脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

現在の音楽シーンの大元を作り上げた人物たちのエピソード集 『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』読後感

 

 

この駄ブログの読者の皆様には耳タコのお話だが、私は現在終の住処と考えている場所に住んでいる。終の住処と思い定めたことで、少々集めてみようと思ったものがいくつかあるのだが、そのうちの一つが大滝詠一師匠に関するモノだ。

 

ちょうど、大滝詠一師匠の音楽のルーツを探るというテーマのアルバムやら、雑誌の特集号やらが多々組まれた時期でもあったので、それらを片っ端から買い揃えたうちの一つが標題の一冊。

 

著者牧村憲一氏は、日本のポピュラーミュージックがフォークからロックに移り変わる時期にプロデューサーとしての活動を開始し、その後のニューミュージックやJ-POP作りにも携わった人物。

 

副題に名のある大滝師匠をはじめ、細野晴臣坂本龍一(改めて高橋幸宏氏のご冥福をお祈りいたします)、加藤邦彦、山下達郎大貫妙子竹内まりやなど多数のアーティストの曲作りやアルバム作りに関してのエピソードを披露している。

 

いや、実に懐かしい。中学から高校にかけての多感な頃に聞いた音楽を作っていた人ばかりがずらずら出てくる。曲名やアルバム名を見て、その楽曲を思い出すのに伴って、その曲を聞いていた頃の自分自身の精神状態までが湧き上がってくる。時にはそうした思い出の方に思考が引っ張られてしまうのも楽しかった。まさに自分の青春時代を懐古するためにあるような内容だった。

 

さて、書籍の内容として興味深かったのは以下の二点。

 

一つは大滝師匠の曲作りに関する基本思想を再確認できたこと。

大滝師匠は古今東西の様々な曲のフレーズを転用したりまたは独自にアレンジしなおしたりして、快適な音楽環境を作り上げるのを身上とした。そうした姿勢についていわゆる「パクリ」ではないかという批判は当時から現在に至るまで根強く存在している。しかしながら、口に出すか出さないかだけで、パクっているミュージシャンは実に多い。稀代のヒットメーカー筒美京平氏にしても、いかにそれとわからせずに、海外の音楽を「翻案」するかに特化していた感がある。大元となった海外ミュージシャンの楽曲にしてからがクラシック音楽からの「パクリ」が疑われる楽曲は多数ある。私は大滝師匠のある意味開き直ったフレーズ転用を元曲への「オマージュ」であるとして評価したい。大滝師匠の使い方の方がより優れていると感じるフレーズも多々ある。まあ、これは私の「原典」が大滝師匠であることによるものではあるが。

 

もう一つは、『い・け・な・いルージュマジック』の制作秘話。YMOで世界中に大ブームを巻き起こしたテクノポップミュージシャンとしての坂本龍一氏と生粋のロックンローラー忌野清志郎氏という異色のコンビが作り上げたこの曲は資生堂の口紅のCMソングに使われたこともあって大ヒットした。私も忌野氏の独特な歌い方をマネしてよくカラオケで歌ってウケをとったものだ。

 

この曲、最初の案では「すてきなルージュマジック」という題名になるはずだったそうだが、メロディーのへのハマり具合から、どうしても「いけないルージュマジック」という歌詞を入れたい、題名も「いけないルージュマジック」にしたいという要望が坂本、忌野両氏から上がったそうだ。口紅を売りたい資生堂としては「いけない」などというネガティブワードをキャッチコピーに入れるなどもってのほか、という雰囲気だったそうだが、そこをうまく切り抜けたのがプロデューサーたる牧野氏だった。どのようにして資生堂を納得させたのかは是非とも本文をお読みいただきたい。

 

若干惜しいのは副題に大滝師匠の名を入れた割には、大滝師匠に関しての記述がやや物足りなかったこと。もう少し、大滝師匠の創作のキモみたいな部分に触れて欲しかったが、その辺が実際の作り手と「作らせる側」との視点の違いなのだろう。日本のロック黎明期のごちゃつきやら熱気やらはそれなりに伝わってきたと思う。