脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記92(実家の電話回線とモノの整理とちょっとした気づき)

少し前に、実家のある自治体から提供される予定だった、人感センサーを利用した、アラーム装置の取り付けの下準備がようやく整った。

 

取り付けに来た業者の方が、実家の電話回線状況を一目見て「このキャリアには、当該の機器は使えません」と言い残して去っていったのがほぼ一月前。そんなもん、最初の申し込みの際に契約キャリアくらい確認しろよ、って突っ込みたくはあったが、そこは、実際の人を前にしてしまうとそうそう簡単に文句は言えるもんじゃない。

 

で、仕方ないので新しいキャリアに乗り換えることにしたのだが、回線の付け替え工事を待つ時間もまた長かった。時あたかも卒業・入学・異動の季節であるため申し込みが殺到しているのだというのがその理由。休日を避けても三週間待ちだった。

昨日ようやく、回線の付け替え工事が終了した。光回線を通すのが初めてだったこともあり、工事に来た業者の方は、かなり遠方の回線の中継基地まで行って作業されたようで、二時間を越す大工事となった。ちょうど昼時だったが、昼食も摂らずに作業にかかりっきり。本当にご苦労様でした。せめてものお礼ってことで、ペットボトルのお茶を2本づつ(業者の方は二名で来ていた)差し上げた。聞けば「いや、この時期は時間との勝負なんで、昼飯なんか食ってる暇はないです」とのこと。いやはや。

 

転居に伴い、モノを減らすための作業はぼちぼち始めてるのだが、別にミニマリストを目指しているわけでもないので、全ての物品をバッサリと捨てるまでの境地には至っていない。新しい家には収納スペースがたっぷりあることもあり、捨てる基準はやや緩めにはなったが、持っていくものが増えるということは、当然その物品を整理する必要が出てくる。そんなわけで、読み捨てるためにKindle Unlimited対象本リストから引っ張ってきたのが下記の書。 

 

一冊本を読んだら、その本だけで一本ブログを書くというのがこのブログにおいて自らに課しているルールなのだが、この本だけではどう足掻いても一本分のネタにはならないので、支離鬱シリーズの駄文に埋め込むことにする。この本そのものが野口悠紀雄氏の本の受け売りだし、巻末には何やら怪しげな開運グッズの宣伝じみたくだりもあったので要注意だ。

 

内容をかいつまんで言えば、欲しい時に欲しいものが即座に手に取れる収納の仕方こそが整理だということ。資料の類は時系列でまとめ、紙袋に概要を書いてストックしておく。一度手にした資料は元の場所に戻すのではなく、なるべく近いところにおいておく。そうすれば、利用頻度の高い資料は自ずから手の届きやすい場所に常にあり続け、不要な資料は遠くに行くので、一定の期間が過ぎたら遠くの資料から捨てるか否かの判断を行う。書類以外のモノは100円ショップのA4の蓋付きの箱に収納し、箱には中身を書いておく。これもよく使うものほど取り出しやすい場所に配置し、使う頻度の少ないものは一定期間を経たら捨てるか否かの判断を行う。

 

早速100円ショップでいくつか箱を買ってきた。この本の1番の難点は、散々蓋付き段ボール箱のメリットを言っておきながら、現物の写真なりイラストなりがなかったこと。たまたま、読んだ翌日に100円ショップのあるショッピングモールに行く機会があったからいいようなものの、時間をおけば忘れてしまうことだってありうるし、現物の像なしには具体的なイメージが湧かない。ちょっと不親切な一冊だった。ちなみにこんな感じのものだ。

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大きさがわかりにくいがA4の紙はすんなりと入るくらいのもの

 

会社の仕事は毎日ゆっくりとだが、確実にこなしてはいる。だが、なぜか焦燥感のようなものが常に消えずに心の中に残っている。会社の仕事よりも大きな課題を抱えていることは事実なのだが、どうもそっち方面ではなく、会社の仕事の時のみなんだか焦ってしまうのだ。一体何が原因なのか?考えても明確な答えが浮かばないので、とりあえず、何か焦りを感じたら手帳にその時点での心の内容を書き出すことにした。毎日書いてりゃ、何かしらわかってくるだろうこともあるだろうからという、気楽なメモ書きである。ついでに、ちょっとでも心が動いたことがあったら、書き出しておくことにもした。何がどうネタに変化するかわからない。せっかくGoogle AdSenseの審査に通ったというのに、それこそまだ一銭にもなっていない。アクセス欲しさに無理やりな話題づくりをしようとは思わないが、気になったことは細大漏らさず書き出して、ネタに繋げていきたいと思う。私という資本を生かすも殺すも私という装置次第なのだから。

「おじさん」は有益な資産?『働かないおじさんが御社をダメにする ミドル人材活躍のための処方箋』読後感

 

 一時期「都市鉱山」なる言葉が流布したことがあった。使用不能、あるいは不要になった携帯電話やOA機器を鋳つぶして採れるレアメタルは十分に採算の取れる商いとなったし、市中に出回る電子デバイスはすでに膨大であった上に、増える一方だったので、それこそ無尽蔵と言って良いほどの莫大な量が、人口の多い場所、すなわち都市に集まっている現象を言い表した言葉だった。

 

都市鉱山」の比喩に倣えば、標題の書は、人間社会の中の「才能鉱山」とでもいうべき鉱脈の中で大きな部分を占める「働かないおじさん」たちに焦点を当てた一冊である。

 

