脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.167(休職日記4とちょっとお題にひっかけ)

今週のお題「マメ」

 

今週頭、二つの懸案事項に片がついた。

 

一つは義父の四十九日法要。まあ、これは婿の身としては何もやることがなく、幼い姪っ子ちゃんの面倒を見るという名目で体良く遊びに行っているようなものではあったが。一応、寺の住職が読経している間は、そこらを飛び回るとか、大声を上げたりはしないよう注意はしていた。とはいえ、すぐにみんなが神妙にしている状態に飽きてしまった姪っ子ちゃんはママに抱っこされて寝てしまったのだが。

ママが焼香に行く間だけ眠っている姪っ子ちゃんを抱っこ。実に至福の時。旺盛な食欲を示してはいるものの、それ以上に激しく動き回っているので、2歳を迎えたあたりからさほど体重は増えておらず、重さは全然問題ないのだが、今ここで抱きしめている腕を離したら、この子は床に投げ出されるばかり、という危うさにドキドキした。安心感全開でコテっと眠っている顔の無邪気さ。バカ叔父ちゃんはいつまでも抱っこしていたかった。

墓に納骨した後、義父の実家の慣習らしいのだが、お団子を供える。その供物の団子には味も何もついていないのだが、墓に供える6個を残して、あとは参列者で全て食べてしまうのが決まりだそうで、私も二つほどご相伴に預かった。味も素っ気もない団子を食べるのはなかなかにしんどい。姪っ子ちゃんも一口齧ってすぐに離してしまった。無理もない。大人が食ったってお世辞にも美味いとはいえないものを2歳児に食わせる方がおかしいのだ。風習なのだから仕方ないが。で、姪っ子ちゃんはその齧り掛けを私にポイっと渡してきた。しょうがないのでバカ叔父ちゃんはその団子を胃の腑に収めた。

 

もう一つは実母の老人介護施設への入居。当家としては昨年の12月中旬には入居させたかったのだが、一月の半ばまではその施設のコロナ発生の影響で入居できなかった。ようやくコロナ禍をその施設が抜けたと思ったら、今度は母がショートステイで滞在していた施設でコロナ患者が発生。保健所の許可が出るまでは施設内で過ごさねばならないという御触れが出てしまった。そこから一週間余り。ようやく保健所のOKが出たので、実家でとりあえず必要なものを積み込んで「お引越し」。

こちらは、必要なものを必要な数だけピックアップして、とにかく荷物をまとめたいのだが、母は何か引っ掛かりができると、すぐにそっちの方に興味が向いてしまい、その度に荷造り作業がストップしてしまう。それが何度も繰り返されるので、ついついこちらも言葉が荒くなる。険悪な空気が流れる中で、助っ人に来てくれた親戚の力も借りながらなんとか荷造り終了。同時にその親戚に不用物や譲り渡すものをいくつか持ち帰ってもらった。ごちゃついていた家の中がスッキリするのは気持ちいいのだが、母の頭の中がカオスのままなので私の気分はスッキリしない。「休職中ではあるけど、全然休んだ気になんなかった」と親子ゆえのストレートな言葉をぶつけたりもした。母はその言葉には感情的にならず苦笑いしていただけだったが。

片付け後は、母のたっての希望で、近所のちょっと高級な回転寿司へ。施設の食事には不満はなかったそうだが、当然のことながら施設では寿司など出ないし、我々家族と食べるのも久しぶりということで嬉しそうな顔をしていた。寿司を腹一杯食った後でアイスクリームまで食う健啖ぶり。私が何かいう度に、すぐ「死にたい」とかこぼしていたが、こりゃしばらくくたばりそうもねーわ(笑)。

荷物を施設に運び込んで部屋の箪笥に収納し、TVなども設置して、最後に契約書を書いて終了。心身ともに長い時間拘束され、自宅に帰り着く頃にはがっくりと疲れていた。ようやくこれで休養の方に重点をおいた生活ができるはず、とちょっとだけホッとした。

