脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

身近な所にある怪異は尽きず 『怪談和尚の京都怪異譚 幽冥の門篇』読後感

 

 

1年くらい前に、書籍の紹介記事で見かけて、衝動DLした京都怪異譚シリーズの四作目。前三作についてはまとめて感想を綴っているので、よろしければご一読ください。

www.yenotaboo.work

 

著者三木大雲氏は京都の蓮久寺の住職にして、怪談語りの名手。最近では「三木大雲チャンネル」なるYouTubeを開設して、怪談とそれに絡めた説法を行なっている方。前三作が好評だったのであろうか、四作目を上梓し、魅入られたように私が買い求めてしまったというわけだ。ちなみに出版元の文藝春秋からはコミック版も出版されている。いやはや。メディアミックスといえば聞こえはいいが、こういう貪欲な姿勢こそが、最も恐怖されるべきものであり、そういう意味でも一番怖いのは生きている人間であろう。

 

閑話休題

 

今巻も、和尚選りすぐりの怪談ご納められている。三木氏の著作には、本人が抱えていてとても公開できないと判断したのか、あるいは持ち込まれたり体験したものにそもそも存在しないのかは判断できないが、怪異の体験者が死んだり、大怪我をしたりといった悲惨な結末を迎えたものはない。体験した瞬間は確かに恐怖なのだが、その後、じわじわと暖かさが広がっていくようなお話か、謎は謎のまま、今でも存在し続けているというようなお話ばかりである。

 

辛うじて言えるのは、怪異の「正体」が神などの超常的な存在ではなく、人だったり動物だったりはするが、かつてこの世の「生き物」だった存在であるということだけだ。この世に何らかの未練を残した生き物が、その未練をなんとか解消しようとして、この世の人間に何らかの働きかけを行うことが「怪異」として認識される出来事であるということがしっかりと定義づけられているのが三木氏の怪談なのだ。

 

ひとつだけ荒っぽく例を挙げておこう。

 

とある男性がソロキャンプに出かけた。他に誰もいない場所にテントを張って、さて就寝となった時に、何やらテントの周りを小動物が歩きまわる気配が。それも何周も何周も回っていて終わる気配がない。にゃあにゃあと猫の泣くような声がしたので、ミルクでもやっておけば満足してどこかに行くだろうと、紙皿にミルクを注いでテントの外に出したものの気配はやまない。恐怖に震えているうちに、いつの間にか寝入ってしまったそうだが、その恐怖が忘れられずに知り合いに喫茶店でその話をしていたところ、隣の席の女性が厳しい顔でその肩を見つめていた。不思議に思って何事かと尋ねてみると「あなたの肩のところに猫の顔が見えます」と言われたとのこと。

そこでこの方は三木氏の元を訪ね、猫の供養にお経をあげてもらうのだが、その際になぜかずっと涙が止まらなかったそうだ。三木氏は「これは彼についた『何か』が何かを伝えたいと思っているのだ」と感じ、この方とともにキャンプした場所を訪ねてみたところ、一匹の猫の死骸を発見。そしてその場所のすぐ近くには紙皿が落ちていたので、その紙皿を取り上げてみたところ、下には四匹の生まれたばかりの仔猫がぐったりと横たわっていたそうだ。仔猫は四匹ともこの方が引き取ったそうだ。

 

書籍の方には三木氏の温かみのある筆致で綴られたこうしたエピソードが多数紹介されている。ぞくりとした後に、普通の人間に接するように、礼を失しないで接すれば、霊的な存在は決して悪さはしないという教訓が語られる。「普通の怪談本」のように恐怖だけで終わらないのが、このシリーズの特色である。