脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記85(姪っ子とTOEICとドラマでニヤニヤ)

生後10ヶ月の姪っ子ちゃん、また一つ進化した。ハイハイで前進できるようになったのだ。

 

今までは、後退することしかできず、しばしば椅子の下などに潜り込んで、さながら「充電状態のルンバ」みたいな様相を呈していたのだが、いきなりかなりのスピードで前進するようになり、ちょっと目を離したら階段の近くまで行っててびっくりなんてな事態が頻繁に出来するようになったとのことだ。ハイハイの前につかまり立ちをしていたので、このままはわずに、いきなり歩いちゃうのかな?などと少々不安になっていたところではある。ハイハイをしないと、十分に腹筋が鍛えられないまま、成長してしまうので、長じた後に不具合が生じるそうなのだ。かくいう私が、まったくハイハイせずにちょうど10ヶ月くらいでいきなり歩いてしまったそうなのだ。長じて後、腹筋のトレーニングを大の苦手としていたという実体験もある。姪っ子ちゃんのハイハイ開始は大いなる朗報だ。

 

2/28(日)には3ヶ月ぶりのTOEICを受験する。ここのところ会社で開催してくれていた、オンライン形式のものばかり受験していたので、「紙」に記入する形式は2年ぶりくらいになるだろうか。自分で試験会場に行って受験などということになると、もう5、6年ぶりくらいのことになる。

 

今年は会社主催の3回の受験の他に、自分自身でも3回受験してみるつもりだ。田舎への移住に際しての「保険」として、TOEICテストの公認講師という資格を取得しようと考えているからだ。この肩書きがあれば、田舎の塾での英語の講師くらいはできるだろうと考えてのことだ。遠距離の通勤がシンドくなることも考えられるし、今のままでも仕事はつまんないし、サラリーマンの宿命として、どこかの土地にポンと飛ばされる可能性だってある。つまり、会社をやめたくなるという誘惑がそれこそ空気中に無数に浮遊している状態に放り込まれるのだ。いざというときの備えはしておくに越したことはないし、備えは多いほどよい。

 

さて公認講師になるには専門の講座に通う必要があるが、その講座への参加資格が830点以上のスコア獲得実績があるということ。現在までの私の最高スコアはちょっきり800点。あとひと頑張りすればなんとか手が届きそうなスコアではあるのだが、毎日の仕事と勉強の両立というのは実にシンドい。私が常々罵倒しているマッスルバカの気持ちもわかるのだが、あのバカとはレベルが違う。あっちのスコアはせいぜい400点であり、やる気という壁さえクリアすれば、すぐに100点や200点のアップは期待できる。800点以上となると、やっぱり語彙力とか文法とかに関して、ある程度以上の力がないとスコアアップは難しい。大学受験時、英語は苦手にしていつも後回しにしていたが、そのツケがこんなところで回ってきてしまった状態だ。サボってしまえば、どこかで必ず報いを受けるという重い事実を突きつけられた格好になっている。とりあえず、今回の受験に向け、公式問題集に挑む日々が続いている。

 

当家の最高権力者様はドラマ好きなので、私もその御相伴に預かることが多いのだが、先週末のTBS系『俺の家の話』とフジ系『監察医朝顔』を両方ともみて、シンクロニシティーでちょいとニヤニヤ。

 

平岩紙氏が前者では長瀬智也演じる主人公観山寿一の元嫁ユカ、後者では上野樹里演じる主人公朝顔の同僚藤堂絵美を演じている。ユカはバリバリの関西弁を操るキャラ設定がなされているが、絵美の方は普段は標準語を喋っている。今回の『朝顔』のオンエアでは、絵美が夫(板尾創路演じる藤堂雅史)の関西にある実家に正月休みの間帰省していて、休み明けは夫の家族の影響で関西弁を喋る、というシーンがあったのだ。『俺の家』でバリバリの関西弁を喋っている姿を見ていたせいか、全然違和感がなく、本来ならこのシーンで意図していたであろう、関西弁独特の「感染力の強さ」の表現よりは平岩氏の演技の達者さと、両作品のシンクロニシティーの方に関心が向ってしまった。

 

なお今回の『朝顔』では朝顔の父万木平(時任三郎)の元同僚役でダチョウ倶楽部肥後克広が出演しており、彼らのお約束フレーズ「聞いてないよ〜」とやはり鉄板ネタ「熱々のおでん押し付けるぞ」がセリフに織り込まれるという細かなくすぐりもあった。

 

さて、両作品の最大のシンクロニシティーはゲスト出演の美保純氏の役どころだった。

 

