脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.163(お題に絡めて休職日記1)

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

まずは、お題に答えておこう。

 

私は今までに都合3度休職している。さらに、会社には行っているもののほとんど仕事ができなかった時期が3ヶ月ほどある。

 

このうち、二度の休職に入る直前と、「ほとんど仕事ができなかった時期」の最初の時期は本当に死ぬかと思うくらい、精神的に追い詰められた。まあ、だからこそ一旦仕事からは逃げて休養を取ってなんとか凌いだのだが。

 

もう一つ。今の不調の根本的な原因である左遷人事を食らった時。この時も瞬間的にはかなり思い詰めた。自死しようかとも真剣に思ったが、勇気がなかった。女房の存在と、「こんなくだらねー会社のことが原因で死ぬのは嫌だ」という思いもあった。

 

ただし、この一件で会社の仕事に関しては完全に意欲を失った。その後、一度だけ会社に入って、初めて面白いと思える仕事に出会って意欲が非常に増した時期もあったが、その仕事も半年で取り上げられてからは、常に「これは俺のやりたい仕事じゃない」という意識が根本にあり、やりがいのない、したがって日々の仕事が負担でしかない日々を重ねてきた。

 

で、昨日から4回目の休職に入った。日々の仕事の行き詰まりによるストレスがカラダに出てしまい、帯状疱疹を発症したのが先月の中旬。発症以降、パフォーマンスの質が明らかに落ちた。初歩的なミスが頻発し、それに伴って叱責を受け、さらに精神状態が悪化するという悪循環に入っていたのだ。

 

そんなところで先週、母親が「オレオレ詐欺」に引っかかって、軽自動車1台買えるくらいの金を持っていかれてしまった。警察の対応、犯人への怒り、何よりも二度目の被害に遭ってしまった母親への怒りと不安。しかも、母親を一人にしておくのが良くないという警察の判断で、詐欺事件以降は毎日実家に泊まり込む日々が続いた。実家とはいえ「自宅」ではないので、本当のリラックスにはつながらないし、文筆活動の方にもそれなりの支障が出る。それもまたストレス。そんなこんなで、それこそ死ぬかと思う一週間を過ごした。そんな最悪の精神状態の時に、ちょうどかかりつけのメンタルクリニックへの通院が予定されていたので、今の心身の状態を説明したところ、休職の判断に至ったというわけだ。

昨日は、近所に住む親戚に事情を話して、昼間からその家に行ってもらって面倒を見てもらい、最後は泊まらせてもらうことにしたので、ようやく休養できた。一日、女房とゆっくり買い物をし、いいイタリアンで昼食を摂って、一息ついた。

 

だが、悪いことというのは重なるものだ。昨日の夕刻、珍しく義兄から女房に電話があり、何事かと思ったら、義父が急逝したという連絡だったのだ。

がんで余命いくばくもないとは言われていたものの、ここ数ヶ月は、初孫である姪っ子と戯れる際は、意識も動作もしっかりとしていたのだが…。コロナ禍もあって、容体が悪化した際に救急車を呼んでも搬送先が決まらないという状態で、自宅待機を2日ほど余儀なくされた後の逝去である。無理やりな延命措置で、ただ息だけしているという状態で「生かしておく」のも可哀想だという思いは一方にあるものの、やはり、最後まで手を尽くした末に逝かせてあげたかった、というのが正直なところだ。義母も義兄もそう思っているはずだ。

 

私の実母の方はしばらく親戚の家に面倒を見てもらうこととなった。まだいろんな手続きが残っているようで、まだ具体的なアクションの連絡はないが、この後は義父の通夜やら葬式やらで慌ただしい日々がまた続く。実母の養護老人施設への入所の手続きなども済ませる必要がある。休職期間は2ヶ月あるのでそんなに焦る必要はないのだが、それでも本当の「休養」にはならない日々がいつまで続くのかわからない現状には少々不安を感じる。早くもあと数ヶ月休職期間を延長したいという気持ちになっている。

 

全ては時間が解決する、ともいう。今はこの言葉を信じて、目の前の問題に対処していくしかない。

支離鬱々日記Vol.162(休職決定)

