脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「田代まさしに薬物を売った男」として名を売った方が自らの境遇を語ったドキュメンタリー 『薬物売人』読後感

 

 著者倉垣弘志氏はやんちゃな青春時代を送り、そのまま、今でいう「半グレ」のような状態で違法薬物の売買に関わっていた人物。彼の売人時代の自らの生々しい経験と、現在は南の島で更生していることまでが綴られた一冊。

 

腰巻きには煽り文句として「芸能人への薬物提供」の文字が踊っているし、アマゾンなどでの内容紹介のリード文には「田代まさし氏への覚醒剤譲渡」の文字もあるが、ご本人と田代まさし氏の関わりはほんのわずか。薬物を渡し、金を受け取った一瞬だけのお話のようで、それこそネットなどで知りうる以上の情報は書かれていない。田代まさし氏にまつわる情報を得たい方には不向きの内容である。

 

本当に、会って、握手して、握り合った手のひらの上で薬物を渡した、というだけの関係らしい。倉垣氏によれば、同じ売人と関係を深く持つのは危険だからだとのこと。売人、買い手のどちらが捕まっても、警察による追及が容易になるというのがその理由だ。なるほど合理的ではある。こんな現場の知恵を活かすような身分にはなりたくはないが(笑)。

 

まあ、直接の罪状が田代まさし氏への覚醒剤譲渡だったということで、罪人仲間からも一目置かれ、その後、こんな本まで出すに当たってのハクまでついたのだから、一種の「人間万事塞翁が馬」的な事態となったのは間違いない。

 

さて、田代氏云々は別にして、この方の綴った体験の数々が脅威深かったのは事実だ。犯罪心理学の分野などでは実際に暴走族などの反社会的集団に入り、一緒に体験を積むことで、その構成員たちの心理にアプローチして分析を図るという手法があり、実際にその体験を元にした著作も少なからず世に出ている。標題の書は研究者が擬似体験的に現場に身をおいて体験したことでも、全くの聞き書き(実際はゴーストライターが噛んでいるではあろうが)でもなく、薬物の売買を生業とし、自身も薬物使用者であった方の言葉だから、やっぱり重みが違う。世の中の、それこそ綺麗事だけでは済まない部分が、当事者の生の言葉で白日の元に晒されているのだ。繰り返しになるが、この本は田代まさし氏の新情報を求めることについては全く役に立たないものの、誰もがよくわかっていない、都市の暗部を実によく描写してくれている。

 

もう一つ、本当に頭のいい連中は薬物との付き合い方もスマートであるということも書かれていた。薬物への依存度が強い連中はそれこそ薬の奴隷になって、薬を手に入れるために、家族をはじめとした身の回りの人間関係を破壊し、犯罪に走ったりして身を滅ぼす。付き合い方の上手い連中というのは、決して依存はしない。週末なら週末だけと決めて使用することで、一種のレジャーとして薬の作用を楽しみ、「表の生活」に支障がない程度におさめておくのだそうだ。

 

いやはや。決して褒められたお話ではないし、次から次へと強い刺激を求めることが「普通」である人間という存在においては、そういう自制心が勝つような人物こそ「特異体質」だと思うのだが、倉垣氏の顧客にもそういう人物たちは存在したのだという。初期の糖尿病で、摂取カロリーの制限が課されている現在ですら、たまに誘惑に負けてドカ食いをしてしまう私のような意志の弱い人物には想像すらつかない人物たちだ。何事によらず、依存しないという姿勢を貫ける人物にはある種の尊敬を覚えてしまう。

 

今でも、いわゆる「夜の街」には、そこかしこに売人たちが出現するスポットがあるようだ。若かりし頃から少なからず「夜の街」に出入りしたことはあっても、幸か不幸かそういう人物にはお目にかかったことはない。風俗店の呼び込みにだけは死ぬほど声をかけられはしたが(苦笑)。一度だけ、新宿駅の南口がまだ今のように開発されていなかった時分に、ちょっとした路地裏で、見るからに怪しそうな人物が、これまたとてつもなく怪しげな人物に、丼一つ分くらい大きさの、新聞紙にくるんだ塊を渡しているのを通りすがりに見かけたことがあったが、恐怖感を感じて全く気づかぬふりで足早に現場から離れたことを思い出した。あそこで、つぶさに観察していたら一冊くらい本が書けたかもしれないが、その前に新宿駅南口で命を落としていたかもしれない(笑)。