前者では彼女は観山家の元家政婦で、観山寿三郎(西田敏行)と関係してしまい、現在観山家に芸養子として入っている寿限無桐谷健太)を産んだという設定。後者では、異国の地で自殺したとみられる夫の死体の再解剖を娘ととも依頼してくる猿渡佳織という女性を演じている。両者とも、戸籍上の夫以外の男性との子をなし、その事実を隠していたというキャラクターなのだ。『俺の家』の方では寿限無にその事実を告げたことで、観山家に騒動が巻き起こる模様をコミカルに描いているが、後者の方では、娘が実の子ではないと知ったことが自殺の原因ではないかと悩む姿がシリアスに描かれる。同じような状況下にありながら、描かれ方が全く対照的だったのだ。知名度、年齢的な問題、過去におけるやや乱れた異性関係をイメージさせる女性としては、日活ロマンポルノで人気を博した過去を持ち、近年ではバラエティー番組にも進出してさまざまな顔を見せている彼女は、イメージにピッタリだ、というのは確かなのだが、他にいなかったのかよ?両作品の放送時期が非常に近くなってしまったことで、少なくとも私にとってはニヤニヤ笑いを生じさせる結果となってしまった。コメディー要素の強い前者にとってこのニヤニヤ笑いはプラスだが、家族の問題を正面から扱った後者の作品にとってはマイナス。どちらの撮影が先に行われたのかは不明だが、キャストもしっかり選んどかないと、意図せざる変な効果を生んじゃうな、と感じた。両方の作品でちゃんと「それっぽさ」を演じ分けていた美保氏には感心したがね。

 

 

支離鬱々日記84(窓際サラリーマン家を買うシリーズ9)

先週末は、新居の建築を依頼している親戚筋の建築事務所との二度目の打ち合わせだった。

 

前回述べた希望事項を盛り込んで、二通りの設計図を書いてきてくれた。

 

こちらの要望に対して大きく変更になったことが一つ。それは、平屋ではなく二階屋にするということだ。

土地の延べ面積との兼ね合いで、建坪は30坪前後となるのだが、そこに、LDK、寝室、最高権力者様の楽器部屋、私の書斎それにバス•トイレなどの生活必需機能空間を考え合わせると、平屋では無理、というのが先方の判断。今後加齢を重ねていく我々夫婦にとっては、階段の登り降りというのは少々不安の残る要素(特に最高権力者様は非常に心配されている。確かに、私の身体が不具合を起こした場合、最高権力者様に階段の登り降りの際の介助を頼むのは私にともっても大いに不安ではある)ではあるのだが、いよいよダメになったら入院でもなんでもするしかない。そしてそんな日はすぐにくることはないだろうと、腹をくくるしかなかった。

 

夜間に尿意を覚えた時などに階段の登り降りを伴わないようにするため、2階にもトイレを設置することを新しい要望とした。金は余計にかかることにはなるが、階段から転げ落ちて怪我するよりはコストは安く済む、とこちらも腹を括るしかなかった。

 

宅地の与件状況は、北側が道路に面した、東西に長い長方形となる。玄関は道路脇すぐに設けるのではなく、東側に設置する駐車スペースを通り抜けた東南角に設置することにした。玄関が道路に面していると、不審者に直接侵入されるという不安がつきまとうので、この提案には、私も最高権力者様も即座に同意した。

 

で、1階にはLDKと、水回り、それに楽器部屋を設置。玄関脇にはシューズクローゼットも設置することにした。おおー、えれえ豪華じゃねーの、渡辺篤史に訪問されても余裕で公開できちゃうぜ…『劇的ビフォーアフター』で改築後の家を紹介する時のメロディーが頭の中で鳴り出すのを感じながら、2階の設計図へ。物干場にもなるベランダを脇にしたがえた寝室、私の書斎、そしてウォークインクローゼットに物置スペース。完成時に感涙に咽びながら、部屋を見渡すシーンが頭に浮かぶ。ついに、一般人としての夢の一つである我が家が手に入るのだ。という実感が実家の床暖房の暖かさとともに足元からじんわりと湧き上がってきた。

 

どんな本を読んでも、カタログの部屋を眺めても、プロが培った知見や見識を元に書き上げた設計図に勝るものはない。今まで遠い霧の向こうに、漠然と存在していたかのような「我が家」というものの具体像が一気に鮮明になった。とはいえ、まだまだ想像上の像ではあるが…。

 

さて、今までにこちらが懸案事項として持ち合わせていた事項もいくつかクリアになった。

•食洗機は「利用頻度は少ないものの、まあつけておいても良いだろうという設備。すくなくとも食器の乾燥にはそれなりに役立つ」という親戚のアドバイスに従い設置することに決定。設置に否定的だった母親はぶつぶつ言っていたが、まあ実際に使うのは我々なのだから、と押し切った。

 

•ソーラー発電システムは、電力の買い上げ価格の下落により、ペイするまでにより長期間を要することになったのと、自宅で蓄電しておくにはやはり多額の投資が必要だとのこと、及び、撤去の際にやはりバカにならない費用がかかるということで、設置しないことになった。最高権力者様は、ソーラー発電システムを設置しておけば、万が一の停電発生の際に補助電源になると想定していたのだが、現在のソーラー発電設備は。元々の想定が発電した電力を電力会社に売るためのもので、蓄電する設備はないし、自前の蓄電設備は前述の通り、万が一の備えとして持っておくには高価に過ぎるということでこの結論に落ち着いた。

 

