脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

相対した投手の目から見た強打者の凄みとは? 『強打者』読後感

 

引退後に、ちょっとミソをつけてしまったものの、先発、リリーフ両方で大活躍し「優勝請負人」とまで言われた、現役時代の実績はピカイチの江夏豊氏による「強打者」紹介の一冊。江夏氏が実際に対戦した、王、長嶋から、現役バリバリの大谷翔平、岡本和真、佐藤輝明まで。37人の強打者について興味深い考察をまとめた一冊だ。

 

江夏氏に関しては、私よりちょっと上くらいの世代だと、豪速球を武器にON相手に真っ向勝負を挑んでいたイメージが強いと思うのだが、私が野球に本格的に興味を持ち出したのは長嶋茂雄氏が巨人の監督に就任していきなり最下位に沈んだ年からだ。従って野球に関しての「物心」がついた時点で、江夏氏は、関東の片田舎ではほとんどTV放映されない南海ホークスに移籍していたので、阪神時代の一番イキのよかった江夏氏は知らない。

 

江夏氏を大投手として認識したのは、俗に言う「江夏の21球」をTVで目の当たりにしてから。南海から広島に移籍していた江夏氏は、近鉄との日本シリーズで一打逆転の無死満塁のピンチを凌いで、一気にレジェンドまで「昇格」した。のみならず、その後の数シーズンは我が巨人軍の前に何度も立ち塞がって、悔しい思いをさせてくれた。当時は江夏氏の登板の度に解説者も実況のアナウンサーも必ず「昔はわかっていても手が出ない豪速球が武器でした」的なコメントを枕詞として発していたのだが、私には氏が豪速球投手だという認識はどうやっても生まれなかった。持ち球も直球とカーブだけで、後の大魔神佐々木投手のフォークのような「魔球」も持っていない。緻密なコントロールでボールを操る、打てそうで打てない超絶技巧の優勝請負人というのが江夏氏の現役時代のイメージである。

 

全盛期ほどのスピードの出ない直球と、カーブだけで、なぜ抑えの切り札として長い期間素晴らしい実績を上げることができたのか?江夏氏が南海時代に師事し、江夏氏をリリーフ専門職として復活させた故野村克也氏に、「頭を使う野球」を叩き込まれたからである。対戦成績や、得意不得意のコースや球種、アウトカウント、ボールカウント、走者の有無、点差、天候など、全てのデータを勘案し、打者が何を考え、どんな球を狙ってくるかを推察し、その狙いをはずす。この方法を徹底したのだ。もちろんいろんなデータを集めることからして簡単なオハナシではないし、相手の狙いを推察することだって非常に高度な技術だ。狙ったところに寸分違わず放り込むコントロールが身についていたからこそ実行できた方法でもある。

 

こうして頭を使うことで生き残ってきた江夏氏が、実際にどのように相手の打者を抑えたのか、あるいは、現役のプレーヤーについてどう感じているのか、興味が湧いた方はぜひ本文にあたっていただきたい。

 

MLBや現在のパリーグのように、力対力の勝負も一つの野球の魅力だが、一方で、大した球威がなくても、相手の狙いを見事に外して討ち取る勝負にもそれに劣らぬ妙味がある。もはや若くなく、パワー勝負ではどう足掻いても若い奴には勝てないと自覚しているおじさんの僻み根性が感じさせる妙味かもしれないが(笑)。ただし、この妙味に関しては、特にセリーグの各球団は本腰を入れて研究すべき課題ではないかと思う。相手がパワーで来るなら、それをうまくかわす術を身につけるのも立派な戦術だ。V9時代の巨人は、他球団に先駆けて、考える野球を取り入れたからこそ強かったのだという側面もある。小手先で逃げるのではなく、相手の力をきちんと見切った上で、狙いを外すような技術を身につけることが急務だろう。

 

