脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.121(不要品処分あれこれ)

自治体による検査の日程の関係で、当初予定より引っ越しが一週間後にズレたものの、荷出しの日まであとちょうど1ヶ月。準備にも本腰を入れなければいけない時期になったきた。

 

最高権力者様も積極的に動き始め、現住所の自治体の処理場に粗大ゴミを持っていく第一回目の日程と、その際のアイテムのセレクトを済ませた。一旦動き始めると、まあ、私に対しての要求水準が高まること高まること。片付けやら、ブログ書きの合間にちょっとでもゲームに興じていようものなら「あれはどうなった?これはどうなった?」と矢継ぎ早にいろんな懸案事項を吹っかけてきて、必ず最後には、「あんたはちっとも動こうとしない!!」吐き捨てなさる。

 

ちょっと待てよ。処分という判断を下す前に、幾らかでも金にしようと、中古家具の買取屋にいくつもコンタクト取ってるし、引越し業者の手配はしたし、会社に報告すべき変更事項だって全てやったんだぜ。色々やらなきゃいけないことが山積みなのは俺だって理解してるけど、何も秒刻みでこなさなきゃいけないものでもないはずだぜ。買取業者なんかは反応待ちってともあるんだし…。

 

こっちもこっちで、私が何もやっていない、という言い分にはカチンと来たので、やったことを全てまくしたて返して、「これ以上何をすべきなんだか、言ってみろよ」とトドメを刺した。そこで一旦はお互いおさまったが、こういう時の恨みってのを後々まで取っておくから当家の最高権力者様は恐ろしい。いつかどこかで寝首をかかれるに違いない(笑)。

 

前々回の投稿でも書いたが、三連休の前に、最初にコンタクトを取った家具の買取業者からは、写真を送った時点で買い取れるものはないとの返答。まあ、使っていた年数が長いからねぇ…。そんなに高級な物でもないし。高級な物なら持っていくっつーの。

 

で、三連休中には会社を通じて頼んだ引越し業者が見積もりをしに来宅。さまざまな収納スペースが備え付けられているので、収納用品はかなり処分するのだが、それでも持っていくものは多い。

「大きな家具が多いのでトラック一台では運びきらないかも…」というのがご担当の方の言。現住居にはなんだかんだで十年以上住っていたので、いろんなモノが溜まってしまっている。利息が貯まるのはいいが、モノは溜まってしまうと、文字通り身動きが取れなくなる。軽々に転居できなくなるし、処分に金もかかるからだ。まあ、次の住まいは終のすみかなので、今後は動く必要はなくなる(はずだ)し、周囲に迷惑さえかけなければ「ゴミ屋敷」にしようがどうしようが当家の勝手だ(笑)。後日届いた見積もりでは費用は30万弱…。ああ、モノ要りだ。自己都合だから会社からの応援もないし…。

 

お次の来訪は、リサイクル業者。近所にある、独立系だが、比較的大手のリサイクル業者に古いスーツケースを持っていったついでに見積もりを依頼したら、その日の夕刻には来てくれるというお話になった。

 

で、見積もりに来た担当者氏は、見積書に次々と金額を書き込んでいく。「お、結構いい値段で買ってくれるな。金かけて捨てるのは馬鹿らしいし、もったいなくもあるから、幾らかでも金になりゃそれでいいんだ」と喜んでいたら、なんとその金額は廃棄処理にかかる金額だった。つまり買取対象になるような品はなかったということだ。一つか二つは売り物になるだろうと考えていたのだが、現実は厳しい。中高年の再雇用と同じくらい中古家具のリサイクルも難しいということだ。まだまだ使えるのにねぇ…。ちなみに最初に持っていったスーツケースも引き取ってもらえなかった。スーツケースも「持っておくもの」ではなく「借りて使うもの」というカテゴリーに入ることが一般化しているのだろう。「ウチでは久しく売れていないので、仕入れられませんね」というのが担当者氏の言。さらにいえば、スーツケースが必要な海外旅行なんぞいける時期じゃないってのも影響していると思う。

 

ダメもとで三つ目の業者に声をかけ、今週末の来訪を待つことにした。望み薄ではあるが、一つ分でも二つ分でも処理費用が減れば、儲けものだ。

 