•エネルギーはすべて電力の、いわゆるオール電化にする。当家の新居が建つ土地は造成された宅地の一角なのだが、この宅地の周りは全く宅地化が進んでおらず、いまだに見渡す限り田んぼと畑が広がっている。従ってインフラ整備が進んでおらず、都市ガスが通っていない。プロパンガスだと(都市ガスでも一緒だが)、直接火を出すことになるので、火災の心配がどうしてもある。電磁調理器やボイラーなどもかなり技術革新が進み、使いやすくコストも抑えられているとのことで、この結論に至った。最高権力者様は根強く停電時の心配を口にしておられた。以前に住んだ僻地の集合住宅が建物丸ごとオール電化だったのだが、一度停電してひどい目にあったことがあるからだとのこと。私は仕事で不在にしていたので、その時の様相の悲惨さはピンとは来ないのだが、水は出ないし、湯はわかないしでかなり難儀ではあったらしい。まあ、その時と比べれば自然環境が全然緩いのでよほどのことがない限り大丈夫だと思うし、いざとなれば、すぐ近くに親戚やら知り合いがたくさんいるので、一時避難も可能だ。

 

•書斎にはL字型の机を作り付けで設置する。空いた一方の壁には、棚の高さが調節できる書棚をやはり作り付けで設置する。これは私が最も拘りたかったこと。机の壁際にはコンセントを多めに設置してもらうなど、細かな要望もしておいた。

 

建物という大きな枠組みの基本方針は決まった。あとは、どれだけのモノをその枠の中に持ち込むか否かを決めなければならない。私の持ち物のうち、二つの本棚と現在使用している机、椅子は売り飛ばす(または廃棄する)。取捨選択検討品としては、最高権力者様の持ち物である楽器類、嫁入り道具として持ってきた箪笥、そしてその中に入れておく衣類、大塚家具にまだ企業価値がある時代に買い求めたアンティーク、やはりアンティークのライティングビューローなど、私の持ち物では衣類、本やCD、DVDといったソフトの類。移入が決定している共通のモノとしては炊事用具に冷蔵庫、洗濯機といった大型家電。転居を機に新しく取り入れたり、買い換えたりする物としては、2台のベッド、ソファとソファ用のテーブル、ダイニングテーブルと椅子、それから私の書斎用の椅子。これらの動向によっては部屋のディテールも弄る必要が出てくるかもしれないので、慎重に決めていかないといけない。

 

転居を機に買い足したいな、と漠然と思っているのが、ワインセラーと寝室用の二台目のテレビ、ミニコンポ。これは完全にお金との兼ね合いで決まる。家を買うことに金がかかるのはもちろん、現住所の退去費用、引っ越し費用などなど、いくらかかるか未定な費用が幾つかあるし、思いもかけないところでお金が必要な事態が出来するかもしれない。軽々にお金をうごかすようなマネは控えておくに限る。

 

スケジュールとしては、当初の想定通り、ゴールデンウイークあたりに着工して、9月中旬までに完成、10月いっぱいかけて引っ越しということで落ち着きそうだ。まあ、コロナの影響やら、夏場の台風、それについ最近も起きた大きな地震などにより、ずれ込む可能性はあるが、あと半年もすれば、新しい暮らしと、自分たちだけの自由な空間(私一人になれる空間まである!!)が手に入るということを考えるとワクワクする。当面は設計図と、キッチン関係のカタログを交互に見ながら、ある程度の具体性を伴った新居の形を予想して楽しみたいと思う。

 

 

 

 

支離鬱々日記83(窓際サラリーマンは惑い、狼狽える)

先日、今年1年の業務について上司とすり合わせをする機会があった。

 

業務全体に関しては、内容、量とも昨年と変更なし。ただし、部署全体で人手が足りないという空気が漂っているため、2ヶ月後の大規模な人事異動を踏まえ、ある程度業務が増えることも示唆された。

 

まあ、新しく割り振られる仕事の内容や量にもよるが、今のところ時間を持て余し気味なので、新業務に関してはウエルカムではある。マッスルバカとの接点がなければいいな、くらいの希望はあるが。もっとも、接点ができればできたで、隙だらけ、ミスだらけ、段取りの悪さだらけのバカにはツッコミどころが満載なので、「正当に」叱責できるという憂さ晴らしにはなるが(笑)。

 

一つ気になったのが、現部署に来て、5年目という節目に当たるということだ。そろそろ転勤の声がかかってもおかしくない。普段なら転勤も気分転換になって良い、という気分にもなるのだが、今年は何しろ、秋に新しい家を建てて田舎に引っ込むという人生の中でも最大級のイベントが控えている。郷里から通勤不可能な土地に転勤などということになったら、それこそ一大事だ。人事に関するクレームは会社に対しての最大のタブーであるというのは重々承知だが、もしそんなことになったら、今回ばかりは声をあげざるを得ない。こういう時はどこを頼りにしたら良いのだろうか?会社には御用組合しか存在してないしなぁ…。個人事業主の組合にでも頼るしかないか。リサーチしておく必要はありそうだ。

 

上司は半ば笑いながら「おそらく、10月以降の『生活環境』がガラリと変わるような転勤はないと思いますよ」とは言っていたが、最高の実績をあげた直後に最悪の異動で島流しにあい、そこでヒネクレてしまったことが、今に至る転落人生の始まりだと恨み骨髄に達している私にとっては、にわかには信用できない言葉と笑顔であった。

