脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

あせらず、腐らず、一歩一歩歩んでいくことが最強、最速の寛解方法『どんなウツも絶対よくなる ラクになる!』読後感

 

 

精神安定剤的効果を求めた一冊についての読後感。この手の本はすでに沢山持っており、その内容的にも大体似たり寄ったりだということはわかってはいるのだが、ついつい手が伸びてしまった。現状、うつ状態ではないのだが、なんとなく毎日気合が乗らない状態で、何をやっても充実感がないので、何かのきっかけになればいいな、くらいの期待感で読み始めた。

 

著者有島サトエ氏は看護師。仕事にも育児にも家事にも目一杯全力投球して充実した日々を送っていたものの、ある日、心身ともに不安定な状態が出来し、うつであることを自覚。一旦は状況は好転したものの、数年後に再発し、そこから這い上がってようやく寛解状態となり、看護師として働く傍らで、コミックエッセイなども書いているそうだ。うつ病を自覚してから18年だそうで、17年目に入った私とは同じような期間、付き合ってきたことになる。

この方もいわゆる従来型のうつで、ひどい時には身動き一つできないほどにシンドかったとのこと。近くはない場所に住んでいた実の妹さんのサポートと適切な治療の結果として、なんとか回復し、そこから得られた教訓が綴られている。

 

1.体の病気の管理を重視
心の不調は身体の不調からもたらされることも多いし、心の不調が身体の不調になって現れてくることもまた多い。したがって、身体の不調を感じたら、すぐに対応する。(常に鎮静剤や吐き気止めなどの薬を持っておいてすぐに服用するなど)

 

2.ストレスを溜めないためにも一人で抱え込まず助けを求める

何でもかんでも一人でやろうとすると、どうしても負担が強くかかることになるので、なるべく早くSOSを発する。その方が周りもフォローしやすい。手遅れ状態になってから助けを求められても共倒れになるだけ。

 

3.周りの理解を得るためにも、うつ病であることを知らせておく

これは私の実体験から言っても結構重要なことだと思う。特に私より上の世代の人間というのは、病気でシンドいことを「甘え」だと決めつけたり、「俺だってシンドいことはあったけど、乗り越えてきたぞ」的な観点で、強引に励ましてくる人物が多い。こういう人物にはきっちりと自分の病気のことを告知しておくべきだ。多少はネガティブな視線を浴びるかもしれないが、これも私の経験則からいうと、こういう人物は得てして管理職になっていなので、低く評価されても大して影響はない。変に攻撃されるよりは冷たい目線で無視していてくれる方が良い。有島氏の場合はむしろ、告白したことによって周りの理解が得られてらくになったそうだ。羨ましい。休職したことを「長期休暇」だと決めつけて、以前にも増して強烈な締め付けを行なってきた元上司が一名だけいたが、彼に聞かせてやりたい(苦笑)。まあ、この人物は後に管理職失格の烙印を押されたが。

 

4.「1日の目標」は自力で達成できるものを設定する!

もちろん中長期的な目標を立てて、施策を考え実施することも大切なのだが、まずは、1日の自分の限界値を知り、その限界値を越えないよう仕事、日常生活に勤しむ。特に「自力で達成できる」ことに徹するのが肝心。自分のことですらおぼつかないのに、自分のコントロールを越えた事物なんぞどうにもできねーよ、って開き直ってしまうことも大切なんだろうと思う。

 

人生はよくマラソンに例えられるが、私は競歩に例えたい。無理せずに自分のペースで歩むことが肝要で、下手にオーバーペースになると、後々必ず故障を起こすというのはマラソンと同じ。ただし、マラソンだと、途中でスピードを緩めてしまうことはまず考えられないが、以前観た競歩の国際大会では、その選手がぶっちぎりの首位だったということもあったが、途中で完全に休憩とでもいうべきペースで歩いていたシーンがあった。人生においては、時には完全に休んでしまうことも必要となるのではないか?特にこの人生というレースはゴールが全く見えない中で行わなければならないものなのだ。途中で堂々と休んでしまうことが許される競歩のような状況でなければ、満足感を持ってゴールできるものではないと思う。社会という中に生きる身である以上、いろんな尺度で比べられることは避け得ないが、変な競争意識はなるべく排除して、自分自身で満足のいく生活を続けていきたいものだ、としみじみ思った。

一体誰が主人公?血生臭いスポ根マンガ 『野望の王国』読後感 →お題に乗っかって再掲載

今週のお題「一気読みした漫画」

 