「働かないおじさん」は何故に発生するのか?それは新卒一括採用で大量に採用した人員を全て同じような価値観に当てはめて教育し、その教育体制の中を勝ち抜いた人材だけを管理職として「出世」させ厚遇するというシステムが出来上がっていることが原因だ。社会全体の経済情勢が右肩上がりで、作れば作っただけのモノが売れた時代は遥か前に終わり、今や人口も減少しているし、経済状態もシュリンクしている状態。従って、実績をあげてもつけるポストが限られている現在においては、ある程度の収入だけは保証されているため「今更別の職場に行きたくない」とか「新しい仕事を探すのは億劫だ」と考えて、定年までひたすら今の会社にしがみつき続ける「働かないおじさん」が増えていくという状況だ。

 

何度か書いていることだが、私は「管理職」になることが目的ではなく、ある種の専門職になって、その職から得た専門的な知識や業務経験を活かして、その分野の専門会社に転職することが目標だった。で、自分の目標に向かうためにはどうしたら良いか、とその時々の上司に必ず尋ねたものだが、その際に返ってくる答えは「今の業務(営業職が長かった)で実績を上げることが条件」というものだった。で、決して好きになれなかった営業職でトップの成績をあげて、ようやく念願が叶うかと思ったら、そこで出されたのは僻地の営業所への異動辞令。一応資格としては一段階上がり、その営業所のNo.2という「昇格」を伴った異動ではあったが、営業の管理職で出世していくことに「喜び」を感じられなかった私は、完全にそこで腐って、メンタルまで患った。そこで完全に、希望の道への進路は絶たれたし、いわゆる出世も望めない状態になってしまった。堂々たる「働かないおじさん」の誕生である。読んでいて、大笑いした。まさに私の状況そのままだったからだ。で、今は会社の仕事への向上心など微塵も持たず、叱責だけは受けないように最低限の仕事だけして、捨て扶持をもらって私生活を充実させる方に注力している。年齢的にもここから頑張ったって管理職につけるわけでもないし、給料もそろそろ頭打ち。これで頑張って仕事しろって言われたって頑張れる人がいるだろうか?少なくとも私は会社の仕事が生き甲斐だ、などという心持ちにだけは絶対になれないと思う。

 

こうした、おじさんたちを再生しないことには、日本経済の衰退は食い止められないし、「働かない」ことはおじさんたちにとっても不幸なので、なんとかおじさんを再生しようというのが、著者の主張であり、そのために考えられる策をいくつか示してもいる。

 

一から教育しなければいけない新人と違って、ある程度経験も知識もあるおじさんたちを活用することの方がコストかがかからなくて済む、というのは一から山を掘り始めるよりは、すでに加工まで済んでいる希少金属を利用しようという「都市鉱山」の考え方とまさに一致する。ただ、働かないおじさんたちは、周りの人間に悪影響を及ぼすという「鉱毒」をも持ち合わせているので、対策を講じるのが望ましい存在というよりも、対策がマストな存在でもある。トップになれなかった官僚は民間企業に天下って、経験やコネや知識を活かして仕事をするという制度は、弊害が多くあったものの、業務を円滑に行ってメリットを生み出すという意味においてはそれなりに機能的ではあった。働かないおじさんたちにも、持てる知識や経験を活かせる場を提供することは必要であろう。個々の企業の人件費の削減にもつながるし、何よりも社会の共有財としての「おじさんの知」の埋蔵量はバカにならない。必要とされることでやる気になるおじさんも出てくるだろうし、そうなれば深酒かっくらって健康を害する事例も減るだろうから医療費にも影響してくる。いい事づくめじゃねーの、なんとかしなさいよ、政府の皆さん。

 

少子高齢化が進む日本社会においては、ミドル、シニアの年代を金食い虫にせずに、金の卵を生むニワトリに変えていく必要がある。私みたいに、最初から目指すところが違って挫折したのとは違う、単なる巡り合わせとか人間関係とかで、世に埋もれることになった有為の人材はたくさんいるはずだ。なんとかそういう人物たちをすくい上げる施策を望みたいものだ。私は挑戦しようとは思わないけどね(笑)。

支離鬱々日記91(病気とプロ野球開幕と大相撲)

先日受診した人間ドックの結果が返ってきた。概ね良好だったのだが、一つだけ要検査項目があった。糖尿病の疑いありだというのだ。

 

心当たりはありまくりだ。外出もままならなかったゆえ、ここ一年ばかり、ジムや外でまとまったトレーニングをする機会は皆無。簡易なチャリンコマシーンは定期的に漕いではいたものの、明らかに運動不足。その上飲酒の頻度が増し、それに伴って、夕食とは別に高カロリーなつまみを食う機会も増えた。罹患要素は有り余っている(苦笑)。

 

かかりつけの内科医に診断結果を見せたところ、ちょうど人間ドックの直前に受けた血液検査と尿検査でも糖尿の疑いが強く出ていたということもあり、専門の医者を受診することを勧められた。言われることは大体わかっているつもりだ。何しろ肥満体との付き合いは半世紀に及んでいるのだ。摂取カロリーを抑えることと、消費カロリーを増やすこと。その結果としての減量という方針が示され、具体的な食事メニューや運動メニューが提示されるってことになるだろう。今までは「恐れ」だったが、今回は「疑いが濃厚」あるいは「発生初期」という判断になると思う。ここ数年、先送りしてきた根本的対策に取り組むことを否応なしに突きつけられたことになる。政治家や役人が問題を先送りする気持ちが多少なりともわかったような気がするが、「実害」を受けるのが自分であることを考えれば真剣に取り組まざるを得まい。そんなわけで、昨日は久々にウォーキングを行った。花粉が邪魔だが、春の陽気の中歩くのは悪いものではない。できることから始めていこうと思う。