一昨日にこの場で散々愚痴って、なんとか心理状態を平静に保とうとしたが、残念ながら無理だったようだ。

 

とにかく、会社の仕事を目の前にするといや〜な気分にしかならず、取り掛かるまでに時間はかかるわ、いざ取り掛かれば小学生並みのミスを犯すわで、どう頑張っても「まとも」な仕事が出来ないのだ。

 

頭の中を引っ掻き回せばいいかと思って、お笑い番組を見まくったり、町田康のエッセイを読みまくったりしたが、スッキリしない。昨日も出社のため自腹で新幹線を使って上京したが、精神安定剤を通常の2倍使っても嫌な気分というか不安定な気分というか、仕事以前に、まともな社会生活を送れるような精神状態にならず、強烈な眠気に襲われただけだった。

 

元々帯状疱疹に見舞われるほど、ストレスが蓄積していたし、母の「詐欺ショック」もあって、ついに精神が「危険水域」を超えてしまったらしい。

 

昨日は直属の上司の一つ上の上司との面談があったので、その席でも現在の状況を率直に話した。で、その後に控えた医師の診察の結果によってはしばらく休職させてもらうとも話した

 

退社後、医師の診察を受け、現在の状態をありのまま話したところ、「今の状態だとやはり少し休んだほうがいいですね」と診断され、とりあえず2ヶ月の休職診断書を書いてもらった。

 

会社の仕事は嫌いだが、一緒に仕事をしている人に迷惑をかけるのはもっと嫌だ。私が抜ければその分の仕事は誰かに負担してもらわねばならず、迷惑をかけるのは明白なのだが、今のまま仕事を続けても結局はミスやら仕事の遅延やらで迷惑をかけることになってしまう。どっちにしても迷惑をかけるのなら、せめて休んで気持ちの回復を待とう。そう考えるしかない。

 

休職が2ヶ月で終わるのか、それとももっと長引くのか?今はとにかく休みたいという気分しかなく、先行きのことまでは考えられない状態だ。

休職はこれで都合4回目。以前と同様、毎日トレーニングしてカラダのリズムを作り、なるべく精神に負担のない生活を心がけて、しっかり休養することにする。

支離鬱々日記Vol.161(そろそろ本当にシャレにならなくなってきた鬱々な日々)

今回は読んだ本のお話でも、観た映画のお話でも、観戦したラグビーのお話でもない。

 

現在の私の鬱々たる状況をそのまま書き殴ることで、鬱憤ばらしをするための投稿である。

 

まず、いよいよ会社の仕事への不満が高まってきた。なんとか我慢してきたが、カラダの方は正直で、帯状疱疹を発症してしまった。おかげで医者からの診断書をもらって三日間大手を振って休んだ。その他にも後遺症やらなんやらで結局のところ一週間くらいは丸々休んでしまったことになった。

 

私は休んでいても、会社の仕事は否応なしに進んでいく。で、先月末は仕事が山積みになってしまい、残業に残業を重ねて、さらには休日出勤(とはいえ在宅だが)までしてようやく処理を完了した。こういう切羽詰まった状態で、正確な仕事ができるわけもなく、ミスがいくつか発生し、そのことで叱責を受けてますますストレスが高まるという悪循環に陥っている。

 

そんな中、母が詐欺に引っかかってしまった。犯人については八つ裂きにしても飽き足らないくらいの憎悪を感じているが、それよりも今回は母親に対して非常に怒りを感じた。実はこれが2回目なのだ。ほぼほぼ前回と同じパターンにコロッと引っかかってしまったのだ。母親の愛情と言ってしまえばそれまでだし、それはそれでありがたい話ではある。また、少なからず心配をかけてしまってきていることも反省しなければならないだろう。

