脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記67

二人の親戚から立て続けに母親の不調を知らされてから二週間。昨日は脳外科に行って、母親の今の状況を確認してきた。

 

医師によると、認知症の入り口にいる状態だとのことだ。幸いな事に、処方薬をきちんと飲んでいれば、当面、簡単には症状が進むことはないそうだ。一安心ではある。ただし、今後劇的に症状が改善することはほとんどないそうでもあるので、田舎への移住も視野に、生活を根本的に考え直さなければならないという問題は残った。コロナ禍がいつまで続くのかはわからないが、週に何度か出社すればよしとされている現在の勤務状況なら、田舎に移住するというのは十分にあり得る選択肢ではある。なんなら、田舎にこじんまりとした新しい家を建てて、などというオハナシも出てきた。やや不謹慎かもしれないが、新しい家ができるのなら、それはそれで少し楽しみなお話でもある。

 

母親の診察後、最高権力者様の実家によって、2ヶ月ぶりに姪っ子にあってきた。姪っ子は現在ちょうど生後7ヶ月で、外界の刺激に対して、様々な反応を見せるようになってきた。俗にいう「可愛い盛り」ってやつだ。

 

姪っ子にとって、我々はまだ「知らない存在」で近づいたり、抱っこしたりすると緊張はするようだが、その緊張がいい刺激となって、昨日は少々興奮したらしく、実にいろんな表情を見せてくれたし、あばれまわったと言って良いほど、いろんな行動も見せてくれた。合間合間に父母に対して見せる笑顔も素敵に可愛かった。そういう笑顔を親戚筋である我々には見せてくれないのは少々残念だが…。私が抱っこしてもぐずりもせず、機嫌よく手足を動かしていた。こういう、暖かさ、表情の愛らしさ、行動のぎこちなさを日々感じることこそが親としての喜びなのだろう。養育の義務のない我々は、たまに行ってその上澄をお裾分けしてもらうのが関の山だ。気楽でいいが、寂しくもある。ただ、2時間足らず、姪っ子を「鑑賞」しただけで、帰宅後の疲れがひどかったのも事実だ。親って立場も楽じゃない。もっとも、昨日の場合は、大きめの仕事が一段落ついたり、母親の件が当面緊急性なく済んでほっとした、という要素も多分にあるんだがね。

 

10月後半から昨日の最終戦に至るまで、我が巨人軍の調子がピリッとしない。昨日は先発の菅野は5回まで1安打無失点と完璧といって良いピッチングを見せたが、中継ぎ、抑えの投手陣が総崩れといって良い状態で、結局4-5のサヨナラ負け。シリーズに向けての最終実戦はイヤな形で幕を閉じた。ソフトバンクの強力打線は、一旦火をつけてしまうと、大爆発を起こす可能性を常に秘めた強力打線であり、菅野以外は計算がたたない現状の投手陣はいかにも不安だ。中川が間に合うかどうかというのも一つの焦点だが、仮に間に合ったとしても、故障明けの選手に望みを託すしかない、というのは心細い限りだ。もちろん期待はしてるんだけどね…。

 

巨人といえば、岡本が本塁打、打点の二冠王に輝いた。変則的なシーズンで、数字的には過去のお歴々と比較すると少々寂しいのだが、タイトルを手にした、という事実は大きい。来年以降のさらなる飛躍を期待したいし、また飛躍してもらわないと、連覇はおぼつかない。彼の場合は、不調の期間を短縮化することが一番の課題だろう。打率が.280を切っているというのはいかにも物足りない。これを.300まで持っていくことができれば、本塁打も40本の大台が見えてくるし、打点も120超えが望めるだろう。元々、外角の難しい球をうまくライト前に持っていくだけの器用さを持ち合わせているのだから、もう一皮むければ三冠王だって十分に射程距離内だ。「巨人の四番は日本の四番」という王•長嶋時代の「常識」を是非再現していただきたいものだ。

結局、手帳は自分で使い方を考えるしかない 『ほぼ日手帳公式ガイドブック2021』読後感

 

ほぼ日手帳公式ガイドブック2021

ほぼ日手帳公式ガイドブック2021

  • 発売日: 2020/08/25
  • メディア: Kindle
 

 

