脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.192(休職日記29 徒然・無理やりお題)

今週のお題「卒業したいもの」

 

本日は最高権力者様のご用事のお供で新潟訪問中。最高権力者様が用事を済ませる間に、新潟市内のカフェでキーボードを叩いている。最近、ありがたいことに、文筆仕事が結構増えて、なかなかブログにまで手が回らない状態が続いていた。一つ原稿を終わらせると、すぐに次の原稿に取り掛からなければならないような状態では、いかにモノを書くことが苦痛ではなくても、疲れが溜まる。ネタがないわけではないのだが、気力が続かないのだ。

 

一昨日も、誠にありがたいことに、1社採用してくれる企業が出た。指示が非常に細かい案件で、果たしてその指示に的確に応えられているのか甚だ不安ではあったのだが、なんとか採用にこぎつけた。なんだかんだ言っても日々の積み重ねは裏切らない。ランサーズの方の案件には裏切られてばっかりだが(苦笑)。

 

最近、フェイスブックのメッセージにいきなりコメントを送りつけてきて、何度かやり取りをした後、LINEのIDを知らせるから友達登録しろという要求を突き付けてくる輩が増えてきた。私の中では、Lineはあくまで顔を知っている人間とのコミュニケーションツールだという位置づけだ。したがって、SNS上のつながり程度では、簡単にIDなんぞ教えねーよ、というい意味で「Lineはやってません」と返すと、途端に通信が途切れる。いかにも怪しい。こういう誘いに簡単に乗ってしまうお人よしってのもまだまだ世間には多いんだろうな。フェイスブックにメッセージ送りつけてくる奴はこのブログなんぞ読んじゃいないだろうが、宣言しておく。実際に会ったこともないような人とLineでつながるようなことは一切ないので、勝手に送り付けてこないでくれ。そんなメッセージ読むだけで時間の無駄なんだから。

 

怪しいと言えば、私の母親の居住する自治体から還付金が給付されるという通知が届いた。なかなかの金額の還付金なので魅力的ではあったが、給付金を振り込むために口座番号等がしっかりわかるキャッシュカードの写しや、代理人として申請する私のマイナンバーカードの写しなどを添付する必要があった。何しろ、ウチの母親はオレオレ詐欺に二度も引っかかっているし、還付金の払い込みに個人情報が必要だなんて誘導は、一番典型的な詐欺の手口だ。猜疑心の塊と化した私は、母親の確定申告に行ったついでに、対応に当たってくれた税務課の職員さんに本当にこんな制度があるのかどうか聞いてみた。果たして、今回の一件は本当だった。というわけで、安心して手続きに入る。母親を連れだしていく食事のグレードが2ランクぐらいは上がる、ちょっとした臨時収入にはなった。

 

さて、最後にお題について。

 

卒業したいことはズバリ、「現在の状態」だ。

 

会社の仕事に関しては一切やる気が起きないので、もう職場復帰したくないというのが本音なのだが、さりとて、まだ文筆1本で食っていくには到底おカネが足りない。でも会社には戻りたくない…。仮に戻ってもすぐにイヤになって、もう一度今の生活に逆戻りすることは目に見えている。

 

こんな心理状況が続き、ずっと膠着状態に陥っている。文字通り身動きが取れない状態で、フィジカル的にもメンタル的にも悪い状態なのだ。この状態をなんとか打破するため、先日はジムでトレーニングメニューを作ってもらい、週に3回はジムに行くことを自らに義務付けたのだが、最初にちょっと頑張りすぎたようで、かなりの腰痛を発症し、しばらくは家でセコセコと有酸素運動をするのみ。文筆仕事の方も、高額の仕事が増えたとはいえ、まだ「副業」レベルの収入でしかない。

 

フィジカル的にもメンタル的にも、そして収入的にも努力を続けていくしかないというのはわかっているが、ゴールが見えない中での活動というのは思ったよりもシンドいことだ。今は文筆の方では目一杯手を広げる、フィジカル面では軽いウエイトから徐々に慣らしていくことを心がけて、とにかく行動し続けるしかない。

 

思い出を出来事として客観視することが全て 『毒親育ちさんがネガティブ思考で「しんどい」と思ったら読む本: 過干渉で、過保護な親に育てられた私も変われた!』読後感

 

長い題名だな、しかし。ブログのタイトルにするのに制限字数超えないかと心配した。

 