 

プロ野球が開幕した。我が読売ジャイアンツDeNA相手に開幕二連勝と好調な滑り出しで何よりではある。ただし、問題は多い。

 

まずは投手陣。相手は外国人がいない、いわば飛車角落ちのDeNA打線なのに、初戦7点、二戦目5点はいかにも点を取られすぎ。開幕投手の菅野、中継ぎの鎌谷、ビエイラは大いに反省して欲しい。またストッパーの中川も、ピシャリとおさえてほしい場面で点を取られるなど、いきなり不安を露呈した。

 

打線も、よく打ってはいるが、あと一本が出ていない。例えば開幕戦。初回に3点とってなおも無死満塁としたのにそこからは無得点に終わった。あそこで一本打てなかった大城は大いに反省すべき。その次の打席で放った3ランホームランは大したものだが、初回の場面であと一本出ていれば相手のエース濱口に「一死も取れずにノックアウト」という不名誉かつ、シーズンを通してダメージを与えておける大きな傷を負わすことができていたはずだ。こういう、徹底的に叩くところは叩くという厳しさこそが、隙のなさに繋がり、ひいてはソフトバンクの打倒につながるとも思う。

また初戦に関しては、梶谷の人的補償DeNAに移籍した田中俊太に、見事に「巨人を見返す」という物語性を与えてしまった。DeNAの7点のうち6点は田中の打点、しかも最終回の土壇場で同点打を打たれるという大活躍は、アンチ巨人の皆様の喝采をさらったことだろう。土壇場の一打が逆転打でなくて良かった。そしてこの試合を亀井の代打サヨナラホームランで劇的に勝てて良かった。あそこで田中に逆転打を打たれて負けていたら、それこそ巨人が大きく後を引く大怪我を負ったことだろう。今後も田中俊太には要注意である。

 

大相撲の春場所は、千秋楽を前に、大関復帰をほぼ確実にしている照ノ富士が単独で首位に立った。一旦序二段まで落ちてからのこの復活劇は大いに賞賛されるべきだ。彼の苦しみは常人には想像もつかないとてつもなく大きいものだっただろうし、そこから這い上がってきた姿は、挫折を味わって失意の中にいる多くの人々に勇気を与えたであろう。

 

しかしながら、これを迎え撃つはずの現役大関陣がいかにも不甲斐ない。正代も朝乃山も直接対決で完全に圧倒されて負けた。情けないの一言だ。なかなか辞めない白鵬に珍しく同情的な記事をどこかで読んだが、その中に「後進が育っていないから辞めるに辞められない」という気持ちがあるとの記述があった。残した実績は偉大だと言っても良いが、満身創痍で年齢的にもピークを過ぎた横綱にこんなことを思わせる現役大関陣には猛省を促したい。話題にされるのが「カド番脱出」ばかりな大関には相撲ファンは皆辟易としているはずだ。常に優勝争いに絡み、次の横綱にふさわしいと皆が認めるような、強い大関の出現を強く望みたい。横綱不在の場所なら大関が優勝して当たり前のはずが、平幕優勝ばかりが出る昨今の土俵は異常な事態なのだが、当の大関陣たちはそのことを自覚しているのかどうか?うかうかしていると「次の横綱照ノ富士」になってしまうかもしれない。どん底からの復活劇という物語を背負った照ノ富士には「世論」という強力な追い風がある。そんなものをものともしない強い大関の出現を望みたいものだ。

こんな忍者が本当にいたら歴史が変わってたんじゃねーの?『真田忍侠記(上下)』読後感

 

真田忍侠記(上) (PHP文芸文庫)

真田忍侠記(上) (PHP文芸文庫)

 

 

 

真田忍侠記(下) (PHP文芸文庫)

真田忍侠記(下) (PHP文芸文庫)

 

 

真田十勇士のメンバーとしても名高い霧隠才蔵、猿飛佐助の二人の忍者を主人公とした時代小説。

 

作者の津本陽氏は剣豪小説の第一人者で、自らも剣道の高段者であり、リアルな剣技の描写が特徴的な方なのだが、今作に関しては、二人の活躍をかなりSFチックに描いている。

 

この二人に関しては、モデルとなった人物こそ存在したものの、後世の演劇やら講談やらの中から発生した架空の人物であるというのが「定説」。この点からだけでも、津本氏の作品としては異色。そして何しろこの二人がとにかく超人すぎるのだ。

 

いろんなデマを流して敵方の軍勢を混乱させるのなんかはまだリアルな能力。一度入ったことのある場所なら、その場所が現在どんな様子なのかを見ることもできるし、その場にいる人物たちの会話を聞くことも可能。忍者同士なら、テレパシーを使ってどんな遠距離でも会話できるし、敵の人物の人格に入り込んで、その人物を意のままに操ることも可能。

 

