脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ナイアガラサウンドの源流を探る一作 『ナイアガラの奥の細道〜ルーツ・オブ・ナイアガラ・ポップス』鑑賞記

 

 

私のポピュラー音楽の嗜好の原点は、高校入学時に買い求めた『Niagara Triangle Vol.2』であり、かれこれ40年近く大瀧師匠のファンであり続けている。

 

それ以前はYMO山下達郎氏のファンだったのだが、この両者をつなぐアーティストとして大瀧師匠を意識し、大瀧師匠が、やはり私が高校入学時に強く意識していた佐野元春TBSラジオの深夜番組『ユアヒットしないベスト10』の常連だった)、杉真理(当時日産の車のCMソングがよく流れていた)とユニットを組むということで、是が非にもという感じで買い求めた一作だった。で、聴いてみたら当時の私の心境には実によくマッチした。世にはニューミュージックとアイドルポップスばかりが流れていたのが当時だったが、フォークの流れを汲んだニューミュージックの「四畳半」的な貧乏臭さもなく、またアイドルポップスが描き出す安っぽいラブソングの世界でもない、おしゃれな世界観に大いに惹かれたのだ。いろんなお遊びの入るアレンジも、「シンセサイザーでつくる音楽が最先端で、アコースティックな音楽なんて古臭い」と思っていた私の好みにぴったり合った。今思うと、実に狭小な趣味しか持ち得ていなかったと苦笑しながら振り返る他ないのだが。

 

兎にも角にも、今現在に至るまで音楽の好みのど真ん中にあるのはナイアガラサウンドであることは間違いない。

 

ところで、大瀧師匠の音楽に関しては、嫌う人も結構いる。主な理由は「ほとんど全てのフレーズが外国の曲のパクリだから」ということになるだろう。

 

まあ、しかしそんなことを言い出したら、日本のいわゆる歌謡曲の作曲家のほとんどは「完全オリジナル」などとは口が裂けても言えない作品ばかりを世に問うていることになる。また、「オリジナル」とされる海外のポピュラーミュージックだって、クラシック音楽からフレーズをパクってたりもするだろう。数学的にいうと、今ある音階の組み合わせというのはごく少ないもののようで、その中から、全くの新規に、心地よい(=世に広く受け入れられる)組み合わせを引っ張り出すのは至難の技だろう。

 

私自身は大瀧師匠というのは音楽におけるスタイリストまたはコーディネーターであると考えている。スタイリストは、現存する数あるアパレルの中からカッコよく見える組み合わせを考えて、皆の前に提示して見せるのが仕事。使っている服は服として独立して存在しているが、その組み合わせを考えることは著作権の侵害には当たらない。そしてその組み合わせは個人のセンスで、カッコよくもダサくもなる。やや暴論じみているが、要は聴いた際に心地よく感じられる世界を提示してくれるのなら、その出自は問わないというのが私の姿勢で、大瀧師匠の描き出してくれる世界は私に取ってはひたすらに快適だったのだ。だから責める道理がない、というのが私の理屈。他の理屈はあって然るべきで、私は別に他の考えを持つ人に宗旨替えさせようとか、私の考え方だけが正しいなどというつもりはない。

 

大瀧師匠はそもそも、「コピーよりオリジナルの方が上」という考え方には異を唱えているし、ある人が「あの曲は、A,B,Cの三曲からフレーズをパクったでしょう」と問い詰めてきたのに対し「君、三曲しかわからなかったの?その三曲の他にC,Dも使ってるよ」と切り返したりもしている。ある意味開き直りだが、私はこの考え方を支持する。さっきのスタイリスト云々のオハナシもあるが、日本には「本歌取り」という、オリジナルを踏まえた上で、新たに意味を付与する伝統的な和歌の技法だってある。大瀧師匠流の「本歌取り」が彼の作り出した作品たちだと考えても良い。

 

さて、紹介した3枚組のCDアルバムには、「なるほど、これがあの作品の源流か」と思わされる作品ばかりが収められている。聴く曲聴く曲「あ、このフレーズ『さらばシベリア鉄道』に使われてた」とか、「この曲は松田聖子の『いちご畑でつかまえて』のサビ前のフレーズに微妙に音を変えて使われてる」という発見ばかりだ。温故知新ではないが、新鮮な発見が多々あった。年季の入ったナイアガラーの皆さんに取っては「何を今更」的な作品ばかりかもしれないが、ファン歴は長くても、バックグラウンドを「学習」することにまで頭が回らなかった身としては、大瀧師匠が好んだポップスの世界の一端に触れられただけで素直に嬉しい。しばらくはヘビロテで聴きまわすことにする。