だが、それ以上に母親が、「何かあったら母親に泣きついてくる存在」として私を認識していることが許せない。前回の時も「仮に金が必要になったら出せるくらいの蓄えは持ってるし、出せないような大金でも母親に泣きつくようなことは絶対にしない」と散々怒りをぶつけたというのに、また騙された。怒ってはいけない、一番傷ついているのは本人だ、と分かっていたが、「いつまで、俺を乳飲み子扱いすりゃ気が済むんだ!!」と怒鳴り散らしてしまった。私のことを子供として愛してくれるのはいい。ただし、この期に及んで「子供扱い」するのは単なる親のエゴだ。前回のことがあるから、くどいくらいに、まずは私に電話してこいと言ったし、家電の前にも「必ず息子の携帯か、自宅に電話を入れること」という紙を過剰なくらい貼ってあったのだ。

 

もはや母親の老いは独居を許さないまでに進んでいると判断せざるを得ないため、介護老人ホームを探す一方で、毎日私が実家に泊まり込むことにした。近くにいる親戚にも協力を仰いで、とにかく一人にしないことを徹底すべし、と警察にも言われた。母はいろいろ理由をつけて現在の状態を維持したいと言ったが、「もう一人にはしておけない。一人で住まわせておいた結果としてまた詐欺に引っかかっちまっただろう」と言ったら不承不承ながら介護老人ホーム入りに同意した。本当はここまで追い詰めるのは良くないとは分かっているのだが、そのくらい強く言わないと従いそうになかったのだ。

 

そんなこんなで、昨日の夕刻は本当に死にたいと思うくらいに辛かった。どこかが痛むとか、気分が悪いというのではない、とにかく指一本動かすのも苦痛なくらいの疲れが襲ってきて、もう全て投げ出してひたすら眠りたいという欲求しかなくなったのだ。というわけで、昨夜は、夕食もそこそこに9時には寝床についた。今日は朝7時からの仕事だったので5時には起きなきゃならなかったが、8時間たっぷり寝ることだけはでき、おかげで今日は少し気持ちが収まった。睡眠は重要だ。

明日は実際に出社しての上司との面接、そしてメンタル医者への通院が控えている。上司に現在の気持ちを有り体に伝えるとともに、医者とは相談の上で少し休むことを考えないといけない。今日もなんとか仕事は終えたが、いつもよりも疲れがひどい。で、鬱憤ばらしのためにほとんど文章ともいえないことを書き殴ってようやく少し落ち着いた。昨日まではこんな鬱憤ばらしすらやる気にならなかったのだから、多少はエネルギーが戻ってはきているのかもしれない。ただお世辞にも好調とはいえないし、「普通」の状態ですらない。こういう時に無理に「普通」に振る舞おうとすると、またどこかに何か不具合が起こる。

 

まあ、とにかく明日の通院でなんらかの対策を講じることにする。

今年3度目にして最後のTOEIC受験

皆さま大変ご無沙汰をいたしております。

自称、サラリーマン兼業ライターの佐場元春でございます。ここのところ、活動が全くできておらず、依頼された仕事の納期は2度も延期するわ、11月はこのブログを一本も更新できないわで、どこがライターなんじゃゴルァー!!と突っ込まれても何も言い返せない状態でした。

一応理由はあります。アイキャッチ画像にも乗っけた通り、帯状疱疹を発症してしまったからです。

原因はいろいろ考えられますが、ここのところ寒暖差が激しい日々が続いたということと、会社の仕事が忙しかったから、というのが主なところでしょう。

特に、私のメインストレッサーである会社の仕事は、厄介なことがまた増えそうです。今ですら重荷でしょうがないのに、まだ増える。おまけにまだコロナ騒ぎも収まってないのに、来年からは週三日以上出社しろとかいう指令が出ていて、先行きに対して大いに不安が募ったということもあります。

50歳以上になるとかかりやすくなるとも言われてますし、また、発症の主な原因はストレスだともいわれております。見事にバッチリと発症条件を満たしてしまったというところでしょうか。幸いなことに、発症後すぐに適切な治療と投薬を受けたおかげで、重症化はせず、今は様子を見ながらではありますが、ほぼ通常の生活ができる状態ではあります。

とはいえ、11月中はほぼ1週間何もできない状態ではあったので、会社の仕事は溜まりまくっており、ここ三日間は残業続き、本日も在宅ながら休日勤務をしてようやく溜まっていた仕事を片付け切ったという状態です。

そんなわけで、前回の反省もどこへやら、今回のTOEIC受験もほぼ学習しないまま、ぶっつけ本番で臨むしかありませんでした。

結果がいいわけはありません、L415,R375の計785点、900点への足掛かりどころか、800点すらクリアできませんでした。

机の上の本棚には、まったく手を付けられなかった問題集たちが、ピカピカの表紙のまま、私をあざ笑っています。クソ!!次回こそはお前らすべてをぼろぼろになるまで使い倒して、900点取って成仏させてやるからな、覚悟しとけよ!!!

