脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記113(連休三日目の徒然)

なんの安全性の担保もないまま、感染者が増大しているのを尻目に、ついに東京五輪が開幕してしまった。世界的なイベントに乗っかって、世界から多数の人々を呼び込み、たっぷりとお金を落としていってもらうという、実利的な側面からだけ言えば、すでに現状での開催は失敗に終わっていると言えるのだが、組織委員会、国、都は強行開催することで、なんとかして「五輪は成功」という名ばかりの既成事実を作り上げようとしている。開催して、乗り切ってしまえば、あとはなんとでも取り繕える、という姿勢がミエミエで不快なことこの上ないのだが、競技に出場する選手にはぜひとも頑張っていただきたい。今回のコロナ禍と選手は全くの無関係。一時期、選手に直接出場辞退を求めたり、開催に反対するよう求めたりする動きが見られたが、大会そのものは選手のものであっても、開催可否の権限は選手にはないのだから、明らかに的外れな行動であったように思う。

 

で、なんだかんだ言っても、TVで放映していて、日本選手が出場していれば観てしまう。朝から、特に集中して観ていたわけではないものの、習慣として垂れ流しになっているリビングのTVで、男子のホッケー、女子のテコンドー、女子バドミントン、そして柔道などを観続けてしまっているし、日本の選手やチームが勝てば喜んではいる。こういうことが積み重なっていくと、「なんだかんだ言っても、開催してよかった。日本人選手も活躍したし…」という情動に流された思考停止状態になってしまうので、それだけは避けるよう意識していきたいと思う。まあ、男女の7人制ラグビーだけは集中して観てしまうとは思うが…。

 

にしても、五輪の特別編成で、当家の定番視聴番組が飛ばされてしまうのはちょっと悔しい。

 

二度目のワクチン接種から二日。前回は接種後二日で出た頭痛などの副反応もなく、モデルナアームも解消したので、今朝はウォーキングを敢行。流石に近所の公園をぐるぐる回るのも飽きたので、ちょっと離れたさらに大きな公園まで歩くことにした。

 

6年前と、7年前の休職時は、毎朝、いろんなことを考えながら歩いていくうちにいつの間にか無心にただ歩いていることに気づく、なんてな状態になったっけ。休職は愉快な経験ではなかったが、ある意味、禅で悟りを開いたかのような気持ちになれたことだけは収穫だった。去年は、外出することが一時期は恐怖ですらあったのと、それをいいことにすっかり怠け癖がついてしまったため、ほとんどウォーキングなんぞしなかったが、今年はかなりの日数歩いた。繁華街から歩いて帰宅するということにも何度か挑戦したし。食事制限とウォーキングとで、ここのところ立て続けにしばらく会わなかった人から「痩せた」と言われたのも励みになっている。

 

そういえば、現住所近辺の風景も見納めになるんだなぁ。10月からはウォーキングの舞台は、見渡す限りの田んぼの中に細々と存在する道になるんだ。アスファルトの照り返しもなければ、自動車の排気ガスを吸い込むことも少なくはなるが、その分虫刺されとかには注意しないといけなくなる。

 

五輪といえば、さまざまにいちゃもんのついた開会式は無事行われたようだ。

 

NBCの都合で、夜遅くに開催されたイベントなんぞ見る気にもならなかったので、ブログネタにすべく映画を観ていたのだが、漏れ聞くところによると、入場の行進曲にはゲームのBGMが数多く使われたらしい。現在の40代以下の年代は、コンピュータゲームへの親和度が高いとみえて、概ね好意的な意見が多かった。前回のリオ五輪の閉会式にあべマリオが登場したことを含め、現代日本の「常識」の中にはゲームが大きく影響しているようだ。そして、日本のゲームの影響は今や世界全体に及んでいる。電気機器から出発したソニーが、すでに大きくゲームや映像などのソフト関連に舵を切ったのはその一つの象徴だ。そして、この開会式も「これからの日本のウリはソフトですよ!!」というのを改めて世界中に表明することとなった。残りの人生でこういう風潮にキャッチアップしていくのは容易なことではない。やれやれ。

 

 

いかに明晰な頭脳であっても人間の心までは解析しきれないってのが言いたいことでしょ? 『容疑者Xの献身』鑑賞記

 

 

ついにオリンピックが強行されてしまった7/23(金)。皆から祝福されないオリンピックの開会式なんぞ観る気にもならない(7人制ラグビーだけは観たい)し、ナイターはやってないし、その他の裏番組もろくなものがなかったので、録り溜めUSB-HDDをひっくり返して見つけたのが表題の作。

