脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

超一流フレンチシェフの原点は「ど根性」 『三流シェフ』読後感

 

 

問題発言で、コメンテーターから現場リポーターに配置転換させられた玉川徹氏が、三國清三シェフ本人にインタビューを行い、その模様をモーニングショー内で放映していたことで、知ったのが標題の一冊。三國シェフの半生を詳細に綴るとともに、古希を目前にした今、新しいチャレンジに向かう心意気を語っている。

 

玉川氏のインタビューは、実に詳細にこの本の内容を紹介してくれていて、インタビューで語られたこと以上のことはこの本の中にはなかった。ある意味出版社にとっては営業妨害ではないか(笑)。番組を観て面白そうだと思って買い求めて読んで、少々がっかりした。こういう感情を持つ方は多いのではないかと思う。

 

内容は実に面白かった。北海道の寒漁村の貧しい漁師の家の三男坊(7人兄弟の5番目)として生まれ、学校にもろくに通えずに家業の手伝いに追われる毎日。中学卒業後に札幌の米屋に就職し、そこで賄いのハンバーグを食べて感激したことから料理人を志す。

 

幼い頃から、新鮮な魚介類を口にしていた清三少年は、味覚の鋭さを自然に身につけていたようだ。ただし、その味覚だけシェフに成り上がれるほど料理人の道は甘くない。しかも清三少年は夜間の調理師専門学校にこそ通いはしたものの、中卒であった。料理人として最初に就職を目指した札幌ホテルは高卒でないと受験資格すら与えられなかった。しかしどうしても料理人になりたかった清三少年は、いろんな制約の隙をついて、当時の責任者に直談判し、札幌ホテルの職員寮の賄い場に潜り込む。そこからど根性物語が始まる。賄い場の職務を終えたあと、ホテルのレストランの鍋洗いを自ら買って出たのだ。四の五のいう前に、まずその時点で自分ができることを最大限の熱意を持って行う。今の会社の仕事には熱意がないが、熱意があるはずの文筆活動についても最近サボりがちな私にとっては実に痛い言葉の数々がそこに並んでいた。

 

その後、どのようにして清三少年が世界のMIKUNIへと上り詰めて行ったかについては是非とも本文に当たっていただきたい。書籍の腰巻に煽り文句として書いている通り、どんなステージにおいても壁に突き当たった時に立ち戻るのは、原点である「鍋洗い」だった。この点だけは、素直に私の今後の行動に反映させていきたいと思う。

 

さて、三國シェフは37年間営業し、国内はおろか世界中の食通を唸らせていた「オテル・ド・ミクニ」を2022年の年末に閉店した。チームとして運営していたレストランから、ある高名なフランス人シェフから贈られた言葉である「ジャポニゼ」を思う存分実現するために、一人の料理人として勝負するための場を新たに作り上げるためだ。ジャポニゼという言葉の解釈はなかなか難しいが、フランス料理のテクニックと哲学をベースに、日本の食材、調味料などを自自在に操った料理を作り上げることだというのが漠然とした私の理解である。百聞は一食にしかず。三國シェフの料理を一口食べれば、ジャポニゼの真髄は理解いただけるであろうと思う。新店舗が完成したらぜひ一度お邪魔したいと思っているが、私の場合はまずその前に正統派のフレンチとは如何なるものかを味わってみないといけない。文筆活動で、一流のフレンチに行ってもびくともしない財布をまず作り上げないといけないなぁ…。