 

 

Kindle Unlimited対象でなければ読まなかったであろう本の読後感シリーズ4作目。グルメコミックとして一世を風靡した『美味しんぼ』の雁屋哲氏が原作のバイオレンスコミック。ヤクザの妾の子として生を得た橘征五郎が様々な権謀術数を駆使して「天下」を手にするまでを描いた物語。

 

東大法学部首席の秀才にして、アメフトの実力者でもある橘征五郎は、首席を争うライバルでもあり、アメフトのチームメイトでもある片岡とともに、「実家」である川崎市を地盤とした橘組に「入社」することを表明。「普通」に就職すれば、東大教授も官僚を経て政治家に転じても大物になると目されていたような、心身ともに優れた超エリートの彼らが、なぜ、地方の中堅どころの暴力団に身を投じたのか?彼らには天下を手にするという野望があり、そのためには暴力という手段を手にし、それを活用する手立てを講じていく必要があったのだ。

 

大衆を動かす力となるのは暴力であり、国家ですら、警察力と軍事力という暴力を持っているために成立している、という皮肉な見方は、雁屋哲氏の「哲学」だろう。さらに物語の最終盤にはもう一つ人間を動かす力として宗教も登場してくる。神の名の下に、狂信的な行動を起こす人物は歴史上にも多々存在したし、今でも少なからず存在する。つい最近も、議会に乱入するという暴挙をしでかした輩がいたが、彼らを扇動したのは直前まで大きな権力を持っていたある種の神的な存在の人物だった。己の信ずるところ(あるいは己の信ずるところと錯覚させられたもの)に付き従うためには己の命すら惜しくない、と考える人物を出現させてしまう力は宗教しか持ち得ないというのも一面の真実ではある。

 

さて、征五郎と片岡のコンビは、橘組に属してはいるものの、それはあくまでも隠れ蓑。いかに組織を大きくし、強大な力を手に入れるかを綿密に考え、そのための策を巡らし、実施していく。自分たちに辛く当たってきた本家筋の兄弟を殺害し、その罪を対立する暴力団になすりつけ、警察と結託して一気にその勢力を配下に組み入れる。のみならず、全国的な勢力を誇る大暴力団にも戦いを挑んでいく。表面上は跡目を継いだ腹違いの兄である橘征二郎をあくまで立てながら、そして裏では川崎中央署の署長柿崎と結託しながら、暴力団としての拡大を図るのみならず、その上に位置する黒幕、その黒幕の息のかかった政治家までどんどん支配下に治めていくのだ。征五郎は、総合演出家として舞台を整え、その舞台の上で登場人物たちを踊らせていくのだが、その躍らされる人物たちが実に魅力的なのだ。特に、征五郎の動向に常に疑いを持ちながらも、深い兄弟愛ゆえに最後まで征五郎を信じ切った橘征二郎と、やはり東大法学部史上屈指の才能を持ちながら、征五郎同様、大衆を動かす力は暴力であると考え、その暴力の一つの極である警察組織のトップになるため、悪事にも平然と手を染める柿崎の二名は物語終盤まで本来の主役である征五郎、片岡のコンビを食ってしまう存在感を見せる。この二人が幾度か繰り広げる、血みどろの死闘こそが、この物語の最大の魅力だと言っても良い。

 

表立っての派手なドンパチもあれば、裏から手を回して刺客に襲わせての殺傷シーンもありで、流される血の量が半端ない。重工業の工場が集中している川崎市を舞台として、レバノンで起きたガスの大爆発もかくやと思わせるような、大規模なテロも起こる。この物語の中で描かれたような川崎市の大パニック状態を沈静化できるような政治家は現実にはいないのではないか?さらに言えば、平和ボケした日本なら、ちょっと気の利いたテロリストが潜入すれば、このような事態はいつでも引き起こせてしまいそうだ、という恐怖感も感じた。

 

まあ、とにかく次から次へとそれこそ息つく暇もなく、血みどろのシーンが繰り広げられ、裏切り、迎合、屈服など、人間の醜悪な、弱い部分も明示される。このドロドロとした暴力性と心理描写もすんなりと物語だけを追うことを拒む。現実にこういう人間はいるのだろうか?もし自分が同じ立場に放り込まれたらどうなるか?こうした考えが常に頭の中にありながら読み進めるしかないのだ。

