今週のお題「あったかくなったら」
標題の書は町田康氏が小説家として名が売れ出した頃のエッセイ集であり、いろんな作家の文庫本の巻末に付いている「解説」もいくつか収められてもいる。
この作品集を説明してしまえば上記のごとく、ごくごくあっさり終わってしまう。これでは「美味しそうなマグロの刺身がある」というのと同じことだ。いやしくも「読後感」というからには、まずそのマグロがどのように旨かったのかを、舌の上に乗せた瞬間にとろけてしまっただの、こいつは確かに荒海を生き抜いてきたということを見事に示す締まった赤身だっただのと、味わいをきちんと描写した上で、大間で獲れたのか、それとも近大が養殖したものか、あるいは大西洋に出漁した船で釣り上げられたものか、と来歴を云々し、その来歴から味わいの特性を裏付けるなどの記述が必要だ。
しかしながら、町田康氏の文章はノイズが怒涛の如く押し寄せてきて、そのノイズが頭の中に引き起こす違和感がいつの間にか、ある種の感動やら笑いやら意味やらを生み出すというテイのものなので、いわゆる解説やら感想などというものは文章にしにくい。
したがって、町田氏の文章を読んで触発された私の脳が発するノイズをそのまま書き出すということで、今まで幾つかの書籍を紹介してきた。というわけで今回もノイズをそのまま書き出してみようと思ったのだが、ただのノイズをそのまま書き出して、それなりの意味を持たせるというのは実に難しい。ゆえにちょいとズルをしてお題とか身辺の雑事をチョイチョイ織り込んで書き進めたい。
さて、お題は「春になったらなにしたい?」という問いかけだ。
一応の目標として社会復帰としておく。あくまでも「会社復帰」ではなく社会復帰だ。この場合の社会復帰とは何かを生産できる状態を指す。別に作り出すものが会社に提供するサービスでなくたって良い。むしろ、会社から求められる業務に関してはどう考えても前向きにはなれないので、なんとか別の道を探す時間にしたいというのは何度も言っている通りだ。
とはいえ、私は布袋寅泰氏のようにギターが弾けるわけでもないし、ジャニーズやEXILEの皆さんみたいに踊りが踊れるわけでもない。30代の前半くらいまでは河村隆一の曲を原キーで歌える程度の高音は持ち合わせていたが、最近はバリトン音域すらもしんどく、フランク永井並みの低音しか出なくなってしまった。しかも変なビブラートが勝手に付いてまわる。要するに、若い時分は「雑談タイム」にしてしまったような曲しか似つかわしくなくなってきてしまったのだ。高音取り戻すためならカストラートよろしく、アソコの一本や二本切り落としてやるぞというほどの覚悟もないし、さりとて「演歌は日本人の心だ」などと開き直れるほど上手く歌えるわけでもない。
かくして私は一人の裏ぶれた窓際ダメリーマンとしての晩年を過ごしつつある。この状態をよしとしているわけでは決してないが、現時点では打破する気力もない。ようやく今日から本格的にジムトレを再開させたのが反転攻勢の第一歩だが、若い衆が数十回は軽々と持ち上げるダンベルを2、3回も上げ下げすればすぐに息は切れるわ、腕は痙攣しだすわで、ここでも老いを痛感させられる。
老いと言えば、当家の実母だが、ようやく入居予定の介護老人施設のコロナ禍に伴う厳戒態勢が解除され、来週中にも入居することとなった。母と当家の最高権力者様、世間でいうところの女房とともに施設の見学に行ったのだが、それなりのお金を取るだけあって、施設も新しいし、綺麗だし、サービスも行き届いている。仲の良かった元近所の方も入居しており、母はその方との再会を心待ちにしている。
見学に先立って、母名義の口座のキャッシュカードを作るため、幾つかの金融機関を回ったのだが、まあ、その際の母の口うるさいこと。カバンから書類を出して横の待合座席におけば気をつけろだの、咳の一つもすれば風邪を引いたのかだの、駐車場スペースにはバックで入れろだの、まあ、私の一挙手一投足に対していちいち口を出す。人の心配している暇があったら自分のボケ具合を心配しろよ、そうやっていつまでも子離れできねーからこそ、詐欺なんぞに二度も引っ掛かっちまったんだろうと、何度目かの口出しの際に私も頭を沸騰させて「乳飲子じゃあるまいし、いちいち俺のやることに指図するんじゃねーよ」とかなりの強い口調で言ってしまった。するとすぐさま母は開き直って「あーすぐにこんなに怒られるんじゃ早く死にたいよ」などとのたまう。
大体においてすぐに「死にたい」などという人物に限って長生きするものだ。親と同居した場合、嫁姑の間で問題が起こるというのが世間の通り相場だが、当家の場合は私が実母と一緒に暮らすとストレスが溜まって仕方がない。本来なら、母と同居して面倒を見るべきだという気もほんの少し持ち合わせてはいたが、毎日一緒にいたら、そのうち絶対に血を見る事態になると予想されたので、介護施設に預けることは現時点での最適解なのだと強引に解釈しておく。
そんなこんなで、ここ数日分の「休養」で得たエネルギーはあっという間に吹っ飛んでしまった。義父の逝去に伴う後始末でしばらく最高権力者様も時間を取られることになるだろうから、まだ心からの休息は摂れていない。いつになったら本当に安らかな日々が訪れるのか?鬱々とした前途を思って風呂に入りながら少し泣いた。風呂上がりにビール飲んでハイボールに切り替えてナッツをつまみに三杯ほど飲んだら少しだけ精神がリラックスしたが、そこから高歌放吟するまでの気力は湧かず、ましてや八木節を踊るなどという甲斐性もなく、そのまま寝床に入った。おげげ。