前回以上に深く反省はしましたが、会社の仕事が立て込んでいるのをいいことに、まだ問題集には手を付けられていません。

今回のテストはオンラインでの受験でしたので、早朝に実施したのですが、結果はともかく、朝から集中したおかげか、その日一日は結構高いテンションでいろんな行動ができました。どうせいつも早起きしてるんですから、毎朝、英語勉強してテンションをあげればいいんだってことに気づかされました。毎日続けたら疲れんじゃねーの?というツッコミはひとまず脇においておいて、しばらくはチャレンジしてみようと思います。何もしなけりゃいつまで経っても、点数は伸びないんですから。

マンネリ化を避けるためにいろいろ努力してるってのは伝わってきたけどね… 『座頭市鉄火旅』鑑賞記

 

 

USB-HDDに録り溜めしておいた作品のラインナップを眺めていた時に、ふと目についた一作。そのまま一気に観切ってしまった。

 

今作は26作ある「座頭市シリーズ」の15作目。放浪を続ける座頭の市が、たまたまたどり着いた足利の宿場で、非道なヤクザと、そのヤクザと癒着した役人に鉄槌を下すというのが粗々のあらすじ。

 

ま、このシリーズは市がいかに格好良く居合斬りでバッタバッタと敵を倒すかがクライマックスで、そのクライマックスまでに、いかに敵役を憎々しく描くかがキモなので、今作もその「文法」に忠実に作られている。ただし、いくらなんでも全く同じ筋立てじゃ芸がないってんで、いろんな仕掛けだけはあった。

 

まず、最大の仕掛けは、市の居合を支える仕込み杖が寿命を迎えていると判明すること。足利の屋台で知り合った鍛冶屋の仙造(東野英治郎)が、「あと一人斬ったらこの刀は折れてしまう」と断言する。この仙造という鍛冶屋は元々は刀鍛冶で、市の仕込み杖は仙造の師匠が鍛えたものだという設定になっている。

 

さあ困った。元々盲目というハンデを背負っている市が、唯一絶対の武器を失ってしまったらどうなるのか?途方に暮れた市は按摩として生きることを決意するが、それを許してしまっちゃ、映画にならない。悪逆非道な県の岩五郎と岩五郎と結託した役人桑山の非道ぶりに、文字通り最期の一太刀を浴びせようと、市は立ち上がる。

 

仮に首尾よく桑山を斬ったところで、その後に群がり襲いくるヤクザたちはどうやって倒すのか?これについては本編をご覧いただきたい。一応辻褄の合う筋立ては用意されていた。なんとかマンネリの誹りを免れようとする、制作者たちの意図だけは痛いほど伝わってくる作品だが、結局はお約束の結末に帰結する。こればかりは如何ともし難い。

 

その他のマンネリ化対策としては、人気者を脇役として起用していること。

 

公開当時、『てなもんや三度笠』で人気が出ていた藤田まことが博打好きでお調子者の馬喰を演じている。『てなもんや〜』でのあだ名「うま」を意識した馬喰という役と軽妙な台詞回しは当時の観衆にはそれなりにウケたのではないかと思う。

 

冒頭で旅芸人一座の花形として登場するのが水前寺清子。この映画の公開は1967年の正月だが、1966年11月にリリースされた『いっぽんどっこの唄』を歌いながら、一座で歩いてくるという設定。おいおい、いくらなんでもこの時代に、あんなど真ん中の演歌なんぞまだ存在してねーだろうがよ、というツッコミを入れざるを得ない演出。なんとか人気者の水前寺清子を引っ張り出すために、時代考証は犠牲にせざるを得なかったのだろう。ま、歌もヒットしたし、水前寺清子ファンも一部は取り込めただろうから、製作者としては「してやったり」だったのかもしれないが…。