江夏氏は、自身の現役時代の晩年に台頭してきた落合博満氏と勝負に関する印象的なエピソードを紹介している。ある日、落合氏と食事をともにした江夏氏は落合氏に「お前みたいに1球1球狙い球を変えているうちは絶対に俺の球は打てない。打つ球をしっかり決めて待たれる方が投手は怖いんだ」と語ったという。この会食ののち、一打サヨナラという場面で落合氏を打席に迎えた江夏氏は、落合氏の狙いが直球であることを見抜いて、3球ともカーブを放って三振に仕留めた。ただし、この三振の後の対戦では落合氏に痛打を浴びることが多くなったそうだ。打者は打つ球を決めて狙ってくる、そして投手はその狙いを常に読んで、狙いを外すべく投球する。まさにこの1対1の駆け引きこそが、特にプロ野球の世界の醍醐味ではないかと思う。観る方にも、高度な知識が要求される観方ではあるけどね。私のようなコンテキスト読みの蘊蓄語りたがりには、しっくり来る観戦方法だ。全然知識が追いついてないけど(苦笑)。

最後に、江夏氏が考えるベスト9(投手抜き、指名打者採用)が挙げられていたのだが、このメンバー、私が考えていたメンバーとピタリ一致した。二塁手に落合氏を起用するところまで含めて一致していたので、偶然とはいえ、実に嬉しいオハナシだった。打順にまでは言及していなかったが、江夏氏が指揮官で、リストアップされたプレーヤーで打線を組むとしたらどんな打順になるのかも、ぜひどこかで発表していただきたいものだ。

 

 

支離鬱々日記119(今年四度目のTOEIC受験と8月の終わり)

昨日、会社主催のオンラインのTOEICを受験した。「紙」の受験二回と、オンライン受験が二回目で、都合、今年四度目の受験となる。

 

オンライン受験の度に思うが、とにかく楽だ。時間は短くて済むし、いちいちマークシート塗りつぶさずに済むし、好きな時間に受験できるし。主催団体には是非とも個人向けにもオンライン受験の門戸を開放して欲しい(現在は団体受験のみ対応)。個人でのオンライン受験が可能なら、毎月でも受けるんだけどな…。

 

さて、のっけから言い訳だが、今回は、通信教育の課題提出やら、公務員試験の準備やらあって、全く勉強できていなかった。中学生や高校生みたいに周りの人間に対して見栄を張ったり、煙幕をはったりする必要はないので、全くの事実として言う。今回は特にリーディングの方は全く手をつけていなかった。リスニングだって、週1回の通勤の際に、駅まで歩く5分間だけ↓に付属のCDからDLした音声を聞いただけだ。

 

 

というわけで、今回に関しては受験前から諦めモード。まあ700点超えられりゃ御の字だ、と思って受験に臨んだ。

受験終了後、即座に点数が出るのも、オンライン受験のいいところだ。で、恐る恐る見た結果は…、805点。前回の835点というのもかなりの嬉しい驚きだったが、前回受験以降全く勉強をしていないといって良い状態でのこの点数には驚いた。

 

内訳はとみると、リスニング445点でリーディングが360点、前回が同420点・415点だったから、今回はリスニングで大幅に稼いだことになる。公式と謳っているだけあって、ごく僅かな時間であっても↑の問題集を用いてのエクササイズが効果的だったと考える他ない。公式問題集は侮れないね、国際ビジネスコミュニケーション協会さん。

 

閑話休題

 

私の奉職する会社は春と秋に大規模な人事異動がある。春の方が大掛かりで、秋の方は比較的小規模なのだが、今回は同じ部署から異動者が出た。

で、送別セレモニーに関しては私が幹事を仰せつかった。上から数えた方が早いおじさんなんだけどねぇ…。まあ、一番暇だから仕方がない(苦笑)し、世話になった人だから実際に送るための手続きに関わるのは望むところだが。

 

このご時世で、最終出社日のセレモニーも送別会もリモート。会議で慣れているとはいえ、「実際に会って、言葉をかわしてナンボ」というこういうイベントもリモートになっちゃうってのはねぇ…。

 

異動者は部署の在籍期間の長い人だったので、私を含めてホンの数人しか人がいない送別イベントは悲しいくらい寂しかった。どれだけテクノロジーが発達しても、実際にあって言葉をかわすコミュニケーションに優る方法はないな、というのを改めて実感した。私が選んだ(とはいっても事前に本人から希望を聞いておくという、テイのいいカンニングをしておいたのだが)プレゼントを、私の予想以上に喜んでくれたことだけが救い。でも本人が感激してるニュアンスまでは画面の向こうの人々には伝わらなかったんだろうなぁ…。

 