惜しむらくは、最後の最後が、尻切れトンボのニヒリズムで終わってしまったことだ。様々な困難を乗り越え、「野望」を達成した征五郎のまわりからは盟友の片岡をはじめ、愛した人々が一人もいなくなってしまった。そんな「野望」など虚しい、というのは確かに一つのエンディングではあるのだが、私個人としては、「野望」を手にした後の征五郎の姿こそみてみたかった、という感想を抱いた。「野望」を手にしたらそれで終わり、というのであれば、「東大に入るために死に物狂いで受験勉強したが、いざ入ってしまったら何をやって良いかわからなくなった」という受験エリートと一緒ではないか。力を手に入れた征五郎が、その力をどう使って、どう、この日本を変えていくのか、こそが本当のこの物語の目的とすべきもので、頂点に立った征五郎の胸にはとてつもない虚無感が残った、だけでは、真っ白く燃え尽きた『あしたのジョー』の矢吹丈と一緒である。征五郎ほどの人物なら、そこで燃え尽きずに、何か現状の日本にも通用するような提言を物語の中で示して欲しかったと思う。

一つの非常に幸せなケース。自分に取り入れられることは貪欲に取り入れよう 『うつ病は人生の転機だった』読後感

 

 

Kindle Unlimitedの対象でなければ読まなかったであろう本の読後感シリーズその3。別にこの本の内容がくだらないとか金を出す価値がないというわけではなく、このテの本はすでに何冊も読んでいるし、また未読の本も多いから、新たにライブラリーに追加するにはちょいと躊躇してしまうというのが上記のカテゴライズの理由。

 

著者うつリタゆう氏は一度罹患し、寛解したうつ病が、適合できない職場での業務で再発したのを機に離職し、現在はうつ病にかかった人の支援団体で活動する一方で、それまでの業務経験で培った知識をもとにファイナンシャルプランナーとしても活躍されている方。現在うつ病寛解し、充実した人生を送られているようだ。

 

この方の病状は、文面から察するに、いわゆる従来型のうつ病のようだ。それこそ指一本動かすのも苦痛で、ただただ寝床で過ごすしかないという日常を送った時期があったことが綴られている。私が罹患したのは、いわゆる新型うつとか軽症うつとか呼ばれるもので、嫌なこと(もちろん会社の仕事!! 笑)をすると途端に気分が落ち込んでしまうが、自分の好きなことならできる、という誠に都合の良い病気だ。何度か書いた通り、都合半年ほど会社は休職したが、その間も、トレーニングや読書など自分の好きなことはできていた。ただし、会社の仕事への嫌悪感や会社の私の希望職務を全く無視した配属への絶望感や怒りで、それこそ死にたいと思うほどのストレスが押し寄せてきて、著しく体調を損ねた時期があったのも事実だ。著者氏ほどではないが、寝込んだこともあったし、今でも月に一度か二度は食事や入浴といった必要最低限のことすらできなくなるような倦怠感に見舞われることはある。

 

それでも会社を辞めることができないのは、ひとえに、やめたら食っていけないという制約のため。貰える金が少なかろうとなんだろうと必要最低限の収入が得られさえすればいいんだからとっとと飛び出しちゃえ、という意見もあるだろうが、養わなければいけない人間が一人いるし、今の、常に不快感はあるものの、それなりに快適な生活を捨てきれないという気持ちもある。著者氏のようなレベルにまで症状が重篤化しなかったことの「後遺症」なのかもしれない。

 

さて、著者氏はどん底の状態から、なんとか脱して、最終的には転職して、今の幸せな状態を手にすることができた。要因はいくつかあるし、個人差もあることだろうが、いくつか、誰にでも当てはまる解消法があることにも気づいたので、それを記しておこうと思う。

まずは十分な休養を取ること。ストレスの元になっている事態や状況から一旦自分を切り離して、何かをやろうという気になるまで目一杯休む。好きなことしかやらないというのも手だし、ひたすら眠るというのも手だろう。まずは大きく傷ついて、血がどくどく流れ出している状態の心の血止めをすることだ。血が止まらなければ次の一歩を踏み出すもへったくれもないのだから、時間をいくらかけてもいい。

 

次は、具体的に生きていく術を見つけ、必要であればその術を身につけるためにアクションを起こすこと。休職中はどうせやることなどないのだから、転職サイトでも専門誌でもなんでもいいからとにかく情報を集める。そしてその職種に必要な資格があるのなら取得すれば良いし、体験できるなら、新しい職場を体験しても良い。休職中にそんなことをしたらヤバい、と思われる向きもあるかもしれないが、そこでとやかく言ってくる職場なら、さっさとおさらばすれば良い。それくらい踏ん切らないと、いつまでも泥沼にはまり込んでいるばかりだ。著者氏の場合もファイナンシャルプランナーの資格を持ち、その知識を活かすことで、経済的にも心理的にもしっかりとした軸を持つことができ、そのことが寛解に繋がって行ったのだ。

