脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ナルな著者の意外な日常を垣間見た 『ひなびたごちそう』読後感

 

 

作家島田雅彦氏の職に関するエッセイ集。朝日新聞の日曜版に掲載されたものを集めた一冊。

 

島田氏の作品との出会いは私の高校時代。処女作でもあり、芥川賞の候補ともなった「優しいサヨクのための嬉遊曲』だ。色んな意味で生意気盛りだった当時、一番印象に残ったのは最後の一文で、その一文に全てを集約させるためのストーリーだったな、という感想を持った。

 

最後の一文に至るまでのストーリー展開で、登場人物たちの理想と、その理想の前にはあまりにも厚い「現実」が立ち塞がっている、ということを様々な文学的技巧で暗喩していたということに気づいたのは、後に、もっと色んなことを学んだ後に再読した時だった。再読以降、「出ると買い」作家の一人となり、著作を多々買い求めたが、大半は「積み読」のままだ(笑)。島田氏の作品を読むには、こちらもそれ相応の心構えを持つ必要があり、疲ればかりが募る日常を暮らす身にとってはその心構えを持つのがなかなか難しいのだ。ここにも立ちはだかる現実の壁(苦笑)。

 

さて、島田氏はかなりナルシスティックないでたちと振る舞いでメディアに登場することが多い。クラシック音楽やワインなど、スノッブな事象に造詣が深いこともナルな印象に拍車をかける。メディアに登場する際の島田氏は島田氏なりの「自分自身の理想像」を実現するために敢えてそうしているのだと思うが、標題の書は島田氏の食に関する日常の姿を赤裸々に描き出し、メディアに登場する姿とのギャップを明らかにしている。

 

メディアに登場する際の島田氏のイメージからすると、毎食毎食、おしゃれなレストランで高級なものを口にしていそうだがさにあらず。小汚い一杯飲み屋にも行けば、ネタ切れになったらセブンイレブンで買ってきたものをそのまま鍋に入れて平然と客に出すような屋台のおでん屋にも行ったりする。海外旅行に行けば、観光客向けのレストランや土産物屋ではなく、地元の人が行く食堂や地元の人が行くスーパーをのぞいてみる。そんな食生活の中で、「これは美味い」と感じた料理を、自宅のキッチンで島田氏自らが作ってみるという試みがこのエッセイのキモだ。

 

レストランなどでは高級食材を使って作るものを、身近な材料で代替するために島田氏独自のアレンジを加えているところも「現実の姿」。島田氏独特のスタイリッシュな文体でおしゃれっぽく描写されてはいるが、内容的には「おしゃべりクッキング」とか「きょうの料理」みたいな料理番組そのものだ。パッと一読しただけで、大体の料理の作り方がわかるような内容として書き上げられている。

 

こうした料理への傾倒を、「退屈をしのぐ術」として貴族の手遊びであるかのように記述しているのは島田氏流の照れ隠しだろう。私も一時料理にハマったことはあったが、様々な食材を用いて「美味い」と思える一皿を作り出すのは高度にクリエイティブな作業である。何より、労働の後には美味しい(はずの)料理というご褒美が待っている。就職後は日常生活の重圧に負けて、久しく厨房に立っていないが精神的に余裕ができたら私もひなびたごちそうを追求していきたいな、と思った。