 

私は東野圭吾氏の作品は一作も読んだことはないし、連ドラとしてのガリレオシリーズも観たことはない。まだ日曜の16:00にやっていた頃の福山雅治氏のラジオ番組で、おぼろげに、作品の世界観を知っていた程度が本作に関する予備知識。

 

ま、要するに福山雅治のファンを当て込んだ、顔見せ興行映画だよな、っていうかなり偏った先入観を持ちつつ鑑賞開始。

 

物語は、うらぶれた風情の中年男、石神(堤真一)が一軒の弁当屋を訪れるところからスタートする。弁当屋の経営者は花岡靖子(松雪泰子)。彼女は石神のアパートの隣室に娘の美里とともに暮らしているシンママだ。石神は物語中では天才物理学者ということになっている湯川学(福山雅治)をして天才と言わしめたほどの数学者なのだが、世に埋もれた状態のままだ。

 

そんな靖子のもとに、ある日、元夫の富樫樫が押しかけてくる。詳細は省くが、冨樫に暴力をふるわれた母子は、結果的に協力して、富樫を絞殺してしまう。安普請のアパート故に、物音や振動は隣室に丸聞こえ。元々明晰な頭脳を持つ石神は、さまざまな状況を一瞥しただけで、靖子母子の犯罪を見抜いてしまった。

 

というわけで、ここから天才石神の殺人偽装工作が開始される。靖子母子には完璧なアリバイを作らせた上で、遺体は顔を潰し、指紋を全て焼くという根の入れよう。石神の工作は見事に成功して、警察は母子に対して濃厚な疑いを持ちつつもアリバイを崩すことができず、犯人は不明のままで捜査は行き詰まる。

 

そこで登場するのがご存知湯川。ドラマを観ていないので、想像で語るしかないのだが、普段の彼なら、ちょっとした綻びから、見事に謎解きをしてしまうのだろう。ただし今回の敵は学生時代から、湯川が天才と認めた唯一の人物が相手とあって、トリックの仕掛けの巧妙さ以上に、「情実」に邪魔される展開となる。全ての状況は、花岡母子の殺人と、石神の隠蔽工作を指し示しているのだが、決定的な証拠は見つからないし、石神はもとより、固く口止めをされている花岡母子も真実は喋らない。

 

さて、湯川はどうやってこの難題の謎を解くのか?というわけでストーリー紹介はここまで。あとは本編をご覧ください。

 

石神は、途中で靖子の行動を逐一監視するような行動を見せ、おや、実はそっち系の紙一重の異常な方向に向かうのかい?と思わされるのだが、実はこの行動すらも靖子を救おうとする心根からのものだということがその後の展開で語られる。では、なぜそこまで、つい最近まで知り合ってもいなかった靖子に対して、自分が犯人隠避の罪を犯してまで守ろうとするのか?これも本編を観てくださいとしか言いようがない。

 

そして、おお、そうきたか、と思わされる最後の謎解きには感心した。私には予想もし得なかった謎解きだったとだけは言っておこう。

 

最後の最後、湯川の葛藤を物語る落涙のシーンも悪くはなかった。題名にしたとおり、世の中、全て数字の計算通りに進むもんじゃないよ、ってのがくどいほどにわかりやすく伝わってきたのだが、おそらく、湯川のこういう姿を見せることが劇場版としての一味変わった演出なのだろう。

 

顔見せ興行映画だろうという想像は基本的に外していなかったが、ちょいと拾い物のストーリー展開ではあった。

テレビで真っ正面から政府に喧嘩を売った古賀氏の至極真っ当な政権の現状解説 『官邸の暴走』読後感

 

 

コメンテーターとして出演していた『報道ステーション』の自身の出演最終日に、「I am not ABE」のパネルを掲げ、安倍政権と、政権に忖度したテレビ朝日の姿勢を痛烈に批判したことがあまりにも有名な古賀茂明氏の現時点での新書最新作。

 

政権に近い場所で、官僚として働いていた、古賀氏ならではの、現政権、もっといえば題名にもある「首相官邸」の問題点と、官邸の暴走により置き去りにされたままの日本の問題を、簡潔な言葉でズバリと語っている。

 