なお、他の用件で移住先の公共サービスを調べていた最高権力者様からは、移住先の自治体の粗大ゴミ処理料金が格安であるとの情報も入った。であれば、一切合切持っていって、転居先で処分するというのも一つの手段だ。向こうに持っていく運賃と、その後の手間を考えるとどっちが得なのか?しばらくは比較検討する時間が必要だ。まだ猶予はある。

 

今週末には引越し業者からの段ボール(100枚!!見積もりにきた担当氏が70枚という私の予想を即座に覆した)も届くし、いよいよ引っ越しという一大イベントが開幕する。荷造りも荷解きも大変な重労働だが、ワクワクもしている。

ウィル・スミスの二匹目のドジョウ 『ワイルド・ワイルド・ウエスト』鑑賞記

 

 

ウィル・スミス主演のSFチックなコメディーアクション。ウィルが演じるのは、米陸軍の大尉ジム・ウエスト。彼は南北戦争の際に大虐殺を行なった南軍のマグラス将軍を捕縛し、その罪を問うことを任務としている。

 

そこに絡んでくるのが、科学者を連続で誘拐した罪で、やはりマグラス将軍を追っている、連邦保安官ゴードン。ケヴィン・クラインが演じている。

 

エストとゴードンの二人が、図らずもバディを組んでマグラス将軍を追いかけるというのがこの物語の大筋。ただし、途中から本当の悪人がマグラス将軍の下で兵器開発を行なっていたラブレス博士だ(マグラス将軍はラブレス博士に殺されてしまう)ということがわかり、二人はラブレス博士一派との戦いに臨んでいくということになる。この戦いには、このお話のマドンナ、リタを救うというストーリも付与される。リタは最後の最後でオチをつけてくれたりするので、要注意人物。

 

ごくごくシンプルな勧善懲悪モノのストーリーなので、どんなスパイスを効かせてあるかが作品の味わいとなる。

 

第一のスパイスは、ウィル・スミスの芸達者ぶり。この作品の二年前に出演した『メン・イン・ブラック』のエドワーズを彷彿とさせるコミカルな演技と気の利いた台詞回しで、常に細かい笑いを起こさせる。製作者側も、ウィル・スミス本人も明らかに「二匹目のドジョウ」ってやつを意識していたんじゃないだろうか?観客が求める「ウィル・スミス像」を見事に演じ切って見せていた。ただし、彼はこの「毒のないエディ・マーフィー」的なコミカル路線を突っ走ることだけを良しとはせず、シリアスな役柄もこなせることを後々に示してはいるが。一度確立された当たり役のイメージが強いうちは、そのイメージを引っ張るだけ引っ張ろうというのは、エンターテインメント界の常道ではある。

 

第二のスパイスは、ケヴィン・クラインがコミカルなウィル・スミスに負けじと、細かい笑いを取りに行っていること。美輪明宏氏もかくやと思われるようなミエミエのケバい女装を見せたり、変な小道具に凝ってみたり。黙っていれば二枚目そのものだし、おちゃらけるウエスト大尉との対比を際立たせるという演出方法もありだったと思うが、ここは二人が二人ともおっかぶせるように笑いを取りにいっている。

 

第三のスパイスはラブレス博士のトンデモ発明品の数々だ。ラブレス博士は南北戦争で下半身を全て失っており、自ら開発した蒸気機関で動く車椅子に乗っているのを手始めに、兵器満載の蒸気機関車も出てくるし、終いにはタランチュラなる大掛かりなロボット兵器なども出てくるのだ。そのロボット兵器の中には、人間型のロボットも何人も乗り合わせている。

 

普通に考えて、蒸気機関だけを動力としてあんなにスリムな躯体になるはずはないし、あんなに精緻で複雑な動きは、AIが発達した現代ですらいまだに不可能なお話だ。このロボット兵器が出てきた時点で、この作品はリアリティーを捨てているというのが分かる。作品全体がおちゃらけテイスト満載なのだから、全ての演者がそれに乗っかって笑いを取りに行く方がむしろ自然というもの。真面目な人間がもし存在していたら、発狂せざるをえないような世界観なのだ。まあ、そんなことを言い始めればスーパーヒーローものの作品なんぞ観てはいられなくなるのだが…。