 

さて、ちょっとだけ「お題」に関連づけておこう。「マメにする」ことを心がけたい事柄は二つある。

 

一つ目は「マメな文章書き」である。1月の前半は精神的な不調で筆が進まず、請け負った文章もブログも更新できない日々が続いた。心が重かった原因のうち結構大きな二つが消え去った今、心に余裕ができたはずなので今月からはしっかりペースを守って、請負の文章を書き、ブログも更新していきたい。

折しも一つまた新しい仕事が決まった。この仕事は定期的にある上に、ギャラも高い。食べ物関連なので、今までの蓄積も活かせ、楽しんで書ける。応募の連敗記録も止めてくれた(笑)。頑張らない理由はないのだ。

 

二つ目は「マメにトレーニングすること」だ。何度か書いている通り、前二回の休職中はほぼ毎日午前中にジムに行って3時間ほどトレーニングすることで、生活のリズムを作り、かつ、身体にも適度な疲労を与えて、夜間の睡眠を深くすることを心がけていた。深い睡眠はココロを休めるのに一番効果がある。ラグビーの現役を続けるための体づくりにも寄与した。

今回は、いろんなことが重なりすぎて、トレーニングにいく精神的余裕がなかった。時間が取れないほど用事が立て込んだ時期もある。何度か書いてもいるが、会社の仕事こそ休んでいるものの、私自身は全く休めていないという状況がずっと続いていたのだ。まだいくつか大きな課題はあるものの。時間的にも精神的にもようやく余裕ができてきた。トレーニングしてその最中はひたすら心をぼーっとさせる。夜はぐっすりと眠る。この繰り返しで社会復帰に足るだけの心身の状態を作り上げていく。とはいえ、月も変わった2/1からやるぞ!という事前の決意も虚しく、本日は積み残しの原稿書きで午前中を終えることになってしまったのだが。

 

とにかく、社会復帰に向けての戦いはようやく始まったばかり。「頑張らないこと」を頑張ります(笑)。

支離鬱々日記Vol.166(休職日記3)

休職してから1ヶ月強が過ぎたが、まだ全然休んでいるという気分にはならない。母親の介護問題やら、伯父の相続の問題やらが全然片付いていないし、その他の雑用も一つ片付けるそばから新しいものが二つ湧き出てくるような状態で、常に何かしらに追われている状態だ。自分で望んだ道とはいえ、原稿書きも溜まってるし。それでも会社の仕事がないだけ、かなりゆとりある状態ではあるのだが。

 

先週はまず出足からつまづいた。火曜日に母親が長期定住を前提とした介護老人ホームに入居予定だったのだが、、現在短期滞在で利用している養護施設でコロナが発生し、外出禁止という状態になってしまったのだ。当然のことながら介護老人ホームへの「引越し」は延期。保健所からOKが出るまでは面会すら禁止である。本人はPCR検査で陰性であることは証明されているのだが。まあ、場所が場所で、感染すればかなり高い致死率になってしまうことが予想されるので、慎重になりすぎるくらい慎重になっても仕方がない。

 

で、金曜は伯父の一周忌であったのだが、喪主であるはずの母は外出ができないため、私と最高権力者様の二人で菩提寺に行って一周忌供養をしてもらった。母がいなかったためか、位牌を忘れるという失態を犯してしまったが、まあ、ご愛嬌ということで許してもらった。

 

土曜日。母親が介護施設に入居したため主ががいない状態の実家を借りたいという親戚がいるので、その親戚のために「内見会」を実施。家を貸すこともさることながら、家具、電気製品の類も全て使いたければ使ってよし、家賃は現在借りているアパート並みでよしという「親戚条件」を適用。ちなみに母が使用していた自動車は無償で譲ることにもしている。世話になった親戚のお孫さんなのでこちらとしては特に儲ける必要もなし。家は使う人がいないと、急速に劣化するので、住んでもらった方が良いという判断も働いた。

