特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」
毎年恒例のネタ行ってみたいと思います。ついでにちょっとお題にも引っかかってますな。
第10位 サッカー日本代表W杯予選で強豪撃破
のっけからのパブリックネタ、ご容赦の程を。私は偏向したラグビーファンなので、実際の試合を観るまで熱中したわけではないが、予選でドイツ、スペインという優勝候補を撃破したのには驚いた。特にスペイン戦の勝利は予想し得なかった。二戦目の格下コスタリカに敗北したことで、ドイツ戦の勝利はフロックだし、スペイン戦はボロ負けだろうなと予想していた。大変失礼いたしました。どんな状態になっても最後まで諦めないことが勝利につながるという大原則を改めて思い知った出来事だった。8強の壁を突破できなかったのは残念だったが、まあ、これは次回までの楽しみにしておこうと考える私は典型的な俄ファン。
第9位 巨人シーズン4位で終戦
パブリックネタ続き。戸郷の一人立ち、大勢やウォーカーなどの新戦力の台頭、中田翔の復調などの明るい材料はあったものの、菅野、坂本に衰えが見られ、岡本も「ライバル」村上に成績面で大差をつけられるなどのマイナス要素の方が多く、残念な結果となった。オフにはFA宣言した大物たちにもことごとく嫌われて、得意の金満補強も不発。ドラフトでは将来性を買って高校生の浅野翔吾選手を一位指名。それは良いのだが、直近の来シーズンはどうなる?という大きな疑問が湧く。育成と勝利両方を求められることの難しさは理解できるが、その両方をうまく噛み合わせてきたのが巨人の伝統。なんとか来季はいいシーズンにしてもらいたい。
第8位 今年もラグビーはTV桟敷での観戦のみ
コロナ禍に体調不良もあり、今年もラグビー実戦はおろか練習にも一度も参加しなかった。ラグビーをやるに足るだけのトレーニングもできていない。
また、住居を田舎に移したことにより、秩父宮その他東京地区での生観戦からも足が遠のいた。というわけで、今の私とラグビーとのつながりはもっぱらTV観戦である。春から夏にかけては、そのTV観戦は小遣い稼ぎ程度の原稿書きには繋がったが。やっぱりラグビーはプレーしてナンボ、生で観戦してナンボだ。実戦後、観戦後の飲み会まで含めて十分に楽しめる日々が来ることを切に願う。
第7位 学習進まず
現在の居住地である土地と会社の勤務地とは在来線で片道2時間半かかる。往復して帰宅するともう何もできないほど疲れる。そんな中で会社は来年以降週に三日以上出勤しろとか言ってきている。まあ、コロナ禍が解消したらいずれこんな状態になるとは思ってはいたものの、今の、会社の仕事なんぞ一分一秒たりとしたくないという心理状況から、週三日出勤に急に切り替えろってのも難しいお話。そんなわけで、郷里移住前の「TOEIC900点以上取って地元の塾で英語講師に就任」という考えが急速に現実味を増してきている。
とはいえ、今年はほぼ学習せずにぶっつけ本番で臨んでばかりだったので、3回受験したものの、900点はおろか800点も超えられないという結果に終わった。現在の休職期間中に英語を勉強するという習慣を確立し、是非とも来年は900点突破を果たしたい。今やTOEICの結果は生活に直結する一大事と化してしまった。なお、メンタルヘルスマネジメント検定Ⅰ種は今年は受験すらしなかった。当然全く勉強していない。来年はほぼまっさらの状態から再始動である。
第6位 郷里暮らしが1年
昨年10月に郷里に移住してから1年超が過ぎた。30数年ぶりの我が郷里は表面上は全くの別物に変化していたが、なんのなんの、人情や文化風俗には私がこの地で暮らしていた頃の特色がまだまだ残っている。私も最高権力者様も同郷なので、こうした特色には違和感なし。
買い物する店もほぼ固定化してきたし、ご近所さんとも顔馴染みになったりして徐々に地域に溶け込んできているという実感がある。なかなかに快適な田舎暮らしではある。愛しの姪っ子ちゃんに頻繁に会えるのも嬉しい。
第5位 文筆活動本格化
春ごろから、積極的に転職サイトで副業としての文筆活動の就職先を物色。首尾よく二つほどのサイトと契約できた。特に二件目の採用となったスポーツのサイトでは趣味であるラグビー観戦の目を活かして、十数本の原稿が採用となった。それなりに読者の反応もよく、大いにやりがいを感じていたのだが、夏過ぎにそのサイトが原稿の外注を停止するという事態に見舞われた。原稿料も高かったし、非常に残念な出来事だった。もう一件のグルメサイトもここ数ヶ月発注を受けていない。
その後は募集にエントリーしても落選続き。ソーシャルアウトソーシングのサイトからもいくつか記事を請け負ったが、大した収入にはなっていない。残念ながらまだ文筆だけで食っていける状況には程遠い。ただし、自分の中では文筆業で収益を得て、それを生活の糧とするという基本方針は固まった。そんな中、数日前にようやく1本の原稿が採用になった。ささやかな喜びだ。