 

なんにせよ、柳の下のドジョウがかなり痩せ細ってきていた感のある一作だった。

 

 

結局最後はミスの少ない方が勝つ 2022-23ラグビー観戦記1(早大vs慶大 TV観戦)

news.yahoo.co.jp

 

11月23日というのは晴れの特異日だという。永遠のライバル校である両校の対戦は、晴れの確率が高い日にしようということで、毎年この日に行われることになったのだが、今年は珍しく雨中の対決となった。

 

前半は、慶大がこの雨をうまく利用した。雨で滑りやすい状態のボールを早大の選手が扱いあぐねているところをついて、密集でのターンオーバーを5回も成功させたのだ。慶大は俗に「魂のラグビー」などと言われ、何かいいプレーが出ると「気合が入っていた」とか「気力で勝っていた」などという形容をされることが多いのだが、なんのことはない、密集でのボール争奪戦の技術を磨いたことと、早大の選手より素早く密集に集合するフィットネスを身につけていただけのお話だ。気持ちなくしては戦いに臨めないというのは真理だが、さりとて、気持ちだけでは勝負には勝てない。勝負するだけの技術をきちんと身につけるためのトレーニングを積んだ成果が出たのだと思う。

 

プレーしていて一番気持ちが萎えるのが、このターンオーバーというプレー。特に相手ゴール前まで迫っていてこれを食らって逆襲受けて逆にトライまで奪われたりしたら、一気に気持ちが凹む。試合の流れが完全に相手に傾いてしまうことも多々ある。

 

しかしながら、慶大は、ターンオーバーこそ成功させたが、その後の逆襲から得点につながる機会がほとんどなかった。結果的に前半は10-0とリードを奪ったのだが、逆にいうと10点しか取れなかったことで流れを自軍に引っ張り込むことができなかった。

 

流石に早大の選手は、失敗を失敗のまま終わらせるようなやわな神経は持ち合わせていないようだ。傷を最低限に食い止めるという気合いと、それを実現するだけの技術、体力を持ち合わせている。そうでなければレギュラー獲得などおぼつかないのが名門校の名門校たる所以だ。

 

何しろ両校ともにいいプレーよりもミスの方ばかりが目立った。ラインアウトはノットストレートやスチールばかり、キック処理時のノックオンも、ダイレクトタッチも目立った。スクラムもアーリープッシュや、出すタイミングの誤りなどスッキリしない場面ばかりだった。

慶大は明大に、早大帝京大にそれぞれ前節で大敗したが、本日の早慶戦を見ている限りでは敗れるべくして敗れたという感しかなかった。

 

後半は、流石にフィットネスの落ちた慶大は簡単にターンオーバーできなくなった。もちろん早大が前半の反省を踏まえて接点での攻防により深い注意を払うようになったこともあるが。

 

ミスが生じやすくなるハンドリングプレーを避けて、ラインアウトからのモールで二本トライをとって逆転したところも「勝ち慣れている」感を受けた。拮抗した試合であればあるほど、こうした勝負勘がモノをいう。

 

大学選手権に向け、両校がどこまで立て直すことができるか?今のままの状態では帝京大に勝つことは非常に難しいと思う。

 

慶大は卓越した能力を持つ切り札的な存在が不在だ。

 

早大は、今日の慶大に手を焼くようでは、接点の攻防においては二枚も三枚も上手な帝京大を崩すことは難しいと思う。BKの走力という長所はあるものの、球の争奪戦で敗れていては折角の武器も宝の持ち腐れとなる。

 

少々気の早い予想だが、今年の大学王者は帝京大しか想像し得ない。次節の早明戦でよほどの圧勝を見せない限り、この予想は覆らないと思う。

事前予想は見事に外れたものの…、読み応え十分な時代小説 『室町無頼』読後感

 

