脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記90(差別的表現の告発とTOEICの結果と家買うシリーズ12回目)

東京オリンピックは開催自体もゴタゴタしているが、運営組織もゴタゴタのしっぱなしだ。女性差別発言による組織委員会の会長交代に続き、今度は開会式と閉会式の演出を取り仕切るクリエイティブディレクター氏が、渡辺直美氏の容姿を侮蔑する演出を企図していたとして更迭された。ここまでケチがついて、しかも外国人一般客が入らない、すなわち外貨の獲得が期待できないイベントなんてやる意味あるの?という議論はさておき、二つほどひっかかったので書いておくことにする。

 

渡辺直美氏は、自らの肥満体を「ネタ」にすることで笑いを生んできた。そういう意味で今回のこのバッシングが、無用なソンタクを招いて、渡辺氏の笑いの幅が狭まってしまうのではないかということが一つ。今後、彼女の起用にあたって、起用する側が、必要以上に表現を気にし始めたら、面白いものも面白く無くなってしまう。あるいは最初から無用な軋轢を避けるためとして、彼女の起用自体を取りやめるようなことにもなるかも知れない。そうなると、これは彼女にとっては立派な営業妨害だ。笑いというものは、笑う側が上位に立つことで成り立つという側面があり、そういう意味で常に侮蔑的な感情を幾分か含むものである。侮蔑や差別などにつながる表現には十分注意する必要はあるが、くれぐれも自主規制が行きすぎないよう、エンターテインメントの制作者には心していただきたい。

 

もう一つ。この表現の案が出されたのは企画にまでも至らない、いわばアイデア出しの雑談の場だということ。侮蔑や差別に対する世間の目がセンシティブになっているとはいえ、そんな半分冗談ともとれる発案が告発されたということは、このクリエイティブデイレクター氏は、表現云々以前に、何か問題があったのではないかということだ。独断専横なのか、パワハラモラハラに相当する行動があったのか?いずれにせよ、告発した人間はこの方に相当の遺恨をお持ちのようだ。個人的な遺恨でも、世論の応援を背後に背負ってしまえば「正義」という、いわば錦の御旗のようなものを背負って「公的」に個人を攻撃することが可能になってしまう。これは、非常に怖いことだ。図らずも、世論さえ操作できれば、いくらでも個人を追い込むことができるようになったということを証明したことになった。きっかけはクリエイティブディレクター氏にあったとしても、この告発がそれこそ全人格を否定するような極端なバッシングを起こしてしまうことには恐怖しか感じない。

 

2/28に受験したTOEICの結果が送られてきた。リスニング365、リーディング370の計735。目標としていた830点には100点も足りない。

 

理由はズバリ勉強不足。通勤に費やす時間がなくなったことで、日々英語に触れる機会が激減した。今回は付け焼き刃的に試験前の二週間ほど、毎日一時間は問題集を解くことにはしたが、ほとんど過去の遺産だけが現れた点数となった。

 

特に衰えを痛感したのはリスニング。なんとなく単語は聞き取れるのだが、文章の意味が理解できない。従って正解を選ぶことができない。今まで一番良い点数はリスニングで405点だが、その頃は毎日の通勤の際に速聴CDを毎日聞いて、しかも文章の意味も理解できていた。

 

英語の勉強もトレーニングも、日々の積み重ねこそが「実戦の場」での出来を左右するということを改めて認識した。人間ドックの結果がよくなかったこともあるし、そろそろ暖かくもなるということで、ウォーキングを再開しようと思う。その際のBGMはもちろん英語の速聴CDだ。次回は4月の下旬に受験することにし、早速申し込んだ。

 

家の完成イメージスケッチが出来上がってきた。手前味噌だが、こじんまりとまとまったなかなかにいい家である。また一つイメージが具体化した。ついでに配電、照明、水道管などが記された設計図も提示された。照明に関しては具体的な器具まで書いてあった。こちらもなかなかにいい感じである。細かいところに多少は要望は述べたものの、あとはほとんどおまかせだったのだが、さすが、いろんな表彰を受けたことのある建築設計事務所の社長だけあって、痒いところに手が届く至れり尽くせりぶりだ。持つべきものはいい親戚である(笑)。

 

さて、この親戚との打ち合わせは私の実家で行われたのだが、実家に帰るたびに母への土産に、姪っ子の写真を持参することにしている。今までは、普通の紙にプリントアウトしたものを持って行っていたのだが、今回からは写真用紙に印刷して持っていくことにし、さて印刷しようとしたら、どうにも紙がうまくプリンターに吸い込まれない。「このプリンターも、もうずいぶん長い間使っているからなぁ。そろそろ寿命なのかも知れない。買い換えないといけないのかなぁ、そうなるとまたお金かかるなぁ。引っ越しにも、新しい家具を買うにも、古い家具を処分するのもお金かかるしなぁ。どさくさ紛れに買いたいと思っていたものもいくつか諦めなきゃいかんかなぁ…」などと取り留めなく考えながら、複数枚の紙をフィーダーにセットしたらうまくいくかも、と思ってもう何枚か、パッケージの中から取り出そうとした。そこではたと気づいた。今まで写真印刷紙だと思っていたものは、用紙が型崩れしないようパッケージに同封されていた厚紙だったのだ。さっきの考え方のままでいきなり電器屋に走ったりしなくてよかった。試しに本物の写真印刷用紙を咬ましてみたら、きちんと印刷された。トラブルが生じた際は、いきなり極端に走るのではなく、まずは落ち着いて、根本的な部分から考え直してみることが大切だ、ということに改めて気付かされた一件だった。特に引っ越しみたいにすべてのことが有耶無耶になりがちな場合にこそ、心掛けていたいことだ。