第4位 伯父の死とその後
1月にずっと介護施設にいた伯父が85歳で死去した。中学卒業後に上京し、祖母と弟、そして末妹の私の母の家庭を支えるべく一所懸命に働いた人だった。一所懸命に働き過ぎて、ついに生涯独身だった。
葬儀から49日の納骨まで全て母が取り仕切った。とはいえ、母も衰えが激しいので、実務的なことは私たち夫婦にも降りかかってきた。一番もめた、というか今でも問題になったままなのが、祖母名義の土地、建物の相続問題だ。祖母が亡くなったときに、一気にカタをつけてしまえばよかったのだが、伯父の「お袋がせっかく買った土地を簡単に手放すというのは忍びない」という一言で、実際に住んでるのは弟の次女夫婦(私に取っては従妹)、固定資産税等の支払いはウチの母というわけのわからない管理体制で今まで来てしまった。伯父の気持ちもわからないではないが、今となっては、自分の死後に起こるかもしれないトラブルをちゃんと考えて、きちんと対処してから死んで欲しかったと、つくづく思う。まあ、死者に鞭打つような真似は流石の私も資格はないし、何をどう言ったところで死んだ人が生き返るわけではないから、なんとかしなくてはいけない。来年早々、従姉妹たちと協議しなければならない。
第3位 義父の死
先々週のお話である。このブログでも何度か経緯については書いているので詳細は省く。一時期はかなり危うい状態だったのだが、ここ最近は、知恵がついてきた初孫、私にとっては愛しの姪っ子ちゃんの相手をして、心身ともにピンシャンしていたので、突然の死というのがピッタリくる。私の友人たちの父母にあたる人の訃報を聞くことが多くなった昨今、つくづく私も歳をとったものだと痛感させられる。
第2位 母の衰え
いよいよ衰えに拍車がかかってしまったのが私の実母。動きはノロノロしているし、靴の脱着の際によく転ぶし、手は震えているしで目に見えて老化が進んでいる。年末には二度目となるオレオレ詐欺にころっと引っかかってしまった。とにかくまず何かあったらすぐに私の携帯に電話しろという指示を守らずに勝手に悪い方向に想像を走らせた結果だ。しかも電話をしなかったのは私の強い口調が原因だという責任転嫁と、言い訳でちっとも反省しない。警察から一人にしてはいけないという指示があったので、しばらく私が実家に泊まり込んだが、自分のペースでのべつ幕無し同じ話をくどくど話しかけてくる母の相手は正直キツかった。
そんなこんなで介護老人ホームへの入居を決めたのだが、入居希望のホームは現在コロナ感染者発生のため、すぐには入居できないとのことで、ショートステイという制度を利用して別の介護施設に一時預けている状態だ。
この介護施設もコロナ騒ぎがあったようで、今は一度入所したらなかなか外出許可をもらうのも難しい状態。姪っ子ちゃんのクリスマスパーティーにも年始の集まりにも呼べない状態というのは流石に可哀想な気はするが、勝手に引っ張り出してコロナでも持ち込まれたら施設としてはたまったもんじゃないだろうから致し方なし。世にいう「8050問題」の渦中に我が家も否応なしに引っ張り込まれてしまった。これも年周り的に仕方がないことながら、つい3年くらい前までの母は実に元気だっただけに落差の激しさに唖然としたというのも事実。
第1位 健康状態の悪化と休職
このブログでも何度か書いた通り、11月の中頃に帯状疱疹を発症した。疱疹そのものはもうすっかり消えているが、後遺症だろうか、まだ腹部に、急に腹筋運動をした次の日のような筋肉痛を感じるし、ちょっと動いただけですぐに疲れてしまうという状態は続いている。
帯状疱疹発症はストレスがその発症原因の最大のものと言われているが、実際今年は特にストレスフルだった。昨年末から拝命した仕事が実に面倒な上にやりがいなど微塵も感じられないものであったことのストレスが徐々に溜まっていたのが第一の原因。応募しては落選を繰り返した文筆業のショックが第二の原因だと思う。
そして年末に来て母の詐欺被害と義父の死。人生最大級のイベントが立て続けに発生したことが、心身のダメージに拍車をかける形で、休職の診断が出た。それも休職突入直後は、母の愛護施設入所の手続きやら、義父の葬式やらで心が休まる暇がなかった。ようやく先週になって一連のゴタゴタに一応の決着がつき、少しづつ心休まる時間が増えてきた。
職場のメンバーには迷惑をかけることになるが、少し腰を落ち着けてしっかり休もうと思う。最悪会社に復帰できなくても仕方ない。今回の一連のイベント発生はそれだけ大きなショックだったのだ。会社に復帰する以外の選択肢も含めた「再起」のための期間としたいと考えている。
今年の漢字は「禍」。なんだかんだ言ってもコロナ禍が生活のいろんな局面に影響してきているし、身体の不調も身内の不幸な出来事も全て禍。今年の禍は今年のうちになんとか方をつけて、来年はいい歳にしたいなぁ。