何度か書いているが、私が、現在用いている手帳はA5サイズのシステム手帳だ。いろんな情報をいっぱい持ち歩きたいし、また、思いついたことは細大漏らさず書き記しておきたいという思いからこのサイズにし、しかもリフィルはそれこそ無限に収納できるリング幅まで備えているのだが、最初の思いはどこへやら白紙と、カードホルダーの類ばかりが目立つ、見掛け倒しの品にしかなっていないというのが悲しき現状だ。

 

故に、手帳の使い方に関する本漁りも随分やった。以前紹介したバレットジャーナル の方法を用いて、日々のスケジュール管理に関してはそれなりに活用できているが、スケジュール管理だけなら、重くて嵩張るA5サイズのシステム手帳なんぞ使わずに最小サイズのとじノートでも使って胸のポケットにでも入れておく方が重宝するはずだ。日々の雑事だけでなく、もっと大きな目標やら、夢やらの実現のためのツールとして活用するにはどうしたら良いのか、についてはいまだに模索中で明確な答えは出ていない。結果として、自分がなりたい姿になれていない。まあ、これは手帳の活用方法だけの問題ではないのだが、日々の憂は募るばかりだ。

 

ってなわけで、閉塞状況のブレイクスルーの一助とすべく手にしてみたのが標題の書。「ほぼ日手帳」の評判の高さは、かなり以前から聞き及んでいた。活用方法も世には溢れかえっていると言って良い状態だし、大手の文房具店で秋になって開設される翌年の手帳コーナーでは、いつでも他の手帳類を圧倒する量の各サイズの「ほぼ日手帳」が陳列されているので、実際に使っている人も多いのだろう。製作者のなんらかの意図で、ほぼ日手帳のフォーマットはとじノートでしか販売していないので、リフィルの出し入れが自由である事をシステム手帳使用の最大のメリットの一つと感じている私は、実際に購入してみようとは思っていない。ただし実際の使用方法、つまり、自分がなりたい姿に近づくために書きつける内容については参考にできる部分があるのではないかと考えたための購読である。「今までのガイド本の総集編」という謳い文句にも惹かれたし、ラグビー日本代表の山中亮平選手がラグビーノートとして使用した実例が掲載されていることも購入理由の一つだ。

 

様々な人の様々な活用方法については是非とも本文に当たっていただきたい。単純に実に多様な使い方があるものだと感心した。

 

その上で、自分自身の結論は、題名に書いた通り。結局は自分で考えるしかない。私が「こうありたい」と考える自分自身の姿は、結局は自分だけの理想像であって、他人が理想としている手帳の使い方に乗っかっただけでアプローチできるほど軽々しいモノではない。理想の自分に近づくためになすべきことはどんなことで、それをなすための方法にはどんなものがあって、それをいつまでに達成しなければならないか…、結局はこうした一連のなすべきことを可視化して納期を管理していくことが基本線。そこに、有益な情報やら、新しい知見やらを書き加えていく、というのが自分にとっての最適な使い方になるのだろうな、というある種の決意と、方向性だけは定まった。それだけでもこの本を読んでみた価値はある。

 

ほぼ日手帳はそもそもフリーにフォーマットして、書いたり、写真やシールを貼ったりということを推奨しているので、形式はどうだっていいのだ。私が書いていこうとする内容は以下の通りである。

 

1.その日にやるべき行動を書き出す(書き方はバレットジャーナル の書式に則る)

2.書き出した行動が出来たか否かをチェックするとともに、為した行動によって何が得られたかをジャンル分けして記入する

3.ジャンルは以下の通り

•文筆活動

•健康、体調、トレーニング内容(ラグビー関連のトピックスも含む)

•資格試験、英語、フランス語の学習内容

•会社の仕事

•音楽の勉強

•その他

※1日のまとめとして四行日記を書く

4.1日に最低見開き1ページ以上は使う。

5.書き記したシートは1ヶ月毎にストックに移動。書き残しておくべき事については「DATA」タグ内のページに保管。

6.買い物は付箋に記入し、買ったらその付箋は剥がして捨てる

 