 

もちろん、元の職場に戻ることを否定しているわけではない。ただし、元の職場に戻るのであれば、うつにまで追い詰められた原因はなんなのかをしっかりと分析し、対策を講じておくことは必要だ。戻ったはいいが、また以前と変わらぬ状況であるなら再発する可能性が高い。私の二度目の休職は職場の上司から部署の不振の原因を全て押し付けられるような言動を取られたことが原因だが、復帰後、同じ上司と、先輩から「休んでたんだからその分ちゃんと働け」という態度で接され、休職前にも増して多く業務を割り振られたことが原因で三度目の休職に追い込まれた。そして三度目の休職が一番長い期間を要した。三度目の休職から復帰後にすぐに転勤を願い出て、それが叶えられて今の職場に配属されて以来、少なくとも休職に至るまでのストレスを感じることは無くなった。まあ、会社の規模とか社風とかいうものがあって、転勤願いがすんなり通ることはなかなか難しいかもしれないが、少なくとも、人間関係を含め職場環境に問題がある、あるいは適合できない、という事態になんらかの刺激を与えるための行動は必要となるだろう。

 

著者氏の場合は、資格という武器を手にしていたことで、余計な心配をすることなく新たな世界に飛び込んでいけたというのは事実だ。こうした著者氏の姿勢は学ぶ必要があるだろうし、武器があるという安心感は意外に大きいものだとも思う。そんなわけで、私は現在公認TOEIC講師の資格取得を取ろうと考えている。

支離鬱々日記80(家買うシリーズ6と母の介護と与太話)

 

Diamond Bible

Diamond Bible

  • アーティスト:松田聖子
  • 発売日: 2009/09/30
  • メディア: CD
 

 今朝、ふと思いついてBGMを↑にして、『裸足の季節』から順番に聴いてみたら、見事に中学時代に意識がスリップしてしまった。この曲聞いてた時分は何だか気になる同級生がいて、感情をオーバーラップさせてたっけ、とか、この曲の時期は確かテストで一番いい成績とってたな、とか懐かしいような小っ恥ずかしいような感情の奔流にしばし身を委ねていたら、見事に会社の仕事開始時間に遅刻してしまった…。でもなお、変な連想は続く。日本和装のCMに出てる松田聖子の顔は相当加工してるんじゃないだろうか?そろそろ還暦の声もかかろうというのに、あの肌のツヤとはりは化け物に等しい。そういや松田聖子河合奈保子三原順子(現じゅん子)で3人娘なんて言われれたっけ、河合奈保子は娘がデビューしたとか言ってたけど、その娘は今どうしてるんだ?三原じゅん子はツッパリイメージで人気を博したのに、今や政権に阿って、国会で野党議員を罵倒した口調だけが往年のイメージ通りなだけだしな…。一向に仕事の方に気持ちが向かない(笑)。

気を取り直してはみたが、中学時代を思い出すとそこからの連想で、ついつい、故郷に作る新居の方に気持ちが行ってしまう。先日、母の通院の付き添いのために帰省した際に、新居を建てるにあたってのアドバイスをもらってきたので列挙してみる。

•食洗機はいらない。夫婦二人で生活する分にはそんなに洗い物が発生するわけではないので、無駄だという見解。ただし、最高権力者様は検討を継続するとのこと。

 

•ソーラー発電パネルも不要。どの程度の電力を生むかわからないし、設置時はともかく、撤去時にバカッ高い費用がかかるとのこと。→これも検討継続。電力会社がどこまで買い上げてくれるかも流動的ではあるが…

バリアフリーの造りにすること。→これは問題なし。母との同居の可能性だってあるし、我々夫婦も今後は衰えていくばかり。

 

•床暖房の設置は必要。電力にすると良い。→リビングへの設置は決定事項。設置範囲をどこまで広げるかについては検討継続。

 

•出入り口は引き戸にすると良い。→これはむしろ母親の現居住住宅を改築すべきというのが最高権力者様の意見。まあ、この辺は建築の専門家の意見を参考に決めていく。

 