 

笑いを意識した作品に相応しく、人が死ぬような戦闘シーンはあっても、生々しく流血するようなシーンはほとんど描かれていない。リアリティーを捨てた作品ならそういう演出もありだろう。

 

金出して劇場まで行ってみるほどのモノではなかったが、ちょっとした空き時間に、気軽に鑑賞するには良い作品だったように思う。

支離鬱々日記120(必要な物と不要な物の数々)

新居の完成までいよいよあと二週間。新居での新しい生活を楽しみにも不安にも感じながら、落ち着かない日々が続く。

 

ただいま取り掛かっているのは、現住所における各種契約の解除と、転居後も継続する契約の住所変更の準備、引っ越し業者の手配、不用品の処理、新居で必要な品々の選定と購入だ。

 

まずは、現住所の解約。後片付け等々のことを考えて10月末日までの契約とした。

今までの引っ越しはほとんどが会社都合によるものだったので、一週間ほどの期間の中で慌ただしく片付けから荷造りから掃除までやらなければならなかったが、今回は持ち家である終のすみかへの引っ越し(つまりは家族としては最後の引っ越し…のはず)であり、かつ、休暇も十分にあるので、後腐れがないよう隅々までチェックして、1円でも多くの敷金を取り戻したい(笑)。また、不用品の買取や、粗大ゴミとなった場合のゴミ出しについても余裕を持って臨める。不用品は引き取ってもらうだけでもカネ取られるからなぁ。特に東京の場合はバカ高い。

不要家具のお話が出たところで、現時点で新居に持っていく予定のない家具を買い取ってもらうために業者にコンタクトを取ってみた。ネット上の評価が高いところにまずメールしてみたのだが、何でもかんでも買取査定に来てもらえるわけではないらしく、1回モノの写真を送れ、という要請があった。というわけで送ってみたら、見事に全ての家具が買取対象外という返事が来た。まあさほど高い家具ではないし、買ってからそれなりの期間経っているから仕方ないのだが…。諦めずに別の業者にもアタックしてみることにする。いくらかでも返って来れば文字通り儲けものだ。

 

で、当初不用品としようとしていたモノの中からいくつか持っていくことに変更したモノも出てきた。

 

まずは現在使っているダイニングテーブルと椅子二脚。私の郷里は最高権力者様の郷里でもあり、両家の親と義兄家族とで最低でも8名になる。新居ということで、その他の親戚たちも顔を見せることが少なからずあるだろう。しかしながら、新しく買い求めたダイニングテーブルでは最高でも6名しか対応できない。よって、予備のテーブル・椅子として、物置入りすることが決定した。

 

もう一つは、私が専用に使っているタンスだ。現在、カジュアル衣料を全てぶち込んであるのだが、それだけでは足りずに、間に合わせの家具にラグビー用品を溢れんばかりに詰め込んである。当初はこの間に合わせの家具を持っていき、タンスは売ろうと思ったのだが、前述の通り売れないことが分かったので、同じ捨てるなら間に合わせの方を捨てることにしたのだ。なおカジュアル衣料はウォークインクローゼットに収納するので、今度はこのタンスにはラグビー用品を詰め込むことにする。

 

買うモノの方に移ろう。

 

まずは最高権力者様念願のベッド。最高権力者様は畳に布団を敷いただけでは腰が痛くて仕方がないのだそうだ。とは言っても、今のマンションの間取りを考えると、ベッドなど入れるスキマがない。仕方なく、ずっと痛い腰を抱えたままだったのだが、新居にはそれなりのスペースの寝室があるので、めでたくベッドの導入となったのだ。TVで宣伝を打っているメーカーのショールームに行って、色々お話を聞いた上で、満足のいく品質のものを選んだ。その分お値段も結構張ったが…。腰痛でマッサージにかかったり、その影響で別の病に罹患するよりは安い出費なんだと思うしかない。ま、私も便乗して同じメーカーのベッド買ったんだけどね。ちなみに私も腰を痛めたことはあるが、その際は医者から「なるべく固い場所で寝ろ。本当は畳に直に寝るのがいいんだが、それだと保温性に問題があるから、なるべく薄い布団でいい」と言われた覚えがある。爾来、ずっとせんべい布団で寝ているが、腰痛はラグビーの試合の後などの一時的なものを除けば発症したことはない。体質の違いとか、スポーツ由来か否かの違いなんだろうけど、なんとなく釈然とはしない。二人がそれぞれ質のいい睡眠を摂れればいいだけだから、これ以上気にはしないことにする。

