の多い」本を読むという習慣から遠ざかっていたので、久しぶりにその世界観を味わった。県立図書館の棚にもまだ読んでいない本が数冊あったし、積ん読本、溜め読本はその数倍ある。ちょっと集中して読んでみようかな。

 

 

 

 

高橋氏もOASYS使いだったとは知らなかった 『還暦からの電脳事始』読後感

 

 

 

 

Kindle Unlimitedにラインアップされていたのを衝動DL。著者高橋源一郎氏は「出ると買い」作家の一人であるということもあった。

 

内容としては題名通り、還暦を超えた高橋氏が文筆活動をいかにデジタル化して行ったかについてのエッセイ集だ。とはいえ、書かれたのが2012年から2013年くらいのお話なので、外出先でいかにiPadを使うかという、こうしたモノを使い慣れた方には「フンっ」と鼻先で笑われてしまうような内容ではある。高橋氏の文章は軽妙洒脱で実に面白いし、物書きを目指す身としては是非とも見習いたくはあるのだが、「活用法」に関しては得るものはあまりなかった。高橋氏もせいぜいが海外を含めた出先で、原稿を書くくらいのことしかしていなかったからだ。流石に私にもそのくらいの知識はある。まあ、小難しい「活用法」の追求は一旦脇において、iPadや、いわゆるデジタル化の波に翻弄される高橋氏の愚痴やらぼやきやらを楽しむ一冊だ。ちなみにこの文章は、出先でiPadを使って書いた。

 

活用などとは到底言い難い状況にとどまってしまっているのは、私の「就業状況」からすれば、出先で文章を打つ、あるいは検索エンジンで何か調べ物をするくらいしか用途がないということでもある。iPadを最大活用している方からすれば「宝の持ち腐れ」としか形容のしようがない使い方だろうが、これで事足りてしまっているというのが事実でもある。私の現況では十分に使いこなしていると言えるのだ。

 

もっと何か画期的な使い方はないかと、『iPad活用法』などとタイトルのついた本も何冊か齧ってはみたが、結局は「この仕事にはこのアプリがいい」という解説で、今の使用法で事足りてしまっている私にとっては無用なものばかり。それこそチャッピーに「いい作家になるためにはどんなアプリ使えばいいの?」とでも質問してみて出てきた答えの通りにアプリインストールしてみるか(笑)。んなアプリねーよな。

 

本筋とは別に、高橋氏の電脳事始はOASYSからだったという事実に親しみを覚えた。私の事始もOASYSだったからだ。字が汚いことがコンプレックスで、なるべく自分の手で字を書かなくて済むようにワープロを導入した、という理由までもが私とまるっきり一緒だった。しかも親指キーでのタイピングを習得しようとして苦戦したことまで一致していた。結局私はJISキーローマ字式入力に宗旨替えしてしまい、ブラインドタッチにかなり近い速度で打てるまでに慣れてしまったが。

いっぱいレポート書いたなぁ…

大学入学後程なくしてOASYS LiteKという当時としては最先端ではあるものの、ディスプレイが2行しかないという電卓に毛が生えたような機器を導入して、レポート作成にフル活用した。ただし、当時は手書きじゃなきゃダメ、という教員もいて一度ワープロで作成した文章を手書きし直すなどという馬鹿馬鹿しい作業を強制された記憶もある。その後バイトして金貯めて型番は忘れたけどディスプレイが30行くらいあった上級機種を買ってレポートだけじゃなく、日記書いたり、創作の真似事したりしたなぁ。でも結局一番活用したのはビデオテープのレーベル作りとカセットテープのインデックス作りだったけど。現在も籍だけは置いている会社が使っていたワープロがOASYSだったんで、得意先に持ってく資料作ってたら先輩の女子社員から「なんでアンタそんな機械使えるの?」って真顔で質問されたこともあったっけ。当時はその程度で「OAに強い」って見なされて、次の異動先はコンピューターを多く使わざるをえない部署になったんだよなぁ。途中から本の内容よりも、バブル真っ盛りだった大学時代〜就職初期の思い出ばかりになってしまった。「実用的」な価値はあまりなかったが、頭の片隅にあった思い出を鮮明に思い出させてくれたことに、この本の価値はあったと思う。

 

 

「顧客のニーズ」に応える、という基本はどの職業でも一緒 『殺し屋の営業術』読後感

 

 

権威ってやつには滅法弱い私が、「江戸川乱歩賞受賞」って肩書きと、ネット等々での高評価に釣られて衝動DLしずっと溜め読していたのが標題の書。

 

この本、タイトルからして人を食っている。殺し屋と言うのは非合法かつ人倫に反する生業の最たるもの。その存在が目立つことを最も忌避するはずの存在だ。口コミで「評判」が広がることはあっても、自分から売り込むなどということはまず考えられない。対して営業という職は目立ってナンボ、売り込んでナンボの勝負。とにかくまずは自分を売り込んで、そこでできた人間関係を元に自社の製品なりサービスなりを売り込んでいく存在だ。このあい入れないはずの両者がどう結びつくのか?