•給湯システムはガス、調理台は電気。→田舎のことゆえ、造成宅地だというのに都市ガスは通っていないそうなのでプロパンガスを使用することになる。しかし、オール電化の住宅は、停電の際にはすべて機能停止してしまうので、電気以外のエネルギー源も持っておくべきという判断。屋内で実際の火を使うことになるガスの調理台ではなく、電気が熱源の調理台を選択予定。

 

母は、都合二度新築の家を建てているので、アドバイスには実体験に基づいた説得力がそれなりにある。今までは、既製の建物に自分の生活を合わせていたが、自分の生活に建物の方を合わせることができる状態にようやくなったのだ。実体験者の経験談として今後の参考にはさせてもらうことにする。

 

さて、その母親の介護だが、居住する自治体の窓口に相談して、まず出先期間の保健師さんにきてもらった。

 

母はまだ自分で運転もするし、トイレや入浴などの日常の生活も一人でできる状態ではある。ただし、私からみても、動作の一つ一つがコロナ発生前と比して格段に遅くはなった。記憶違いも少なからずあるし、日常のほんのちょっとした判断も以前のように瞬時にはできず、数分かけてようやく行動する(それも大概は悪い方の選択をなす…)状態だ。認知症というのは、いきなり問題行動レベルにまで進んでしまうケースがあるそうだから油断ができない。

 

なんてなことを保健師さんに聞いてもらって、正式に自治体の係員に来てもらい、介護状態の認定をしてもらうこととなった。ついでに、家の中にセンサーを設置し、一定時間そのセンサーへの反応がない場合は私のところに連絡が来るというシステムも導入することに決定。これは自治体が費用を負担してくれて、当家の負担は一切なし。

 

で、近日中にその係員と日程に調整をつけて私も立ち会って、介護のレベルを定めてもらう。保健師さんの判断では「自立」つまり介護の必要なしという判断が下されそうだとのことだが、一回親族以外の第三者の目で自分の状態を客観的に見てもらうのも、今後の生活に関しては有益なことだ、というお話があり、そのことについては母親も納得したようだ。

 

私も介護について色々知識を得たいと思い、Kindleの検索ワードに「介護」と入力した際にリストアップされた書籍を一通り読んでみることにした。このブログでもそうした書籍の紹介はしていく予定である。

 

 

そういえば気持ちの切り替えのスイッチにしてたこともあったなぁ…『取り替えるだけ!メガネが人生を変える』読後感

 

取り替えるだけ! メガネが人生を変える

取り替えるだけ! メガネが人生を変える

  • 作者:星野 誠
  • 発売日: 2020/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

自らを「メガネのヘンタイ」と呼び、生涯で5万本以上もの眼鏡を手に入れ、メガネ愛が高じてついに眼鏡店まで開いてしまったという星野誠氏による、眼鏡による開運指導書。腰巻きには、さまざまな煽り文句が並んでいて、いかにもうさんくさそうだったのだが、Kindle Unlimited対象書籍であったため、軽い気持ちでDL。

 

私が眼鏡をかけ始めたのは高校を卒業して浪人していた頃。かれこれ40年近くも前のお話だ。高校2年までは視力は両目とも1.5と遠視と言えるくらいよく、黒板の文字が見えないなどということは全くなかったのだが、高校3年のある時期から一気に視力が低下した。受験勉強に打ち込むあまり、というのなら受験生としては美談だったが、おそらくは就寝前に本を読む習慣のなせる業だっただろうと思う。結構目を近づけて読んでいた覚えがある。体重が重すぎて、肘で長時間上半身を支えることができなかったのだ。

 

最初の眼鏡は今はもう潰れてしまった新宿の眼鏡店で買い求めた。こげ茶のメタルフレームで形はやや角形に寄ったティアドロップ型。初めて装着した瞬間、なんだか少しほっとした。外界と自己を隔てる防護壁のようなものの中に入れたような気がしたのだ。高々、薄っぺらいガラスと金属の組み合わせの物体を目の前にぶら下げただけなのに、要塞か何かの中に入ったまま、世の中を突き進む思いがしたものだ。なるほど眼鏡はかける人間の意識を変えるし、それに伴って行動も変える。

 

大学に入学時は、ウェリントンタイプが大流行していたので、入学後すぐに、大学生協の眼鏡店で、フレームが思いっきり目立つ黒いウエリントンタイプのものを購入。私のでかい顔に合うサイズがなく、問屋から、最大サイズのものを取り寄せてもらった。この眼鏡は大学時代の私のトレードマークになった。パッと人目について、結構なインパクトを与えていたらしく、「太い黒ブチメガネかけたデブ」といえばすぐに私のことだという共通認識が出来上がっていたらしい。このメガネも自分の内面を隠すのには最適な強固な要塞であり、かつ宣伝効果も大きなアイテムだった。