タイトルにもしたが、こんな人物が二人もいれば、実際の戦の前に家康を暗殺することも可能だろうし、大軍が押し寄せる先に、大きな爆弾でも仕掛けておいて、一気に戦力を削ぐ、などという策も講じられると思うのだが、そこは物語の都合上、ちゃんとストッパーが用意されている。

 

家康の部下には伊賀忍者の総帥であり、自身も優れた忍者である服部半蔵がいて、猿飛、霧隠の暗躍を食い止めるのだ。半蔵の存在があることにより、二人に佐助の息子小兵衛を加えた三人の諜報活動は大きく制限されるし、家康にも簡単には近づけないという設定となっている。

 

さて、物語自体は史実に忠実に進む。沼田の地の統治権をめぐり、真田昌幸徳川家康と反目し、上田城での二度の合戦から大坂冬の陣、夏の陣と徳川が豊臣を追い詰めていく中で、なんとか踏みとどまるために戦う真田家と、その真田家の「裏の戦い」を支える三人の忍者。歴史上の勝敗とは別の勝負では、三人の忍者の活躍により、真田家は無敗を誇る。

 

しかし、表の戦いに参加した豊臣方のメンバーは愚将揃い。三人の人心のコントロール能力は、敵軍の武将に用いて戦線を混乱させるなんていうこじんまりとした使い方をするのではなく、豊臣方の権力者(大野治長淀殿など戦というものがわかっていないという設定の人物たち)たちにこそ用いて、作戦を真田信繁(幸村)の思い通りにすべく用いた方が効果的だったのではないか、と思わされてしまう。

 

残念ながら津本氏はSF作家ではなく、剣豪小説を中心とした、史実に忠実な作品で知られる人物であるため、歴史のifを追求しようという意図をお持ちではないようだ。信繁は自ら提案した作戦が採用されない戦いでは負けるということがわかっていながらも、豊臣家と運命をともにすることを覚悟し、大坂夏の陣では、ただひたすらに家康の首を取ることだけに専心する。

 

忍者三人も信繁の覚悟を知り、その成功率が少しでも高まるようにするため、最大の障壁である服部半蔵を排除することには成功するのだが…。夏の陣においては兵力の差が圧倒的に開いており、ついに信繁の刃は家康には届かなかったというのは史実の通りである。

 

結末については、大阪の陣終了後に流布した童歌「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島(鹿児島)へ」で歌われたように、三人の忍者と信繁が秀頼を鹿児島まで落ち延びさせた、という説でも採用すれば、もう少しお話も膨らんだのだろうと思うのだが、さにあらず。ほとんどネタバレしているがどのように物語が閉じられたかについては本文を参照いただきたい。

 

ちなみに、仮に私に猿飛、霧隠のような能力があれば、自分が権力を握ることを考えたかもしれない。何しろ情報収集も、人心操縦も思いのままという超人なのだ。もっともこの能力を保つためには、食欲や飲酒など、およそ人間が持ちうる欲望のほとんどを断つ必要があるので、権力を握ったところで楽しいことは何もないのだが(笑)。

 

 

3/20に発生した宮城県沖震源の地震に思う

先日、車を運転している際に、宮城県沖を震源とする地震に見舞われた。ちょうどその時は高速道路の出口付近を徐行走行中だったのだが、落下物を踏んだ時などと明らかに違う種類の振動に少々慌てた。すぐさまラジオをつけたら、女性アナウンサーが刻々と更新される震度や地域の情報を早口で喋り、その合間合間に津波への注意を呼びかけていた。車窓の外の無感情な車の流れとはかけ離れた興奮状態の口調を聴きながら思い出したのは、10年前の大震災の記憶。同乗の最高権力者様も同じ思いだったと見えて、しばらくはお互いに当日の思い出を語り合った。震災翌日の別口ブログの全文を再掲する。

 

 

″3/11(金)15:20頃、私は取引先からの電話を受けていました。その時、かなりの揺れを感じました。電話の向こうでも取引先の担当者の「あ、今地震来てますよね?」という不安げな声が聞こえていました。「うん、確かに揺れてますね。相当でかそうですから、電話切りますね」ちょうど用件も済んだところだったので、早々に電話を切りました。

まあ、いつもの通り、少し待ってりゃ治まるだろう、という予測は見事に外れました。揺れはひどくなった上、いつまで経ってもやみそうにありません。そのうちに電気が止まって暗くなり、警報が鳴り始めました。当時同じ部屋の中に7人の人間がいましたが、7人とも備え付けのヘルメットをかぶった上で、机の下にもぐりこみました。

地震がきたら、机の下にもぐりこめ」という訓練は小学生の頃から受けてきましたが、実際にもぐりこむのは初めての経験でした。強い揺れを感じながら、狭いところにもぐりこんでいることには強い恐怖を感じるものだということを初めて知りましたね。

どのくらいの時間そうしていたでしょうか?時計を見る余裕すらなかったので、詳しい時間はわかりませんが少なくとも5分くらいはもぐりこんでいたように思います。ようやく揺れがおさまったので、建物の外へと避難しました。

外には工場内のメンバーと、工場に隣接する研修施設で研修を受けていた社員がほとんど出てきていました。電気が止まってしまったので、当然生産ラインも止まります。幸いなことに火気をともなう作業はしていなかったようで、火災の心配はないようでした。