今のところは以上を基本線にして、気がついたことをフリーフォーマットで書き殴ってみたり、気になった記事をスクラップして貼り付けたり、というのを続けていこうと思う。とにかく続ける事に意義ありと心得て、重さとデカさに見合った活用を目指していく事にする。

ニヒルな色魔というキャラを全開にさせた狂四郎と、狂四郎のキャラを決定づけた「生い立ち」に触れた一作 『眠狂四郎無頼控 魔性の肌』鑑賞記

 

眠狂四郎無頼控 魔性の肌

眠狂四郎無頼控 魔性の肌

  • 発売日: 2015/09/21
  • メディア: Prime Video
 

録り溜め映画鑑賞記第6弾は、 12作作られた、市川雷蔵主演の『眠狂四郎シリーズ』の9作目である標題の作。そろそろ、シリーズの続編を期待するよりもマンネリさの方が鼻につきだす頃合いではなかっただろうか?というわけで、新風を吹き込むべく、狂四郎の生い立ちにまつわるエピソードが盛り込んであったり、従来よりもお色気シーンが多かったりという工夫が凝らされている。題名からしてこの作品の前の作品までは「剣」とか「斬る」って言葉がズバリ入ってたのに、この作品は「魔性の肌」だ。辞書のやらしい言葉に赤線引いてた中学生時代を思い出させるような仕掛けが、早くも施されている。

 

物語は金子信雄演じる闕所物奉行朝比奈修理亮が、ポルトガルから天草四郎宛に贈られたという黄金のマリア像を京都に護送することを狂四郎に依頼することから始まる。自らの出自が転びバテレンと日本人の混血であることを知っており、キリスト教に対してはかなり複雑な感情を持つ狂四郎は一旦断るのだが、修理亮の娘ちさ(鰐淵晴子)の操を報酬に引き受けることとなる。身も蓋もない言い方をすれば「引き受けるから娘と一発ヤラせてくれ」ってことで、これってのは現在でも褒められた交換条件ではない。雷蔵氏が例のクールな口調で「操をもらおう」と淡々と言うもんだから、イヤらしさってのはあんまり感じはしないのだが、男ってのは、どんなに冷静を装っていても所詮一皮むけば、欲望が渦巻いているのさ、って本音をいきなり突きつけられ、苦笑するしかなくなる。ま、事実だから仕方ないんだけど。

さて、そのマリア像を狙ってくるのは島原の乱の残党にして、徳川の世に仇なそうとして、悪魔を崇拝するようになった黒指党なる連中。首領三枝右近を演じるのは成田三樹夫。最近こういう悪役らしい悪役ってのはあまり見ませんねぇ。だからこそ『半沢直樹』で歌舞伎役者の皆さんが演じて見せた顔芸が新鮮に映るんですけどね。まあ、知的な悪役というよりはショッカーのボスキャラ死神博士っぽいキャラ設定ではあるが。

と言うわけで、京都に行く道々で黒指党の男たちは剣を抜いて襲いかかってくるし、女はいろんなシュチュエーションの色仕掛けでなんとか狂四郎の隙を突こうとしてくる。ニヒルな狂四郎はそれこそ眉毛ひとつ動かさず、襲撃を撃退し続ける。下半身と剣技は別人格ってことだが、こういう二面性は日本人の好むヒーロー像である。ゴルゴ13だって女にも戦いにも強い。中村主水は、ちょっと方向性が違うが、冴えない表の顔と凄みある裏の顔のギャップに痺れる人は多数いる。狂四郎はエロ要素が強すぎる部分はあるが、作品製作時の時代背景から考えると、そう言うお色気シーン見たさに映画館に通った人も多かったに違いない。公開当時は、今と違って電子デバイス一つあれば、いつでもどこでもエロ画像が見られる時代ではなかったのだ。エロい刺激を堂々と受けることができるのは映画くらいのもんだっただろう。まあ、それも時代のニーズを汲んだ結果だとしておこう。

ストーリー的には、京都に着くまでに、いろんな意味でふた波乱くらいはあるのだが、それは本編を見ていただく事にしよう。最終的には寂しさを伴う勝利が待ってはいる、とだけ述べておく。

 