書店の店頭で、「著者サイン本」とあったのを衝動買いした一冊。

 

題名からして、織田信長あたりを主人公にした小説ではないかと、勝手に想像して読み始めたらさにあらず。

 

主人公は才蔵という少年。世にいう「嘉吉の乱」で将軍足利義教を暗殺した赤松満祐に仕えていた武士の子である。歴史の教科書には間違っても出てこない人物だ。最高権力者を殺した人物の家は断絶し、武士としての禄を食むことができなくなった才蔵の父は、農村で農民以下の存在として、使いっ走りなどの雑役をこなすことでかろうじて生計を立てている。その子に生まれた才蔵には希望の持ちようがなかった。父に倣って雑役をこなす傍らで、我流で六尺棒を振り回す毎日。

 

この我流ながらも、毎日鍛錬し続けることが「強さ」につながった、という主人公の話は別の時代小説にも登場した。私は中学、高校と剣道部に所属していたが、もっと真剣に素振りを繰り返していたらもっと強くなれたのかもしれない。

 

余談はさておき、才蔵は父の死を機に都に出て、油売りの大店の行商として働き出す。ある日、売上金を狙って襲ってきた牢人を撃退したことで、比叡山延暦寺の資金を元手にした土倉(金貸し)の用心棒として雇われる。

 

そこで、この物語の重要な脇役、骨皮道賢と出会い、その後の運命が大きく変わっていくこととなる、というのが身も蓋もないあらすじとなる。道賢は京都の治安を預かる立場だが、当時の乱れ切った世の中をどうにかして変えていきたいという志を秘めた人物。

 

そして同じ志を持つ人物として蓮田兵衛という人物も登場する。彼は言ってみれば往年のヤクザ映画に出てくるような織り目正しい侠客。権力には楯突くが、市井の人々に対して危害は加えない。むしろ市井の人々に安寧をもたらすためには今の世の中を変えるべきだという志を持ち、「革命」の機会を静かに待っている状態だ。

 

道賢と兵衛は表向きは仇同士だが、世の中を変えたいという共通の意識で、一種の親友のような間柄でもある。一方で芳王子という遊女をめぐる恋敵でもある。この芳王子も重要な脇役の一人。ついでに言うと、才蔵の童貞喪失の相手でもある。

 

さて、才蔵は道賢から蓮田に身柄を託される。蓮田は棒術の達人「唐崎の老人」に才蔵の鍛錬を委託する。才蔵はこの老人にそれこそ死の一歩手前まで鍛え上げられる。どのように鍛えられたかは是非とも本文をお読みいただきたい。鍛錬方法そのものはなかなかに想像が難しいのだが、その鍛錬の結果、卓抜した技量を身につけた才蔵の感想については実にわかりやすく描写されている。この後才蔵は「吹き流し才蔵」として武名を都に轟かすこととなる。

 

垣根涼介氏は、ご自身の作品についてその全てを「冒険小説」であると解説している。例えば『君たちに明日はない』シリーズのような、現代の人間の生活そのものに密着したような小説であっても、転職や退職というイベントは人生を大きく左右するような冒険であるという考え方に基づくものだ。

 

この物語においては、乱れ切った世の中をなんとか安定させ、民に安寧をもたらそうと奮戦する蓮田と道賢の姿が描かれる。そして才蔵は世の中を変えるために必要な「武」の実践者であるとともに、革命勢力の「力」の象徴としての役割をも担うことになるのだ。いざとなれば「吹き流し才蔵」がどんな難敵でも倒してくれるという意識は、ともすれば烏合の衆になりがちな土一揆勢に一本芯を通すのに大いに役立った。

 

残念ながら、奮戦虚しく蓮田、道賢の思いは実現しなかったが、こうした都の民衆のムーヴメントが一つのきっかけとなって応仁の乱が起こり、やがては戦国時代に突入していくのである。民が安心して暮らせる世が来るのは、彼らの蜂起よりも一世紀くらい後にはなったが、無法が蔓延る世の中を少しでも秩序のある方向に持っていこうとした彼らの奮戦は決して無駄ではなかった、と考えることに救いがある。