脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

人間の病んだ部分を描くのが文学の本質であるとはいうものの…、実践する必要はないし、そもそも簡単にできる話じゃない 『文豪のすごい性癖』読後感

 

 

日本の文豪たちの様々な性癖(俗にいう色恋沙汰)を集めたトリビア本。なんとなく、「普通の本」を読む気分になれない時にふと見かけて衝動DL。

 

かなり以前に、文学の本質は人間の病んだ部分を取り出して、それを読み手に提示してみせることだ、という趣旨の評論を読んだことがあったが、この書で紹介されている文豪たちは見事にその私生活が病んでいる。詳しい内容は是非とも本文をお読みいただきたいが、不倫、悪所通いなどはまだ序の口で、略奪愛やら出鱈目な金銭感覚による借金の踏み倒し等々、およそ「まともな人間」とは思えないような所業ばかりが並んでいる。一つ前の投稿で、薬物の売人が自らの半生をほとんど加工なしに提供したドキュメンタリーの読み応えについて述べたばかりだが、なるほど、自らの実体験を優れた言語感覚で書き綴ることができれば、立派な文学作品が出来上がる。著者のトンデモ行動に振り回される周りの人間はたまったもんじゃないが、何しろ本人の作品と名は世に残る。

 

好き勝手やったことが、生活の原資となり、後の世の名声にまでつながるのだから、これは好き勝手やるしかない、と思うのは早計で、こういうトンデモ行動をやり遂げるのは相当なエネルギーが必要だ。例えば、不倫ひとつとっても、他の人に親愛の情を持っている人間の心を自分の方に振り向かせて、恋愛にまつわる全てのことを行い、さらに関係がバレてしまった後には、その解決に心身はすり減らされ、金銭的な補償が生じる場合もある。それで、多くの場合その後に待っているのは、一番辛いであろうと思われる別れである。書いているだけで嫌になってしまうようなことを、平気でやれてしまえるエネルギーはある意味羨ましい。私には、どう逆立ちしてみてもそんなエネルギーは湧いてこない。想像しただけで疲労困憊だ(笑)。

 

それだけのエネルギーを持っていなければ、後々の世にまで残るような文学作品は生み出せないということなのだろうか?だとすると、私の職業文筆家への道は果てしなく険しい(苦笑)。まあ、この本に登場してくるような文豪たちは、こういう状況が「好きこそものの上手なれ」とでもいうような状態、すなわち全然疲労を感じない状態であるからこそ、何度でも同じようなことを繰り返し、「上達」すらしていくのだろう。努力を苦労とは感じない状態というのもある意味至上の幸福ではある。

 

私のような凡人にとっては、まず億劫感が先に立ってしまって、絶対に実行にまで至らないようなグジャグジャな人間関係に踏み入っていくことが、数々のエピソードが示す通り、文豪への第一歩ということになるのだろう。いやはや。この本にあるようなエピソードは、それこそ飲み屋での与太話の際のちょっとした蘊蓄に応用するくらいしか、私には活かしようがない。