 

母親がそれなりにこだわって作った家なので、日当たりは悪くないし、広いしで、借り受けるお子様(ちなみに新婚さん)は気に入ってくれたようだ。4月末から5月に入居するということで大筋合意。一つ荷物が降りた。とはいえ、これから不用品やら、母の引越しに必要な品々の整理という大きな作業が待ち受けてはいるのだが。

 

日曜日。最高権力者様の思いつきで、栃木の壬生町まで苺大福を買いに行った。で、その帰りに佐野ラーメンの某有名店に行ったのだが、休日ということもあって大混雑。12時ちょっと前に予約の順番を取って実際に店に入れたのは3時前。普段の私ならとてもじゃないがそこまで待つ気持ちの余裕はなかったが、月曜からも仕事をやらなきゃいかんわけではない、というゆとりからか、なんとか待つことができた。ラーメンも餃子も、チャーシュー丼も美味だったので食事には満足した。せっかく「毎日が休日」状態なのだから、わざわざ日曜に来ることはないな、という経験則だけは残った。

 

で、その後はその苺大福を土産に最高権力者様の実家に乗り込んで、愛しの姪っ子ちゃんと二週間ぶりに会って、目一杯遊んできた。ここ数日、「姪っ子ちゃん欠乏症」に苦しめられていたので、一気に気持ちが明るくなった。ここのところそれこそ爆発的によく喋るようになった。とはいえ、まだ意思疎通のツールとして使いこなすまでには至っておらず、こちらが理解できないことも多い。で、意志が通じないと言って拗ねる。その拗ねようがまた可愛い。みかんの薄皮を剥いてあげるまで、じっと私の顔を見上げている様子なんぞ涙ものだ。ついつい甘やかすことになってしまう。何でもかんでも先回りして、この子がやって欲しいと思っていることをやってしまうことはよくないということは重々承知なのだが、私の顔を見上げる視線には抗いきれない。

 

ただ、姪っ子ちゃんと遊ぶと肉体的には確実に疲れる。帰宅後夫婦してソファーで寝落ち。ただ、この寝落ちほど幸せな時間はない。

ナルな著者の意外な日常を垣間見た 『ひなびたごちそう』読後感

 

 

作家島田雅彦氏の職に関するエッセイ集。朝日新聞の日曜版に掲載されたものを集めた一冊。

 

島田氏の作品との出会いは私の高校時代。処女作でもあり、芥川賞の候補ともなった「優しいサヨクのための嬉遊曲』だ。色んな意味で生意気盛りだった当時、一番印象に残ったのは最後の一文で、その一文に全てを集約させるためのストーリーだったな、という感想を持った。

 

最後の一文に至るまでのストーリー展開で、登場人物たちの理想と、その理想の前にはあまりにも厚い「現実」が立ち塞がっている、ということを様々な文学的技巧で暗喩していたということに気づいたのは、後に、もっと色んなことを学んだ後に再読した時だった。再読以降、「出ると買い」作家の一人となり、著作を多々買い求めたが、大半は「積み読」のままだ(笑)。島田氏の作品を読むには、こちらもそれ相応の心構えを持つ必要があり、疲ればかりが募る日常を暮らす身にとってはその心構えを持つのがなかなか難しいのだ。ここにも立ちはだかる現実の壁(苦笑)。

 

さて、島田氏はかなりナルシスティックないでたちと振る舞いでメディアに登場することが多い。クラシック音楽やワインなど、スノッブな事象に造詣が深いこともナルな印象に拍車をかける。メディアに登場する際の島田氏は島田氏なりの「自分自身の理想像」を実現するために敢えてそうしているのだと思うが、標題の書は島田氏の食に関する日常の姿を赤裸々に描き出し、メディアに登場する姿とのギャップを明らかにしている。