 

答えは是非とも本文を読んでいただきたい、といつもの逃げ口上で終えてしまっては、流石にブログにした価値がないので、ほんのとばっ口だけ紹介しておく。主人公鳥井一樹は敏腕営業マン。高校卒業後から完全歩合制の会社を渡り歩き、女性相手の化粧品だろうが、高齢者相手の防犯カメラだろうが、どの分野においても必ずトップセールスに輝いてきたという経歴を持つ。あまりに業績を上げてしまうので同僚たちからやっかまれて、会社に居づらくなってしまうというのが転職の理由。セールストークの内容を練り上げることはもちろん、身だしなみから表情の作り方まで「モノ売り」のプロフェッショナルとしての自分を完璧に作り上げているという設定だ。ただし、鳥井自身は決して営業という仕事が好きなわけではなく、楽しいと感じているわけでもない。私生活を充実させることに全く興味がないために「相対的」に仕事への興味が高いというだけで、仕事に打ち込みたくて打ち込んでいるわけではないという設定も付与されている。

 

私も今の会社で10年ほど営業をやったが、プロとしては鳥井の足下にも及ばない。相手のメリットもへったくれもなく、ただ得意先に通って、か細い人間関係だけに頼ってお願い営業を続けていただけだ。同じように仕事が嫌いでありながら、この差はなんだろう?と本筋に関係ないところで結構深く考えさせられてしまった。そんな効果何にも期待してなかったのに(笑)。

 

そんな鳥井は、ひょんなことから殺人現場を目撃してしまい、その殺人に関わっていた殺し屋隊に拉致され、人里離れた場所で拳銃を突きつけられるという、文字通りの絶体絶命の危機に追い込まれる。ここでズドンと一発撃たれて絶命したのではストーリーが成立しない。殺し屋一味のホンのちょっとした会話から、この一味が窮地に陥っていることをつかみ、鳥井の営業力を駆使すればその窮地を脱する可能性があることを必死に説くのだ。これはこの物語の主人公が直面する最初にして最大の危機なので、是非本文を読んで、絶望的な状況とそこからの大逆転を味わっていただきたい。

 

そして、かろうじて命脈をつなぐことに成功した鳥井は一味の「資産」と「業務内容」を細かく分析し、どのような相手先に「営業」をかけて目標通りの「売上」を上げるかを考え、対策を実施していくのだ。ここから先は流石に何をどう紹介してもネタバレになってしまうので是非本文を読んでストーリーを味わってくださいとしか言いようがない。仕事を進めていく上で最強かつ最凶の敵と対峙せざるを得なくなるが、その窮地をどのように鳥井が乗り越えていくのか?読み応え十分だ。

 

細かな営業のテクニックはともかく、企業の製品なりサービスなりは顧客のニーズに応えるということが基本であり、殺し屋という業務においてもそれは変わらないということに意外さを感じたが、邪魔な人物を殺し、後腐れや警察からの追及をいかにかわすかまで「殺し屋」業に求められる思い至って、実は究極のサービス業なんじゃないか、などと思わされてしまった。意外な気づきとミステリーとしての魅力を存分に味わわせてくれた一冊だったと思う。

 

 

 

もし今の日本に「江戸」があったら? 『金春屋ゴメス』読後感

 

 

近所の大学の図書館の書棚で見かけ、「タイトル借り」した一冊。この図書館は、蔵書数は少ないが、たまにぶっ飛んだコレクションを並べているので油断できない。

 

タイトルに引っ張られ、先入観も予備知識も全くないままに表紙をめくると、そこには発売時に掛かっていたであろう腰巻きが貼り付けてあった。曰く「日本ファンタジーノベル大賞受賞作」。権威に弱い私はさぞかし面白いんだろうという先入観を思いっきり持ってしまった。

 

で、実際に細かいところまで設定が行き届いた、肩の凝らない実に面白い作品だった。

 

舞台となるのは江戸。ただし「江戸時代」の江戸ではない。現代の日本の北関東あたりにあると設定された小国家だ。ここを独立国と認めているのは日本だけで、本家の江戸さながらに鎖国政策を採っており、国交があるのも日本だけ。現代科学の産物を持ち込むことは厳しく制限されており、合板でできたマスコットですら持ち込み禁止。江戸国民は一度日本に出国したら戻ることはできないし、日本から江戸に入ることも厳しく制限されていて、なんと300倍もの倍率の抽選を潜り抜けないと入国許可が出ない。しかも日本から江戸に入国する際は衣服すらも和服に改めないと即刻国外退去となるという徹底ぶり。