安倍政権は、官僚の力を抑えるためだとして、首相官邸にさまざまな人を集めて、首相が直接手を下せる組織を作り上げた。この思想そのものは必ずしも間違いとはいえないが、首相に「だけ」都合のいい施策を推進する人物たちばかりを集めてしまったことは大きな間違い。各省庁の動きを牽制するどころか、政権に都合の悪い人物や組織を潰せる権限だけが肥大した問題だらけの組織に成り下がってしまった。

具体的にどの人物や、組織のあり方にどのような問題があるのかについては、ぜひとも本文に当たっていただきたい。政権内部でつぶさに、組織の役職者たちの人となりや組織としての行動を観察してきた古賀氏の視点は正確にして鋭い。「I am not ABE」というお手製のパネルには古賀氏個人の反骨精神というだけでは説明のつかない、大きな意味が込められていたことがわかる。

 

返す刀で、古賀氏は、首相官邸が、政権にとっての不都合な真実を潰すことだけに注力してきた結果として、国家百年の計とでもいうべき大きな政策が全く進捗していないことにも触れている。

 

古賀氏の思う、今後の日本の産業振興策はデジタルとグリーン、すなわち先進機器の開発とその活用方法の開発と環境問題への取り組みだが、ここでも惨憺たる現状が、具体的なデータとともに示されている。

 

かつて日本が世界のトップを走ってきていた、IT関連や白物家電の分野には今や日本企業の名前がない。世界中で最も需要の高いデバイスであるスマホに関しては、日本国内ですら、日本のメーカー製のモノを使っている人々は少数派。TVにしても冷蔵庫にしても今や最大手は中国である。頼みの綱は自動車だが、ハイブリッドも含め、ガソリンを使う車を排斥する方向にある世界全体の情勢に立ち遅れたままだ。自然エネルギーの活用も然り。さまざまな利害が絡んだ原発の利用再開だけが声高に叫ばれ、風力発電太陽光発電などの成長を阻害している。そしてこうした既得権益を守る方向にだけは首相官邸は非常に強い力を発揮する。

 

そして、何よりの不安要素は、こうした技術を下支えする高等教育のレベルの低さだ。日本国内では無類の強さを誇る東大にしてからが、すでに世界ランキングではアジアですらトップではない。海外の大学に留学しても、大半が企業や奨学金制度の紐付きであるため、せっかく知識を身につけても、海外でその知識を活かす時間がないまま日本に帰らざるを得ず、帰れば帰ったで日本というムラの中では、異端視されて冷遇される可能性が大きい。

 

読んでいて、気持ちが重くなった。私はせいぜいあと30年程度でこの世からおさらばだから、逃げ切ることができるだろうと勝手に高を括っているが、例えば、現在1歳の私の姪っ子ちゃんやその子供たちがが直面していく、50年先、100年先の日本はどうなっていくのだろうか?本来なら、そうした遠い先々を見据えて、現在の最善手を考え推敲していくのが、国政に関与する政治家の役割であるはずだが、現時点での既得権益を守ることにだけ汲々とし、先々のことなんぞこれっぽっちも考えていないように感じてしまう。与党の惨状は前述したとおりだが、野党は野党で、枝葉末節のことでいちゃもんつけているだけだし、実際に政権をとっても、運営能力がないことは先の民主党時代に証明されてしまった。

 

同じ強権を発動するのなら、せめて20年先の繁栄につなげるための発動にして欲しいものである。現在は自分たちの体面を保つためだけに、権力を振り回しているだけの状態に見える。流石に我慢強い日本国民も支持率の低下という目に見える形で菅政権へNoを突きつけ始めた。

 

コロナの終息は焦眉の急だが、その対応とともにもっと大きな視座での政策遂行を望みたい。そういう意味でも五輪なんかやってる場合じゃないのだ。

支離鬱々日記112(家買うシリーズ17と姪っ子ちゃんの成長と梅雨明け)

いつの間にやら関東では梅雨が明けていた。数日前までの雨模様が嘘のように、暑い暑い好天が続いている。不自由な生活を強いられる中での二度目の夏が始まった。今年も恒例の菅平行きも、海辺のドライブもなしだ。

 

五輪が終わったら、また一気にコロナ感染爆発が起きそうな気配もある。各国の代表として来日した方々から続々と感染者が出ているし、開催地東京そのものの感染者も連日1000人越えだ。ワクチン接種がある程度進んだおかげか、重症者が減っているのだけが明るい材料だが、まだまだ広く一般にワクチン接種が行き渡っているとは言い難い状態ゆえ、あと1年くらいは現状が続くのではないかと個人的には思っている。会社に行かなくて済む日常はありがたくもあるのだが(笑)。