 

先祖伝来のネガティブ思考遺伝子を持ち合わせる私としては、最悪会社を飛び出した場合については考えてみてはいる。田舎であっても需要がありそうだと考えたのが学習塾の講師。これについてはTOEICテストの公認講師の資格取得とエクセルの知識習得を目ざして鋭意学習中だ。TOEICについては2/28に受験予定で、何とかここで公認講師取得に必要な830点を取りたいと考えている。エクセルについてはすでにMOSのエキスパート資格を取得済みではあるのだが、現在ではほとんどその知識は頭の中から消え去っているので、もう一度学び直す必要がある。とはいえ、いろんな誘惑があちこちから降ったり浮かび上がってくる日常の中で意欲と勉強時間を確保、維持するのはなかなかにシンドいことではある。

 

エクセルに関しては日常業務で使う機会が多いので、ここで作業工数の削減につながる工夫を見出して、文字通り、実践を通して知識を深めていくこととしたい。表向きの業務目標の他に、この目的が加わったことで、多少なりとも業務へのモチベーションが高まったのは事実だ。この高まりがいつまで続くのかについては、自分でもよくわからんが(苦笑)。

 

TOEICについては、さまざまな識者が語っている通り、「公式問題集」の問題に数多くあたり、間違ったところは丁寧に解説を読む、という学習方法を続けている。860点くらいまでのランクであればこの方法が一番効果的なのだそうだ。確かに、「900点取得」とか「満点獲得」などという謳い文句が躍る問題集は、難しすぎる問題が多い。こういう問題集に出てくるような問題は出てもせいぜい10〜20問くらい。当面の目標である830点を目指すに当たっては確かに不要だ。ただし、990点を目指す、という目標も持ってはいるので、いずれはこういう問題集も利用する必要は出てくるだろう。まずは830点をクリアしないことには次のステップには進めないのだから、「今」は公式問題集を解くことに注力することが最良の選択である。

 

まあ、私は私の郷里では1、2を争うと言われている進学高校の出なので、地元のナントカ教室に勤めるのであれば、通りはいいだろうと勝手にタカを括っている。大学よりも、旧制中学の流れを組むような公立高校の名前の方が幅を効かせるのは田舎の特徴だ。大学(私はその前の段階の予備校だったが)に行けば、いかに自分の世界が狭かったか、あるいは上には上がいるということを思い知らされるのだが、そんなことにお構いなしに価値を持ってしまうのが、地元での「名声」というやつだ。せいぜい利用させてもらうことにする(笑)。

 

支離鬱々日記82(PCR検査とKindle Unlimitedの影響と政治家の失言)

先日、職場でPCR検査を受ける機会を得た。少量の唾液を提出するだけで良いという触れ込みだったが、それなりの量をためるには少々時間がかかった。普段唾液の出具合なんぞを気にする機会はないし、ましてや無理やり絞り出すなんて行為はほとんどない。生後10ヶ月になろうとする姪っ子ちゃんは、何が面白かったのか、一時期、唾液を盛大に口から吐き出す、という行為にはまっていたようだが…。なんだかんだで、洗面所で10分くらいかけて唾液の採取は終了。ついさっきまで口の中にあった液体なのに、非常に汚らしく感じてしまうのは何でだろう〜♪とテツandトモ風の一人ツッコミを入れながら、十重二十重と言って良い厳重な包装をして、提出。3日ほどで無事「陰性」の判定が降りた。とはいえ、今日は陰性でも明日も陰性のままであるという保証は全くない。引き続き、注意に注意を重ねるような生活は続く。まあ、会社に行かなくて済むので、今の生活の方が快適ではあるがね(笑)。

 

最近はKindle Unlimitedの対象となっている書籍ばかり読んでいる。ちょっと前までは、本屋の店頭でちょっとでも気になった本は即衝動買いだったのだが、その後は気になった本をKindleで探してDLするという行動に変わり、最近は、興味のあるワード(移住、家を建てる、ラグビー、介護など)を入力して、出てきた本を「Kindle Unlimited」というフィルターにかけて、残った本を読む、という行動様式がルーティーン化してしまった。

 

これには良い面と悪い面がある。

 

良い面は、何冊読んでも定額であるということ。買うほどの興味はないが一度試しに読んでみたい(コミックや今まで読んだことのない作家の作品)とか、限られた期間のみ必要な知識(家や地方移住に関する知識)を得るための読書なんぞはこの制度で読むに限る。モノとしての書籍の量を減らすことにもつながるし、購入金額の総量を抑えられるというメリットもある。

 

悪い面は、読もうと思って買っておいた本を読む時間がなくなることと、Kindle Unlimitedに入っていることがほぼ第一位の選択基準になってしまうこと。今までに溜め込んだ本は、モノ、データともに膨大な量となっているので、新しい本を物色する前に、まず買ってある本読め、って一人ツッコミを入れざるを得ない状態が常態化している。Kindle Unlimitedの対象であるか否かは本来本の中身とは何ら関係がないはずなのだが、ついつい同じ読むなら安く済む方、という損得勘定が働いてしまう。その結果として、重要な知識なり情報なりを習得しそびれているのではないか?という恐れも常に持っている。まあ、普通に選んで買うなりDLするなりしても、こうした「選択ミス」をしてしまう恐れは十分にあるのだが。