 

メディアに登場する際の島田氏のイメージからすると、毎食毎食、おしゃれなレストランで高級なものを口にしていそうだがさにあらず。小汚い一杯飲み屋にも行けば、ネタ切れになったらセブンイレブンで買ってきたものをそのまま鍋に入れて平然と客に出すような屋台のおでん屋にも行ったりする。海外旅行に行けば、観光客向けのレストランや土産物屋ではなく、地元の人が行く食堂や地元の人が行くスーパーをのぞいてみる。そんな食生活の中で、「これは美味い」と感じた料理を、自宅のキッチンで島田氏自らが作ってみるという試みがこのエッセイのキモだ。

 

レストランなどでは高級食材を使って作るものを、身近な材料で代替するために島田氏独自のアレンジを加えているところも「現実の姿」。島田氏独特のスタイリッシュな文体でおしゃれっぽく描写されてはいるが、内容的には「おしゃべりクッキング」とか「きょうの料理」みたいな料理番組そのものだ。パッと一読しただけで、大体の料理の作り方がわかるような内容として書き上げられている。

 

こうした料理への傾倒を、「退屈をしのぐ術」として貴族の手遊びであるかのように記述しているのは島田氏流の照れ隠しだろう。私も一時料理にハマったことはあったが、様々な食材を用いて「美味い」と思える一皿を作り出すのは高度にクリエイティブな作業である。何より、労働の後には美味しい(はずの)料理というご褒美が待っている。就職後は日常生活の重圧に負けて、久しく厨房に立っていないが精神的に余裕ができたら私もひなびたごちそうを追求していきたいな、と思った。

 

 

現在の音楽シーンの大元を作り上げた人物たちのエピソード集 『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』読後感

 

 

この駄ブログの読者の皆様には耳タコのお話だが、私は現在終の住処と考えている場所に住んでいる。終の住処と思い定めたことで、少々集めてみようと思ったものがいくつかあるのだが、そのうちの一つが大滝詠一師匠に関するモノだ。

 

ちょうど、大滝詠一師匠の音楽のルーツを探るというテーマのアルバムやら、雑誌の特集号やらが多々組まれた時期でもあったので、それらを片っ端から買い揃えたうちの一つが標題の一冊。

 

著者牧村憲一氏は、日本のポピュラーミュージックがフォークからロックに移り変わる時期にプロデューサーとしての活動を開始し、その後のニューミュージックやJ-POP作りにも携わった人物。

 

副題に名のある大滝師匠をはじめ、細野晴臣坂本龍一(改めて高橋幸宏氏のご冥福をお祈りいたします)、加藤邦彦、山下達郎大貫妙子竹内まりやなど多数のアーティストの曲作りやアルバム作りに関してのエピソードを披露している。

 

いや、実に懐かしい。中学から高校にかけての多感な頃に聞いた音楽を作っていた人ばかりがずらずら出てくる。曲名やアルバム名を見て、その楽曲を思い出すのに伴って、その曲を聞いていた頃の自分自身の精神状態までが湧き上がってくる。時にはそうした思い出の方に思考が引っ張られてしまうのも楽しかった。まさに自分の青春時代を懐古するためにあるような内容だった。

 

さて、書籍の内容として興味深かったのは以下の二点。

 

一つは大滝師匠の曲作りに関する基本思想のを再確認できたこと。

大滝師匠は古今東西の様々な曲のフレーズを転用したりまたは独自にアレンジしなおしたりして、快適な音楽環境を作り上げるのを身上とした。そうした姿勢についていわゆる「パクリ」ではないかという批判は当時から現在に至るまで根強く存在している。しかしながら、口に出すか出さないかだけで、パクっているミュージシャンは実に多い。稀代のヒットメーカー筒美京平氏にしても、いかにそれとわからせずに、海外の音楽を「翻案」するかに特化していた感がある。大元となった海外ミュージシャンの楽曲にしてからがクラシック音楽からの「パクリ」が疑われる楽曲は多数ある。私は大滝師匠のある意味開き直ったフレーズ転用を元曲への「オマージュ」であるとして評価したい。大滝師匠の使い方の方がより優れていると感じるフレーズも多々ある。まあ、これは私の「原典」が大滝師匠であることによるものではあるが。