などという薄っぺらな感想はさておき、会社生活から逃避している今現在、私にとって一番のストレスとなっているのは母親との関係である。有料老人ホームに入居しているため、せいぜい週に1回しか会わないのだが、何しろあっている時間は常にストレスフルだ。老人ホームでの日々の出来事を語っているくらいならいいのだが、すぐに「私は母親として息子のお前のことを精一杯心配して生きている」アピールが始まり、年端もいかない幼児に接するように説教を垂れたがる。私に言わせれば、私のためというよりは、私に対して「役に立つことを言った」という安心感を自分が得たいがための行為だ。しかもこっちの意向など全く考えずに、自分が満足するまでとにかく同じ言葉を繰り返す。最近はこちらも慣れたもんで母親が説教くさいことを言い始めたら即「んなこたぁー言われなくたってわかってんだよ。わかってることをいちいち繰り返すんじゃねーよ」とピシャリと言い放って、それ以上は話させないようにしている。でもこういうことを繰り返していては母親のアタマの状態には良くないのではないかという疑問は常に生じる。自分自身のココロの状態が良くない中で、こうしたストレスは普段にも増して重荷となる。結果として、母親との時間は常にストレスの元となるのだ。

 

そんな中で毎日のルーティーン、Kindleでその時々の気になっているワードで検索をかけた際にリストアップされたのが標題の書。首尾よくKindle Unlimitedにもなっていたので、即DLして読んでみた。

 

内容は、認知行動療法そのもの。今までのネガティブな出来事を、その出来事の際に生じた感情に囚われることなく客観的に捉え直すことを勧めている。ただし、捉え直そうにも、自分の中には、自分を否定する存在としての「毒親」が必ず存在するので、その「毒親」から自由になることが肝要だというのが主旨。どんな方法でココロの中の「毒親」を追い出すかについての具体的な手法については是非とも本文に当たっていただきたい。

 

この本を読んだ直後、AmazonPrimeにちょうど↓のドラマがラインアップされた。

 

 

このドラマ、リアルタイムでも観ており、なかなかの佳作という感想を持っていたため、改めて観直したのだが、まさに「毒親」とその被害者を描いたドラマだった。主人公の観山寿一は能の宗家の嫡男。幼い頃から父親の人間国宝観山寿三郎に厳しい稽古をつけられてきたが、ついに寿三郎からは能に関しては「認めて」もらえず、思春期に家を飛び出しプロレスラーとなった。このプロレスラーという職を選んだのも父寿三郎がプロレスファンだったから。寿三郎は病に倒れ、その介護のために家に戻った寿一は、今度は寿三郎のさまざまなわがままに振り回されることとなる。ここでも精一杯に尽くしているのにまた「認めて」もらえない。

 

寿一がブチギレて寿三郎の介護を投げ出すと宣言したシーンを観ている途中で、私と同じではないか、という思いがピンと閃いた。

 

私は結局母親に「認めて」もらっていないからイラついているのだ。学生時代はいくらいい成績を上げても「一番をとったわけじゃない、上には上がいる」と言われたし、社会人になってからも「東大に行った同級生は年収二千万だ」「ぼやぼやしてたら出世できない」と尻を叩かれた。挙げ句の果ては、私を「困ったことがあれば親に縋り付いてくる存在」だと幼児扱いしてオレオレ詐欺に2度も引っかかった。今だって何かにつけては説教したがる。全て私を一人の大人として「認めて」いないからこその所業。そのことに怒りを覚えていたのだ。

 

このことに気づき、その上で母親なんていうちっぽけな存在に「認めて」もらえないだけで腹立ててりゃ世話ねーわ、という気持ちにもなった。これじゃ、確かにイヤイヤしているガキと一緒じゃねーか、あはははは。今となっても母親の影響は無視できないとはいえ、私はもう独立した大人なんだし、母は幼児がえりしてるんだ。こっちがガキに接するように親に接すればいい。そう思うと少し心が軽くなった。

 

本とドラマの偶然のシンクロニシティーで、思わぬ気づきをもらった。とはいえ、まだ、母へのイラつきを完全に消し去るまでには至らないだろうから、気の持ち方への模索は続く。

 

 

 

 

支離鬱々日記Vol.191(休職日記28 反転攻勢に向けてお題に答えてみる)

今週のお題「習慣にしたいこと・していること」

 