 

大学卒業後もしばらくその眼鏡をかけ続けていたのだが、ある日、フレームがぽっきり折れて使用不能になってしまった。以来、さまざまな眼鏡を取っ替え引っ替えしてきたが、いまだにあのウエリントンタイプの眼鏡を超える、「しっくり感」のあるモデルには出会ったことがない。ちなみに現在は、会社の仕事用として1本(下部フレームなしのシャープな形、シルバーメタル)、オールマイティーに使い回すもの1本(黒縁セルフレーム。四角っぽいがウェリントンタイプではない)、最初に買った形に近い角形ティアドロップ(紳士服ブランド名で出されている。一番高価。仕事・フォーマル席用)、運転時使用の度付きサングラス、ライター活動時の黒縁メタルフレーム(ウエリントンっぽいけど若干角形が強い)、トレーニング時使用の白いメタルフレーム(レンズの縦幅がかなり狭い。薄く色付き)、そして完全にプライベートの時用の丸眼鏡と計7本持っていて、それぞれのシーンで使っている。去年は、ラグビープレー時に使用可能なゴーグルを買い、その内部に度の入った眼鏡をオプションでつけた。残念ながら試合も練習も一度もやらなかったので使用する機会には恵まれなかったが…。ちなみにこの駄文はライター活動用の眼鏡で書いている。

 

ラグビー用のゴーグルとオールマイティーに使いまわしている1本以外は、全て、5年ほど前の休職中に少しでも気分を変えようと買い求めたものだ。そういう意味で、私は星野氏の「メガネが人生を変える」という主張については、この本を読む前からある程度は理解して実践していたとは言えるのだが、星野氏の主張はもっとぶっ飛んでいる。自分にとって最も似合わないと思えるタイプのメガネこそが人生を変えるメガネだというのだ。

 

自分で思う、「自分に似合う眼鏡」というのは結局今までの自分の行動や習慣、美意識といったものの延長上にあるもので、そういう眼鏡をかけているうちは絶対に人生は変わらない。自分には似合わない、とかかけてみて違和感を感じる、というシェイプのメガネこそが自分の今までの殻を打ち破るきっかけとなる、という主張は、素顔で過ごした高校時代と、眼鏡をかけて行動した大学時代の意識の変容を体験していた身にとってはすんなりと腑に落ちる主張であった。そして、どうしても合わないと感じたら、とっとと取り替えれば良い、という主張にも苦笑混じりながら賛同できた。せっかく金かけて買うなら違和感なんぞ感じないものを買っちゃうよね、というセルフツッコミと一緒ではあったが。

 

整形にしろ、植毛(ヅラ着用もふくむ)にしろ、最大の効用は、外見を変えることで外見のコンプレックスを解消し、萎縮せずに行動できるようになることだ。メガネを掛け替えることで、心の萎縮が取れるのなら、整形や毛髪関係の治療よりは確かに安上がりだし、変更も簡単だ。

 

私は読了して、早速この誠眼鏡店に行ってみたくなった。本当は今すぐにでも行きたいところだが、少なくとも緊急事態宣言が解除になるまでは自粛せざるをえまい。外見の変化のために命を悪い方向に晒すような危険は避けざるを得ない。だが、店主なり、店のスタッフなりが、どんなぶっ飛んだ眼鏡を紹介してくれるのかには大いに興味がある。こういうふうに、読んだ人間を店に行きたくさせてしまうという戦略は悔しいが巧妙でもある。

国家や社会には人を殺す権利はあるのか『私が見た21の死刑判決』読後感

 

私が見た21の死刑判決 (文春新書)

私が見た21の死刑判決 (文春新書)

 

 

法廷に出向き、実際に判決を受ける被告の裁きの場での姿を描写したルポルタージュを多数上梓されている青沼陽一郎氏のど真ん中の一冊。オウム真理教の主要な人物の法廷から、秋田の実子殺人事件、山口県光市の母子殺人事件など、世間を騒がした数々の事件を取り上げ、被告たちの生々しい姿を、事件のあらましとともに述べている。つい最近死刑判決が確定した、座間市の9人連蔵殺人事件はこの本の出版時にはまだ発生していなかったため、当然のことながら取り上げられていない。