 

江戸では700万人が電気も水道もない生活を送っている。夜はか細い灯火の光のみ、風呂は薪を使って沸かす。交通手段は徒歩か、せいぜい馬程度。現代人がこんな環境に放り込まれたら、ものの三日も経たないうちに逃げ帰ってしまうだろう。しかし、大多数が農業に従事しているため、海外からの輸入に頼らなくても食糧は全て自給できており、それゆえ事実上の鎖国状態でも国として成り立っているという設定にもなっている。この辺は現代文明と、いざ食糧調達の道を断たれたらたちまち日干しになってしまう日本の現状をチクリと皮肉っているようだ。

 

さて、主人公は辰次郎。大学生で両親は江戸出身。自身も5歳の頃まで江戸で過ごしていたが、ある事情で江戸を離れ、日本で暮らしている。先にも述べた通り、一度江戸から出て日本人になった者は江戸に再入国できない決まりとなっているのだが、特例として再入国が認められた。その特例を認めた人物こそがタイトルの人物「金春屋ゴメス」なのだ。

 

ゴメスはとてつもない女傑、というよりは一種の怪物として描かれている。江戸に二人いる長崎奉行の一人で、出入国の管理に目を光らせる他、江戸の治安維持にも一役買っている。辰次郎はこのゴメスの下で、自身が江戸を出国しなければいけなかった謎の解明に走り回る、というのが粗々のストーリー紹介。これ以上の紹介は即ネタバレに繋がってしまうので控えざるを得ない。是非とも本文をお読みいただき、辰次郎の謎と現代人が江戸時代に放り込まれたと仮定した際の混乱ぶりを味わっていただきたい。

 

ストーリーとは別に、江戸時代の江戸というものについては、是非とも一度触れてみたい気がした。中高と剣道部だった私としては、一度「本物」の武士たちと手合わせしてもみたいし、本当の「晴耕雨読」生活も送ってみたい。一日いただけでねを上げる可能性大ではあるが(笑)。

 

 

 

実は「本筋」よりも「こぼれ話」の方が面白い 『戦国武将伝 西日本編』読後感

 

大学生時代に、司馬遼太郎氏の作品を読んで歴史小説の面白さを知り、、社会人になってから井沢元彦氏の『逆説の日本史』を読んで「歴史読み物」に興味が広がった。一時期は歴史小説、時代小説を読み漁ったりもしたのだが、ここのところはとんとご無沙汰だった。

 

そんな中、定期的に訪問している県立図書館で見かけて「衝動借り」したのが標題の書。今村翔吾氏については、名前は何度か見かけていたものの、まともに作品を読んだことがなかった、というのも衝動を後押しした。

 

題名通り、この短編集には西日本出身だったり、領地を得ていた武将たちのちょっとしたエピソードが収められている。毛利元就や加藤清正といった超ビッグネームから、この本を読んで初めて知った琉球の武将謝名利山という超マイナー(失礼。歴史小説を読み慣れた人にはお馴染みの武将かもしれないが)な人物に関してのお話が24篇。各篇の最後には、作品の「根拠」となった文献の一部までが示されているという歴史ファンにとってはなかなかにありがたい一冊でもある。

 

私はまず、幕開けの毛利元就のエピソードに惹かれた。毛利元就といえば「毛利三本の矢」の逸話があまりにも有名だが、実は「三本の矢」は「十五本の矢」だったという内容。武将としてはイマイチだが人心掌握に長けた長男隆元、武勇の誉高い次男吉川元春、知謀で知られた三男小早川隆景。この3人が争わずに協調するためには三本どころか十五本の矢が必要で、それを入れ知恵したのは、元就のお転婆娘だったという筋立て。あらすじだけでは味も素っ気もないが、今村氏は実に味わい深い一品に仕立てているので是非とも本文を鑑賞いただきたい。

 

主人公を「尼子経久」と謳っておきながら、その敵三沢家の武将梅津主殿助の視点で描かれた『聖謀の贄』もアイロニカルな結末に唸らされる一作。私は浅学にしてこの梅津某なる人物、知らなかった。全能感に満ち満ちた梅津が「上には上がいる」と気付いたのはもはや逆転不可能な事態に追い込まれた時。これも是非本文を味わっていただきたい。

 

この作品以外の22篇もそれぞれに味わい深い。ゆったりと読書を楽しみたい時に最適な一冊だったと思う。今村氏の他の作品も読みたくなってしまったので、早速何冊か電子で買い求めてしまった。