休職して早1年と3ヶ月弱。息をするのも苦痛で布団から起き上がれないなどというほどの深刻なうつではないが、それでもやる気がみなぎっているという状態からは程遠い。書かなきゃいけない文章は、いくつかあるのだが、なかなかそいつらに取り掛かるのが難しい状態が続いていて、そのことが新しいストレスのタネになり続け、ますます何もできないのが昨今の状況。で、結局何をしているかというと、携帯のゲームをしながらTVerかAmazonPrimeで昔のドラマとか映画をダラダラ視聴して時間を空費する。まあこういう日がたまにあるのは仕方ないが、毎日続くとヤバい。空費している時間は何も生み出さないし、ずっと同じ姿勢でいるので、血流が滞ってカラダにも悪影響を及ぼすのみだ。

 

というわけで、今日はまずカラダからなんとかしようと思い立って、契約しているジムに行って、トレーナーにメニューを作成してもらった。まだまだラグビーの試合に出ることを諦めたわけではないし、たるんだカラダをなんとかしたいというのは長年の課題でもあった。今の、気の向いたマシンを適当にやるようなトレーニングの仕方ではどちらに対しても効果は薄いと感じてはいたが、今までは具体的なアクションを起こしていなかったのだ。

 

なんとか今の状況を打破する起爆剤にしたいという思いで、かなり熱意を持ってトレーナーに指示を仰いだ。

 

今回のメニューは週3回通うことが原則で、それぞれ胸の日、背中の日、脚の日として、完全に鍛える部位を分けてしまうものとなった。例外は腹筋で、これは毎回やる。それから、私の独自案として最後にチャリンコマシーン漕ぎを加えることにもした。

 

で、今日は早速「背中の日」に認定して提案されたメニューをやってみた。

 

愕然とした。記憶にあるウエイトの半分程度しか上げることができなかったのだ。以前から下半身に比べ上半身が弱いことは認識していたが、それでも、それなりに鍛えたはずだったのだが。隣で、かなり細身のにーちゃんが私よりも重いウエートのダンベル持ってトレーニングしているのを見て、悔しいというか、情けないというか、悲しいというか、それらの感情が全て合わさった、寂しさのようなものを感じた。

 

とはいえ、私ももうアラカンなので、無理にウエイトを上げてしまって怪我でもしたら逆効果になってしまう。自分のできる範囲で最大限の負荷をかけて地道にトレーニングを積み上げて、来シーズンからの本格復帰を目指す。というわけで、私が習慣にしたいのは筋トレだ。決めた通り週に3回はジムに通って、それぞれの日のメニューをこなす。他に週に1回しかいけない場合のメニューも組んでもらったので、できれば週4回通って「全部乗せ」メニューも1回こなしたい。思えば前3回の休職時はまず朝イチで2時間ほどトレーニングして1日が始まっていた。今回はだいぶ遠回りをしてしまったが、また、カラダを鍛え上げることでココロの状態を改善するという方法を採っていく。

 

だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない…… 『起死回生-逆転プロ野球人生-』読後感

 

私の好きなプロ野球蘊蓄モノ。

 

FA制度や現役ドラフトの導入、さらには人気、実力を兼ね備えた選手が続々とMLBに出ていってしまうドライな昨今においては、トレードに関してのネガティブなイメージは薄まりつつあるものの、まだまだ「球団として戦力とは考えていないからこそ放出された」と見る向きは多い。つい20年くらい前まではなおさらのこと。特に巨人や阪神といった人気球団からパリーグの球団に放出されると思いっきり「都落ち」などと書き立てられたものだ。

 

しかし、人気のある球団は選手層が厚く、余程の実力も持ち主か、あるいは一芸に秀でているなどの特色を持たない限りレギュラーに割って入るのは難しい。その他に、監督やコーチ、フロントの人間との諍いなどの「人間関係」も起用に影響したりする。実力はそれなりにあるのに、プレイ以外の原因で出番がなくて腐っている人物は想像以上に多いと思う。

 

標題の書には、腐っていた一時期を経て、球団から見放されて新天地に赴いた後に大輪の花を咲かせた選手が30人紹介されている。

 