 

もう一つは、『い・け・な・いルージュマジック』の制作秘話。YMOで世界中に大ブームを巻き起こしたテクノポップミュージシャンとしての坂本龍一氏と生粋のロックンローラー忌野清志郎氏という異色のコンビが作り上げたこの曲は資生堂の口紅のCMソングに使われたこともあって大ヒットした。私も忌野氏の独特な歌い方をマネしてよくカラオケで歌ってウケをとったものだ。

 

この曲、最初の案では「すてきなルージュマジック」という題名になるはずだったそうだが、メロディーのへのハマり具合から、どうしても「いけないルージュマジック」という歌詞を入れたい、題名も「いけないルージュマジック」にしたいという要望が坂本、忌野両氏から上がったそうだ。口紅を売りたい資生堂としては「いけない」などというネガティブワードをキャッチコピーに入れるなどもってのほか、という雰囲気だったそうだが、そこをうまく切り抜けたのがプロデューサーたる牧野氏だった。どのようにして資生堂を納得させたのかは是非とも本文をお読みいただきたい。

 

若干惜しいのは副題に大滝師匠の名を入れた割には、大滝師匠に関しての記述がやや物足りなかったこと。もう少し、大滝師匠の創作のキモみたいな部分に触れて欲しかったが、その辺が実際の作り手と「作らせる側」との視点の違いなのだろう。日本のロック黎明期のごちゃつきやら熱気やらはそれなりに伝わってきたと思う。

超一流フレンチシェフの原点は「ど根性」 『三流シェフ』読後感

 

 

問題発言で、コメンテーターから現場リポーターに配置転換させられた玉川徹氏が、三國清三シェフ本人にインタビューを行い、その模様をモーニングショー内で放映していたことで、知ったのが標題の一冊。三國シェフの半生を詳細に綴るとともに、古希を目前にした今、新しいチャレンジに向かう心意気を語っている。

 

玉川氏のインタビューは、実に詳細にこの本の内容を紹介してくれていて、インタビューで語られたこと以上のことはこの本の中にはなかった。ある意味出版社にとっては営業妨害ではないか(笑)。番組を観て面白そうだと思って買い求めて読んで、少々がっかりした。こういう感情を持つ方は多いのではないかと思う。

 

内容は実に面白かった。北海道の寒漁村の貧しい漁師の家の三男坊(7人兄弟の5番目)として生まれ、学校にもろくに通えずに家業の手伝いに追われる毎日。中学卒業後に札幌の米屋に就職し、そこで賄いのハンバーグを食べて感激したことから料理人を志す。

 

幼い頃から、新鮮な魚介類を口にしていた清三少年は、味覚の鋭さを自然に身につけていたようだ。ただし、その味覚だけシェフに成り上がれるほど料理人の道は甘くない。しかも清三少年は夜間の調理師専門学校にこそ通いはしたものの、中卒であった。料理人として最初に就職を目指した札幌ホテルは高卒でないと受験資格すら与えられなかった。しかしどうしても料理人になりたかった清三少年は、いろんな制約の隙をついて、当時の責任者に直談判し、札幌ホテルの職員寮の賄い場に潜り込む。そこからど根性物語が始まる。賄い場の職務を終えたあと、ホテルのレストランの鍋洗いを自ら買って出たのだ。四の五のいう前に、まずその時点で自分ができることを最大限の熱意を持って行う。今の会社の仕事には熱意がないが、熱意があるはずの文筆活動についても最近サボりがちな私にとっては実に痛い言葉の数々がそこに並んでいた。