続いては洗濯乾燥機。現在は騒音とか振動の問題で縦型のモノを使用しているが、ドラム式のものに切り替える予定。最高権力者様曰く、ドラム式だと乾燥に違いが出るそうだ。一度僻地に島流しにあった際にドラム式を購入したことはあったのだが、その際買い求めたのは、後々悪評ふんぷんだったS社製。同社が初めて開発したドラム式洗濯乾燥機だったこともあって、いろんな不具合が発生したし、使い勝手もよくなかったため、また縦型のやつに戻したのだった。今回は、イイものをしっかり選ぶことにするし、戸建てなので騒音や振動も、現在よりは気にする必要はなくなる。

 

お次は、電子レンジ。現在のものは小型で、オーブンの機能があまり高くないもの。最近ホームベーカリーでパンを焼くことに興味を持った最高権力者様が、ロールパンのような小さめのパンを焼くことをお考えになっており、オーブン機能の充実したものを買う予定。姪っ子ちゃんに食わしてやりたいという一心からである。姪っ子ちゃんの喜ぶ顔が見られるのなら私も両手を上げて賛成だ。

 

最後はTV。当初は寝室にプロジェクターを置く予定にしていたのだが、プロジェクターだと、ベッド脇に置くスペースを作る必要があり、そうなるとベッドサイドのテーブルを複数備えることが必要になりそうな気配で、それなりにいいものを買おうとするとTV1台分くらいはかかってしまう。ならば、寝室に今使っているTVを置き、リビングには今よりも大きなTVをもう一台据え付けた方がいい、という結論に達した。滅多にあることではないが、私と最高権力者様の観たい番組がかち合ってしまうとかいう事態の解消にもなるし、余分な家具を増やすことなく、今ある家具の使い回しで対応できたりもする。無闇にモノを増やすよりは、今あるモノを最大限に活用した上で、それでも足りない部分を補う、というのは理にかなった考え方ではある。そもそもTV2台も必要ねーだろ!ってお話が一番、ごもっともではあるがね。

 

なんてなことを、下書き保存しておいて、さて投稿しようかと思ったら、一件重大な事実が判明した。なんと、当初予定していた引っ越しの日程だと、引き渡しに必要な審査が間に合わないのだ。というわけで、休暇の取得予定を一週間後ずらしにし、引っ越し業者にも日程の変更を告げ、当初想定の日程に基づいて搬入予定だった新規購入の家具の納入日程もそれぞれ一週間ほど後ずらしにした。長雨の影響とか、下水道の開通とかで、予定がずれてしまったかららしい。早いうちにわかってよかった。新しく家を建てる際にはこういうことまで想定しとかなきゃいかんのだな、と改めて思わされた。この教訓を活かす「次」の機会がないのが残念なので、ブログに書き留めておくことにする。

 

 

本筋に関係ないところに一番共感したシーンがあった 『ワイルドカード』鑑賞記

 

『トランスポーター』シリーズがあまりにも有名な肉体派アクション俳優、ジェイソン・ステイサムのど真ん中の一作。

 

今作のジェイソン・ステイサムの役どころは元特殊部隊のエリートにして、現在はラスベガスの片隅でしがない用心棒稼業を営むニック。冒頭に、女性に絡む酔漢を装い、その恋人に散々にやっつけられて、恋人の引き立て役を演じるというシーンが流されて、ニックの冴えない日常を物語る。ベタな展開ではあるが、それなりに効果的なイントロではあった。

 

