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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

読むのはいいが、本棚に並べておくとウンチクがネタバレする典型的なトリビア本『呪われたプロ野球』読後感

 

呪われたプロ野球 (マイウェイムック)

呪われたプロ野球 (マイウェイムック)

 

 Kindle Unlimited入りしていなければ読んでいなかったであろう本シリーズその6は、オワコン視されながらも、根強く日本人の娯楽の一つになり続けているプロ野球トリビア本。選手の実際のプレーの魅力や、記録について記されたものではなく、プロ野球という存在が存続していることに付随して生じてきた、数多の塵芥の中から生じたトリビアを集めた一冊である。正直、野球というスポーツの本質とは全く関係ないが、知っていれば「へぇ〜」を少なからず獲得できるであろう瑣末的事柄が多々詰まっている。まあ私のようなトリビア好きが飛び付きやすいジャンルの読み物であることは間違いない。

 

個別のネタについては、是非とも本文をお読みいただきたい。一冊読み終われば、少なくとも2回か、3回くらいの飲み会の際の与太話のネタには事欠かないだろう。ただし、この駄文のタイトルにもした通り、本棚においたままにしておくと、たちまちネタの仕入れ元として特定されてしまうので、隠しておいた方が良い(笑)。

 

さて、内容の中で、いくつか気になったものについて触れておこう。

 

まずは、独身の若手選手がプロ入り後必ず入居するであろう選手寮について。各球団、のちの主力を張る選手が暮らしていた部屋は出世部屋などと呼ばれるし、球団も期待の若手を入れ替わり立ち替わりその部屋に入れたりする。したがって、出世部屋は継承されていくことが多い。同じように継承されていくのが、「幽霊」の出る部屋だ。文中では日本ハムの選手寮の例が紹介されている。日本ハムといえば、ダルビッシュ、大谷を輩出した実績はあるものの、近年では今シーズンオフは本格的に首筋の寒い斎藤佑樹や他の選手がホームランを打った際の「真顔パフォーマンス」しか話題にならない清宮幸太郎など、「アマチュア界の大物」が伸び悩んでいる。選手寮の霊が祟っているのではないか?という噂が出ているほど、この霊はファンの間では有名だそうだ。清宮あたりがブレイクしないと、この霊障は収まるどころか、「生霊」の怨念が加味されてどんどん強くなりそうだ。

お次は巨人の呪われた背番号7について。私個人が一番強い印象を持っている背番号7の選手は「赤い稲妻」こと柴田勲氏だ。歴代二位の盗塁数を誇り、名球会入りも果たしている(ただしシーズン打率3割を一度も達成したことがないというオマケもついている)スイッチヒッターのレジェンドだが、現役引退後コーチに就任してからは走塁の判断ミスが相次いで「壊れた信号機」の異名を得てしまったし、のちには賭博で逮捕されたりもした。その後を襲ったレジー•スミス氏はファンと暴力沙汰になったし、二岡智宏氏は女性アナウンサーとの不倫が露見して放出された。直近に背負っていた長野選手が人的補償で広島に移籍したのも記憶に新しい。

一番の不幸は吉村禎章氏だろう。試合中の守備の際に味方野手と交錯して左脚に壊滅的な故障を負うことになった。この故障がなければ何らかの打撃タイトルも狙えただろうし、名球会にも手が届いたとされているだけに、返す返すも残念な事故だった。こう見てくると、確かに背番号7を背負った選手は不運に見舞われている。まあ、柴田、二岡の両氏は自業自得ではあるが…。

 

背番号関連では、ロッテの26番。これは現時点で永久欠番扱いだ。ベンチ入りの選手は25名なので、26人目のプレーヤーは観客の皆さんという意味なのだそうだが、この本はそんな明るい話題では済ませない。元プロ野球選手として初の強盗殺人犯となった小川博受刑囚の背番号なのである。「なかったことにしたい」という球団の意図は確かに透けて見えるような気はする。

小川元投手で思い出した、私なりのトリビア(単なる思い出話ともいう)を少々付け加えておこう。小川元投手は前橋工業高校(以下前工)出身で、1980年夏の甲子園に出場しているが、この代の前工には右サイドハンドの小川の他、左腕オーバースロー番場、右腕オーバースローの蓮場と三人のエース級投手がいた。私が観た試合はいずれもエースナンバーをつけていた小川は早々に失点してマウンドを降り、その後を継いだ番場投手の好投で勝ち進んだという印象が強かった。蓮場投手は投げているところを1回しか観たことがなく、その時のピッチング内容はほとんど記憶に残っていない。故に、番場投手の方がエースに相応しく、その上のレベルでも通用するのではないかと思っていたのだが、案に反して、プロまで進んだのは小川投手だけだった。しかも、タイトル制定以前だったとはいえ、最多奪三振を記録したシーズンもあったのだから立派なものである。見る人が見ると上のレベルで通用するかしないかは的確にわかるんだな、と思わされた。人間としての出来には大いに問題はあったが…。

 

前工といえば、現埼玉西武ライオンズゼネラルマネージャーを務める渡辺久信氏に触れないわけにはいかないだろう。小川元投手の代とはちょうど入れ違いの1981年に入学し、その年の夏に甲子園出場。3年生の83年夏には県予選決勝で、自身のサヨナラフォアボールで敗退。地元では中学時代から注目された存在だったが、最後の最後で自らミソをつけた形になった。お山の大将が一人相撲してんじゃねーよ、まったく、と思った覚えがある。その年の秋に西武ライオンズからハズレ一位ながら指名され、現役時代はエースとして大活躍。監督としても、巨人を破って日本一にまで上り詰めた。野球人生としては大成功だったと言って良い。この方、特に最近はメディアで目にするたび、頭が寒そうになってきている。野球やってなきゃ、赤堀村のおにーちゃんのままどこかの町工場勤務のオジサンになって、今頃は主要幹線脇のパチンコ屋にでもいたんだろうなぁ、というのが、やっかみ半分の私の見立て。論拠としては、人気者だった渡辺氏は予選で投げるたびにたくさんの女子高生に囲まれたそうなのだが、ちょっと可愛い子にはすぐに声かけてナンパしようと(それも即行為に及ぼう、的な誘い方で)していたそうだからである。まあ、男子高校生なんざみんなそんなものだし、こういう噂はえてして尾鰭がつきやすくもあるが(苦笑)。

もう一つ連想を生じた。1984年のロッテの一位指名は笠原栄一氏で、彼は佐波農業高校というやはり群馬の高校出身だった。「群馬から2年連続でドラフト一位が出たよ」と、当時群馬県内では話題になった。笠原氏は体格、直球を主体としたピッチングスタイルともに渡辺久信氏によく似ており、第二のナベQ渡辺久信氏のプロ入り後の愛称)となることを期待されたのだが、ロッテ、ダイエーと渡り歩いたプロ生活は未勝利で終わった。笠原氏の次に指名を受けたのが、前述した小川博受刑囚(指名当時の所属は青学大)だった。おお、群馬県の高校出身者が一位二位か、ロッテは群馬に工場でも建てようとしてるんじゃないのか?と思ったりもした。なお、笠原氏の長男は野球賭博に関連して逮捕された元巨人の笠原将生氏である。こんなところで犯罪繋がり。全然褒められた話じゃないが、変なところで変な共通項が生じてしまったものだ。