 

その後、どのようにして清三少年が世界のMIKUNIへと上り詰めて行ったかについては是非とも本文に当たっていただきたい。書籍の腰巻に煽り文句として書いている通り、どんなステージにおいても壁に突き当たった時に立ち戻るのは、原点である「鍋洗い」だった。この点だけは、素直に私の今後の行動に反映させていきたいと思う。

 

さて、三國シェフは37年間営業し、国内はおろか世界中の食通を唸らせていた「オテル・ド・ミクニ」を2022年の年末に閉店した。チームとして運営していたレストランから、ある高名なフランス人シェフから贈られた言葉である「ジャポニゼ」を思う存分実現するために、一人の料理人として勝負するための場を新たに作り上げるためだ。ジャポニゼという言葉の解釈はなかなか難しいが、フランス料理のテクニックと哲学をベースに、日本の食材、調味料などを自自在に操った料理を作り上げることだというのが漠然とした私の理解である。百聞は一食にしかず。三國シェフの料理を一口食べれば、ジャポニゼの真髄は理解いただけるであろうと思う。新店舗が完成したらぜひ一度お邪魔したいと思っているが、私の場合はまずその前に正統派のフレンチとは如何なるものかを味わってみないといけない。文筆活動で、一流のフレンチに行ってもびくともしない財布をまず作り上げないといけないなぁ…。

町田康氏へのオマージュ 『つるつるの壺』読後感(ついでにチョイとお題にも乗っかってみる)

今週のお題「あったかくなったら」

 

 

標題の書は町田康氏が小説家として名が売れ出した頃のエッセイ集であり、いろんな作家の文庫本の巻末に付いている「解説」もいくつか収められてもいる。

 

この作品集を説明してしまえば上記のごとく、ごくごくあっさり終わってしまう。これでは「美味しそうなマグロの刺身がある」というのと同じことだ。いやしくも「読後感」というからには、まずそのマグロがどのように旨かったのかを、舌の上に乗せた瞬間にとろけてしまっただの、こいつは確かに荒海を生き抜いてきたということを見事に示す締まった赤身だっただのと、味わいをきちんと描写した上で、大間で獲れたのか、それとも近大が養殖したものか、あるいは大西洋に出漁した船で釣り上げられたものか、と来歴を云々し、その来歴から味わいの特性を裏付けるなどの記述が必要だ。

 

しかしながら、町田康氏の文章はノイズが怒涛の如く押し寄せてきて、そのノイズが頭の中に引き起こす違和感がいつの間にか、ある種の感動やら笑いやら意味やらを生み出すというテイのものなので、いわゆる解説やら感想などというものは文章にしにくい。

 

したがって、町田氏の文章を読んで触発された私の脳が発するノイズをそのまま書き出すということで、今まで幾つかの書籍を紹介してきた。というわけで今回もノイズをそのまま書き出してみようと思ったのだが、ただのノイズをそのまま書き出して、それなりの意味を持たせるというのは実に難しい。ゆえにちょいとズルをしてお題とか身辺の雑事をチョイチョイ織り込んで書き進めたい。

 

さて、お題は「春になったらなにしたい?」という問いかけだ。

 

一応の目標として社会復帰としておく。あくまでも「会社復帰」ではなく社会復帰だ。この場合の社会復帰とは何かを生産できる状態を指す。別に作り出すものが会社に提供するサービスでなくたって良い。むしろ、会社から求められる業務に関してはどう考えても前向きにはなれないので、なんとか別の道を探す時間にしたいというのは何度も言っている通りだ。

 