「地位が人をつくる」悪例 『座頭市牢破り』鑑賞記

 

座頭市牢破り <東宝DVD名作セレクション>

座頭市牢破り <東宝DVD名作セレクション>

  • 発売日: 2017/12/13
  • メディア: DVD
 

 座頭市鑑賞記シリーズその3は、標題作。1967年に勝新さんが独立して勝プロを創設した後、初の座頭市シリーズ作品だとのこと。

 

おそらく勝新さんはかなり気合が入っていたのだろう。敵役の清滝の朝五郎に三国連太郎、敵の親玉須賀畝四郎に後の「黄門様」西村晃、市をつけ狙うヤクザ仁三郎に細川俊之、コメディーリリーフに唄子•啓助、玉川良一など、キャストが豪華。勝新さん自身も玉川良一演じる酔客との絡みでは、父杵屋勝東治氏仕込みの三味線まで披露するなどサービス満点と言って良い。

 

ただし、ストーリーはあいも変わらず。敵役の悪逆非道ぶりを散々に煽っておいて、最後は得意の居合で三下たちからメイン敵役まで斬って斬って斬りまくり、凄惨な戦いの後の虚しさを引きずりながら、舞台だった街から去ってゆく。

 

というわけで、いかに観衆の敵役に対する憎しみを煽り立てるかが作品の味わいとなるのだが、今回の敵役は素敵に憎々しい。まずは朝五郎。彼は、縄張り内の百姓がいかさま博打で金を巻き上げられ、背負わされた借財を肩代わりするため、金策に走り回るような義人。市は一宿一飯の義理のために草鞋を脱いだ先の親分岩井の富蔵(遠藤辰雄、この方座頭市シリーズでは毎回しみったれた親分という役柄で出てくる)に命じられて朝五郎の元に赴き、金を受け取るとともに、その情の厚さに大いに感動して帰ってくる。しかし、朝五郎は自分が十手を持って、「権力」を手に入れてしまった途端、今までの情の厚さは何処へやら、一気に無辜の民から絞り取れるだけ絞り取ろうとする腐った人物に落ちてしまうのだ。題名にした通り、「地位(権力)」にすっかり毒されて、民を苦しめることを楽しみに感じるまでに成り下がってしまったのだ。

 

そしてその朝五郎を手足の如く操って、搾り取った利得の上前をはねている悪の親玉が、代官の須賀。西村氏はギリシア彫刻を思わせるような端正な顔立ちで、物静かだが、しっかりと性根は腐った、変な美意識のある小役人を演じている。このキャラ設定、タランティーノ氏あたりの琴線をくすぐりそうな気がするなぁ…。浅学にしてこのキャラのオマージュを見かけたことはないんだけど。むしろこの役の方が誰かのオマージュなのかも知れないが、そっちの方にも見当はつけられていない。

 

悪役の悪さを引き立てるための役としての篤農家の大原秋穂なる人物を登場させているのも、この作品ならではの特徴。元々かなりの剣の腕前を持ちながら、生活の基本は農にありとして、剣を捨てて、農民に効率的な農法を指導すると同時に「人の道」まで説く大原にも市は大いに感心させられる。大原は、市にも「剣に頼る解決方法は結局憎しみの連鎖しか生まない」とも説く。なかなかに強烈なスパイスだ。

 

そしてこの大原が、農民を扇動し、一揆を起こそうとしたという疑いで投獄されるに至り、市の怒りが爆発、という運びとなる。大原が護送される道中を襲って、大原を逃すが故に「牢破り」という題名がつけられているのだが、この言葉の語感だと、牢獄という建築物を襲って脱走するというイメージに、どうしてもなってしまう。とはいえ、「道中襲撃」ではやっぱり語呂が悪い。当時もタイトルにはかなり悩んだのではないか。まあ、他にもタイトルと内容が全くそぐわない作品はあるんだけどね。

最前線の記者が語る「半グレ」の実態 『半グレと芸能人』読後感

 

半グレと芸能人 (文春新書)

半グレと芸能人 (文春新書)

 

 