スマフォで情報を確認したところ「宮城北部で震度7」「工場所在地は震度5弱」という表示。工場のある地域は停電もしてしまったようで、信号からも光が消えていました。

その場で、工場の主だった面々の判断で、即休業で全員退社。徒歩や自転車で帰れる職住接近の人が大半なので、その点はあまり心配いりませんでしたが、問題は私自身。川崎某所にある工場から練馬某所にある自宅までどうやって帰ろうか?最寄り駅に乗り入れている電車はすべて止まっているらしい…。

総務の職務として、工場内の点検を簡単に済ますと、浦和まで帰らなければならない上司が悩んでいるのを横目にみながら最寄り駅を目指します(ちなみに上司はこの日、隣接する研修施設に泊まり、翌日の午後になってようやく帰宅したそうです)。

最寄り駅は人人人であふれかえっていましたが、「復旧の見通しはたっていません」というアナウンスを機械的に繰り返すだけで、ホームにすら入れてもらえませんでした。仕方がないので、駅の内部の本屋で何冊か本を買い、近くのファミレスでしばらく様子見。

ここで、軽い食事を取り、コーヒーを4杯おかわり(無料)して1時間ほど粘り、もう一度駅にいってみましたが、電車はピクリとも動く気配なし。ホームどころか、改札口の電気まで消されていました。

少々懐は痛むものの、タクシー使うか、と思ってタクシー乗り場に行ってみたら100m以上も行列が出来ていました。これはもう、覚悟を決めて歩いて帰るしかない、そう思い切ってスマフォのナビに自宅住所を入力。距離は21kmと出ました。1時間に5km歩いたとして4時間強。家に着くのは11時か、と思いつつ歩き始めました。

歩き始めてすぐにレンタカー屋が目に入ったのですが、道路の混雑がものすごかったのと、どれだけ歩けるか試してみたいという気持ちが勝ったということもあって、歩き始めました。

中原街道は歩いて帰宅する人々でごった返していました。休日の歩行者天国を歩いているのと大差ない人々の波が、黙々と川崎方面を目指して歩いていました。私はその人々の流れに逆らって都内を目指します。

歩き始めて改めて感じましたが「腹が減っては戦は出来ぬ」というのは真理ですね。お腹が満たされていたからこそ歩こうという意欲も湧いたし、その後もほぼ飲まず食わずで歩くことが出来ました。まあ、時間が早いうちはコンビニの棚にもまだ食い物はありましたけどね。

ナビをちらちらみながら1時間ほど歩いて、都内に入りましたが、ここからが長い。しかもここで、最高権力者様からメールが…。「友人と港区で行われた音楽会を聴きにいったが、電車が動かないので高輪の区民センターにいる」。途中で進路変更です。歩く距離はほぼ変わりません。

ここで一つの危機が。スマフォにはいろいろな機能があって便利なのですが、電池の減りが異常に早いんです。ナビを見たりメールを打ったりしているうちに電池が見る見る減っていきました。途中でauショップを見かけたので、充電器を買い求めようとしたら、スマフォ用の電池式充電器は純正品としてはないとのこと。その代わり無料で充電してくれる、というのでお願いしたのですが、満タンになるには1時間ほどかかると言うので、そんなには待てないと早々に引き上げることにしました。バッテリー残量計は黄色のまま。後々、ここでスマフォ用のアダプターだけでも買っておけばよかったと後悔することになります。

途中コンビニを見つけるたびに寄って充電器を探したのですが、皆考えることは一緒のようで、棚から充電器はきれいになくなっていました。たまにあっても、スマフォの端子には合わないものばかり。バッテリーはどんどん減っていきますが、どうすることも出来ません。不動産価値の高い土地ばかり歩いたので、家電量販店などまったく見当たりませんでした。

ナビをチラチラ見、メールを何回かやり取りしたところで、完全にバッテリー切れ。同時に高輪の区民センターへの道もまったくわからなくなりました。しかたがないので、コンビニを見つけるたびに入店して充電器を探す一方、店員に道を聞く、というのを繰り返したのですが、正確に区民センターの位置を知っている人にはついにめぐり合えませんでした。交番で聞いても解らなかったんですから^^;まあ区民会館だか区民センターだか名前をうろ覚えだったというのもありますが…。とりあえず高輪方面に向かって歩きます。

靴は毎日ウォーキングシューズですので歩くのはさほど苦ではないのですが、こういう日に限って外出の予定があったため普段のカジュアルな格好ではなくスーツを着ていました。別に動きにくくはないんですが、なんとなく拘束感を感じちゃうんですよね。ちなみに地震騒ぎのお陰で外出もヘッタクレもなくなっちゃいましたが…。

道を聞き、コンビニの棚を眺めながらの行程は3時間余にも及びました。途中、警察署で一回トイレ休憩を取りましたが、あとは飲まず食わずで歩き通しです。コーヒーがぶ飲み効果で飢えも渇きも感じませんでしたがね。

ふと、公衆トイレを見かけてそこで用を足し、外に出てふと見上げたら、そこが区民センターでした。最高権力者様はすぐに見つかりました。何度メールを送ってもレスポンスがないので、電波状況の確認のため、避難者の控え室として用意されていた地下の部屋から出てきていたのだそうです。そりゃレスポンスの返しようがありませんわ。バッテリー切れなんですから。

ちょうどその時、都営線が運転を再開したというニュースが飛び込んできました。高輪口から浅草線に乗り、その後大門で大江戸線に乗れば、自宅近くの駅まで行くことが出来ます。というわけで、今度は帰宅を急ぐ多数の人々と同じ方向に歩きます。