 

俗に日本では「二人殺したら死刑」などと言われている。実際には、殺人方法の残虐さや精神状態、本人の悔悛の状況などが考慮されて必ずしもこの公式が当てはまるわけではないが、判例をみても、「社会常識」としても「二人殺せば死刑」というのは定着しているようだ。私自身はそもそもこの「判例」が疑問だ。綺麗事を言うつもりはないが、人間一人一人の命の価値は平等のはずだ。一人殺しただけなら、懲役刑で二人殺して初めて死刑では殺された人間の命の価値は殺した人間の価値の半分なのか?と初歩の数式を理解し始めた幼児並みの単純さで思ってしまう。殺された人間の遺族が意見陳述の場で被告に向かって「死んだ人を返して」と叫ぶ場面を著者青沼氏は何度となく目にしているそうだが、遺された人間の心境はまさにこの言葉の通りなのだろうと思う。被告を殺したいとか、罰を受けて欲しいとか言う前に、まず、奪われた命を返して欲しい…、不可能であることは理解していても、こう叫ばざるを得ない遺族の気持ちは痛いほどに伝わってくる。どうやっても償えない罪を償うには、同じ価値のモノを差し出すことを要求せざるを得ない。人一人殺したなら、殺人者の命を以て償え、というのは理屈としては理解はできる。

 

その上で私は死刑には反対だ。殺人者の死をもって、事件の落とし前をつけたと考えるのは一種の思考停止であると考えるからだ。たとえ死刑という罰をうけ、それが執行されたとしても遺された人々の苦しみは一生続くのだ。それゆえ、せめてもの償いの証としては、本人の反省の気持ちを具体的に示し続けることと、現世において価値を持つもの、すなわち金を差し出し続けるしかないと思う。故に、私は死刑ではなく終身刑を最高の刑罰とすべきだと考える。そして、犯人には可能な限り労働させ、わずかであってもその賃金を賠償金として遺族に送り続けさせるべきであろうと思う。「人殺しをすれば、国に殺してもらえると思った」などという理由で無差別殺人をしでかす人物は何年かおきに出現するが、こういう人物こそ、簡単に死刑になどせずに、過酷な条件下で強制労働でもなんでもさせて、生きている限り反省を促すべきなのではないか?被告にも人権、というお話もあるが、一定の自由を制限して苦しい思いをさせることこそが、文字通り身にしみた反省につながるのではないだろうか。

また、法廷戦略として心神耗弱を持ち出す傾向にも疑問を感じる。いい例が山口県光市の母子殺人事件である。当時18歳の「少年」の「死体を押し入れに隠せばドラえもんがタイムマシンで元に戻してくれると思った」などという言い分を、涙ながらに披露して哀れみを誘おうとした弁護士の姿を見て失笑を禁じ得なかったが、殺人を犯そうという人間がそもそも一般常識を弁えた「正常な人間」などであるはずはなく、調査すれば何らかの異常が露呈するのはある意味当然のお話だ。実際には異常、正常の判断に関しては、専門家の先生方が、さまざまな方法を駆使して緻密に行うだろうから、素人が考えるよりはより正確な判断になるのだろう(と信じたい)が、いずれにせよ罪は罪であり、被害者遺族には大きな傷が残るし、何より殺された人はその後の未来を全て奪われてしまったことに変わりはない。何らかの罰、並びに一生涯の行動制限と賠償は課されるべきで、精神面を理由に無罪などという判決はあり得ないと個人的には考える。

 

今回は、本の読後感というよりは、殺人犯に対する処罰に関しての私見ばかりになってしまったが、青沼氏は最後に裁判員制度についてもちょっと触れている。法の名の下に、死刑を下した裁判員は、その事により、一生「ある人の死を決定づけてしまった」という重荷を背負う事になりはしないか?そんな重荷を法律の専門家でもない一般市民に負わせてしまっても良いものか?という疑問を呈しているのだ。一般の市民を裁判の場に引っ張り出すことは広く社会の声を聞き、それを判決に反映させるという狙いがあるようだが、ここで私がこの駄文につけた疑問が浮かんでくる。「国家や社会には人を殺す権利があるのか」。にわかには答えの出せない質問が突きつけられる。私個人は上述もした通り、死刑ではなく終身刑を最高刑とし、その間の労働により賃金を得て、その賃金で遺族に賠償を行わせるべきであるという考えだ。その上で、この問題は個々の事例の法廷ではなく、もっと大きな場所で検討すべき課題であるとも思う。