このニックの元恋人がイタリアンマフィアの大物のイカれた跡取り息子にレイプされて、心身ともに深く傷ついてその復讐をニックに依頼してきた事でストーリーが大きく動き出す、のだが、大きく動くと言っても結局はニックの躍動する肉体をどう魅せるかに腐心した筋立てだ。ドラ息子のもとに単身乗り込んだニックが二人の用心棒とドラ息子を叩きのめした上で、元恋人の望んだ、ドラ息子にとって屈辱的な復讐を遂げさせる。

面白くないドラ息子は人数を増やして、二度も三度もニックを襲わせるが、そこは元特殊部隊の腕っこき、次々と凶器やら銃器を持って襲ってくるヤクザ者たちをことごとく返り討ちにするという活劇を展開する。ここは素直にそのチャンチャンバラバラを楽しむのがこの映画に最適な鑑賞法だろう。

 

ニックは一旦はラスベガスを離れる決心をし、離れて後の生活資金を稼ぐために、カジノで大勝負に出て、当初の目的であった50万ドル(5年は遊んで暮らせる、とニックが語っていた金額)を稼ぎ出す。そこで素直にどこかに逃げちまえばいいものを、何故か「この程度の金ではまたここに戻ってきてしまう」などと思い直して、稼いだ金を全部かけての一大決戦に自ら臨んでしまう。結果はあえなく惨敗。ここで大酒を飲んで「あそこでやめておけば」という後悔に一晩中苛まれるニック。

 

実を言うと、この作品で一番身につまされたのがこのシーン。私は50万ドルもの大勝負をした事はないが、パチンコでせっかくドル箱を2つ3つ積み上げながら、もっともっとと思って全部スってしまった経験がある。その時の後悔をありありと思い出した。バクチのやめ時の難しさ、やめ時を誤った時の後悔と自責の念。ジェイソン・ステイサムのアクションもヘッタクレも全部すっ飛ばすだけのリアルな感情を見事に出現させてくれた。感情の「ジャンル」はともかく、強烈な感情を再体験させてくれたという意味ではこの作品は傑作と言って良い(笑)。

 

何度もいう通り、この作品は基本的にはジェイソン・ステイサムのチャンチャンバラバラを楽しめば良いので、ネタバレにはなってしまうが、ストーリーを追いかけてしまうと、結局のところニックは、マフィアの後腐れを全てなくした上で、カネも手に入れてめでたしめでたしで終わる。カネについては、途中から登場し、結局は2番目に重要な役どころとなるサイラスというナヨナヨとした青年が用意する。この青年は実はやり手の実業家でニックに払う金なんぞはホンの端た金ではあるのだが、特に恩恵を受けたわけでもないこの青年が何故ニックに金を出す気になったのかが今ひとつよくわからなかった。ま、こんなモヤモヤは大した問題ではなく、とにかくほぼ全てのシーンがスローモーションとなる、素手ゴロのシーンを楽しめば良い作品だったとおもう。

 

 

プロの投手の目から見た名投手たちの実像 『名投手』読後感

 

 

先日紹介した『強打者』と同じ出版社から、おそらく同じ編集者の企画として出版されたであろう一冊。江夏豊氏がプロ入りする前に「凄い」と思った投手から、実際に戦った投手、現役バリバリの投手、さらには未来への期待を含めた若手投手までを50名ピックアップし、各々の方の記録や凄さを解説するとともに、その中から「名投手」を21人選ぶというのが本書の構成。

 

21人とは本人も前書きで語っている通り「江夏の21球」にちなんだ数字である。実にわかりやすいが、まあ、1冊の本にまとめるとするならこのくらいの数が適当だろう。記録に残る投手も記憶に残る投手も少なくないのだから。

 

どんな投手が選ばれ、それぞれどんな部分が江夏氏の琴線にふれたのかについては、是非とも本文をお読みいただきたい。投球の威力が凄まじかった方もいれば、投球術の妙で打者を牛耳ったことで勝利を積み重ねた方もいる。

 

『強打者』に関する投稿でも書いたが、私自身の江夏氏に対してのイメージは「ずば抜けた速球もないし、魔球と言われるほどの変化球もないのに何故か抑えてしまうクローザー」というもので、故野村克也氏直伝の「考える野球」の実践者というものであり、そうした「野球脳」で観察した場合に誰が俎上に上がってくるのかに興味があった。

 

