脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

憎んではいないものの、何故か一緒にいるとイラつく母親対策に読んだ一冊 『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』読後感

 

 

私は決して母を憎んではいない。むしろ一人っ子の一人息子なので、母親の愛情は独占するのが当たり前という環境でずっと育ってきており、母に対しての「親和性」は高い方であると自覚している。

 

しかしながら、ここ最近、母と会うたびに何しろイラつく。直接的な原因は、いまだに母が自分の方が「保護者」であると思って私に接してくること。それこそ一挙手一投足の全てに口出ししてくるし、なんらかの人生の教訓めいたことを言いたがる。それもこれも全部「私のためを思って」の行動だと自分では思っている。もう私の経験している世界は母の想像を遥かに超えた大きなものだというのに、いまだに母の中の私の像は乳飲み子の頃のものだ。

 

親というものはみんなそんなもんだ、という一般論もあろうが、当家の場合は「実害」を受けている。母が、私のことを何かあれば泣きついてくる存在と認識していたことによって二度も特殊詐欺被害にあってしまったのだ。もう自分が「正常な」大人ではないのに、私のことは子供扱いで、言葉の端々、行動の端々に「親の言うことは聞いて当たり前」と言う態度が出るからイラつくのだ。

 

で、そのイラつきをぶつけると「私はお前のことを思って、色んなことを言ったりやったりしているのになぜお前はそんなに怒るんだ?私の思いをわかってくれないのならすぐにでも死にたい」みたいな言葉で反撃してくる。で、ひとしきり口喧嘩して、母は不機嫌になり、私は疲れを溜めて別れるというのが今のパターンだ。こういう状態を鑑みると、同居せずに、老人介護施設に入所させた判断は悪くなかったのだと思う。下手すりゃ今頃真面目な話、夜中に木刀で殴り殺していたかもしれない(笑)。

 

冒頭に述べたこととは思いっきり矛盾していて、お前は立派に母親を憎んでいるではないか!と言われてしまえば返す言葉はないかもしれない。ただ、私の認識ではあくまでもイラついているだけで憎んでいるわけではないのだ。少しは私も客観的に母親のことを見ることができてきており、年も食って認知症も出てきてるんだから、このくらいの「症状」は出て当然なのだ、と言う割り切りもできてきている。

 

著者益田裕介医師の、根本的な主張は、今までの感情の蓄積は一旦忘れて、親の行動を客観的に見てみようというものだ。今現在の行動言動のみならず、過去において自分が傷ついた記憶のことも、感情的にではなく客観的な事実を元に別の角度から眺めてみようということだ。

 

まあ、私も母も色々苦労してきて今の姿があり、その苦労に少しは報いるべきだという考えは持つに至ったし、実際に母と会う際はアンガーマネジメント的な手法を用いて、なるべくイラつかないよう心がけてはいる。ただし、まだ、母の「イラつかせ方」の方が私のアンガーマネジメント能力を遥かに上回っているので、結局最後には母に「すぐにでも死にたい」と言わせてしまうことが多いのだが(苦笑)。

 

今の所、介護施設任せにしておいても大丈夫な程度の余裕はあるので、たまに様子を見に行ったり、飯食ったりするくらいの付き合い方を続けて行きながら、私の方が精神修養を続けていくしかないのだろう。