 

今日は好天に誘われて近所の公園で一時間ほどウォーキングした。ウォーキングの最中に聞いていたのが↓

 

 

仕事人の面々が悪人にそれぞれの技を仕掛ける場面で使われたBGMを集めたサントラ盤である。いつ借りたのか覚えてはいないが、買い求めていても惜しくないコレクションではある。さまざまなBGMを聴き、それぞれが使われた作品の登場人物たちや、殺し技の数々を思い出していた時間は思いの外楽しかったのと、ここ数日の沈んだ気分が少々晴れたような気もした。思わぬカタルシス効果だった。たまにはこういう気分転換も悪くない。

 

何しろ殺しの場面にはトランペットのソロから始まるアレンジがよく似合う。はらせぬ恨みを抱えたまま死んでいった頼み人たちの怒りを代弁するかのようなトランペットの響きと、その後のウエスタン調のアップテンポの曲調は殺しのシーンとは切っても切れない仲にある。個人的に劇場版の必殺シリーズの中での一番の駄作だと考えている↓

 

 は、演出家が一体何を考えていたのか不明だが、殺しのシーンで入る曲が訳のわからないコミカルなものだったことがその駄作さ加減を端的に表していた。

 

こんなことまで思い出させてくれたサントラ盤には感謝したい(笑)。

 

昨日は、とある家具メーカーのショールームに新居のソファーとダイニングテーブルを見学に行った。コロナ禍下ということもあり、事前予約が必要ということで訪問時間を予約し、そのショールームでは小売りはしていないということで、見学だけするつもりでいた。

最高権力者様のおメガネに叶った商品につき、見積もりを依頼したところ、併せて「小売店を紹介しましょうか?」という問いかけもあった。買うなら新居に近い店の方がいい、ということで、郷里の小売店の紹介を依頼した。てっきり、店舗を紹介してもらって、その店舗向けに紹介状でも書いてもらえるのかと思ったら、なんのことはない、ショールームの奥の方から家具店の営業の方が登場。定価からの値引き提示を受け、そのまま一気に発注してしまう運びとなった。小売りはしないと言っておきながら、実質これじゃ展示即売と一緒じゃねーかよ、おい、とツッコミの一つも入れたくなったが、メーカーが直接消費者と取引したんじゃ、代理店となるべき小売店と商売敵になってしまうために、こういうややこしい手順を踏むんだろうな、と思い返し、それなりに考えられた商売方法だと思い直した。こちらとしても、わざわざもう一回小売店に行くのは手間だなあと思っていたこともあり、何より、表示価格より10万円弱の値引きもあったのでそれなりに満足。10万円弱の値引きが果たして、出血大奉仕なのか否かには一考の余地はあるが、まあ、良しとしておこう。

 

それにしても、いざきちんとしたものを買おうとすると、家具って高いもんなんだと改めて思った。今までは、数年おきの転勤とそれに伴う転居が前提の会社生活だったので、一生モノの家具なんぞ買うつもりは私にも最高権力者様にもなかったのだが、終のすみかが決まったのであれば話は別だ。ソファー用のテーブル、カウチ、ダイニングテーブル用の予備の椅子などは今後、それこそ、地元の家具店で実物を見ながら選ぶことにする。

 

ショールーム見学の帰途、姪っ子ちゃんのいる最高権力者様のご実家を訪問。前回大泣きされて、人生で最大と言ってよいほどの大失恋気分を味わった私としては、また嫌われてしまわないか、前回と今回だけ嫌われるのならいいが、今後二度と近寄って来ないのではないか、という恐怖感の方を強く持ちながら、恐る恐る姪っ子ちゃんと二週間ぶりに再会。

 

果たして…、私の不安は一気に消し飛んだ。私の顔を見るなり姪っ子ちゃんは両手を伸ばして「抱っこしてほしい」という意思を体全体で表現してくれたのだ。私は天にでも舞い上がるような思いで、姪っ子ちゃんをママの腕からほとんど強奪するように、それでも最大限に優しく抱き取ると、定番の高い高いを敢行。姪っ子ちゃんは一気に笑顔を弾けさせた。

 

良かった、前回は本当に眠くて機嫌が悪かっただけなんだ。なんというツンデレ。悪女の資質ありありだ。などと言いながら、ここ1ヶ月で一気に力強くなった両足で、とにかくすばしこく、部屋中を駆け巡る姪っ子ちゃんから片時も目を離すことができなかった。