浅草線は混んでいたもののすんなり乗ることができましたが、大江戸線は予想を上回る大混雑。ホームに乗客が入りきれないので、警察官まで出動して、改札口と、ホームへ降りる階段で入場制限をかけるものものしさ。当家は、1時間ほど待ってようやくホームに降りられました。しかしホームもギッチギチ。すでに朝の通勤電車並みの満員状態。しかも入ってくる電車も寿司詰め状態。降りる人数以上に乗り込む客がいて、ものすごい状態で出発していくのですが、それでも乗り切れません。結局3本見送って4本目にようやく乗ることが出来ました。

この時点で時間はすでに真夜中を回っていました。方々から襲ってくる強烈なプレッシャーから最高権力者様をなんとかお守りして、車中の時間を耐え忍びます。不思議なのは、前の駅で、もう乗れない、と駅員が乗り込もうとして人間を引き剥がすようにしてドアを閉め発車した電車が次の駅にとまり、誰も降りないのに、また新しい乗客が乗り込んできてしまうことです。もうこれ以上乗るんじゃねーよ、という悪態を心の中でつきながら、ひたすら耐えるのみ。

救いの主は老紳士。自分の前の席が開いた瞬間最高権力者様を座らせてくれたのです。お陰でわたしまで多少楽をさせてもらえるようになりました。奇跡のような方でしたね。

なんだかんだで降車駅についたのは午前一時過ぎ。この駅は最寄り駅というわけではないので、10分ほど歩きました。ここでようやく最高権力者様が港区からいただいたミネラルウォーターを口にしました。6時間ぶりくらいに口にした水は美味かったですね。避難所に避難して不自由な思いをしている被災者の方々の気持ちがほんの少し理解できたような気がしました。

自宅マンションにたどり着くと、エレベーターの前には「地震発生後の安全確認が出来るまでエレベーターを停止します」という貼紙が…。文字通り重たい脚を引きずりつつ8階まで上ります。


家について、ドアを開けた瞬間に目に飛び込んできた光景は…。ドアが開きっぱなしになってしまった冷蔵庫、そこから飛び出した数々の食品、真っ二つにわれたコーヒーメーカー、床に転がっている電子レンジ、部屋中に飛散した書籍の数々、粉々のワイングラス、扉が全開している洋服ダンス、タンスの上から転がり落ちていた衣装ケース…。震度5弱地震の威力をまざまざと見せ付けられました。私の部屋の積ん読山も完全に崩壊していました。

もう夜の2時近くでしたので、全部を片付ける気力もなく、布団を敷ける程度に片付けて、シャワーを浴びて早々に寝ました。

人間誰しも、「自分だけは災難に合わない」という根拠のない確信を持っているものですが、今回の件で、災難にあうことだって十分にありうるのだ、ということを思い知らされました。まあ、震源地近くで重篤な被害にあわれた方からすれば、取るに足らないような被害ではありますがね。

ま、20kmも歩くことができたというのは一つの収穫でした。

今回の震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。″

 

 

東日本大震災の直後に喚起された思いを書いた文章を読み返してみて、改めて気づいたことが二つある。

 

一つは、2011年当時との不気味な類似性だ。あの時も、3/11に先立つ2/22にニュージーランドで大地震が起き、甚大な被害が出た。今回もあの辺の地域で大きな地震があった約1ヶ月後に福島県で最大震度6弱という大きな地震が起きた。3/20の地震はおそらくその余震だろう。

 

10年前の教訓をもとに、沿岸地域の堤防が高くなったり、住宅地が高台に移動したりという対策は打たれたが、そんな対策を浅知恵と嘲笑うかのごとき大災害が起こる可能性は否定できない。しかも今度コトが起これば、避難所での三密の危険性までも回避する策が求められる。今は、あんなバカでかい災害が起こらないことだけを願うのみだ。

 

もう一つ。以前どこかで、災害が起こるから人心が不安定になるのではなく、不安定になった人心こそが天変地異を引き起こす負のエネルギーを生じさせるのだ、という設定のSFチックな小説だか、コミックだかを読んだ記憶がある。確か、そのお話の中では、大きな自然災害に先立って生じていた人心が不安定になる事件(戦争や疫病など)を例示していて、なるほどそういう見方もできるな、と感心した覚えがある。信じる気にはならなかったが(笑)。

 

この物語の世界観に倣って言えば、今回の日本ならびに南太平洋地域の大地震はコロナ禍がもたらした人心の不安定さがもたらしたものだと言えよう。先にも述べた通り、私自身はこの世界観を受け入れてはいないが、出口の見えないコロナ禍の状況下における人々のストレスのエネルギーは、そのくらいの地震を引き起こすくらいには高まっているような気はする。世の中を動かす立場にある方々には、この地震を民衆の怒りの発露だと感じてもらって、より一層の努力を望みたい。それこそ、全世界を一回ぶっ壊すくらいの覚悟がないと打開できない局面に来ているように思うのだが、日本は見切り発車の緊急事態宣言解除と、ゆっくりとした歩みのワクチン接種しかできていない。歯痒いなぁ…。

支離鬱々日記90(差別的表現の告発とTOEICの結果と家買うシリーズ12回目)