今ではすっかり良きパパとして振る舞っている市川海老蔵の酒癖の悪さを、一気に世の中に知らしめたのが六本木のクラブで引き起こされた「市川海老蔵殴打事件」。歌舞伎界のプリンスが、内出血した眼球もそのままの痛々しい姿で記者会見した姿は鮮明な記憶として残っているが、殴打した犯人が悪いのは事実としても、漏れ伝わってきた、テキーラの灰皿一気飲みとか、絡み癖とかの悪行を聞くに及び、海老蔵の方の「落ち度」だって決して小さくはない、ということで、海老蔵への見方がどちらかというと悪い方に定まった一件だった。

 

ここで暴行した側ということでクローズアップされたのが、「半グレ」の代表格関東連合。名前からすると、伝統的なヤクザっぽいんだけど、どうやら、例えば山口組みたいな広域暴力団組織とは一線を画す存在らしい。じゃ、一体なんなの?どんな人が属してて、どんなことやってんの?従来のヤクザとはどう違うの?という疑問が当然起こってくるし、マスコミの方もそうした受け手の需要を鑑みて、事件当時は、いろんな情報をそれこそ垂れ流しと言って良いほどリリースしていた。標題の作は、いわばこうした有象無象を含んだ大量の情報を一冊にまとめたものといえる。簡潔かつ具体的に「半グレ」とはどういうものかを説明してくれている書だ。

 

そもそも「半グレ」とは反社会勢力に詳しいジャーナリスト溝口敦氏の造語で、半分グレた(愚連隊)、グレーな集団、及びその集団に属する人間を指す言葉だ。決してまともな職業で稼いでいるわけではないが、かと言って名のある反社会勢力に属しているわけでもない、文字通りグレーな存在の人間を指す言葉としては言い得て妙なネーミングだ。

 

例えば関東連合は、元々中学生高校生くらいの年代の人間が集まった、主に都内の暴走族の「選抜隊」の構成員が、成長してもつるみ続けた団体だ。彼らは表向き、クラブや会員制のバーなどを営み、金回りのいい連中をVIPとして扱い、高級なコールガールや違法な薬物などを当てがって金を落とさせることを生業としているようだ。そして、そうした金回りの良い連中を引き寄せるのに、格好な広告塔となるのが芸能人である。そこで、芸能人にも様々な特典を用意して店に来てもらう。先に述べたような、娼婦や薬物といったヤバイ特典を、だ。そんなところから、芸能人と半グレとの接点ができてくるというわけだ。

 

以前、新宿の歌舞伎町を中心に中国系のマフィアが勢力を伸ばしたことがあったが、その際、「中国人たちは交渉とか手打ちとかいう手順を踏まずに、すぐに殺戮に走る。日本古来のヤクザは、血を見るような揉め事に発展する前に、うまく交渉してそれなりの『手数料』で争いの当事者同士をなだめることに努めるから、日本のヤクザはグレーゾーンにおける秩序の維持に役立っている」というような主張がなされたことがあった。今の半グレはまさに当時の中国人マフィアのような無軌道さでヤバいことをしまくっている感がある。対立組織の人間を集団で襲って金属バットで殴り殺すようなマネを平気でするし(六本木フラワー事件と称される事件。殺された人物は人違いであったことがのちに判明)、違法薬物の広がりにも少なからず関係していると思われる。

 

警察もただ手を拱いていたわけではなく、関東連合のような半グレ集団を広域的な反社会組織と同等に扱う方針を示して、取締りを厳しくしてはいるが、半グレたちはアルカイーダのようなもので、ここを潰したら、この集団は壊滅できるという「総本山」を持つことのないゆるいつながりであるがゆえ、時折、組織の上層部の人間をポツポツ逮捕するようなことはあっても、根絶できていないというのが実態のようだ。

 

というわけで、私のような一般ピーポーであっても、彼らの掘った落とし穴にハマる危険性は常にそこいら中に存在する。ミーハー気分丸出しで「芸能人がよく来るらしい」などという店にうかつに入ったら、身包み剥がされた上に、クスリまで覚えさせられて奈落の底に突き落とされるかもしれないのだ。都会の繁華街に行く時はポン引き、プチぼったくりに注意することはもちろん、様々なことに注意しなきゃいけない。気心の知れた飲み屋で酔い潰れているくらいが一番安全だ。