なんてなことで、今年の8月は終わってしまい、いきなり気温まで秋真っ只中って感じになってしまった。私が郷里の市民であった頃、すなわち高校生くらいまでの頃は、9月の声を聞いた途端に涼しくなるのは当たり前の現象だったが、ここ数年、10月くらいまで暑くて、11月にいきなり冬になっちゃうような変な気候変動が続いていたので、今の状態の方を奇異に感じるようになってしまった。

 

あと1ヶ月で今度は私の生活がガラリと変わる。あっという間の8月だったが、新居の完成までの1ヶ月は長く感じそうだ。

 

筒美京平氏の正体は「非常に腕の良い洋食屋のコックさん」 『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』読後感

 

 

いしだあゆみブルーライトヨコハマ」、小泉今日子なんてったってアイドル」、C-C-BRomanticが止まらない」の共通点は?と聞かれて、即座に答えられる人はそうそうはいないはずだ。

 

答えは「筒美京平作曲作品」であること。

 

標題の書はレコードの総売上枚数が7,600万枚を超える、日本のポピュラーミュージック界最大の作曲家、筒美京平氏の生涯を、筒美氏と公私共に親交がある近田春夫氏が、語りおろしの形で追いかけた一冊。週刊文春に連載中の『考えるヒット』において、豊かな知識と斬新な切り口で折々のヒット曲を分析している近田氏が、筒美氏のヒット曲の数々を詳細かつわかりやすく解説している。

 

冒頭の出来損ないのクイズでも述べた通り、筒美氏は実に多作で、しかもジャンルを問わない。グループサウンズからムード歌謡、アイドル曲にニューミュージック、果てはシブヤ系に至るまでことごとくヒットを飛ばしている。特に1970年代から80年代に関しては筒美氏なしには日本の歌謡曲界は回らない状態であった。

 

なぜ、筒美氏は、これほどまでに多数のヒット曲を、長い期間にわたって作り続けることができたのか?私は音符も読めないただの歌好きであるので、作曲に関する詳細は本書の近田氏の懇切丁寧な解説を是非ともお読みいただきたいのだが、ごくごく荒っぽくまとめてしまえば、海外の音楽の流行に非常に敏感であったことと、その流行を日本のポピュラーミュージックにどう翻案したらヒットするかの見極めが非常に巧みだったということになろうか。

 

私が筒美氏を「洋食のコックさん」と例えたのは、この翻案の巧みさにある。「洋食」はもともと海外のメニューが源流だが、日本人がさまざまに手を加えていった結果として、西洋人かの目には、まるで日本オリジナルな料理のように映っていることだろう。トンカツ然り、カレーライスしかり。洋風な調理方法を基本としながらも、隠し味に醤油を使ってみたり、卵とじにアレンジするなどの独自の工夫を施すことによって、日本国民に浸透していった。

 

海外の最新流行の音楽を、そのまま持ってくる(例えばそのものズバリを日本人の歌手がカヴァーするなど)と一部のコアで先鋭的な人々にしかウケないが、日本人の好みに合った味付けにすれば広く一般にウケる。もう一つ言えば、ポピュラーミュージックは、例えばクラシックのコンサートのように正装して高い金を払って味わうものではなく、手軽な値段で、気楽な状態で楽しむことのできるモノである。ドレスコードがあるようなレストランで味わう高級料理ではなく、まさしく普段着で気兼ねなく味わえる洋食屋の料理のような存在だ。

 

そして、「美味」の価値はどちらが上でどちらが下かなどの優劣をつけるモノでもない。聴いた際にどれだけ「快適さ」を感じられるかが、その価値だ。筒美氏は、多数のヒット曲によって、多数の日本人に小難しい理屈のいらない長時間の快適さを届けてきたのである。この功績は間違いなく大きい。私が敬愛する大瀧詠一師匠は「コピーよりもオリジナルの方が尊い」とする考え方に異を唱え、さまざまな楽曲から快適なフレーズを抜き出し独自のアレンジで、より快適な楽曲を作り出すことを意図していたが、筒美氏も根っこは同じ。大瀧師匠があくまでも自分の好きな曲にこだわって、メガヒットするような曲とは縁遠かったのと違って、筒美氏は、売れる音楽を追及し、そこに自らの審美眼や音楽的な能力を特化させた。これはこれで大変な才能だと思う。常に大衆の好む味を出し続けるなんてことは奇跡に等しい。そんな奇跡を長年にわたって見せ続けた筒美氏は、モーツアルトなどとは性質の違う天才だったと言っても良いのではないか?