 

いずれにせよ、Kindle Unlimited対象か否かを重大な購入基準とすることについては、懐疑の目を持ち続けていくことが必要であろう。

 

森喜朗氏の女性蔑視発言を受けて、東京五輪のボランティアの辞退が相次いでいるが、その事態を受けての自民党の二階幹事長の発言がさらなる負の波紋を呼んでいる。

 

まあ「人の噂も75日」ってやつで、今でこそ女性蔑視発言の報道も散々なされ、それに付随して森氏を非難する論調の報道、ネットでの発言などが飛び交っているものの、この状態はそうそう長くは続かない、というのは、二階氏の経験からも、今までの社会現象についても考えあわせてみても、概ね間違いではないだろう。

しかし、これこそ、「場を弁えない」発言だった。

仲間内でなら許されても、マスコミを前にした公的な場での発言はそれ相当の重みを持つものだ。火消しどころか、火に油を注いだ上にふいごで空気を送り込むような発言だったように思う。少し経てば、今の怒りとか問題意識なんかすぐに忘れて、また別の話題に気を取られるようになるさ、って意図が透けて見える発言は国民全体を馬鹿にしたものであると言われても反論の余地はあるまい。確かに大衆は忘れっぽくはあるが、大衆が忘れてしまったらそれで終わりという問題ではないものが背後にあるのだ。しかも幹事長といえば政権のど真ん中の人間である。引退間近で、政治の中枢からは外れている森氏とは立場がまるで違う。勝てば官軍、という驕りが招いた、実に重大な失言だったように思う。安倍一強の弊害はまだこんなところに残っていたんだな。

支離鬱々日記81(家買うシリーズ8と姪っ子とラグビー経験者の失言、その他)

先日、母の介護レベルの認定に、市役所から係の方が派遣されてきた。医者の見立ても、少し前に訪問を受けた保健師からも、「いますぐに介護が必要な状態ではない(自立)」と認定されるだろうとのことではあったが、一度第3者の目から冷静にみた自分自身の状態を把握しておきたい、という母の希望もあり、介護初心者である我々夫婦も「どんな感じ?」という半ば好奇心のような気持ちもあって、訪問を受けてみた次第である。

 

やってきた係の方は、マニュアルに忠実に質問をし、簡単な運動能力のチェックをした。通りいっぺんの対応ではなく、母の状況をきちんと把握しようと努めていただいていることはよくわかった。母もやや話が回りくどい上に、同じ話を何度かしてしまう(これは老化が進行する以前からの癖)ことはあったが、まあ、病的なほどに衰えているという感じはなかった。認定の結果が出るまでには1ヶ月ほどかかるそうだが、まあ、おそらく「自立」だろう。それこそ寝たきりで動けないとか、話が全く通じない、という方いるだろうし、そういう方から考えれば、ウチの母などは健常者と言って良いくらいだ。秋には近距離居住も始まることなので、それまでの期間、利用できる制度は利用していきたいと思う。

 

それにしても、係の方は、高齢者の家庭を訪問する立場であるということもあり、コロナ感染防止のためマスクを外すことができないそうで、お茶の一つも出せなかった。時節柄仕方ないとはいえ、大変だ。ペットボトルのお茶と、ホンのちょいとした土産を差し上げた。

 

新居の建築費用に関しては、基本的に手持ち資金を充てることにしてはいるが、税金の関係などで、預金をとり崩して支払うよりは、銀行でローンを組んで借り入れた方が得な場合もある、との親戚からのアドバイスもあり、現在、郷里の地銀に勤めている高校時代の友人に相談してみることにした。コイツとはお互いが就職した後も結構つるんでいたのだが、あちらは海外勤務、私は国内の僻地と勤務先が思いっきり離れてしまった10数年前からほとんど没交渉になってしまっており、最近では年賀状のやりとりさえしなくなっていた。お互いの連絡先すら知らないのだから、年賀状もへったくれも送りようがない(笑)。で、共通の友人に問い合わせてみたら、果たして現在の連絡先を知っていたので、早速かくかくしかじかと事情を述べたメールを出した。

 

すると早速メールの翌日に電話がかかってきた。現在彼は出世して、現場からは離れているが、状況を聞く限り、有効なアドバイスができる部下を紹介できそうだとのお話。持つべきものは友人である。よもやま話の中で、ご息女は私の奉職する企業とはライバル関係にあたる会社に奉職中、ご子息は昨年4月に都内の大学に入学したものの、校舎での授業は一切なく、リモート授業ばかりだったので、居住していたアパートも引き払って実家に帰ってきているなんてこともわかった。こんなところでもコロナ禍の影響か。コイツと話していると、高校時代の精神状態に戻りはするのだが、話の内容で現時点に引き戻されてしまう。向こうの方が子供がいて、親の立場での経験を積んでいるし、仕事の大きさも全く違うので、かなり「大人」になってるなぁ、という印象。いいんだ、別に、精神的に成熟していれば幸せかっていうとそうでもない気がする。いい歳こいてピーターパン症候群に罹患している私は負け惜しみを独りごちた。