 

 

支離鬱々日記66

金曜の夜、久々に旧友と外飲みした。夏前に同じ人物と飲んで以来だから、ほぼ半年ぶりとなる外飲みとなる。前回は、ターミナルステーション近くの巨大繁華街のそれなりの繁盛店で飲んだのだが、その時の客の入りは2割程度でいかにも寂しかった。今回は、少し郊外の駅前にある、こじんまりとした飲み屋街の人気店に飛び込みで入ってみた。我々が入店したのは18時過ぎで、その際は私たちの他には1組しか入っていなかったが、19時をすぎる頃になると、満席になっていた。自分が外飲みしておいてナンだが、まだ、満席にするのは早くないかい?出入り口近くには消毒液が置いてあり、店員さんたちは全てマスクを装着してはいたが、満席の人々は、声量はさすがに抑え気味ではあったが、マスクなしに喋りまくっていたし、狭い店だったので、他のテーブルとの距離も近かった。

 

高々、一年足らずの自粛期間で、こんなことが気になってしまって、繁盛に値するクオリティーの料理も手頃な価格で十分に美味しいワインも100%堪能できなかったのはいかにも窮屈。早いところ、いろんなことに気兼ねせずに酒が飲める日が来て欲しいものだ。

 

巨人の坂本は2000本安打まであと1本としたらしい。昨日は中継を見ていなかったのでニュース番組からの伝聞だが。まあ、今シーズン中の達成は間違いないところだろう。コロナのおかげで、最年少の達成という記録が破れなかったのは残念だったが、まだまだ十分に若い。ぜひとも張本勲氏のNPB最多安打記録を抜いて欲しい。

 

巨人といえば、岡本が二打席連続の本塁打を放って、打点とともに、後続を引き離したようでもある。歴代の本塁打王打点王に比べると、まだまだ数字的には物足りないが、四番の重責を十二分に果たしたシーズンであると言って良いだろう。チャンスで確実に得点を挙げるしぶとさと、試合の流れを変える豪快な一発とを持ち合わせた四番打者は頼もしい限りだ。前後を打つ、坂本、丸にも十分に恩恵をもたらしているし、岡本の安定があったからこそ、思い切った若手、中堅の抜擢もでき、その中から松原のようにレギュラー定着する選手も出てきた。個人的には、シーズンMVPに値する活躍だったと思う。ここでタイトルを取ったことで、来年以降はもう一つステージの上がった活躍を望みたい。50本塁打130打点くらいは稼いで欲しいし、そうなれば打率も首位打者争いに顔を出すくらいには上がるだろう。巨人では王貞治氏以来となる三冠王をぜひ目指していただきたい。

 

アメリカの大統領選はようやく、バイデン氏勝利で決着しそうだ。バイデン氏の政治的手腕については浅学にしてよく知り得ていないが、少なくとも現職の、髪型とともにその中身も少々変わっている人物よりはマシな状況になりそうな気はする。

 

さて、その変な髪型の人物ことトランプ氏は、いくつかの州で選挙無効を求める訴えを起こしており、敗北宣言どころか、徹底抗戦を目論んでいるらしい。「ポスト真実」という概念と行為を全世界に広めた「第一人者」面目躍如というところだが、見苦しいだけなので、さっさと退場して行って欲しい。何が何でもアメリカ第一という最高権力者とはおさらばしたいと考えている人は、少なくとも、アメリカ国内のトランプ支持者よりは多いと思うのだが、選挙権がないので、直接意思を表明できないのが歯痒い限りだ。

 