 

さて、私が筒美氏の作品の中で一番好きなのは郷ひろみの「よろしく哀愁」である。

 

 

 

 

「逢えない時間が愛育てるのさ」、なんという切ない歌詞だろう。この歌が発表された当時の私は小学生で、歌詞の意味は実感できなかったが、その名の通り哀愁を帯びた曲調に惹きつけられていた。のちに歌詞の意味を体感して、この曲の醸す世界観をしみじみと感じるようになった。カラオケでもたまに歌っている(笑)。

 

余談だが筒美氏は男性では郷ひろみ、女性では平山三紀(現 平山みき)が好みの歌手だったそうだが、両人ともに声が特徴的な方だ。また男女の違いはあるが、このお二人、声質がよく似ている。かなり以前のお話になるが、素人がモノマネをしてみせる番組で、とある出演男性がまず郷ひろみのマネをして、その次に平山三紀のマネをしたところ、司会のお笑い芸人が「全く一緒じゃねーか」ってツッコミを入れて、大笑いしながらその通りだと思った記憶がある。

 

 

支離鬱々日記118(身辺雑事の続き)

過日、新居に関しての打ち合わせで帰省。同時に出来上がり具合も見てきた。

 

今回の目玉は、二階部分を見ることができたこと。私の念願だった書斎、寝室、納戸、ウオークインクローゼットなどがある。

 

書斎は4畳半ほどの広さで、まだ机も書棚も作り付けられてはいないが、大体のイメージを掴むことができた。部屋の角の部分にモニターを置いて、その前には一足先に買った「高級」なデスクチェアーを置いて。macminiはこの辺り、スキャナーはこの辺り、プリンターはココ、と。書棚の一番手の届きやすい場所には書類やらマニュアルの類を置いて、筒井康隆全集はこの辺り、ラグビー関連書籍はこの辺りに集めて、と。しばし、ごく近い未来に出現する、私だけの小宇宙の地図に心を飛ばした。

 

現実に戻されたのは、暑さ。当然のことながらまだ空調なんか取り付けてない状態だし、窓を開け放っても、そもそもの外気がクソ暑い。しかも熱気が溜まる二階部分だ。顔から汗が滴るような状態になったために、一旦空想世界に飛んでいた心を現実世界に戻し、ついでに、外構、内装などの細かい打ち合わせを済ませた。

 

あと1ヶ月で、あのクソ暑い空間が快適な生活環境に変わるのだ。テンションだけは爆上がりした。

 

ところで、今回の帰省は、現住所、郷里ともに緊急事態宣言発出地域ということで、必要最低限の移動ですます予定でいたのだが、帰省当日の朝になって母から電話。

「今日の通院はどうする?もう薬がないんだけど」

え?え?え?医者が盆休みに入ることも考慮して、盆休み前に通院し、9月いっぱいくらいまではもつだけの処方を受けたのではなかったか?そんな疑問を母にぶつけてみたのだが、母は頑として「薬がない」と言い張る。うーん。この辺は一緒に住んでいないことの弱み。それなりの時間をかけて実家に赴いて「在庫」を確認しないと反論ができない。当日は土曜日だったが、通院先の診療時間を調べてみたら、午後も診察してくれているとのことだったので、新居の打ち合わせの後に通院するということで、母を納得させた。

 

で、それでも慌ただしい心持ちのまま、郷里に向けてのドライブ開始。一時間ほどかけて、実家近くのインターチェンジまでの距離表示のプレートが高速道路上に出現し始めた頃に、最高権力者様のスマホに母から入電。「薬はあったよ」とのことだった。どうやら、いつも薬を置いておくのとは別の箱(ただしその箱はいつもの箱のすぐ隣にある)に入れておいたのをすっかり忘れてしまっていたのだそうだ。何か別の探し物をしていて見つけたらしい。私も最高権力者様も苦笑い。出発直前の慌ただしさは全くの無駄になったのだ。やれやれ。

 

