脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

一体何に対して意地を張ってるんだろう?って考えて、それが意味のある意地っ張りなのか考えてみよう 『がんばらなくても死なない』読後感

 

がんばらなくても死なない (コルクスタジオ)
 

 

記念すべきKindle Unlimited開始第1作DL作品。この手の本は読み切らないほど持っており、メモリをかなり食っている状態なので、これ以上増やしたくはないが、でも内容は読んでみたいということで、定額制のKindle Untitledを利用する決心をさせた作品となった。

 

内容は非常に読みやすいコミックエッセイ。ある夜の寝る前のホンの30分ほどで一旦読み飛ばしてしまえた。「プチうつあるある」とでもいうべき著者自身の体験と、その対処方法が記してある。肩肘張らずに読めてすんなり内容が頭に入ってきた。

 

このブログでも度々取り上げているが、私は今秋首都圏から故郷の実家近くに家を建てて移住する事になっている。移住してからの生活がどうなるかは、実際に現地で住み始めてみないとなんとも言えないが、移住そのものが、あっという間に決まったのと同様、今の会社を辞めて新しい生活に入ることをあっという間に決めてしまうかもしれない。本心としては、今の会社の仕事よりも、文筆業者として食っていきたいのだが、食うに足る収入を得る「市場価値」を自分自身が持ち得ていないことが踏ん切れない理由となっている。

 

このまま、餌は保障されているものの、自由のきかない飼い犬としての一生を送るのか、飢える可能性はあっても、新鮮な肉を食える野良犬として自由に生きるのか…?奉職する会社で自分としては目一杯の努力をし、その結果として客観的にも高い評価を得たものの、自分の希望する道には進めず、また今後もいわゆる出世を見込めない状態のまま、役員にまで出世している同期入社の人間たちを仰ぎ見て終わるのか?会社の価値体系とは全く別の分野で高みを目指すのか?自分自身の希望としては、苦しくても好きな道で高みを目指す方を選びたいのだが、養わなければならない人間もいるし、生活全般としてはそれなりのレベルにある今の暮らしを捨てられるのか、という疑問も常につきまとってくる。いい学校を出ていい会社に入って、安定した暮らしを営むことこそが、人間としての最上の価値だ、と幼少時から叩き込まれた強固な価値体系はちょっとやそっとでは崩せそうにない。いい会社(少なくとも今のコロナ禍状況下においても人員削減とか規模の縮小とかいうお話は出ていないので、安定した会社であるとは言えると思う)に入る、というところまでは、お勉強さえできればよしとされた学校時代の価値観そのままに、自己実現の最たるものを体現できたと喜びを感じられたが、会社の仕事は最初からこれっぽっちも面白いと思ったことはなかった。唯一面白いと思えた仕事は半年くらいで取り上げられてしまい、その後は好きでもない仕事を細々とこなして捨て扶持をもらって片隅で生きている。こんなことのために生きてきたわけじゃねーだろ!!というツッコミを述べつ幕なし自分に入れている状態だ。

 

この本を読んで、ふと、自分は一体何に対して意地を張っているのだろう?と考えてしまった。高学歴エリート(あえてそう言ってしまおう)としてのプライドか?自分の可能性に対する根拠のない期待か?親をはじめとして周りの人間が押し付けてきた価値観に対してか?なんでもいいのだが、そこで意地をはることは自分にとって意味のあることなのか?と考えたときに、少し力が抜けたような気がした。先に挙げたことは、全部実態のないものだ。勝手に自分が想像して、勝手にハードルを上げているだけ。越えようが越えまいが特に意味はない。現状は現状として認識するしかないし、希望があるなら、その希望を達成するよう努力していけばいいだけのお話なのだ。

 

というわけで、私はライスワークとしての会社の仕事を粛々とこなしながら、ライフワークとしての文筆業のレベルをあげるべく努力し続けていく、という姿を当面はとるということを選択した。

 

著者竹内氏は、最後の方で、ボツになった山のようなネーム集を見つけた時に感じたことを紹介している。何かの形で自分の表現というものが世に出るまでには、世に出せないレベルのものが多数存在する。そうした世には出せないレベルのものであっても、紡ぎ出す努力を積み重ねていかない事には、決して何かを世に問うということはできない。このエピソードは心に沁みた。私も、レベル云々の前に、とにかく言葉を紡ぎ出す努力を続けていこう、という思いだけは新たにした。