自らを「メガネのヘンタイ」と呼び、生涯で5万本以上もの眼鏡を手に入れ、メガネ愛が高じてついに眼鏡店まで開いてしまったという星野誠氏による、眼鏡による開運指導書。腰巻きには、さまざまな煽り文句が並んでいて、いかにもうさんくさそうだったのだが、Kindle Unlimited対象書籍であったため、軽い気持ちでDL。
私が眼鏡をかけ始めたのは高校を卒業して浪人していた頃。かれこれ40年近くも前のお話だ。高校2年までは視力は両目とも1.5と遠視と言えるくらいよく、黒板の文字が見えないなどということは全くなかったのだが、高校3年のある時期から一気に視力が低下した。受験勉強に打ち込むあまり、というのなら受験生としては美談だったが、おそらくは就寝前に本を読む習慣のなせる業だっただろうと思う。結構目を近づけて読んでいた覚えがある。体重が重すぎて、肘で長時間上半身を支えることができなかったのだ。
最初の眼鏡は今はもう潰れてしまった新宿の眼鏡店で買い求めた。こげ茶のメタルフレームで形はやや角形に寄ったティアドロップ型。初めて装着した瞬間、なんだか少しほっとした。外界と自己を隔てる防護壁のようなものの中に入れたような気がしたのだ。高々、薄っぺらいガラスと金属の組み合わせの物体を目の前にぶら下げただけなのに、要塞か何かの中に入ったまま、世の中を突き進む思いがしたものだ。なるほど眼鏡はかける人間の意識を変えるし、それに伴って行動も変える。
大学に入学時は、ウェリントンタイプが大流行していたので、入学後すぐに、大学生協の眼鏡店で、フレームが思いっきり目立つ黒いウエリントンタイプのものを購入。私のでかい顔に合うサイズがなく、問屋から、最大サイズのものを取り寄せてもらった。この眼鏡は大学時代の私のトレードマークになった。パッと人目について、結構なインパクトを与えていたらしく、「太い黒ブチメガネかけたデブ」といえばすぐに私のことだという共通認識が出来上がっていたらしい。このメガネも自分の内面を隠すのには最適な強固な要塞であり、かつ宣伝効果も大きなアイテムだった。
大学卒業後もしばらくその眼鏡をかけ続けていたのだが、ある日、フレームがぽっきり折れて使用不能になってしまった。以来、さまざまな眼鏡を取っ替え引っ替えしてきたが、いまだにあのウエリントンタイプの眼鏡を超える、「しっくり感」のあるモデルには出会ったことがない。ちなみに現在は、会社の仕事用として1本(下部フレームなしのシャープな形、シルバーメタル)、オールマイティーに使い回すもの1本(黒縁セルフレーム。四角っぽいがウェリントンタイプではない)、最初に買った形に近い角形ティアドロップ(紳士服ブランド名で出されている。一番高価。仕事・フォーマル席用)、運転時使用の度付きサングラス、ライター活動時の黒縁メタルフレーム(ウエリントンっぽいけど若干角形が強い)、トレーニング時使用の白いメタルフレーム(レンズの縦幅がかなり狭い。薄く色付き)、そして完全にプライベートの時用の丸眼鏡と計7本持っていて、それぞれのシーンで使っている。去年は、ラグビープレー時に使用可能なゴーグルを買い、その内部に度の入った眼鏡をオプションでつけた。残念ながら試合も練習も一度もやらなかったので使用する機会には恵まれなかったが…。ちなみにこの駄文はライター活動用の眼鏡で書いている。
ラグビー用のゴーグルとオールマイティーに使いまわしている1本以外は、全て、5年ほど前の休職中に少しでも気分を変えようと買い求めたものだ。そういう意味で、私は星野氏の「メガネが人生を変える」という主張については、この本を読む前からある程度は理解して実践していたとは言えるのだが、星野氏の主張はもっとぶっ飛んでいる。自分にとって最も似合わないと思えるタイプのメガネこそが人生を変えるメガネだというのだ。
自分で思う、「自分に似合う眼鏡」というのは結局今までの自分の行動や習慣、美意識といったものの延長上にあるもので、そういう眼鏡をかけているうちは絶対に人生は変わらない。自分には似合わない、とかかけてみて違和感を感じる、というシェイプのメガネこそが自分の今までの殻を打ち破るきっかけとなる、という主張は、素顔で過ごした高校時代と、眼鏡をかけて行動した大学時代の意識の変容を体験していた身にとってはすんなりと腑に落ちる主張であった。そして、どうしても合わないと感じたら、とっとと取り替えれば良い、という主張にも苦笑混じりながら賛同できた。せっかく金かけて買うなら違和感なんぞ感じないものを買っちゃうよね、というセルフツッコミと一緒ではあったが。
整形にしろ、植毛(ヅラ着用もふくむ)にしろ、最大の効用は、外見を変えることで外見のコンプレックスを解消し、萎縮せずに行動できるようになることだ。メガネを掛け替えることで、心の萎縮が取れるのなら、整形や毛髪関係の治療よりは確かに安上がりだし、変更も簡単だ。
私は読了して、早速この誠眼鏡店に行ってみたくなった。本当は今すぐにでも行きたいところだが、少なくとも緊急事態宣言が解除になるまでは自粛せざるをえまい。外見の変化のために命を悪い方向に晒すような危険は避けざるを得ない。だが、店主なり、店のスタッフなりが、どんなぶっ飛んだ眼鏡を紹介してくれるのかには大いに興味がある。こういうふうに、読んだ人間を店に行きたくさせてしまうという戦略は悔しいが巧妙でもある。