今回は苦笑い程度で済んだが、今後はこういう勘違いとか思い込みが進行していくのだろうな、と思わざるを得ない。まあ、そういうエラーが重大な事態に陥ることを防ぐために郷里に帰ることを決めたのだから、ある意味、目的に叶った「衰え」の発露ではあったが(笑)。こうした衰えの坂は決して上向くことはない。ただその傾斜をなるべく緩くしていくことしかできないのだ。家ができるという嬉しさの反面には常にこの重苦しい現実が存在している。

重苦しい現実といえば、郷里での再就職。役所への転職が叶わなかった愚痴については先日投稿した。忿懣やる方ないとはいえ、今後の人生どう転ぶかわかったもんじゃないから、情報収集しておくに越したことはないと思い、求人サイトに登録だけはしておいた。

で、登録後に届いた求人情報を見てみたのだが、まあ、労働集約型の業務ばかり。しかも低賃金。わかっていたこととはいえ、自分の理想とはかけ離れている求人ばかりで、文字通り愕然とした。働き方改革だの、中高年のスキル活用だのの華々しい文字は踊っていても、現実なんざこんなもんだ。週に数度長時間移動を強いられるとはいえ、現在の職場に留まることに越したことはないという結論に達してしまわざるを得ない。人材の流動化なんてのはまだまだ夢物語なんだな、ってのを痛感した。

 

とはいえ、今の業務とは全くかけ離れた職業、例えば農業法人への就職なんてのにはちょっと興味を惹かれた。どうせ田舎に引っ込むのなら、田舎でしかできない仕事に従事するってのは一つの考え方ではある。

全ての不満や不安を一掃できるのは、文筆家として生計を立てられるようにすること。そのための課題は多々あるが、そのうちの一つは、このブログをもっと多くの人に楽しんでもらえるような内容のあるものにすること。何事も精進だ。

支離鬱々日記117(身辺雑事)

8月も末である。首相はご自身の大いなる希望を込めて、会見で「あかりが見え始めている」とのたもうたが、1日の新規感染者が2万人を超え、緊急事態宣言の発出対象地域が増え続ける現状の、どこにあかりがあるのか?世界全体を見回してみても、まだ完全にコロナを制圧した国は存在しないのだ。一時的に効果のあった施策ですら立ち遅れている日本の指導者が考えている「あかり」ってのは一体どんなものを指すのだろうか?どうやら、有力な対抗馬が出現しなさそうな自民党の総裁選挙くらいのオハナシでしかなさそうだ。

 

6月末に願書を提出した、郷里の自治体役所の採用試験だが、書類選考で落とされてしまった。やっぱり、字が汚かったのがよくなかったか?とか、実際のところ実務としてアピールできることは少ないしな…、なんてな言い訳はいくつか頭に浮かんだが、一番大きな感情は「悔しさ」だ。郷里にいた高校生までの時代の私は紛れもなく「受験エリート」だったのに…。その郷里に思わぬ掌返しを食い、自分の経歴まで否定された気がして、結構な落ち込みを感じたのが次の感情の波。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」にしとけばよかったのか?まあ、そうはいかない事情が生じたから、戻ることにはしたのだが。

 

いずれにせよ、一つの決定は下されてしまったので、今後のことはまた一から考え直さないといいけなくなった。少し前に、奉職する会社で「転身支援セミナー」なんぞという催しがあり、その際は郷里の役所に入ることを「既定路線」として考えていたので、半ば聞き流していた各種の方策を真剣に考え直し、試してみたいと思う。まあ、週に1、2度の出社がいい刺激になって現職での勤務が苦にならなくなるという効果も考えられなくもない。ただ、怖いのは、遠隔地への転勤である。サラリーマンには常にその可能性がつきまとうし、家を建てると程なくして遠隔地への転勤が決まるというのはそこらによく転がっている話だ。そうなったら、今度こそ本気で転身を考える必要性が出てくる。準備しておくに越したことはない。

 

さて、くだんの不合格通知が来たのが今週の火曜。そうなるとその夜はやけ酒でもかっくらって、好きなもん食いまくって、という憂さ晴らしをしたいところではあったのだが…。この夜ばかりはそうはいかなかった。翌日に糖尿病の再検査を控えていたからだ。仕方がないので、ノンアルコールビールを飲んで、魚肉ソーセージを齧り、早々に就寝した。気持ちが落ち込んで、しかも酒もカラオケもダメとなれば寝るしかない。