そんな江夏氏がリストアップした中でも、印象深いのは元西武の東尾修投手と、現役最年長選手でもあるヤクルトの石川雅規投手だ。お二人とも豪速球を持っているわけでも、取り立てて素晴らしい変化球を持っているわけでもないが何故か勝利投手になってしまうという特性がある。

東尾氏の場合は、右打者に対しての死球スレスレのボールをうまく活用していた。日本シリーズで一打逆転の場面で原巨人軍監督の原辰徳氏を打席に迎えた際に、頭上スレスレに投げたビーンボールまがいの一球などが典型だ。次の外角低めの直球を空振りしたことにより、原氏には「史上最弱の4番打者」というイメージが定着してしまった。一人のプロ選手の野球人生をも変えてしまった一球、実に味わい深い。

 

なお、東尾氏は今でも珍プレー好プレーの乱闘シーンでたまに取り上げられる、当時近鉄のデービス選手への死球なんてのもある。暴力を振るったデービス選手は退場となり、その後も多々非難を浴びたが、一方で東尾投手にも「与四球は一番少ないのに、与死球は一番多い。狙って投げているのでないか」という批判が相次いだ。この批判を受けた彼の真骨頂はデービス選手に死球を与えた次の登板。投球の9割方を打者の外角に投げ、完投勝利をかざってしまうのだ。「いつかは内角に投げてくるはずだ」という打者の心理の裏を見事にかいた勝利。実戦に自身に与えられた「風評被害」まで活かしてしまったこの事例は「考える野球」の最高峰と言って良い試合だろう。

現役最年長の石川投手は、七色の変化球を駆使する技巧派だが、突出したボールがあるわけではない。打者を見て、走者の有無や、アウトカウントなどを勘案して、抜群のコントロールで様々なコースに投げ分け、しかも緩急までつける。2021年9/9の時点で通算176勝と、現役選手の中では田中将大投手に次いで名球会入りに近い。

 

我が巨人軍も度々煮湯を飲まされている。ヤクルトは低迷期も少なからずあったため、思うように勝ち星が伸びないシーズンもあったとは思うが、野村野球を継承し続けるヤクルトだったからこそ、40歳を超えた現在でも現役でいられるのかもしれない。167cmと小柄であることもあって、投球に力強さはないが、打者が泳がされたり、詰まらされたりするシーンは多い。フルスイングした打者を討ち取るのも野球なら、フルスイングさせずに手玉に取るのも野球。寄る年波には勝てないということなのだろうか、今シーズンも3勝と勝ち星は伸びていないが、是非とも区切りの200勝までは行っていただきたい投手だ。また、指導者として、その投球術を一人でも多くの球威に恵まれない投手たちに伝授していっていただきたいものだ。

 

若手の期待株として挙げた投手の中には、ロッテの佐々木朗希選手も含まれている。彼の育成に関して、江夏氏は、入団年から実戦よりもトレーニングを重視したロッテの方針を賞賛している。すぐに試合に使ってもそこそこの成績は上げられたかもしれないが、高校時代のままの下半身ではすぐに肩を壊すと断言もしている。今シーズンは2勝2敗と、苦闘中だが、三年計画くらいでじっくりと鍛え上げていって欲しいものだ。素材としての魅力は十分すぎるほどにあるのだから。

 

江夏氏は最後に近年の野球のクローザーという存在のあり方をチクリと一刺している。現在は先発投手が6回くらいまで引っ張った後で、1イニングに一人くらいの割合でセットアッパーが登板し、クローザーは原則として9回無走者から登板して3人を討ち取るだけ、という形をとっている球団が大半だ。江夏氏はこのシステムについて「クローザーにセーブをつけさせるためだけの起用法」としてさらっと1行だけだが批判している。ご自身は通算193セーブのうち137回はイニングをまたいでの達成である。つまり試合の終盤のピンチの場面に出ていって、その場の火消しを果たしたのちに、最後まで相手打線を抑えた、というセーブがダントツに多いのだ。

 