私個人として一番印象に残っているのは世にいう「江川騒動」のあおりを受けて、巨人から阪神に移籍した小林繁氏だ。当時巨人のエースだった小林氏は阪神に指名を受けながら巨人以外は入団拒否の姿勢を強硬に主張した江川卓氏との変則的な「交換トレード」という形で阪神入り。その年、巨人戦に負けなしの8連勝を飾り、「元巨人のエース」の意地を見せつけるとともに、最多勝に輝き、沢村賞を受賞とキャリアハイの堂々たる実績を残した。当時は、小林氏が巨人戦に登板した際は小林氏を応援した巨人ファンは多かったのではないか。少なくとも私はそうだった(笑)。他にも巨人から中日に移籍し、移籍初年度に20勝を挙げた西本聖氏、落合博満氏との1対4トレードの一員として、兄貴分と慕う星野新監督の元からロッテに移籍した牛島和彦氏などが印象に残っている。

 

こうした、逆境にあっても挫けずに大輪の花を咲かせた人物は、ニッポンのサラリーマンにとっては我が身を投影しやすい物語の持ち主たちだ。「環境さえ変われば、俺だって活躍して見せる」と思いながらも根強い終身雇用制神話と養わなけばならない家族に縛られて、心ならずも、嫌な職場に留まり続けている人は、おそらくは岸田内閣に不支持を突きつけた人数よ理多いはずである。王や長嶋、近年でいえば大谷みたいに突出した実力あるスーパースターにはなれなくても、いい環境といい上司、仲間に巡り合いさえすれば、クリーンアップの一角くらいは任せてもらっても恥ずかしくないくらいの活躍はできる。そう思いながら鬱々と過ごしている人々にとって、最も自己を投影しやすいのがこの書に紹介されている30名の選手たちだ。

 

作者中溝氏は、各々の選手たちがターニングポイントを迎えたことを、この記事の題名にも挙げた「だが、男の運命なんて一寸先はどうなるか分からない……」という言葉で表し、その後の快進撃の記述につなげている。残念ながら私はこの言葉の後にそれこそどん底に突き落とされた記憶はあるが、大逆転して人生が一気に薔薇色に染まったという経験はない。今の努力が、大逆転につながることを信じて研鑽を積み続けていくのみである。

 

 

 

アタマがいいだけでは渡って行けないのが世間と言うものではあるけれど 『高学歴難民』読後感

 

 

 

私の大学時代、農村の嫁不足が深刻化し、中国から女性を引っ張ってきて、農家の後継者の嫁に据えることが「流行」した時期があった。私は社会学の一分野としてカテゴライズされていた専攻に所属していたので、当時はそうした中国人妻と、日本の農村の旧弊なしきたり、人情といったものとの衝突およびその解消といったムーブメントに大いに興味をそそられていたし、同じ専攻の仲間たちとも話し合ったりもした。そんなある日の雑談時にとある院生の先輩からは苦笑混じりに「いや、農村の嫁不足も深刻ですが、僕ら大学院卒業者の嫁不足だって深刻ですよ。」という言葉が出た。

当時は、「まあ、大学院に進んじゃうと研究が忙しくて、出会いがないんだろうな」くらいにしか思わなかったが、実はもっと現実的な問題が水面下に潜んでいた。実は院卒者はなかなか「食えない」のだ。

よほど優秀でない限り、准教授や教授などの「生活が安定した」職業につくことはできないし、仮にそうした教育者、研究者としての職を得るにしても長い間、ほぼ無給の助教という立場を経なければならない。で、こうした時期はいわゆる「結婚適齢期」と重なる。

学問の場での研究者という立場を諦めたとしても、特に文系の場合、一般企業には院卒であることが逆にネックとなって就職しにくいというのが実情のようだ。たしかに、一般のメーカーなどに文系の引率者が新卒で入ってくる例は非常にまれだ。また、私が就活していた頃某シンクタンクなどは「院卒でないと一人前の仕事は任せてもらえない」などという噂が流れたことがあったし、もちろんそういう職場も存在はするのだろうが、こちらも教授などと同様狭き門だ。

それではと、いままで培ってきた「学力」を活かして学習塾などに就職してみても、今度は「教え方が悪い」という評価を生徒の方から下されてしまう例が増えているそうだ。学習塾は大学院のように、体系的、専門的な知識を身に付けることを目的とするのではなく、受験突破という目的に絞った指導が求められるため、受験突破のテクニックを効率よく教える「プロ」が必要とされるが、いかに地頭はよくても「教える」テクニックを持っていない講師は生徒から否応なくNOを突きつけられるというわけだ。