水曜日。血液と尿の検査の結果は概ね良好。ほぼ糖尿病の心配はないという数値にまで落ち着いた。このままの食生活と適度の運動で減量を心がけていけばいいそうだ。肉を少々減らして魚をメインにすることだけが、注意らしい注意。通っている医者の手違いでメトホルミンという糖尿病の薬が1ヶ月処方されていなかったにしては、悪くない数値だったが、メトホルミンは改めて「再開」。薬無しでもそこそこの結果は出てたんだから、薬を使えばもっと良くなるはずではある。

というわけでその日の夕食は久しぶりにまずビールを飲んで、その後ハイボールに移行。つまみもこちらも久しぶりにメンチカツにして、ささやかに憂さ晴らしをした。酔っ払って腹が膨れたところで、ナイターを観ながら寝落ち。ちょうど目が覚めたところで岡本の勝ち越しツーランのシーンに出くわし、ビエイラの少々ヒヤリとしたセーブまでを見届けることができた。さあ、翌日からは今の仕事をバリバリやるぞー、なんて気にだけは絶対にならない(笑)が、ヒラリーマンの日常としては上々の1日の終わりだった。

支離鬱々日記116(中田翔の移籍について考える)

news.yahoo.co.jp

 

正直、この一件には驚いた。選手に「紳士たれ」を求める巨人にとっては、金髪髭ヅラで金のアクセサリーをチャラチャラさせてる中田は最も忌み嫌うべき外見を備えた存在。なおかつ、直前に同僚選手への暴行事件ですったもんだして、無期限の謹慎処分を受けたばかり。入団前から、「私はコンプライアンス違反を犯しました」ってプラカードを掲げた人物を、良くもまあ獲得したな、ってのがその次の率直な感情。

 

問題行動さえなければ、中田は今の巨人に欠けているピースにズバリ当てはまる。長打力があり、打点の稼げる一塁手または左翼手であるからだ。家庭の問題とやらでスモークが抜けちまった後、固定できていない五番打者としてはまさにうってつけ。ただし、繰り返しになるが、素行面に問題がなければというお話。

 

巨人は球界随一の規律の厳しさで知られているし、ハムではお山の大将だった中田にモノ申せる指導者、同僚選手も多数いる。野球の実績で中田を凌駕しているプレーヤーも少なからずいるし、抑えのきくベテランも多い。再教育の場としてはこの上ない環境だとは思う。

 

ただし、ちゃんと例外もいる。引用文のタイトルにも名が出ている清原氏はスキンヘッドに金のピアスで試合に出場し、個人でのキャリア晩年の指導者であった堀内恒夫氏には堂々と反抗していた。そうした姿が周りに与えた悪影響は、素直にチームの成績に反映し、2年ほど低迷が続いたと記憶している。

 

清原氏の場合は、自分から恋焦がれて巨人入りを熱望し、球団側もその熱意に応えて獲得したということもあったし、ドラフト指名時のゴタゴタもあったし、周りにモノ申せる人もいなかったという条件が重なった上でのことなので、今回の中田選手のケースとはかなり状況が違うが、両者ともに「野球に対しては純粋」、「親分肌で慕ってくる後輩を可愛がる」という点は共通している。引用記事の筆者も、多くの巨人ファンも「清原化」への恐怖は否定し得ないだろう。

 

そうした不安を払拭させるには「野球に対しては純粋」の部分を全面に押し出していく他なかろう。繁華街に後輩を連れ回す暇があったらバットを振る時間に充てる。誰よりも早く練習に顔を出す、など。まずは日常生活で浮ついたような姿勢を見せないこと。ただし、中田ほどの選手であれば、実績も残す必要がある。まあ、そもそも実績のある選手なのだから、真摯に野球に向き合って、それこそ寝食を忘れるくらいまで打ち込めば自ずとついてくるだろうと勝手に期待はしている。

 

移籍そのものにも賛否両論あろうし、移籍と同時に謹慎処分もとけてしまったことや、日本ハムの選手としてきちんと謝罪する場を持たなかったことに関しては、私も釈然とはしていない。高給取りの問題児を放出したかった日本ハムと、阪神追撃に向けての起爆剤が欲しかった巨人の思惑が一致したことで、お互いに都合の良い強引な解釈(新天地に来たら過去の罪科はご破算、被害選手とも口頭レベルではあるが和解が成立)で横車を通したという感はどうしても否めない。アンチ巨人の皆様からは「読売ファイターズ」と揶揄されているが、その印象もより一層強まった。中田の一軍昇格によって、売り出し中の北村が一軍から弾き出されてもしまった。