例えば日本球界通算252セーブの大魔神佐々木主浩氏は同じケースを79回しか記録していない。DeNA山崎康晃投手などは163セーブのうち、イニングをまたいで記録したことは一度もないのだ。時代の流れだと言ってしまえばそれまでだし、最終回1イニング限定とはいえ、ピシャリと抑えるのは並大抵の業ではないというのも理解はしているのだが、ピンチとなったらすぐさまマウンドに上がり、ピンチを凌いだあとは悠々と無得点で抑える、という姿の方が少なくとも私はカッコいいと思う。

 

まあ、巨人のビエイラみたいに1イニング限定でなら圧倒的なピッチングができるが、イニング数が伸びるごとに不安定になっていく投手というのも存在するので、適材適所という意味で1イニング限定という使い方はありなのかもしれない(苦笑)。

初体験の恩田陸氏、なかなかよかった。読まず嫌いは良くないね 『象と耳鳴り』読後感

 

恩田陸氏という作家の作品の初体験となったのは標題の短編集。

 

「主人公」となるのは関根多佳雄。元検事にして明晰な頭脳を持ち、ちょっとした綻びから謎解きをしてしまう人物として設定されている。

 

もう一つ言うと、この方は恩田氏の『六番目の小夜子』という作品の主人公関根秋(あき)という女性の父親だそうだ。この短編集には多佳雄の他、秋の兄、春(しゅん)と姉の夏(なつ)が登場する。春も夏も多佳雄譲りの明晰な頭脳を持ちながら、それぞれの個性で謎にアプローチする作品も収められている。

 

恩田氏自身による本書のあとがきによれば、恩田氏は「関根三兄妹」が全て登場する作品を書いてみたいという希望をお持ちのようである。関根秋嬢がどのような活躍を見せているのか、『六番目〜』もぜひ読んでみたいと思うが、まずは本書についての読後感を書いておきたい。

収録作品個々のストーリーに関しては、ネタバレ必至になってしまうので省く。ぜひ、一度読んでいただきたいとしか言いようがない。

 

その上で、この作品集全体に漂うのは「奇妙な味」だとだけ述べておく。読んでいるうちに、いつの間にか、現実と幻想のはざまに引き込まれ、しかも「合理的」な謎解きがないまま、どこまでも曖昧なままお話が終わってしまうような作品ばかりだ。唯一、謎解きらしい謎解きとしてしっかり説明されているのは春が登場する『待合室の冒険』だけ。この作品においても、多佳雄は、多佳雄自身では想像のつかないアプローチで一つの事件を「発見」し解決してしまう春の能力に、かすかな不気味さまでを含んだ謎を感じていたりもする。

 

大きな括りでいうと、派手な活劇も凄惨な殺人シーンもない、推理推論だけでお話が進んでいく「安楽椅子探偵モノ」に入るのだろうが、謎解きの結果が人間の心理の不可思議さであったり、ちょっとした超常現象だったりして、より深い謎に引き摺り込まれるような構造になっているのだ。まさに私の好む「奇妙な味」ど真ん中と言って良い作品集だったのである。

これまで、恩田陸氏の作品は買っておいては見たものの、「積ん読」だけしていてなぜか家の書棚からは手に取らなかった。この状態自体が謎だし、多々ある「積ん読」本の中からなぜふとこの一冊を手に取ったのかも謎だ。そう言う意味では読む前から謎に包まれた一冊だった(笑)。いずれにせよ、読まず嫌いを決め込んでいた新しい作家に一人出会えたことだけは事実だ。

引き際ってのは難しい 『現役引退』読後感

 

アスリートの引き際は難しい。

 

つい最近、オリンピックのボクシングで女子初の金メダルに輝いた入江聖奈選手が、即引退を発表して話題になったが、余力を残したまま、惜しまれつつ身を引くのがいいのか?

 

あるいは、三浦知良氏(この方私の同じ歳)のように、自分で辞めたいと思うまではとことん現役にこだわるのか?