そんなこんなで、高学歴が足かせとなって、転落人生を歩んだ人の生々しい実話がいくつか紹介されているのが標題の書。

私自身も、一時は単にモラトリアムの時間を伸ばすためだけに大学院進学を考えた時期もあったのだが、「自分は大学院を出て一体何がしたいのだろう?」と考えたときに、何も答えが出てこなかったので、その道は断念した。実際は大学院に進めるような優秀な成績をとっていなかったからだが(笑)。

筆者の阿部恭子氏は主に「加害者家族」のケアに携わってきた人物。本人たちには罪がないにも関わらず、身内に犯罪者がいると言うだけで、社会から爪弾きにされ厳しい生活を強いられ、しかもその状態から脱却する手立てがほとんどないという絶望的な人々だ。「高学歴」という武器があるからいざとなりゃなんとかできるだろうと思われがちな高学歴難民たちも、数が少ないからなかなか社会から注目を浴びることがないと言う点では共通しており、なかなか苦境からの脱却が難しい。

せっかく大学院まで進める賢さがある人材たちなのだから、なんとかその頭脳を活かす工夫はないものだろうか。短兵急に結果だけを求められ、こうした人材たちを自由に研究に打ち込ませなることができない余裕のない社会からは独創的な発見は生まれてこないのではないかと思う。「普通」に生きている人々からは思いもつかないような発想や発明が出てくるのが現代の「文人墨客」たる高学歴な人々の主な役割だ。同じ文化的なことに金を使うのなら万博を開くよりも、こうした「文人墨客」たちを手厚く保護する政策の方がよほど役にたつと思うのだが、いかがだろうか?

 

支離鬱々日記Vol.190(休職日記27 お題と徒然)

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

まずはお題を片付けてしまおう。

 

お題とは全く逆の方向性のネタだが、最近の私は消化器系が思いっきりトラブっていて、何を食っても美味くない。一昨日などは、左脇腹下部がシクシク痛み、全く食欲がなかったので固形物をほとんど口にせず1日寝床で過ごすという体たらく。食い物に対しての執着は人後に落ちないと自負しているが、空腹を感じて何かを口にすると、数十分後には吐き気を催すという状態ではまともな食事なんか摂りようがない。

 

原因はおそらく、リベルサスという食欲抑制効果のある薬の副作用、いや、食欲は見事に抑えられているのだから、作用が強すぎたというべきか。おかげで体重は確かに減ったのだが、日常生活にまで支障をきたすようになっては本末転倒もいいところ。主治医に今の状態を有体に述べて、薬剤の量を半数に減らしてもらったが、まだ吐き気等々を引きずっているので、普通の食事を摂るところにまでは回復できていない。特に大の好物だった油ものなんか、考えただけで吐き気がする。ちょっと前の悪友たちとの飲み会でも、次々と追加注文する友人たちを横目に完全なる割り勘負けに甘んじた。年を食ったってことなんだろうな。作用は少々きつすぎたものの、よい方向に向かっているのは事実なので、油ものを避けることは続けていきたい。

 

ここのところ、選手紹介の連載記事こそ書いているが、試合の結果を踏まえた即時性の高い卓球ネタに関してはちょっとご無沙汰している。知識不足を露呈して袋叩きにあってしまったからちょっと手が出しにくいというのもある。五輪代表選手のポイント付与方法とかコロコロ変わっちゃって非常にわかりにくい。いっそのこと、素人丸出しで、そのわかりにくさを糾弾する記事でも書いてやろうか(苦笑)。そんなことをすれば即座に抹殺されかねないのでしばらくはネタを温めておくことにする。ラグビーネタも今のところちょっとネタ枯れ状態。他に手を出せるとすればプロ野球くらいだが、こっちに関しちゃ大抵のネタはもう掘りつくされている状態。自分がかけそうな記事をヤホーとかで見るたびに焦燥感を感じるのだが、ネタがないから書きようがないし、ネタを探している暇があったら、今請け負っている別口の記事を先に書き上げなきゃいかんし、と「忙しい病」が発動してしまう。体調が悪いこともあるので、できることからコツコツとやっていく。結局はそれが一番の早道。

 

