脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

成功の秘訣は本人の努力のみならず「人」「環境」との幸運な巡り合い 『ドラガイ』読後感

 

ドラガイ

ドラガイ

 

 

田崎健太氏によるドラフトの指名順位に関連づけてプロ入り後の活躍・挫折を描いたルポルタージュシリーズの第二作目。私はこのシリーズを第一作『ドライチ』、第三作『ドラヨン』そして標題の作の順で読んだが、順番に関係なく、濃い内容が詰められたシリーズである。

 

現行制度下では、支配下、育成ともにドラフト指名しないと交渉権が認められないので、ドラフト外入団選手という存在は滅亡してしまったが、その昔は、ドラフト指名にかからない「隠し球」的な存在の選手が多数存在した。私が一番印象に残っているのは巨人・西武でリリーフ投手として活躍した鹿取義隆氏である。彼が入団した年、巨人は江川卓氏の「空白の一日」騒動でドラフト会議自体をボイコットしたため、誰もドラフト指名しておらず新人選手として入団したのは鹿取氏一人。当時小学生だった私は、単純な価値観からの判断で「ドラフトにもかからないような選手なんか望み薄」という感想を持った。しかし、一年目から中継ぎでいい働きを見せ、後の王監督時代は来る日も来る日も登板して「鹿取られる」という流行語まで生み出した。なんでこんな選手がドラフトにかからなかったのだろう?という素朴な疑問が今でも湧いてくるのだが、他球団のドラフトにかかってしまったら、「巨人鹿取」は存在し得なかったわけで、まさに不幸中の幸いだった。

 

当時のことは今でも巨人軍にとってはタブーの一つであるせいか、鹿取氏は本書には登場しない。一方で、江川騒動の年のドラフト外で黎明期の西武ライオンズに入団した、博久、雅之の松沼兄弟は登場している。巨人の金満ぶりは今に始まったことではなく、この当時もこの二人を合わせて獲得するために、ドラフト指名選手よりも随分と高い契約金を提示したそうだが、「球界の寝技師」こと根本陸夫氏が監督で、かつ、球界の盟主の座を巨人から奪うことを野望の一つとしていた堤義明氏がオーナーだった西武ライオンズは、ポンと2倍の金額を提示したそうだ。なお、松沼兄弟は必ずしも金額だけで西武に転んだわけではない。要因の詳細については是非とも本文を読んでいただきたい。

 

さて、本書には上述の松沼兄弟の他、投手として入団したものののちに野手に転向して2000本安打を達成した石井琢朗氏、抑え投手として「勝利の方程式」という言葉を最初に身に纏うようになった他、巨人の他に在籍した近鉄阪神の全ての球団で優勝を経験した石毛博史氏、低迷期の阪神新庄剛志氏とともに盛り上げた亀山努氏、広島一筋で、抑えに、先発にと奮闘した軟式野球出身の大野豊氏などが紹介されている。

 

この駄文の題名にした「人」「環境」との幸運な巡り合いを体現したのが大野氏である。彼は高校卒業後、野球部はあるものの、あくまでも社業が中心という信用組合に入社し、お遊び程度の軟式野球に甘んじていたのだ。入社して3年目に、ライバルチームのエースだった選手がプロ野球のテストを受けて合格したというニュースを聞き「もしかしたら自分も」という気持ちで本気でトレーニングして広島カープの入団テストを受けることにしたのだ。受験に際し、大野氏は当時の上司に辞表を提出したそうだが、「一週間有給休暇をやるから、ダメなら戻ってこい」という言葉で送り出されたそうだ。いいか悪いかは別にして、「社員は家族」という言葉がまだ生きていた時代の、おおらかなエピソードではある。この言葉に背中を押された大野氏は見事合格し広島カープの一員となる。そして入団2年目には、「優勝請負人」と言われたリリーフエース江夏豊氏が入団してくるのだ。大野氏は江夏氏の一挙手一投足を見つめつづけ、プロの投手としての全てを吸収するのだ。あの時信用組合の上司が背中を押してくれなかったら…、あの時に江夏豊氏が移籍して来なかったら…。カープのマウンドに大野氏の姿はなく、その後のカープの隆盛もなかったかもしれない。そうなると現在に至るセリーグの勢力図にも変化があったかもしれない…。こう考えると、「人」や「環境」との出会いがいかに重要かが実感できる。

最後に、この書にはもう一人、意外な人物が取り上げられている。故野村克也氏の義理の息子、団野村氏である。団野村氏は野村克也氏の後妻に入った沙知代夫人の連れ子であり、克也氏とは血の繋がりはない。日本人のメジャーリーガーの代理人として暗躍していたり、沙知代氏との「電話バトル」の音声が暴露されたりと、なんとなく「胡散臭い」人物であるというイメージしかなかったのだが、ドラフト外プロ野球の世界に身を投じていた歴史があるとは知らなかった。ヤクルトスワローズに入団した同氏は、選手としては首脳陣とソリが合わずに不遇をかこち、選手というよりは外国人選手との通訳の占めるウエートの方が大きかったようだが、ここで得た経験を元に、代理人として生きていくことになるのだから、やっぱりこの方も「人」「環境」との出会いが「野球人生」に大きく影響を及ぼした事になる。

 

ドラフトの順位に関係なく、「プロ野球球団」に選手として引っ張られた以上、何かしら抜きん出たものがあるのは確か。そこからどう努力していくかが、一番の成功要因であることは間違いないが、努力の「方向性」を微調整してくれる「人」との出会いや、努力が成績に直結する「環境」も大きな意味を持つことを教えてくれた一冊だったように思う。