 

こうした、全てのネガティブな要素を勘案しても、「中田を獲ってよかった」とファンを納得させるためには、1に実績2に実績、3、4がなくて5に品行方正な私生活ということになろうか。今年のシーズン中は、球場や練習場にいく以外は宿舎を出ないくらいの覚悟を持って努力する姿と、その努力に裏打ちされたグラウンド上での活躍を見せて欲しいものだ。

身近な所にある怪異は尽きず 『怪談和尚の京都怪異譚 幽冥の門篇』読後感

 

 

1年くらい前に、書籍の紹介記事で見かけて、衝動DLした京都怪異譚シリーズの四作目。前三作についてはまとめて感想を綴っているので、よろしければご一読ください。

www.yenotaboo.work

 

著者三木大雲氏は京都の蓮久寺の住職にして、怪談語りの名手。最近では「三木大雲チャンネル」なるYouTubeを開設して、怪談とそれに絡めた説法を行なっている方。前三作が好評だったのであろうか、四作目を上梓し、魅入られたように私が買い求めてしまったというわけだ。ちなみに出版元の文藝春秋からはコミック版も出版されている。いやはや。メディアミックスといえば聞こえはいいが、こういう貪欲な姿勢こそが、最も恐怖されるべきものであり、そういう意味でも一番怖いのは生きている人間であろう。

 

閑話休題

 

今巻も、和尚選りすぐりの怪談ご納められている。三木氏の著作には、本人が抱えていてとても公開できないと判断したのか、あるいは持ち込まれたり体験したものにそもそも存在しないのかは判断できないが、怪異の体験者が死んだり、大怪我をしたりといった悲惨な結末を迎えたものはない。体験した瞬間は確かに恐怖なのだが、その後、じわじわと暖かさが広がっていくようなお話か、謎は謎のまま、今でも存在し続けているというようなお話ばかりである。

 

辛うじて言えるのは、怪異の「正体」が神などの超常的な存在ではなく、人だったり動物だったりはするが、かつてこの世の「生き物」だった存在であるということだけだ。この世に何らかの未練を残した生き物が、その未練をなんとか解消しようとして、この世の人間に何らかの働きかけを行うことが「怪異」として認識される出来事であるということがしっかりと定義づけられているのが三木氏の怪談なのだ。

 

ひとつだけ荒っぽく例を挙げておこう。

 

とある男性がソロキャンプに出かけた。他に誰もいない場所にテントを張って、さて就寝となった時に、何やらテントの周りを小動物が歩きまわる気配が。それも何周も何周も回っていて終わる気配がない。にゃあにゃあと猫の泣くような声がしたので、ミルクでもやっておけば満足してどこかに行くだろうと、紙皿にミルクを注いでテントの外に出したものの気配はやまない。恐怖に震えているうちに、いつの間にか寝入ってしまったそうだが、その恐怖が忘れられずに知り合いに喫茶店でその話をしていたところ、隣の席の女性が厳しい顔でその肩を見つめていた。不思議に思って何事かと尋ねてみると「あなたの肩のところに猫の顔が見えます」と言われたとのこと。

そこでこの方は三木氏の元を訪ね、猫の供養にお経をあげてもらうのだが、その際になぜかずっと涙が止まらなかったそうだ。三木氏は「これは彼についた『何か』が何かを伝えたいと思っているのだ」と感じ、この方とともにキャンプした場所を訪ねてみたところ、一匹の猫の死骸を発見。そしてその場所のすぐ近くには紙皿が落ちていたので、その紙皿を取り上げてみたところ、下には四匹の生まれたばかりの仔猫がぐったりと横たわっていたそうだ。仔猫は四匹ともこの方が引き取ったそうだ。

 

書籍の方には三木氏の温かみのある筆致で綴られたこうしたエピソードが多数紹介されている。ぞくりとした後に、普通の人間に接するように、礼を失しないで接すれば、霊的な存在は決して悪さはしないという教訓が語られる。「普通の怪談本」のように恐怖だけで終わらないのが、このシリーズの特色である。