ブログも今月はまだこの記事含め3本しかアップできていない。全方向に触手を伸ばしているこのブログですらアップできていないのだから、文筆やら自己啓発に絞った別口の方なんか全くのネタ枯れ。自己啓発に繋がる本はもとより、楽しみのための読書もしてないし、映画も観てないし、ラグビー観戦もしてない。帝京と明治の試合だけは原稿のために観たし、それなりに満足いく原稿が書けたのでよしとしておこう。読書と言えば、Kindle Unlimitedのコミックばかりだし、TVはもっぱら過去のドラマかバラエティーしか観ていない。iPadでゲームやることで時間を浪費する毎日。ココロにもカラダにもいいことのない日々ばかりが積み重なってきている。まずはカラダを動かすことから始めようか。なにしろ何か変えていかないことにはただの引きこもりになってしまう。猶予期間にはまだ余裕があるとはいえ、本物の引きこもりになってしまっては意味がない休養になってしまう。会社に戻るか否かは別にしてQOLを高めることだけは心がけていかねばなるまい。今はあえて努力という言葉を使わず、その日その日、一番快適で、かつ健康的なことを積み上げていくことにする。

 

今回は徒然というよりは自分に対しての公開説教になってしまった。とりあえず、心の中のモノは全部吐き出したので、あとは実践あるのみ。

 

 

 

 

 

今では戦前予想が虚しいものの、前半部分はなかなか役にたつ一冊 『ラグビー質的観戦入門』読後感

 

 

毎度毎度痛感させられる金言、「本は買ったらすぐ読め」を改めて実感させてくれた一冊。

 

本書は、以前紹介した『ラグビー知的観戦のすすめ』の続編とでもいうべき一冊で、2023年のフランスワールドカップ前に上梓された。そうした背景から、後半部分はほぼフランス大会の展望に費やされている。ジャパンが首尾よくプールDを2位通過して、プールCを1位で通過するであろう豪州とエディー・ジョーンズ門下兄弟対決に及ぶと予想しており、豪州との対決の展望までが書かれている。

 

元ジャパン戦士である廣瀬氏の立場で、しかも新書として発行する書物の内容としては、ジャパンが予選敗退するという予想は書きづらかっただろうな、と同情したい。結果は周知の通り、イングランド、アルゼンチンに力負けして2勝2敗の成績で予選敗退という「順当」なものに終わった。残念ながら、イングランド、アルゼンチン両国には付け入る隙がなかった。プールCに関しても、豪州はウエールズ、フィジーに負けて、史上初の予選プール敗退という屈辱の結果に終わった。廣瀬氏の予想は完全に外れたわけだ。

 

でも少なくともジャパンは確実に勝ち星を計算できるチームにはなった。エディー以前は、ランキング上位国に勝つことはおろか、同格のチームに関しても勝手に格下に格付けして、散々「勝てる、勝てる」と煽ったはいいが、実戦したらいいところなく負けという情けない状態を続けてきていたのだ。今回の事前予想では、チリ戦には勝てる、サモアとは五分五分だがなんとか勝てそう、イングランドには勝てない、というのが大方の予想。でこの3チームとの対戦は大方の予想通りの結果となった。アルゼンチンのみ、「エディー以前」と同じく、なんとか「勝ちたい」という希望が日本列島を占拠していたが、いい勝負はしたものの残念ながら「勝機」というべきポイントはついに訪れなかった。いい意味でも悪い意味でも予想がつきやすいチームにまでは成長したのだ。ハイパフォーマンスユニオンという仰々しい名称までいただいたので、次はなんとか8強以上を実現してもらいたい。

 

さて、前半部分はワールドカップなどの大舞台の試合だけでなく「日常」ラグビー観戦の際に、注目するとより深く観戦が楽しめる、というネタが色々と散りばめてある。また、廣瀬氏が常々唱えている「キャプテンシー」の内容についても、かなりわかりやすく解説してくれている。詳細は本文に譲りたいと思うが、一試合を6つの時間帯に分けて考え、各時間帯でのチームの勢いがどうなのか、その勢いはどのようなプレーによってもたらされたのか、をみていく、という視点は大いに参考になった。今後のラグビー観戦ならびに観戦記執筆に活かしていきたいと思う。

 

昨年末に、ジャパン代表HCにエディー・ジョーンズ氏が復帰することが発表された。大学やリーグワンの試合を積極的に視察するなど、早くも次のジャパンをどう作り変えるのかについて考えていることが伺える行動で、大いに期待したい。今まで積み上げてきたジャパンの戦法や戦術を一度全部ぶっ壊すような改革を断行しないことには、次のステージには進めないという局面に差し掛かっていることは事実で、さらに言えば、トップチームは日々進化し続けてもいる。エディー氏の指導の下で「ブライトンの奇跡」再来を望みたい。