 

 

一体何に対して意地を張ってるんだろう?って考えて、それが意味のある意地っ張りなのか考えてみよう 『がんばらなくても死なない』読後感

 

がんばらなくても死なない (コルクスタジオ)
 

 

記念すべきKindle Unlimited開始第1作DL作品。この手の本は読み切らないほど持っており、メモリをかなり食っている状態なので、これ以上増やしたくはないが、でも内容は読んでみたいということで、定額制のKindle Untitledを利用する決心をさせた作品となった。

 

内容は非常に読みやすいコミックエッセイ。ある夜の寝る前のホンの30分ほどで一旦読み飛ばしてしまえた。「プチうつあるある」とでもいうべき著者自身の体験と、その対処方法が記してある。肩肘張らずに読めてすんなり内容が頭に入ってきた。

 

このブログでも度々取り上げているが、私は今秋首都圏から故郷の実家近くに家を建てて移住する事になっている。移住してからの生活がどうなるかは、実際に現地で住み始めてみないとなんとも言えないが、移住そのものが、あっという間に決まったのと同様、今の会社を辞めて新しい生活に入ることをあっという間に決めてしまうかもしれない。本心としては、今の会社の仕事よりも、文筆業者として食っていきたいのだが、食うに足る収入を得る「市場価値」を自分自身が持ち得ていないことが踏ん切れない理由となっている。

 

このまま、餌は保障されているものの、自由のきかない飼い犬としての一生を送るのか、飢える可能性はあっても、新鮮な肉を食える野良犬として自由に生きるのか…?奉職する会社で自分としては目一杯の努力をし、その結果として客観的にも高い評価を得たものの、自分の希望する道には進めず、また今後もいわゆる出世を見込めない状態のまま、役員にまで出世している同期入社の人間たちを仰ぎ見て終わるのか?会社の価値体系とは全く別の分野で高みを目指すのか?自分自身の希望としては、苦しくても好きな道で高みを目指す方を選びたいのだが、養わなければならない人間もいるし、生活全般としてはそれなりのレベルにある今の暮らしを捨てられるのか、という疑問も常につきまとってくる。いい学校を出ていい会社に入って、安定した暮らしを営むことこそが、人間としての最上の価値だ、と幼少時から叩き込まれた強固な価値体系はちょっとやそっとでは崩せそうにない。いい会社(少なくとも今のコロナ禍状況下においても人員削減とか規模の縮小とかいうお話は出ていないので、安定した会社であるとは言えると思う)に入る、というところまでは、お勉強さえできればよしとされた学校時代の価値観そのままに、自己実現の最たるものを体現できたと喜びを感じられたが、会社の仕事は最初からこれっぽっちも面白いと思ったことはなかった。唯一面白いと思えた仕事は半年くらいで取り上げられてしまい、その後は好きでもない仕事を細々とこなして捨て扶持をもらって片隅で生きている。こんなことのために生きてきたわけじゃねーだろ!!というツッコミを述べつ幕なし自分に入れている状態だ。

 

この本を読んで、ふと、自分は一体何に対して意地を張っているのだろう?と考えてしまった。高学歴エリート(あえてそう言ってしまおう)としてのプライドか?自分の可能性に対する根拠のない期待か?親をはじめとして周りの人間が押し付けてきた価値観に対してか?なんでもいいのだが、そこで意地をはることは自分にとって意味のあることなのか?と考えたときに、少し力が抜けたような気がした。先に挙げたことは、全部実態のないものだ。勝手に自分が想像して、勝手にハードルを上げているだけ。越えようが越えまいが特に意味はない。現状は現状として認識するしかないし、希望があるなら、その希望を達成するよう努力していけばいいだけのお話なのだ。

 

というわけで、私はライスワークとしての会社の仕事を粛々とこなしながら、ライフワークとしての文筆業のレベルをあげるべく努力し続けていく、という姿を当面はとるということを選択した。

 

著者竹内氏は、最後の方で、ボツになった山のようなネーム集を見つけた時に感じたことを紹介している。何かの形で自分の表現というものが世に出るまでには、世に出せないレベルのものが多数存在する。そうした世には出せないレベルのものであっても、紡ぎ出す努力を積み重ねていかない事には、決して何かを世に問うということはできない。このエピソードは心に沁みた。私も、レベル云々の前に、とにかく言葉を紡ぎ出す努力を続けていこう、という思いだけは新たにした。