 

両手が自由に使えるようになった姪っ子ちゃんは、知能もずいぶん発達した。最高権力者様が、ココナッツミルク(姪っ子ちゃんは牛乳アレルギーがあるらしい)の缶の材質までにこだわり抜いて焼いたバナナパンをむしり取って貪り食うわ、テーブルの影に隠れて「いないいないバァ」をやってみせるわ、隙を見てテーブルによじ登るわで大暴れ。つい数ヶ月前前にようやくつかまり立ちしたといって周囲を大喜びさせてから、文字通り長足の進歩である。また一つ一つの動作が実に愛くるしい。ずっと見ていても一切飽きが来ない。

 

そんなこんなで夢のような時間を過ごしたのだが、残念ながら帰らなければいけない時間が来てしまった。我々が席を立ち玄関に向かおうとした際の姪っ子ちゃんの寂しそうな顔と言ったら…。こちらまでが危うく落涙しそうになるほどの寂しそうな表情をしたのだ。その表情に耐えきれず、最高権力者様は二度も抱っこした。私はもしここで抱っこなんぞしてしまったら、それこそ、仕事も練馬某所の現住所も一切合切全て放り出して、今この瞬間から郷里に移住するという気持ちになりかねないと思ったので、涙を飲む思いで、抱っこせずに車に乗り込んだ。

 

あと何年、こういう幸せな時間が過ごせるんだろう?目一杯遊びまわって汗みずくになり、髪の毛がペッタリと貼りついていた姪っ子ちゃんのおでこを思い出しながら、帰りの車中はセンチメンタルな気分に浸った。木山裕策の『home』でもかかってたら、歌いながら号泣してしまいそうな心境だった。無理矢理「クリス・ハートのキーで歌ったほうがカッコいいから、そのためには高音を出し切る発声法を学ばなきゃいけないし、そうなると郷里でもきちんとしたボーカル教室に通う必要があるな」などと別のことを考えて自宅までの道をひた走るしかなかった。

アタマの機能を補完する道具たちのより良い使い方の模索は続く 『ときほぐす手帳』読後感

 

 

以前に紹介したバレットジャーナルの手引き書と同じ作者 Marie氏による、一歩進んだ手帳の使い方の指南書。

 

私が日常生活を送る上で、恒常的な課題として持ち続けている事象はいくつかあるが、手帳の効果的な使い方というのもその一つだ。すぐに忘れてしまうという特性「だけ」は人より優れているという、私の脳みその補完装置として、日常生活のちょっとした予定、思いつきから、壮大な夢に至るまで記憶しておくために、馬鹿でかいA5のシステム手帳を持ち歩き、またその中身のリフィルに関してもさまざまなモノを試したのだが、どうもしっくりこない。

 

リンクを貼った記事の本を読んで、バレットジャーナルの真似事は続けているが、相変わらず、予定していたことを忘れてしまったという「うっかりミス」は多いし、夢の実現に向けての行動の助けにもなっていない。

 

最近こういうモヤモヤした状況に突き当たった時は、Fireの検索欄に適当なキーワードをぶちこんで、その後に「Kindle Unlimited」でソートをかけ、ヒントになりそうな本を探す、という作業を行うのだが、その作業を経て引っかかってきたのが標題の書である。ここのところ、俗にいう「コロナ疲れ」ってのに直撃されて、どうにも気力が充実しない日々を送っていたということもある。会社の仕事はサボるに限る(笑)が、サボって怠惰を貪っている自分の姿には嫌悪感があるし、その嫌悪感がストレスを生んで、余計に心が疲弊し、また気力が湧き上がってこないという悪循環を繰り返してもいるのだ。

 

さて、本書の内容を例によってごく荒っぽくまとめてしまおう。Marie氏は日本におけるバレットジャーナルの第一人者で、まずはその基本的な考え方と方法にさらりと触れている。頭に浮かんでいることはすべて手帳に書き出して、書き出したことを一つ一つ潰していく、というのがその内容だ。

次に触れているのがバレットジャーナルの弱点。すなわち、今日、今やることにはフォーカスできるし、その記録は過去を振り返るのには役立つが、将来的なこと(先々の予定や、長期間にわたる大きな計画など)を考えるのには不向きであることである。

 