 

先に述べた、母親の介護認定の日の夕刻、姪っ子ちゃんに会いにいった。この日は訪問早々「高い高い」をやってあげたのだが、少しご機嫌ななめだったようで、喜ぶどころか泣かれてしまった。姪っ子ちゃんが泣いているのをみると、胸が痛かった。比喩的な意味ではなく、本当に痛かったのだ。可哀想で胸が痛い、という経験は初めてだ。こういう経験こそが親の醍醐味なのだろうな、と思った。なお、姪っ子ちゃんは、我々の訪問中に入浴し、多少機嫌を直し、そのうちにコロッと寝てしまった。寝顔がまた素敵に可愛い。こういう顔を見せられちゃうと、お父さんとしては頑張らざるを得ないんだろうな、とも思わされた。今の当家にできることは、初節句を迎えるにあたり買い求めたという雛人形セットの費用を半額持つことくらいだ。次回は2月の末に雛祭りパーティーをやるらしいので、その時は笑顔でいてね、姪っ子ちゃん。

 

森喜朗氏の失言が散々に叩かれている。一昨年のラグビーW杯を日本に誘致し、戦績、運営ともに世界に恥じない大会にした功績は認めるし、この方の関係者が友人にいるので、悪口は書きたくないのだが、批判せざるを得ない。こういう人物が、スポーツという一側面とはいえ、日本を代表する人物でいることは、正直言って恥ずかしい。彼の言葉をもじった「#弁えない女」というワードが一時トレンドワードとして沸騰していたが、場を弁えていないのは森氏本人であろう。酒の上での与太話か、せいぜい内輪の会合の際のジョークの一つでいうのならまだわかるが、公的な場で堂々と言い放って、しかも本人が全く問題だと思っていないところが大きな問題だ。余計なことを言いさえしなければ、少なくともラグビーW杯「は」成功に導いた(その陰でひどい目にあった人々が少なからずいるということはあっても)人物として記憶に残ったんだけどねぇ…。おそらく、「表舞台」最後の晴れ姿になるはずが、思いっきり「晩節を汚す」結果になってしまった。もっとも、この方の最盛期、すなわち総理在職中もロクなことをやらなかったというイメージしかないが(笑)。コロナの影響で五輪開催が危ぶまれる中で、いろんな調整におわれる苛立ちがなさせた失態だったんだろうと、多少フォローじみたことを書いておく。なにしろ、知り合いの「親分」だし、その知り合いと仲が悪くなるようなことにはなりたくないので。

 

 

一番の決め手は経済的基盤の有無 『移住✖️リモートワーク 誰も知らない移住のポイント』読後感

 

 Kindle Unlimited対象本でなければ読まなかったであろう本シリーズその7は、現在のところの私の最大の関心事である、地方移住の実態を綴った一冊。昨年秋に母親に要介護の可能性が生じなければ、あと10年は関心を持たなかったであろうジャンルの本でもある。

 

コロナ禍のおかげで、家にいざるを得なくなり、企業もその社員に在宅のままで業務をさせざるを得なくなったおかげで、テレワークが一気に社会に浸透した。もともと、ワークステーションとしてのPCがあって、ネットに接続が可能であれば会社という「場」に行かなくても可能な職務というのは多々あったのだろうとは思うが、コロナ禍で、それが一挙に表面化し、あまつさえ、「推奨」さえされるという事態が出来した。同じ企業に営業職として在籍する後輩に聞いてみたら、最近はクライアントの方が、来訪ではなく、TV電話システム等を用いてのリモート面談を要請してくるとのお話だった。ど根性営業職だった経験のある私としては、流石に商談をリモートで行うということにはやや心理的に抵抗はあるのだが、自分が訪問を受ける立場である現在の職務においてはリモートの面談の方が便利だとも感じている。私の業務は少々特殊で、同じ職務を行う同僚が関西の拠点に存在する。今までなら、取引先は私と、関西の同僚を訪問するという、時間的にも距離的にも無駄の多い二度手間を踏まなければならなかったのだが、今なら、リモートで、一度に済んでしまう。しかも関係者全員が「同席」するので、話が変に食い違うこともない。

個人的に言うと通勤にとられる時間と体力が浮くことは非常にでかい。ストレスの量が全く違う。減ったストレスの分だけ有益なアウトプットがなされているのか、と問われてしまうと何も返せないのだが(笑)。

 

閑話休題。コロナのおかげもあって、今まで常識とされていたことの多くがその根幹を揺るがされている。職住接近もその一つだ。前述したように多くの業務はリモートで事足りることが明白になった今、職場に行くことが「必須」ではなくなってきており、したがって、職場に近い場所に住む必要も無くなった。会社に行くことが「日常」でなく、いわば出張するようなものであるなら、コストの高い都心近くに居を構える必要もない。というわけで、昨年は都心への通勤圏内と思われていたゾーンのさらにその先を生活の拠点にしようとする人々が増えたようだ。東京都は人口流失の方が多い都市になったようである。私も今年中には東京脱出組の一人になる予定である。