とはいえ、私は布袋寅泰氏のようにギターが弾けるわけでもないし、ジャニーズやEXILEの皆さんみたいに踊りが踊れるわけでもない。30代の前半くらいまでは河村隆一の曲を原キーで歌える程度の高音は持ち合わせていたが、最近はバリトン音域すらもしんどく、フランク永井並みの低音しか出なくなってしまった。しかも変なビブラートが勝手に付いてまわる。要するに、若い時分は「雑談タイム」にしてしまったような曲しか似つかわしくなくなってきてしまったのだ。高音取り戻すためならカストラートよろしく、アソコの一本や二本切り落としてやるぞというほどの覚悟もないし、さりとて「演歌は日本人の心だ」などと開き直れるほど上手く歌えるわけでもない。

 

かくして私は一人の裏ぶれた窓際ダメリーマンとしての晩年を過ごしつつある。この状態をよしとしているわけでは決してないが、現時点では打破する気力もない。ようやく今日から本格的にジムトレを再開させたのが反転攻勢の第一歩だが、若い衆が数十回は軽々と持ち上げるダンベルを2、3回も上げ下げすればすぐに息は切れるわ、腕は痙攣しだすわで、ここでも老いを痛感させられる。

 

老いと言えば、当家の実母だが、ようやく入居予定の介護老人施設のコロナ禍に伴う厳戒態勢が解除され、来週中にも入居することとなった。母と当家の最高権力者様、世間でいうところの女房とともに施設の見学に行ったのだが、それなりのお金を取るだけあって、施設も新しいし、綺麗だし、サービスも行き届いている。仲の良かった元近所の方も入居しており、母はその方との再会を心待ちにしている。

 

見学に先立って、母名義の口座のキャッシュカードを作るため、幾つかの金融機関を回ったのだが、まあ、その際の母の口うるさいこと。カバンから書類を出して横の待合座席におけば気をつけろだの、咳の一つもすれば風邪を引いたのかだの、駐車場スペースにはバックで入れろだの、まあ、私の一挙手一投足に対していちいち口を出す。人の心配している暇があったら自分のボケ具合を心配しろよ、そうやっていつまでも子離れできねーからこそ、詐欺なんぞに二度も引っ掛かっちまったんだろうと、何度目かの口出しの際に私も頭を沸騰させて「乳飲子じゃあるまいし、いちいち俺のやることに指図するんじゃねーよ」とかなりの強い口調で言ってしまった。するとすぐさま母は開き直って「あーすぐにこんなに怒られるんじゃ早く死にたいよ」などとのたまう。

 

大体においてすぐに「死にたい」などという人物に限って長生きするものだ。親と同居した場合、嫁姑の間で問題が起こるというのが世間の通り相場だが、当家の場合は私が実母と一緒に暮らすとストレスが溜まって仕方がない。本来なら、母と同居して面倒を見るべきだという気もほんの少し持ち合わせてはいたが、毎日一緒にいたら、そのうち絶対に血を見る事態になると予想されたので、介護施設に預けることは現時点での最適解なのだと強引に解釈しておく。

 

そんなこんなで、ここ数日分の「休養」で得たエネルギーはあっという間に吹っ飛んでしまった。義父の逝去に伴う後始末でしばらく最高権力者様も時間を取られることになるだろうから、まだ心からの休息は摂れていない。いつになったら本当に安らかな日々が訪れるのか?鬱々とした前途を思って風呂に入りながら少し泣いた。風呂上がりにビール飲んでハイボールに切り替えてナッツをつまみに三杯ほど飲んだら少しだけ精神がリラックスしたが、そこから高歌放吟するまでの気力は湧かず、ましてや八木節を踊るなどという甲斐性もなく、そのまま寝床に入った。おげげ。

ふた昔前くらいのジャパンと外国チームの試合を見ているかのような錯覚を覚えた一戦 全国大学ラグビー選手権決勝(帝京大学vs早稲田大学)観戦記

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2022-23シーズンの大学No.1を決める一戦は関東大学ラグビー対抗戦優勝の帝京大学と同3位の早稲田大学との対戦となった。

 