そこで登場してくるのが、デジタル機器、今や誰もが持っているスマホである。スマホには元々予定を打ち込んでおけるカレンダー機能がついているし、もっと便利で多機能なアプリも多々開発されている。アラームをセットしておけば、私がよくやらかしてしまう「うっかり忘れちゃった」というミスが減る可能性は高い。手帳を見ない日はあっても、スマホを手にしない日はないのだから。

 

というわけで、思いつきでしか行動しない私は、早速手持ちのスマホのカレンダーに手帳に書きつけてあった予定をすべて打ち込んだ。なお、iPhonemacminiは黙っていても勝手に同期してくれるので、macにもアラームが表示される。私的な用事は在宅時はmac、外出時はスマホで確認できるし、会社の仕事の予定はoutlookにすべてぶちこんであるので、これでヌケモレはなくなるはずだ。スマホもPCも手帳も見ない日が続けば別だが(笑)。もっともスマホもPCも手帳も見ない日は、基本的に行動するエネルギー自体が枯渇しているはずだ。

 

もう一つ、スマホには出先でちょっとしたメモを取るのに使えるという利点がある。A5サイズのシステム手帳は、情報を大量に持って歩くことはできるのだが、出先などで、ちょいとメモを取りたいなんて時の機動性には大いにかける。カバンから出して、手にもって、白紙のページを開いて、なんてやっているうちに肝心のメモすべき内容を忘れてしまう。そんな時はスマホにメモってしまえば良い。著者はLINEのKeep機能を推奨している。チャット感覚で時系列的にメモっておけるので中々に重宝している。細々とした買い物のメモなんかにはぴったりの機能だ。

 

もう一つ、副題の「いいことばかりが続くわけじゃない日々をゆるやかにつむぐ私のノートの使い方」というワードにも惹かれたので、その部分についても心して読んでみた。

 

基本的にはこちらも、心の中のモヤモヤを書き出してしまうことの推奨だ。書き出してしまうことでもやもやの正体が明確化するが、それだけでも少しスッキリする。書いているうちに問題点の解決法などが浮かぶこともあるし、同じような感情に見舞われた場合に、その感情を解消する「過去問」にもなる。繰り返し書いたり読んだりすると、私の場合、同じ職場の腐り脳筋弱り毛根バカに対するゲキ怒り感情のように強化されてしまう可能性もあるが(笑)。あくまでも冷静に物事を見つめる手段として、感情や対処法を書いておくというのは有効な方法であるように思う。

 

当面は、この手帳とスマホの連動と使い分けについて模索していくことにする。どちらも、かなりのお金を注ぎ込んだ割には、全然有効に活用できていないからだ。

 

 

支離鬱々日記111(時事ネタと家買うシリーズ16)

4回目の緊急事態宣言発出に際しての、西村康稔経再相の発言が大きな波紋を呼んでいる。

 

緊急事態宣言下において、酒類の提供を止めない飲食店に関して、取引のある酒販売店に商品の供給を止めること、同じく取引のある金融機関に対して取引をやめることを迫ったものだ。

 

TVの取材で、とある酒販売店の社長は「商品を注文してきた客に対して、その注文を拒否しろという判断を販売者に負わせるのは間違いだ」という趣旨の発言をしていたが、全くもってその通り。酒税という、税収の大きな柱に関わる、いわば金主元の酒販店の組合から強硬な抗議があったこともあり、7/13には発言の撤回に追い込まれた。

 

この一連の発言は明らかに、大臣並びに行政側の責任逃れだ。本当に酒の商流を断とうとするなら、法律でしっかり禁止すべきで、「信用」という明文化されていないモノの上に成り立っている酒販店にその任を負わすべきではない。そんなことを言い出そうものなら、飲食店側は「じゃ、売ってくれるところから買うよ。もうオタクからは買わないからいいよーだ」で終わってしまう。ただでさえ、競争の厳しい酒販店の経営者の神経を逆撫でしただけの結果に終わった。現在世間からは袋叩きで、議員辞職を求める声も高まっているが、至極当然の反応だ。

 

西村大臣は灘高→東大→官僚(米の大学に留学経験あり)という、日本で考えうる、最高の高学校歴エリートで、頭はいいはずなのに、なんでこんなバカな発言をぶちかましてしまったのだろうか?建前だけが蔓延るエリート官僚の毒に冒されてしまい、現場の本音を汲み取る努力を怠った結果であろう。今、大変な思いをしている酒販店や、飲食店などでのアルバイトの経験などこの方には恐らくはないのだろう。多少なりとも商売の現場についての知識があれば、出てくるはずのない発言だったように思う。

 

閑話休題

 

