脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.173(休職日記10『うつ病になってマンガが描けなくなりました』読後感)

 

 

 

早いもので、昨年末から休職に入って半年経ってしまった。会社の制度上、休職に入って6ヶ月を過ぎると、「正式」な休職となるらしく、続けて7年休職したままだとクビになってしまうらしい。後9年経てば定年退職だから、もう、このまま「休職消化」で逃げ切っちゃおうか、などという、会社の経営者が聞いたら「わりゃ、確信犯的に病気装っとんのとちゃうんか?舐めとったら向精神薬大量に飲ませた上で、ビニール袋顔に被すぞゴラァ」と脅されてしまいそうな考えも頭に浮かばないではないが、一応復帰するつもりではいる。まあ、復帰したところで私に取っての明るい未来は会社にはないのだが。

 

文筆活動の方に軸足を移し、そっちの方向で食っていくことに努力する毎日ではあるが、文筆活動に専念するにしても、一般の社会人として生きていくのに必要なレベルまで気持ちを復活させなければならない。その一つのバロメーターはやはり、「普通のリーマン」として会社に通って仕事がこなせる状態に戻ることだろう。というわけで、今、会社で非常に忙しい思いをしている皆さんからすれば、サボっているようにしか見えないだろうが、ちゃんと私の中ではいろんなことと戦っているのだ!!と強弁しておく。会社の仕事から逃げたい、という気持ちに負けているのは事実だが、戦闘を放棄しているわけではないのだ。

 

さて、標題のコミックは、我々世代が大学生の頃に『コージ苑』、『勝手にシロクマ』などのギャグ漫画で一世を風靡した相原コージ氏の闘病記だ。ギャグ漫画家として、精力的に活動してきた相原氏は、50代後半に差し掛かった頃から、アイデア出しに非常に手間取るようになる。以前に読んだ↓によれば、

 

 

芸人というのは惨めな最期になることが運命付けられているという。加齢とともにカラダを張った笑いは取れなくなるし、その場その場で笑いを取るだけの「瞬発力」も衰えるし、しまいにゃセリフの滑舌までが悪くなって、笑われるよりは憐れまれるようになってしまう。

 

ギャグ漫画家も芸人に似た最期をたどるような気がする。加齢とともに体力が低下するから、新しいモノのインプットの量が減っていく。仮にインプットしたとしてもそれを消化するセンス、時宜に合わせて笑いに変えるセンスは年々鈍っていく。悲しいことだが、相原氏もそういう年齢に差し掛かってしまったようだ。とはいえ、近年の作品は決してつまらないとは思わなかったので、ギャグ漫画家としてのセンスが鈍っていたわけではなさそうだ。ただ、同じアウトプットによりエネルギーを必要とするようになってしまったらしい。

 

最初は漫画のネタ切れで済んでいた。これはこれでギャグ漫画家としては致命的なダメージではあるのだが、それでもまだ人間として生きていくことは十分可能だ。しかし、相原氏は思考力が極端に低下し、精神的にも身体的にもどんどん痩せ衰えていくのだ。そしてついに自殺を決意して、さまざまな方法を実施してみたそうだ。どの方法も死の前に襲ってくるフィジカルな苦しみに耐えきれず失敗に終わったようだが。

 

そして、いよいよこれは重症だということで、シャバと完全に隔離された精神病棟に入院することになる。上記の2冊は発病から入院、そして入院中の生活の一部を紹介している。たまにくすぐりは入るが、基本的には相原氏ご自身によるドキュメンタリー作品だ。

 

私の状態は相原氏に比べれば数段マシだし、普段よりも食欲はむしろ増しているような状態で過食による健康障害を注意しなければならないほどではあるが、それでも、自分自身の気持ちが自分にはどうすることもできない状態にあるというシンドさについては十分に理解できる。実際に自殺を考えたことだってないわけではない。今は会社の仕事に関しては全くやる気が起きないし、自分がやりたいことだと思い定めている文筆活動だって、何にも手につかない日がある。それこそ、身動き一つするのが苦痛でずっと寝床でゴロゴロしている日だってある。苦痛のもとである会社の仕事から離れて6ヶ月経ってもまだこの体たらくなのである。会社に復帰する日などというものは想像すらし得ない。

 

同病相憐むというか、相原氏の重篤さに比べればまだ自分はマシだと思えたことは一つ有意義なことではあった。このシリーズはまだまだ続くようなので、自分の病状と重ね合わせる意味も兼ねて追いかけていこうと思う。