 

前者を選べば、少なからぬ世の人々から「あなたがいれば…」的な恨み節を浴びることになるし、後者を選べば、日々衰えていく自分の肉体と戦いながら、同時に敵とも戦うという苦役を負うことになる。どっちにしても厳しい道である。どちらを選ぶかはまさしく個人の価値判断に委ねられるし、余人の介入できる問題ではない。

 

標題の書は、「プロ野球死亡遊戯」の著者として名高い中溝康隆氏が、プロ野球選手の引退の年のトピックスを収集して編んだ一冊。各々の選手の選択とその選択に至るまでの過程を軽妙な筆致で綴っている。

 

私がプロ野球選手の引き際として一番印象に残っているのは、現在ソフトバンクホークスの会長にして通算本塁打数の世界記録保持者王貞治氏である。

 

王氏の引退シーズンの成績は30本塁打、84打点、打率2割3分6厘。打率こそやや低めだが、主軸を打つ打者としては堂々の合格点だと思う。実際に40歳という「高齢」にもかかわらず、本塁打と打点はチーム内トップだったと記憶している。ただ私はこのシーズンの巨人戦中継を見ていて、「もしかして王選手の引退が近いのでは?」と感じたシーンがあった。

 

王選手といえば、一歩足打法で右方向に強烈な打球を飛ばすことが最大の魅力であり敵チームにとっての脅威であった。それゆえ、一塁側に守備側の選手を集中させる、いわゆる「王シフト」を敷くことが他チームにとっての「常識」だった。そしてそのシフトをぶち破り、あるいはあざ笑うようにその頭上高くに打球を飛ばして、高い成績を残し続けたのが王選手だったのだが、ある試合で、そのシフトの逆をつく形となる流し打ちでのヒットを放ったのだ。チームとしての成績がなかなか上がらない中で、確実に打点を稼ぐ、あるいは出塁してチャンスにつなげる、という姿勢は、チームの勝利の追及という目的においては「正しい」のだが、ああいう場面で流し打ちをする王選手はどう考えても「正し」くなかった。しかも、こうした流し打ちはその試合だけでなく、このシーズン度々見られたのだ。終盤戦は王シフトを敷かない敵チームすらあったほどだ。

 

結局、このシーズンの終了後、当時の長嶋監督の解任とともに王選手も引退を表明するのだが、引退会見では「王貞治としてのバッティングができなくなった」ことが引退の理由と語っていた。

 

引退報道を聞いた私がまず思ったのは翌シーズンの四番打者は誰になるのだろうか?という疑問。衰えていたとはいえ、主軸の打者が一人丸々消えてしまうのは巨人というチームにとっては大いなる痛手だ。ただし、この疑問は引退発表から程なくして消えた。この年のドラフトで原辰徳選手の交渉権を獲得したからだ。原選手は期待に違わず、翌シーズン新人王を獲得する活躍を見せた。

 

次に感じたのは「王貞治としてのバッティング」ができないまでに衰えたと自覚している王氏の現役選手としての姿を見るのは忍びないということ。流し打ちまでする王選手の姿を見たくないと思っていた私は、引退やむなしという気持ちを強く持つようになった。王シフトを敷かれようがどうしようが、それを上回るのが王貞治であり、他人がどう思おうと、自分の考える「王貞治としてのバッティング」ができなくなった以上、身を引くという姿勢は潔かった。

 

引退発表後に、「四番打者ではなく、下位の打順で重圧から解放されれば、まだまだ現役を続けることは可能ではないか」とする論調の新聞記事なども散見した覚えがあるが、巨人の四番打者として期待通りの活躍を見せてこその王貞治であり、自身で納得の行かない現役生活を無理やり延命させるのは王氏に対しての冒涜ではないか、と憤ったりもした。こんな高潔な時期もあったんだな、私にも(笑)。

 

プロにせよアマチュアにせよ、身を引くのは自分自身で納得が行った時。王氏の早実の先輩に当たる榎本喜八氏などは、死の直前まで「打撃の真髄を極めるため」として近所のバッティングセンターに毎日通っていたそうだ。私事で恐縮だが、私も少なくとも試合に備えるためのトレーニングを苦痛と感じないうちはおじさんチームラグビーに参加しようと思っている。

 

さて、中溝氏の文章は軽妙で実に読みやすかった。Aという選手の章の最後にB選手を登場させ、A選手とB選手との関わりをひとくさり述べておいてから、B選手の章に突入するという方法も、いい隠し味になっていた。まあ、この方法は水滸伝以来の「伝統的手法」ではあるし、かなり無理やりな関連づけによる展開もあったが(笑)。