新居を構えるにあたり、さまざまな家具、家電の買い替えも計画している。先週末は、その計画の一環として、書斎におくためのデスクチェアを買い求めた。現在の椅子は中国製の安物で、一応、耐荷重は120kgで高さ調節機能もついているものの、買い求めて早々に調節機能がぶっ壊れ、座る場所を高くはできるが、座っているうちに最下位まで沈み込んでしまうという状態だ。最下位と、最上位だと、長い間には腰にかかる負担が違ってきてしまい、腰痛発症にまでは行かないまでも、少なくとも快適ではないので、一足お先に買い求めることにした。

 

で、とある大型家具店で現物を色々と物色。ちょっといいな、と思ったものは15万とか20万はしてしまう。今座っている奴は、1万しなかった奴なので、流石に座りごごちが違うし、作りもしっかりしている。いくつか座ってみて、最終的にはレッグレスト付きの10万ほどのやつに決めた。座面も背面もすべてメッシュ。汗っかきの私には必需の装備だ。納入までには1ヶ月ほど要するとのこと。

 

そこで、ちょっとした商品券をもらったので、それを利用して、家電も先行買い替え実施。今回のターゲットは冷蔵庫。現在使用中のものは先代のものが震災でぶっ壊れた際に買い替えたもので、ちょうど10年経ったところで買い替えの頃合いではあった。まだ全然使用に支障はないのだがね…。一時、日本の家電は使いこなせそうもない機能を次々つけるから価格もどんどん上昇していく、ということが声高に言われた時代があったが、今回買い求めた冷蔵庫にも、いろんな機能がついていた。それぞれ便利ではあるのだが、果たして全部使いこなせるのか?という疑問は燻ったままではある。まあ、この機械の真の相棒は最高権力者様であるから、彼女が使い倒せばいいだけではあるが。私はせいぜい、飲み物を冷やすのと、自動製氷装置くらいしか使わないからね。

その他、買い替え予定は洗濯機と、電子レンジ。この両者もすでに10年を越えて使用している。洗濯機は、最高権力者様念願のドラム式を導入予定。電子レンジも、冷蔵庫を物色する前の空き時間で色々勧められたものの中にピンとくるものがあったようだ。

 

ただ、困ったことに、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機ともに、最高権力者様の予算を少々上回ってしまったようで、私が希望していた、プロジェクターとワインセラー購入に関しては旗色が悪くなってきた。まあ、これは、こっそりと買って、既成事実を作ってしまうしかない。どうせ、引っ越しとその後の片付けのどさくさは1ヶ月くらい続くことにはなるのだから。

支離鬱々日記110(今週の週明けもまずお題に乗っかってみる)

今週のお題「住みたい場所」

 

昨日、2ヶ月ぶりに姪っ子に逢いに行ったら、思いっきり泣かれてしまって、抱っこも高い高いもヘッタクレもなく、人生最大の失恋をした気分で、郷里から帰ってきた。

 

この駄ブログでも「家買うシリーズ」などと銘打って、転居予定の新居の建築状況などを時々投稿しているが、当家は秋に郷里にUターンする。会社を定年退職したら、郷里に帰ろうとは考えてはいたのだが、母の介護等々の関係で、思いもかけず、予定よりも10年以上早く郷里に帰ることになった。

 

新居は私の実家からも、最高権力者様のご実家からも車で15分程度の場所にある。当家のUターンに関しては私の母もさることながら、最高権力者様のご両親がことの外喜んだ。義父もそろそろ介護が必要な状態に差し掛かりつつあり、老老介護の身となっている義母は、実の娘が身近に来ることを心強く思ってくれたようだ。

 

場所は、もう、数十年放りっぱなしになっていた、田舎の造成住宅地の一角だ。つい1年前までは自分の住む場所という意識なぞ皆無だった場所で、いまだにどこの曲がり角を曲がるかで迷う(笑)。住みたい場所に住むことになったというよりは、移住せざるを得ないという事情がまず先にあって、じゃ、空いてる土地があるから、ということで無理矢理割り当てられた格好であり、立地条件は、都心部が勤務地である身としては決して恵まれてはいない。緑の多い環境下で、日常生活を営む場所としては悪くないとは思うが。最寄りのコンビニまで車でないといけない場所というのは、田舎の中でもどちらかといえば劣位置だろう。まあ、わざわざコンビニにいくより大型の商業施設に行く方が近いし、便利だという場所でもある。

