脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

最後に一花何かやらかしてくれそうな気配を漂わせている「角川商法の始祖」 『最後の角川春樹』読後感

 

 

角川書店との最初の出会いは北杜夫氏の『どくとるマンボウ航海記』だったと思う。小学校の最後か、中学校の初めだったか、北氏の『どくとるマンボウ途中下車』というエッセイ集にすっかり魅せられた私は、北氏の出世作である『航海記』を買いに近所の本屋に走った。首尾よく買い求められはしたのだが、その時の角川書店の文庫本は、新刊本なのに、紙の色は既に古色蒼然としていたし、紙の裁断がいい加減で、ページが不揃いだった。「新潮文庫とか、講談社文庫はこんな小汚くなかったよな…」というのが買い求めた直後の印象。すぐに中身の方に夢中になって本の見てくれなんぞ大して気にはならなかったが、なんか安っぽい出版社だな、という印象は残った。

 

その後、中学に進学すると、図書館にドカンと置かれていたのが「角川文庫の100冊」という中くらいの箱。その年の角川文庫の100冊をそっくりそのまま全国の中学校に配るという太っ腹な企画だった。中学生にとっては少々背伸びしても追いつかない作品が多々あったが、確か筒井康隆氏の『農協月へ行く』はこの本から引っ張り出して読んだと記憶している。

 

で、この頃から角川で出版している本を次々映画化して、映画の評判が上がるとともに本自体の売上も上がるといういわゆる「角川商法」が本格化していった。今でいうところの「メディアミックス戦略」の嚆矢で、今の世では常識化しているが、当時は映画という芸術の一つを本を売るための手段にするとは何事か!!という空気が支配的だった。

 

私は、それほど小遣いがあったわけでもないので、映画なんぞ観に行くのはそれこそ3年に一本くらいだった。ただし、ながら族として聞いていた『夜はともだち』の中では角川提供の番組があり、そこで散々映画の宣伝が流されるので、何冊かは原作を買って読んだ覚えがある。さほどの熱心さはなかったが、見事に角川のメディアミックス戦略に乗せられていた一読者ではあったのだ。

 

このメディアミックス戦略は、森村誠一横溝正史大藪春彦半村良眉村卓らをベストセラー作家にさせ、映画の主演に抜擢することで、薬師丸ひろ子原田知世、渡辺典子らのスターも生み出した。

 

コトの是非はともかくとして、角川春樹という人物が起こしたムーヴメントはそれなりの経済効果をもたらしたことは事実だ。

 

表題の書は、角川春樹氏の半生を聞き書きという形でかなり詳細に記述している。角川商法のお話はもちろんこの書の根幹をなすものではあるが、生い立ちから、父親、実の母親と継母二人の母親、姉と弟、そして異母妹との関係性。國學院大学に入学後ボクシング部に入学し、学生運動の最中に、渋谷で200人を相手に大立ち回りを演じたこと、大学卒業後、角川書店に入社したのはいいが、ジェットコースターのように、社内の地位が上下動したこと、そして実弟歴彦氏との対立から角川書店を離れたことまで。出版人というより映画人というより、歴史の影で動いたフィクサーとか、反社会勢力の親分さんの一代記とでもいうべき波瀾万丈さが詰めこまれている。なお、角川氏は違法薬物の所持で逮捕されるという経験もしている。ヤクザの親分さんならさぞかしハクがついただろうが、彼に関しても人間の振れ幅の大きさという魅力の一部となっている。

 

そんな角川氏も、御歳80歳。著者伊藤氏は題名に「最後の」という言葉を冠したが、残された人生の時間の中で、もう一度世間をあっと言わせる仕掛けを何か角川氏が考えているだろうという予測のもとにあえて「最後の」を題名に入れたという趣旨の発言をしていた。まだ80というべきかもう80というべきか、私自身は本人にあったことがないので、その迫力みたいなものを直に感じたことはないのだが、文章を読んでいる限りは最後どころか、もう三つくらい大きなネタを抱えているような気がしてきてしまうのが不思議なところだ。仮に「最後」になるとしたら、それこそ華々しい散りざまになるのではないか。