脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

壮大なスケールで描かれる暴力と死と再生の物語 『テスカトリポカ』読後感

 

第165回の直木賞を受賞した、ダークサスペンス。

 

題名ともなっている「テスカトリポカ」とはアステカの神話の中で最も主要な立場にある神。後にこの地に侵攻してきたキリスト教徒たちによって土着の邪神として貶められ、おどろおどろしいイメージを纏いつかされた。アステカの文化においてはこのテスカトリポカに人間を生贄として捧げることが信仰の証だとされていたこと、また生贄を捧げるにあたっては生きている人間の心臓を抉り出すという儀式を行なっていたことも、血みどろを好む悪神というイメージを助長するのに一役買っていたと思う。

 

物語は、メキシコの小さな町に生まれた少女が日本に流れ着くところから始まる。この少女は合法的でないルートを通って日本に来て、そこで男の子を産み落とした後で亡くなる。そしてこの男の子は並外れた身体能力を持ち、道徳感が全くないというサイコパスとして成長していく。

 

次に舞台は再びメキシコに戻る。世界に冠たる麻薬大国であるメキシコでは麻薬の利潤をめぐり、常に巨大な悪の組織同士が血みどろの抗争を繰り広げている。ある日、対抗組織によって無人武装ドローンで邸宅を襲撃されたのがロス・カサソラスという国内最大の組織。この組織はメキシコの土着神、すなわちテスカトリポカへの信仰をその母によって叩き込まれた四人の兄弟によって統率されていたが、三男のバルミロを除いて全ての兄弟が惨殺される。傷つきながらも生き残ったバルミロは身分を隠し、姿を変え、メキシコの組織がまず手を広げてこないであろう東南アジア、インドネシアの街角に紛れ込む。

 

そこでペルー人としてコブラサテ(コブラの丸焼き)の屋台を営みながら、対抗組織に復讐を果たし、メキシコ国内の「王座」に返り咲くことを目指して現地や中国のさまざまな組織とつながることで裏社会での地歩を固めていこうとしている。そこに現れたのが、日本人タナカ。数カ国語を操るタナカはぱっと見商社マンのようだったが、実際は心臓の移植ではそれこそ日本一の腕を持つとされながら、日本の医療界から追放された医師だった。

 

メキシコ国内に攻め込みたいバルミロと、自分が打ち込んできた心臓移植の技術を思う様に発揮したいタナカは、得られる利潤の大きさにも惹かれ、非合法な臓器移植斡旋の商売を始める。ヤクザとか金貸しの皆さんが「金がないんなら臓器売ってでも作らんかい、ボケェ」と脅す類の臓器移植である。金に困った連中が売りに出した臓器を必要とされている金持ちたちに売り捌く。摘出手術はタナカが行う、という段取りだ。

 

何かの願いを叶えてもらうために自分の臓器を差し出す。一方は神、一方は「ビジネス」相手と対象こそ違うが、生贄システムそのものである。その結果として神からはさまざまな厄災からの回避が、ビジネス相手からは報酬が得られ、いずれも苦しみを減じることにはつながる。一方は崇高で、一方は現世の欲に塗れていながら、生贄を捧げるというシステムそのものはよく似ている。

 

やがて、このビジネスは、供給源を自ら作り出すことにも着手する。日本の反社会勢力の一つに、息のかかった寺に大きな地下室を設えさせて、各地から無戸籍児童を引っ張ってきて囲い込んで、「適合」した患者が現れたら即時に「供給」するというシステムを作らせるのだ。この移植ビジネスの背後には中国マフィアもイスラム圏のゲリラ組織までも絡んでいる。アンダーグラウンドのさまざまな勢力が巨大な利潤を産むシステムを巡って争い、血生臭さがだんだん高まっていく…。息をもつかせぬ展開で、一気に結末まで引っ張っていってしまう迫力ある文章は、長い通勤時間から眠気を取り去ってくれた。特に、バルミロがいよいよ反転攻勢に出ようとアクションを起こし始めてからの記述にはすっかり惹きつけられた。

この、おどろおどろしさを纏ったサスペンスは、しかし、最後には一つの救いを持って幕を閉じる。最初に登場したサイコパスの少年も結末までに重要な役割を果たすし、ここにもアステカの信仰が巧みに織り込まれている。あ、なるほどこういう結末の付け方もありか。実に佐藤氏の話の転がし方は巧みである。

 

血生臭いシーンが嫌いな方はともかく、エンターテインメント作品としての完成度は非常に高い一作だった。直木賞受賞は納得の評価であると思う。