脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記101(日々の徒然と、無理やりお題に寄せてみるその2)

今週のお題「わたしのプレイリスト」

 

今週は金曜日の早朝に目覚めた瞬間に「あ、今日は何もできない」という精神状態が出来し、そのまま会社を休んだ。こういう状態になったのは実に久しぶりだ。昨年の早春より在宅勤務が基本となって以来、おそらく初めての出来だったと思う。

 

理由として思い当たる最大のものは、ここ数週間取り掛かっていた厄介な仕事が木曜でようやく終わったということだ。細かい資料を拾い、それを集計して、多少なりとも解説を加えて、公的機関に提出する、という業務で、毎年この時期の恒例業務ではあったのだが、今年は、事務所の移転やらなんやらあったし、捺印が廃止になったのはいいんだが、その分社内での回覧はどういう手順で行うのか、などに手間を取られて、予定よりも一週間ほど遅れてしまった。おまけに最後の最後には、よく資料を読みもしない、閲覧部署の管理職者から、見当違いの質問が飛んできたりして、その受け答えにも多大なストレスがかかった。「んなもん、資料見りゃ書いてあるだろうが。見もしねーくせに、質問してくんじゃねーよ。しかも『こんなものを提出する意味がわからない』だと?てめえ、会社での地位が上だからって何でもかんでも口挟んでくんじゃねーよ。文句があるなら、てめえでやりやがれ」と言いたい気持ちをグッと堪えて丁寧に対応したのだが、こういうストレスのボディーブローは後からじわじわくる。私の場合は一夜明けた途端にノックダウンだったわけだ。

 

直接的な原因は仕事の一区切りだが、ここ数ヶ月、家のお話でバタバタして、しかも生まれて初めて支払いのために現金の札束をみたり、持ち運んだりした、というのも普段とは違う緊張感と疲労をもたらしたようだ。いずれにせよ、金曜は半日寝て、そのあとは何するでもなく、ぼんやりと過ごした。たまにはこういう日があっても仕方ない。

 

ここ数ヶ月、主には新居に関しての用事のため、何度か帰省しているのだが、ここ二回ほど、実家には高校時代の同級生からの手紙が届いていた。別になんということもなく自身の近況報告と、恩師を招いての同窓会をやる、みたいな内容だったのだが、高校卒業以降、ボツ交渉だったやつから、いきなり連絡をもらったりすると、こいつは市議会議員選挙にでも出るつもりなのか?と変に勘ぐってしまう。純粋に高校時代を懐かしむような気持ちになれないほど、スレてしまったんだなぁ、と一人で苦笑した。考えてみれば、東京の予備校で浪人生活を送ることを決意して以来、地元の県の県民に戻ったことがない。今年の10月に引っ越すことになれば、実に36年ぶりに故郷の県民に戻るのだ。気持ちの根っこには県民性が横たわっているのは事実だが、それでもすでに郷里の住民であった時間よりも、他の場所で暮らした時間の方が倍以上あるのだ。ほとんど見ず知らずの土地に移住するのと同じようなものである。

 

同窓会の方は今回はパスした。実際に時間が取れそうもない時期だったのと、まだまだコロナの影響もあるから移動は最低限に抑えたいと思ったからだ。移住して落ち着いたら、新たな人間関係を構築するつもりで顔でも出してみようかと思う。市議会とかの話が出た瞬間に帰ってやろうとも思ってはいるが(笑)。

 

さて、お題についても少々。

 

今のように、一度デバイスに音楽ブチ込んでおけば、あとでちょいちょいプレイリストが作れてしまうような時代のはるか前から、私は自分で好きな曲を集めたカセットテープを作るのが好きだった。クリスマスソングをはじめ、いろんな季節ごとのテープを各種作ったものだ。車の助手席で聞いてくれるのは男の悪友ばかりだったが(半泣き)。

 

一番凝ったのは夏の歌特集だったと思う。私の大学生時代は、チューブが『シーズン・イン・ザ・サン』を筆頭とした夏向けの歌で数々のヒットを飛ばし、「歌う季節労働者」としての最盛期を迎えていた頃だった。その他にも杉山清貴1986オメガトライブなども夏向きの歌が多かったし、いわゆるシティポップスの歌い手たちも、夏には必ず曲をリリースしていた。古くからの定番、ビーチボーイズもいれば、大瀧師匠も『ロンバケ』は完全に夏向け、山下達郎氏も夏向きの曲を多々出していた。角松敏生氏がギター奏者としてインストゥルメンタルアルバムを出したのもこの頃。そんなわけで、あっという間に90分テープ3本分が出来上がり、その後も年に1本は作っていたような気がする。大学卒業とともに、一気にそんな暇も熱意も無くなってしまったが…。

 

就職直後は営業職として、毎日営業車を乗り回す日々が続いた。結構な田舎が担当地域だったので、ラジオ局も大してないし、電波状況も悪い地域だったため、車両にはカセットの装置が配備されていたので、カラオケ練習用のテープを作って毎日聞いて、歌を練習していた。ASKAとか槇原敬之とか毎日歌いまくっていたものだ。当時は軒並み原キーで歌えたのだが、今は2つ以上下げないと歌えない。加齢はこんなところに現れる(苦笑)。

最近は、歌いたい曲、というのが唯一の基準で、マイプレイリストを作っている。電子のデバイス上でちょいちょいとできてしまうので、気楽なもんだ。というわけで、昔の持ち歌から米津玄師まで手当たり次第ぶっ込んで出来上がったヘビロテプレイリストのラインアップは400曲を超え、そろそろ500曲に達しようという勢いで増え続けている。このリストは実に節操がない。演歌の後にSuchmosが流れたと思えば、オペラの曲に続いてゴールデンボンバーがかかるというアナーキーなリストになっている。目下のところこのリストはやはり心置きなく大声の出せる車中で聴きながら、歌うという鑑賞形態をとっているが、事故でも起こしてドラレコの録画映像に調子っ外れの星野源とかが入っていたら末代までの恥を晒すことになるので、慎重な運転につながってくれている(笑)。