東京オリンピックは開催自体もゴタゴタしているが、運営組織もゴタゴタのしっぱなしだ。女性差別発言による組織委員会の会長交代に続き、今度は開会式と閉会式の演出を取り仕切るクリエイティブディレクター氏が、渡辺直美氏の容姿を侮蔑する演出を企図していたとして更迭された。ここまでケチがついて、しかも外国人一般客が入らない、すなわち外貨の獲得が期待できないイベントなんてやる意味あるの?という議論はさておき、二つほどひっかかったので書いておくことにする。

 

渡辺直美氏は、自らの肥満体を「ネタ」にすることで笑いを生んできた。そういう意味で今回のこのバッシングが、無用なソンタクを招いて、渡辺氏の笑いの幅が狭まってしまうのではないかということが一つ。今後、彼女の起用にあたって、起用する側が、必要以上に表現を気にし始めたら、面白いものも面白く無くなってしまう。あるいは最初から無用な軋轢を避けるためとして、彼女の起用自体を取りやめるようなことにもなるかも知れない。そうなると、これは彼女にとっては立派な営業妨害だ。笑いというものは、笑う側が上位に立つことで成り立つという側面があり、そういう意味で常に侮蔑的な感情を幾分か含むものである。侮蔑や差別などにつながる表現には十分注意する必要はあるが、くれぐれも自主規制が行きすぎないよう、エンターテインメントの制作者には心していただきたい。

 

もう一つ。この表現の案が出されたのは企画にまでも至らない、いわばアイデア出しの雑談の場だということ。侮蔑や差別に対する世間の目がセンシティブになっているとはいえ、そんな半分冗談ともとれる発案が告発されたということは、このクリエイティブデイレクター氏は、表現云々以前に、何か問題があったのではないかということだ。独断専横なのか、パワハラモラハラに相当する行動があったのか?いずれにせよ、告発した人間はこの方に相当の遺恨をお持ちのようだ。個人的な遺恨でも、世論の応援を背後に背負ってしまえば「正義」という、いわば錦の御旗のようなものを背負って「公的」に個人を攻撃することが可能になってしまう。これは、非常に怖いことだ。図らずも、世論さえ操作できれば、いくらでも個人を追い込むことができるようになったということを証明したことになった。きっかけはクリエイティブディレクター氏にあったとしても、この告発がそれこそ全人格を否定するような極端なバッシングを起こしてしまうことには恐怖しか感じない。

 

2/28に受験したTOEICの結果が送られてきた。リスニング365、リーディング370の計735。目標としていた830点には100点も足りない。

 

理由はズバリ勉強不足。通勤に費やす時間がなくなったことで、日々英語に触れる機会が激減した。今回は付け焼き刃的に試験前の二週間ほど、毎日一時間は問題集を解くことにはしたが、ほとんど過去の遺産だけが現れた点数となった。

 

特に衰えを痛感したのはリスニング。なんとなく単語は聞き取れるのだが、文章の意味が理解できない。従って正解を選ぶことができない。今まで一番良い点数はリスニングで405点だが、その頃は毎日の通勤の際に速聴CDを毎日聞いて、しかも文章の意味も理解できていた。

 

英語の勉強もトレーニングも、日々の積み重ねこそが「実戦の場」での出来を左右するということを改めて認識した。人間ドックの結果がよくなかったこともあるし、そろそろ暖かくもなるということで、ウォーキングを再開しようと思う。その際のBGMはもちろん英語の速聴CDだ。次回は4月の下旬に受験することにし、早速申し込んだ。

 

家の完成イメージスケッチが出来上がってきた。手前味噌だが、こじんまりとまとまったなかなかにいい家である。また一つイメージが具体化した。ついでに配電、照明、水道管などが記された設計図も提示された。照明に関しては具体的な器具まで書いてあった。こちらもなかなかにいい感じである。細かいところに多少は要望は述べたものの、あとはほとんどおまかせだったのだが、さすが、いろんな表彰を受けたことのある建築設計事務所の社長だけあって、痒いところに手が届く至れり尽くせりぶりだ。持つべきものはいい親戚である(笑)。

 

さて、この親戚との打ち合わせは私の実家で行われたのだが、実家に帰るたびに母への土産に、姪っ子の写真を持参することにしている。今までは、普通の紙にプリントアウトしたものを持って行っていたのだが、今回からは写真用紙に印刷して持っていくことにし、さて印刷しようとしたら、どうにも紙がうまくプリンターに吸い込まれない。「このプリンターも、もうずいぶん長い間使っているからなぁ。そろそろ寿命なのかも知れない。買い換えないといけないのかなぁ、そうなるとまたお金かかるなぁ。引っ越しにも、新しい家具を買うにも、古い家具を処分するのもお金かかるしなぁ。どさくさ紛れに買いたいと思っていたものもいくつか諦めなきゃいかんかなぁ…」などと取り留めなく考えながら、複数枚の紙をフィーダーにセットしたらうまくいくかも、と思ってもう何枚か、パッケージの中から取り出そうとした。そこではたと気づいた。今まで写真印刷紙だと思っていたものは、用紙が型崩れしないようパッケージに同封されていた厚紙だったのだ。さっきの考え方のままでいきなり電器屋に走ったりしなくてよかった。試しに本物の写真印刷用紙を咬ましてみたら、きちんと印刷された。トラブルが生じた際は、いきなり極端に走るのではなく、まずは落ち着いて、根本的な部分から考え直してみることが大切だ、ということに改めて気付かされた一件だった。特に引っ越しみたいにすべてのことが有耶無耶になりがちな場合にこそ、心掛けていたいことだ。