この両チームは春、夏合宿、そして対抗戦での試合と今シーズン3回対戦して、3回とも帝京が勝利している。春はダブルスコアで圧勝、夏合宿は1トライ差の辛勝ながら、内容的にはかなり帝京の方の分が良かった印象があった。そして対抗戦の対戦では49-17の大差がついた。どう考えても帝京有利は揺るがない。

 

早稲田に有利な点があるとすれば、3回戦で今シーズンの関東大学リーグ戦の台風の目となった東洋、準々決勝で対抗戦では敗れた永遠のライバル明治を破った上で、準決勝で34-33の最小得点差で京産大に勝った「勢い」があるところだっただろう。こうした強豪たちとの対戦は、ただの練習よりも選手たちの心身を数十倍鍛える効果がある。また特に一発勝負のトーナメントでは、苦戦を勝ち進んできたチームの勢いというのは時に予想もしなかった結果をもたらす。

 

試合は帝京のキックオフで始まったが、早稲田がキャッチミスしてしまい、そのボールをすかさず帝京が確保、そのまま2分近く攻めてノーホイッスルトライを奪う。有利と目されていた方がいきなりの先制パンチ。

 

「ああやっぱり帝京は強い」…、観客やTV視聴者の大半がそう思い、一方的な展開を予想したが、どっこい、早稲田の選手たちは全然腐ってなかった。その後の展開で2トライ(1ゴール)を取り返して逆転に成功したのだ。FW、BK一体となった連続攻撃とバックスリーのスピードを活かす多彩なパス回し。このまま早稲田が走り勝ってゲームにも勝利するって展開も十分ありうるぞ。しかしそんな思いは束の間で消え失せた。

 

帝京は一人一人がとにかく力強い。その上よく走る。FWなどは全員100kgを超える巨漢揃いだが、早稲田のスピードに負けない上、接点では常に互角以上のコンテストを見せていた。このコンタクトプレーでの優位性は、確実なボディーブローとして早稲田のプレーヤーの消耗を促した。攻めては一人で複数の相手プレーヤーを引き付けた上で、十分に余裕を持ってボディーコントロールしてボールを活かし、守備においては常に高い確率でのターンオーバーの可能性を孕む。

 

早稲田に2本目のトライを奪われ逆転された直後に、すぐさまトライを奪って再逆転してからは、帝京は全く揺るがなかった。接点から出たボールはまずFWに持たせて前進を図り、それを二度三度と繰り返すことで、相手のディフェンスの数を減らし、空いた穴にFWを走り込ませるわ、余裕のできたBKに存分に走り回らせるわでみるみるうちに得点差が広がっていった。

 

この試合の展開を見ていて、早稲田に2015年以前のジャパンの姿を重ね合わせた方は多かったのではないか。いろんな策を考えて試合に臨み、前半の前半くらいまでは競った展開になるものの、次第に個々のプレーヤーが力負けし始め、単純なサイドアタックの繰り返しでずるずると後退し、最後はやりたい放題にやられて失点を重ねるという展開だ。

 

選手の努力が足りなかったとは決して思わないし、特に攻撃面において早稲田の持ち味はそれなりに出せていたとは思うが、日本一を取るためには接点でのコンテストが一番重要だと見極め、そこを突き詰めるためのトレーニングをたっぷりと積み、その中から選出されたメンバーで望んできた帝京との差は如何ともし難かった。結果として、11トライ、73点という得点、53点いう得失点差は過去最高という帝京の圧勝で幕を閉じた。ここは素直に帝京の強さを褒め称えるべきだろう。

 

前人未到の9連覇を成し遂げた後、ちょっと一休みはあったが、医療系の学部からの栄養教育、科学的トレーニングの導入支援など大学を挙げてのサポート、有力な選手のスカウティングなど環境が充実した帝京の現状を考えると、またしばらく「帝京の時代」が続くのではないかと感じさせられた一戦だった。