座頭市鑑賞記シリーズその3は、標題作。1967年に勝新さんが独立して勝プロを創設した後、初の座頭市シリーズ作品だとのこと。
おそらく勝新さんはかなり気合が入っていたのだろう。敵役の清滝の朝五郎に三国連太郎、敵の親玉須賀畝四郎に後の「黄門様」西村晃、市をつけ狙うヤクザ仁三郎に細川俊之、コメディーリリーフに唄子•啓助、玉川良一など、キャストが豪華。勝新さん自身も玉川良一演じる酔客との絡みでは、父杵屋勝東治氏仕込みの三味線まで披露するなどサービス満点と言って良い。
ただし、ストーリーはあいも変わらず。敵役の悪逆非道ぶりを散々に煽っておいて、最後は得意の居合で三下たちからメイン敵役まで斬って斬って斬りまくり、凄惨な戦いの後の虚しさを引きずりながら、舞台だった街から去ってゆく。
というわけで、いかに観衆の敵役に対する憎しみを煽り立てるかが作品の味わいとなるのだが、今回の敵役は素敵に憎々しい。まずは朝五郎。彼は、縄張り内の百姓がいかさま博打で金を巻き上げられ、背負わされた借財を肩代わりするため、金策に走り回るような義人。市は一宿一飯の義理のために草鞋を脱いだ先の親分岩井の富蔵(遠藤辰雄、この方座頭市シリーズでは毎回しみったれた親分という役柄で出てくる)に命じられて朝五郎の元に赴き、金を受け取るとともに、その情の厚さに大いに感動して帰ってくる。しかし、朝五郎は自分が十手を持って、「権力」を手に入れてしまった途端、今までの情の厚さは何処へやら、一気に無辜の民から絞り取れるだけ絞り取ろうとする腐った人物に落ちてしまうのだ。題名にした通り、「地位(権力)」にすっかり毒されて、民を苦しめることを楽しみに感じるまでに成り下がってしまったのだ。
そしてその朝五郎を手足の如く操って、搾り取った利得の上前をはねている悪の親玉が、代官の須賀。西村氏はギリシア彫刻を思わせるような端正な顔立ちで、物静かだが、しっかりと性根は腐った、変な美意識のある小役人を演じている。このキャラ設定、タランティーノ氏あたりの琴線をくすぐりそうな気がするなぁ…。浅学にしてこのキャラのオマージュを見かけたことはないんだけど。むしろこの役の方が誰かのオマージュなのかも知れないが、そっちの方にも見当はつけられていない。
悪役の悪さを引き立てるための役としての篤農家の大原秋穂なる人物を登場させているのも、この作品ならではの特徴。元々かなりの剣の腕前を持ちながら、生活の基本は農にありとして、剣を捨てて、農民に効率的な農法を指導すると同時に「人の道」まで説く大原にも市は大いに感心させられる。大原は、市にも「剣に頼る解決方法は結局憎しみの連鎖しか生まない」とも説く。なかなかに強烈なスパイスだ。
そしてこの大原が、農民を扇動し、一揆を起こそうとしたという疑いで投獄されるに至り、市の怒りが爆発、という運びとなる。大原が護送される道中を襲って、大原を逃すが故に「牢破り」という題名がつけられているのだが、この言葉の語感だと、牢獄という建築物を襲って脱走するというイメージに、どうしてもなってしまう。とはいえ、「道中襲撃」ではやっぱり語呂が悪い。当時もタイトルにはかなり悩んだのではないか。まあ、他にもタイトルと内容が全くそぐわない作品はあるんだけどね。