 

著者吉永氏は、もっと思い切った。都内から北海道の、それも大雪山の麓にある東川町に引っ越してしまったのだ。ご主人は海外の会社を中心に幾つかの業務を掛け持ちしているが、ほぼ全てリモートワーク。著者はホテル経営の傍らでヨガ教室を運営しているそうだ。昨今の情勢下で、海外からの来訪を見込んだホテルの客はほぼ0だが、ヨガ教室の方は、リモートでの利用者が全国にいて好評を博しているとのことだ。

 

地方移住の魅力については、この本の本文に当たっていただいても良いが、何より、移住を考えている人本人が、移住したいと考える土地に魅力を感じたことが移住への大きなモチベーションなのだろうから今更メリットをあげても仕方ない。

 

デメリットももちろん色々あるが、デメリットよりもメリットの方が大きいと感じるからこそ移住に踏み切るのだから、こちらも具体的なことをあげても仕方ない。

 

メリットとデメリットを比較する際に一番の大きな要因となるのは、収入の確保が可能か否かだ。私の場合は、現時点では、今の会社に奉職しながら通常の業務は在宅で行い、週に何度か出社して、早々に逃げ帰ってくるという勤務形態を取ることを考えているので、経済的基盤は今のままである。現時点での都心脱出者にはこのパターンが多いのではないかと勝手に推測する。まあ、一番イージーな移住の仕方だろうし、確実な方法でもある。

吉永氏のように、起業と同時に移住しようなどと考えるとそれはそれは大変なことになる。もちろん才覚に長けて、気力も充実した人は、どこであろうと成功するだろうし、移住先の自然をうまく利用できるだろう。残念ながら、私には私には才覚も気力もないので、今の生活をひきづりつつ、移住先での暮らしと折り合いをつけていくしかない。文筆業として食っていくための修行は続けようとも思うし、一層力を入れようという気にもなってはいるが、気持ちだけでなんとかなるとは限らないのは何をやるにせよ共通する困難さではある。何かに失敗した場合に、次の道が簡単に見つからないというのが、田舎に住む一番のデメリットでもある。都会よりも生活にかかる費用が少なそうだから、浮いた分を事業に回せばなんとかなるという理由だけで安易に田舎で起業すると、自分で2階に上がった後で、自分で梯子を燃やしてしまうような結果になりかねない。しかもその火が広がって、建物全体、すなわち、生活の全てが壊れてしまう可能性だってある。田舎暮らしに憧れて移住したはいいが、事業に失敗してスッカラカンになった上、家族も崩壊して一家離散なんて悲劇になることだって考えられる。吉永氏のような成功例の影には失敗例が累々と横たわってもいるのだ。一気に極端に突っ走ることなく、利用できるものは利用し尽くして、移住に取り組んでいくしかない。

読むのはいいが、本棚に並べておくとウンチクがネタバレする典型的なトリビア本『呪われたプロ野球』読後感

 

呪われたプロ野球 (マイウェイムック)

呪われたプロ野球 (マイウェイムック)

 

 Kindle Unlimited入りしていなければ読んでいなかったであろう本シリーズその6は、オワコン視されながらも、根強く日本人の娯楽の一つになり続けているプロ野球トリビア本。選手の実際のプレーの魅力や、記録について記されたものではなく、プロ野球という存在が存続していることに付随して生じてきた、数多の塵芥の中から生じたトリビアを集めた一冊である。正直、野球というスポーツの本質とは全く関係ないが、知っていれば「へぇ〜」を少なからず獲得できるであろう瑣末的事柄が多々詰まっている。まあ私のようなトリビア好きが飛び付きやすいジャンルの読み物であることは間違いない。

 

個別のネタについては、是非とも本文をお読みいただきたい。一冊読み終われば、少なくとも2回か、3回くらいの飲み会の際の与太話のネタには事欠かないだろう。ただし、この駄文のタイトルにもした通り、本棚においたままにしておくと、たちまちネタの仕入れ元として特定されてしまうので、隠しておいた方が良い(笑)。

 

さて、内容の中で、いくつか気になったものについて触れておこう。

 

まずは、独身の若手選手がプロ入り後必ず入居するであろう選手寮について。各球団、のちの主力を張る選手が暮らしていた部屋は出世部屋などと呼ばれるし、球団も期待の若手を入れ替わり立ち替わりその部屋に入れたりする。したがって、出世部屋は継承されていくことが多い。同じように継承されていくのが、「幽霊」の出る部屋だ。文中では日本ハムの選手寮の例が紹介されている。日本ハムといえば、ダルビッシュ、大谷を輩出した実績はあるものの、近年では今シーズンオフは本格的に首筋の寒い斎藤佑樹や他の選手がホームランを打った際の「真顔パフォーマンス」しか話題にならない清宮幸太郎など、「アマチュア界の大物」が伸び悩んでいる。選手寮の霊が祟っているのではないか?という噂が出ているほど、この霊はファンの間では有名だそうだ。清宮あたりがブレイクしないと、この霊障は収まるどころか、「生霊」の怨念が加味されてどんどん強くなりそうだ。