なお、近所の方々からは、当家の新居建築地はちょいと駐車しておくのに便利な空き地という位置付けだったらしく、あからさまに、「車の置き場がなくなっちゃうな」みたいなことを言った方もいたようだが、じゃあ、駐車料金払え、ゴルァ!!こっちとしては何か言ってきたら一戦辞さずの気持ちではいたのだが、そこは元々地縁・血縁ネットワークのある地元である。たまたまそのヒネクレ者にとっては頭の上がらない存在が私の親戚の知り合いであったため、その方に「知り合いが引っ越してくるからよろしくな」と一声かけていただいたら、一気におとなしくなったとのことだ。家の工事の開始の際に私が直接挨拶に行ったら平身低頭という感じだった。持つべきものはいい親戚と有力な知り合いである(笑)。地元選出の議員と繋がってたりすると、こういう、無形の援護みたいなものの力が強くなるんだろうな、と住んでもいないうちから田舎暮らしの「便利さと息苦しさが同居している状態」を実感として味わった。

 

場所が望んだところではない分、家の設備には予算内で最大限の希望を盛り込んだ。私の書斎と最高権力者様の楽器部屋(当然防音設備付き)の設置である。これまでの集合住宅でも、この二つは存在していたが、私の書斎には物干台と除湿乾燥機が、最高権力者様の楽器部屋にはガラクタや飲料水などが常に付きまとう状態だった。お互いがお互いの必要とする機能のみに特化した部屋を持つのは初めてのことだ。その他、寝室にも、LDKにも納戸にもすべて我々の意向が反映されている。こういう空間に住めるというのはそれだけでワクワクする。場所が少々辺鄙だろうが、近所に住む人間が少々偏屈だろうが、今のところはそのワクワク感の方が強い。さまざまな収納に関しても、雑然とした状態が出来しないよう、最初からしっかりと方針を立てて整理整頓していく予定で、気がつくと整理だ収納だというキーワードの本やらネット上の記事やらを読んでいる。まあ、もう少したたないと、実際のスペースなどの見当がつかないからまだまだ想像の上だけのお話だが、頭の中では、整然と仕分けられ、欲しいものがすぐに見つかる納戸、本棚、クローゼットが完成している。

 

今は、住みたい場所を考えるよりは、これから住むことになる場所を「最高の場所」にするにはどうしたらいいかを考えたい気持ちが強い。周辺環境は当家だけで変えられるものではないが、家の中とか、家の使い方という意味では工夫の余地はそれこそ無限にある。この地に住んでよかった、と思いながら永眠できるような環境を整えていけば良いのだ。

 

さはさりながら、当家の現在の状況を全く考えずに、住むならどこか、という質問にも一応答えておこう。考えられる条件は幾つかあるので列記しておく。

1.海が近くいい魚が手に入ること

2.いい肉と野菜が手に入ること
3.温泉が近いこと
4.買い物が楽しい大型の商業施設があること

5.東京都心部へのアクセスが容易なこと

 

上記が主な条件であるが、当家の移住地に絶対的に不足しているのは条件1だ。何しろ、私の郷里は海なし県なのである。いい魚を手に入れることのできそうな店は幾つか心当たりはあるが、風景として楽しむことのできる海は残念ながら手に入らない。埼玉や栃木もこの条件1は満たさない。

 

海のある県で条件2,4,5を満たすのは平塚くらいまでの神奈川の沿岸地域と、千葉市のやはり沿岸部くらいまでだろう。この二つの地域に不足しているのは条件3、つまり温泉地の欠如だ。まあ、これは私が知らないだけなのかもしれないが、少なくとも全国に名が轟いているような薬効豊かな温泉はないように見受ける。

 

う〜ん、こう考えると、なかなか希望を満たす土地ってないもんなんだな。逆にいうと、当家の転居先は海がないこと以外は結構イケてんじゃん!

 

なんてなことを考えて、無理矢理どこかを選ぼうとしてみたが、実は現住所である練馬はそれこそ1.3以外はすべて満たしていることに気づいた。しかも1は都内でも有数のいい魚屋がすぐ近くにあるし、3もちょっと車を走らせれば有名どころの温泉地にすぐに行ける。離れることが決まってから、改めて現住所の周りを見渡してみると結構いい場所だったことに気付かされた。惜しくはあるが、でも生活にかかるコストを考え合わせると一生住み続けたい土地でもないし、一生住み続けられる土地でもない。

たまに「いい土地だった」と思い出すのがちょうどいいくらいの土地だったように思う。