まあ、トランプ氏はゴネるだけゴネるだろう。ゴタゴタが長引けば長引くほど、「ポスト真実」をひねくりだす時間は増えるし、その「ポスト真実」にノセられる勢力も増えてくるだろうからだ。銃が自由に持てるアメリカなら、こうした人物たちは容易に武力を持ちうるし、暴動も起こせる。そうなると内戦勃発という事態だって有り得る。世界一の超大国が内戦状態になったら、他国の平和なんぞに関わっている余裕なんぞなくなるので、半島北部の独裁国家やらイスラム教過激派なんかが跳梁跋扈する可能性は大いにある。そうなりゃ世界は大騒ぎ…。ネガティブ連想は尽きないが、全くのホラ話と笑い飛ばすことはできなそうな状況を、マスコミは連日報道している。米各地で、トランプ支持者と、反トランプ勢力が小競り合いを起こし、流血騒ぎやら発砲事件やらが起こっているのだ。暴動を恐れた小売各店が、ショーウインドウを木の板で防御している風景はまさしく異常だ。シカつめらしい顔をした評論家ならずとも「あれが自由と正義を標榜しているアメリカの姿か」と嘆きたくもなる。こんな姿を全世界に晒してしまう事態を招いたこともトランプ大統領の罪の一つだと思う。自国優先主義の行きつく先は破壊や殺戮をも容認する利己主義であり、その利己主義にある意味お墨付きを与えてしまったことの意味は非常に深い。

マカロニ•ウエスタンの「お約束」だけで作られた一作『怒りのガンマン/銀山の大虐殺』鑑賞記

 

怒りのガンマン 銀山の大虐殺 MWX-205 [DVD]

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  • 発売日: 2017/11/27
  • メディア: DVD
 

 

マカロニウエスタンの代表作の一つ。主演の、リー•ヴァン•クレイフは数々の映画で脇役を務めた後、西部劇で人気が出て、代表的な俳優となった人物。西部劇界の「高橋英樹」とでもいうべき人物だろうか(個人の感想です 笑)。

 

題名に書いた通り、マカロニウエスタンとはかくあるべし、というテンプレ通りの作りに終始した一作。すなわち、かっこいいガンマンが出てきて、弱いものを救うために強大な敵役に単身で挑む。一度は苦境に立たされるものの、何らかの助太刀を得て、最後は派手なガンアクションで敵を倒してめでたしめでたし。で、ガンマンは平和になった村なり、牧場なり、山なりから、馬とか馬車に乗って去って行く。去りゆく後ろ姿を見ながら泣く美女一人…、ってなところだ。

 

というわけで、ストーリーはこの「文法」を忠実になぞって進行していく。主人公のガンマン、クレイトンは元公安官。「弱いもの」は殺人犯の濡れ衣を着せられた青年フィリップ。強大な敵は、法を味方につけ、さらに銀の採掘権の奪取を目論むサクソン三兄弟。タイトルで、思いっきり銀山という最終決戦の場が指定されちゃってるよ、おいおい。まあ、こういうわかりやすさが求められた時代があり、そこにマッチしたおかげで、マカロニウエスタンが商売になったってのも事実なんだが…。

 

で、クレイトンはサクソン兄弟がかけた懸賞金目当てにフィリップに襲いかかってくる有象無象と戦いながら、サクソン兄弟を追い詰めて最後には討ち果たす、というのが身も蓋もないネタバレ。「文法」に則った結末なんざ、最初からわかってるんだから、ストーリー中に、いかに自分自身で見所を探すかってのが、このテの作品鑑賞の醍醐味なんだよ!と強弁しておく。

 

この作品に欠けているのは最後に涙する美女くらい。一応、「弱いもの」の役割を担う、フィリップと、ひしっと抱き合う美女は登場するのだが、この美女はストーリーに関係なく、最後の最後でぽんって出てきて青年と愛を確かめて終わり。まあ、この取ってつけたようなシーンも粗製濫造のマカロニウエスタンの味わいだという好意的な見方も可能ではある。

 

悪役の三兄弟は変にスタイリッシュで銀山の利権を争うドロドロした人物たちがひしめく中では少々異質。クエンティン•タランティーノ氏あたりが、どこかの映画でオマージュを捧げそうなキャラ設定にはなっている。なんてなことを感じた上で、ちょっとググって調べてみたら、すでにタランティーノ氏は『キルビル』でこの作品のテーマ曲にインスパイアされた曲を使っているそうだ。さすが!目の付け所は少々違ったけどね(苦笑)。

 

この作品だけ観てしまえば、他の西部劇を見なくてもいっぱしの感想が述べられるというメリットのあった一作。西部劇とはどんなものかを要約したいときには便利、って普通の日常を送っている人間にはそんなことを求められる場面なんかほとんどないよね。