お次は巨人の呪われた背番号7について。私個人が一番強い印象を持っている背番号7の選手は「赤い稲妻」こと柴田勲氏だ。歴代二位の盗塁数を誇り、名球会入りも果たしている(ただしシーズン打率3割を一度も達成したことがないというオマケもついている)スイッチヒッターのレジェンドだが、現役引退後コーチに就任してからは走塁の判断ミスが相次いで「壊れた信号機」の異名を得てしまったし、のちには賭博で逮捕されたりもした。その後を襲ったレジー•スミス氏はファンと暴力沙汰になったし、二岡智宏氏は女性アナウンサーとの不倫が露見して放出された。直近に背負っていた長野選手が人的補償で広島に移籍したのも記憶に新しい。

一番の不幸は吉村禎章氏だろう。試合中の守備の際に味方野手と交錯して左脚に壊滅的な故障を負うことになった。この故障がなければ何らかの打撃タイトルも狙えただろうし、名球会にも手が届いたとされているだけに、返す返すも残念な事故だった。こう見てくると、確かに背番号7を背負った選手は不運に見舞われている。まあ、柴田、二岡の両氏は自業自得ではあるが…。

 

背番号関連では、ロッテの26番。これは現時点で永久欠番扱いだ。ベンチ入りの選手は25名なので、26人目のプレーヤーは観客の皆さんという意味なのだそうだが、この本はそんな明るい話題では済ませない。元プロ野球選手として初の強盗殺人犯となった小川博受刑囚の背番号なのである。「なかったことにしたい」という球団の意図は確かに透けて見えるような気はする。

小川元投手で思い出した、私なりのトリビア(単なる思い出話ともいう)を少々付け加えておこう。小川元投手は前橋工業高校(以下前工)出身で、1980年夏の甲子園に出場しているが、この代の前工には右サイドハンドの小川の他、左腕オーバースロー番場、右腕オーバースローの蓮場と三人のエース級投手がいた。私が観た試合はいずれもエースナンバーをつけていた小川は早々に失点してマウンドを降り、その後を継いだ番場投手の好投で勝ち進んだという印象が強かった。蓮場投手は投げているところを1回しか観たことがなく、その時のピッチング内容はほとんど記憶に残っていない。故に、番場投手の方がエースに相応しく、その上のレベルでも通用するのではないかと思っていたのだが、案に反して、プロまで進んだのは小川投手だけだった。しかも、タイトル制定以前だったとはいえ、最多奪三振を記録したシーズンもあったのだから立派なものである。見る人が見ると上のレベルで通用するかしないかは的確にわかるんだな、と思わされた。人間としての出来には大いに問題はあったが…。

 

前工といえば、現埼玉西武ライオンズゼネラルマネージャーを務める渡辺久信氏に触れないわけにはいかないだろう。小川元投手の代とはちょうど入れ違いの1981年に入学し、その年の夏に甲子園出場。3年生の83年夏には県予選決勝で、自身のサヨナラフォアボールで敗退。地元では中学時代から注目された存在だったが、最後の最後で自らミソをつけた形になった。お山の大将が一人相撲してんじゃねーよ、まったく、と思った覚えがある。その年の秋に西武ライオンズからハズレ一位ながら指名され、現役時代はエースとして大活躍。監督としても、巨人を破って日本一にまで上り詰めた。野球人生としては大成功だったと言って良い。この方、特に最近はメディアで目にするたび、頭が寒そうになってきている。野球やってなきゃ、赤堀村のおにーちゃんのままどこかの町工場勤務のオジサンになって、今頃は主要幹線脇のパチンコ屋にでもいたんだろうなぁ、というのが、やっかみ半分の私の見立て。論拠としては、人気者だった渡辺氏は予選で投げるたびにたくさんの女子高生に囲まれたそうなのだが、ちょっと可愛い子にはすぐに声かけてナンパしようと(それも即行為に及ぼう、的な誘い方で)していたそうだからである。まあ、男子高校生なんざみんなそんなものだし、こういう噂はえてして尾鰭がつきやすくもあるが(苦笑)。

もう一つ連想を生じた。1984年のロッテの一位指名は笠原栄一氏で、彼は佐波農業高校というやはり群馬の高校出身だった。「群馬から2年連続でドラフト一位が出たよ」と、当時群馬県内では話題になった。笠原氏は体格、直球を主体としたピッチングスタイルともに渡辺久信氏によく似ており、第二のナベQ渡辺久信氏のプロ入り後の愛称)となることを期待されたのだが、ロッテ、ダイエーと渡り歩いたプロ生活は未勝利で終わった。笠原氏の次に指名を受けたのが、前述した小川博受刑囚(指名当時の所属は青学大)だった。おお、群馬県の高校出身者が一位二位か、ロッテは群馬に工場でも建てようとしてるんじゃないのか?と思ったりもした。なお、笠原氏の長男は野球賭博に関連して逮捕された元巨人の笠原将生氏である。こんなところで犯罪繋がり。全然褒められた話じゃないが、変なところで変な共通項が生じてしまったものだ。