支離鬱々日記89(新しい一歩と身辺整理と喜ばしいこと)

なんだかんだで年度末だ。

 

私の所属部署も、年度末に合わせ、物品やら管理期限の切れた書類やらを整理・廃棄するという作業をする季節となった。そんなわけで、一週間ぶりに出社。通勤電車の過密状態を避けるために、6時過ぎには会社に着くように電車に乗る。ちょっと前までは会社についても暗いままだったが、今はちょうど朝焼けが綺麗な頃合いに到着する。

 

春はすぐそこだよなぁ、コロナ云々で浮かれるわけにはいかないけど…、などとほのぼのしていたのは昼前まで。マッスルバカがまたやらかしてくれた。自分の受け持ちの荷物整理をほっぽらかしてとっとと出かけてしまったのだ。マッスルバカに任せるのにうってつけだった、かなりの重い荷物を大型の棚三つ分も残したままでだ。

 

用事ができたのは仕方ないが、後の始末を誰にも頼まずに出かけるとは何事か!そう思ったが、別に腹も立たなかった。小学生レベル以下のやつにまともに怒りを感じても疲れるだけ。バカはバカのままでいりゃいいよ、後で泣き見るのは自分なんだから。

 

仕方がないので、筋トレ不足で鈍ったカラダに鞭打って(笑)、私が全て片付けた。重くはあったが、別に筋肉痛を起こすほどのものではなく、適度に体を動かせて爽快だったし、途方に暮れていた女性陣からは非常に感謝されたので、図らずも私の株が上がる結果となった。怪我の功名ってやつだ。少なくとも当日一緒に作業していた皆様の心の中では、マッスルバカには無責任男って枕詞がついたはずだ。往年の植木等氏が演じたような痛快な無責任男ではなく、文字通りの無責任男だよ、念のため(笑)。

 

年度末ってのは、入試の合否により悲喜こもごも分かれる季節でもある。私の親戚では音楽系の大学への入学を目指していた子が見事に合格した。喜ばしいことだ。音楽系ってのは当然のことながら、お勉強の成績よりも音楽の実技が重視されるのだが、本人の感覚としては、実技の試験はうまくいかなかったようで、かなり落ち込んでいたという。何はともあれ、受かってよかった。自分の目指す道への第一歩を順調に踏み出すことはできたのだから。あとは本人がいかに努力していくかにかかっている。大学の名に溺れることなく精進していって欲しいと思う。それなりに名の知れた大学には入ったものの、入学以降は、自主的に総合レジャーセンターとみなしてしまい、全く努力をしないままに社会に出て大いに後悔している私の実体験から、リアルにできるアドバイスはこれだけだ。

 

ところで、音楽系大学の受験に際しては、実技のコーチを受けた「恩師」にはそれなりの謝礼を支払うことが慣習としてあるらしい。今回合格した子はその親戚の家では音楽系の大学に進学した初めての人物であるため、親には謝礼に関するノウハウが全くない状態。そんなわけで、大学では教育学の一環としての音楽教育を専攻し、結婚するまでは教鞭も執っていた、当家の最高権力者様に謝礼の「相場」の問い合わせが来た。彼女も自身の受験に際しては特定のコーチに教えを乞うたことはないそうで、相場についての知識はほぼ無いに等しかったが、蛇の道は蛇というわけで、大学受験用の実技をコーチしたりもしている友人に問い合わせてみた。当然のことというべきか、やはり、いろんなケースが考えられるらしい。特に重視されるのが、そのコーチの現状の肩書き(いわゆる音楽教室の先生なんかが一般的だが、中には大学教授なんかに教えを乞う場合もあるとのこと)と、大学入学後も継続してコーチを受けるか否かの二点だそうだ。親戚の子の状況をヒアリングの上、ただ今、最高権力者様のご友人にリサーチいただいている状態だ。結構な金額になりそうな気配ではある。

 

私自身も、少し前に進めた。Google AdSenseの審査に通ったのだ。このブログを始めた当初はほぼ毎日のように申請していたのだが、「お客様のサイトにリーチできません」というメッセージばかりが表示されて、そこから先に進まなかったのだ。ポリシーのページも準備したし、連絡先も表示した。アカウントの設定もマニュアルにある通りにしたのに…。ネット上を飛び交う噂によると「はてなブログGoogle AdSenseとの相性が悪く、なかなか承認されない」とされており、じゃ、別のブログに移籍すればいいのか?と悩んだりもした。今回は色々悩むのが面倒くさかったこともあり、「リーチが確認できないままでも審査続行」みたいな主旨の選択肢を選んでみた。画面上には「審査には二週間ほどかかります」みたいな文言が並んだので、気長に待つつもりでいたら、なんのことはない、一週間もしないうちに、「審査に合格しました」というメールが届いた。細かい条件については、改めてマニュアルなりFAQなりを読んで設定し直そうとは思うが、何しろ審査には無事通ったのだ。ブログのサブタイトルに銘打った「プロブロガーへの道」にようやく第一歩を刻むことができたのだ。このことだけで、この週末は少し気分が晴れやかだ。

 

親戚の大学合格と、私自身のGoogle AdSense合格のおかげで、マッスル「無責任男」バカからかけられた迷惑に関する怒りを消すことができてよかった。この二つの慶事がなければ、マッスルバカをひたすら罵倒する文章を書かざるを得なかっただろう(苦笑)。