脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ラグビーを取り巻く「空気感」までが伝わってくるエッセイ集 『ラグビーって、いいもんだね。2015−2019ラグビーW杯日本大会』読後感

 

 

瀬戸内寂聴氏は、文学上の師匠である宇野浩二氏から「出来事を書くのではなく人間を描け」と指導を受けたそうだ。瀬戸内氏の場合は小説に関しての心構えだが、ルポルタージュにせよ、インタビュー記事にせよ「人間の姿」が浮かび上がってこない作品は読むに値しない。単なる事実の羅列だけなら、TVやら動画サイトやらで、実際の動画を観た方がよほど、生々しい実感を得ることができる。

 

あの場面で何を考えて、あのプレーを選択したのか?その決断に至るまでに、その選手はどのような経験を積み、その経験がどのように影響したのか?そして、決断の瞬間、その選手は周りの環境から何を感じ取ったのか?

 

パントキック一つあげるにしても、飛ばしパス一つ放るにしても、スクラムで組み勝つにしても、その瞬間瞬間の想いというのはそれこそ百万言を費やしても語り尽くせるものではない。

 

しかしながら、この難しい作業を楽々と(少なくとも文章には重ねてきた研鑽を感じさせるような重々しさはない)こなし、試合中のプレーのみならず、試合後のファンが集う酒場の雰囲気までを読者の心に想起させてしまうライターがいる。この本の著者であり、日本のラグビーライターのトップランナーである藤島大氏だ。

 

藤島氏はラグビーライターの傍ら、母校早稲田大学ラグビー部のコーチを務めたり、東京都立国立高校ラグビー部の指導に携わったりもしている。選手としての豊富な経験、強いチームと、発展途上のチーム両方のカルチャーを知り尽くした知見、そして、長年のラグビーライター歴で培われた、幅広い人間関係。

 

おもにTV桟敷での観戦だけで、もっともらしいことを言ったるだけの私とはライターの格が違う。単純に羨ましい。反面、まだ私にはそこまでん実力も「市場」からのニーズもないということこ思い知らされる苦々しい存在でもある。

 

試合前のカフェや、試合後の地元の酒場でのほんのちょっとしたエピソードから、その地におけるラグビーというスポーツの位置付けから、ラグビー以外の歴史に至るまでを語ってしまう。あらゆる蘊蓄に口を挟みたい私に取ってはこれ以上はないというお手本である。

 

ややウエットな文体であるところが私の目指す理想とは異なるところだが、何よりも多くの「現場」を知っているというのは強い。自宅の書斎が主な仕事場の私と違って、記事には血が通っている。

 

たとえば2019年の日本杯においては、アイルランドスコットランドには勝てる、いや勝ってほしい、という日本全体を覆った得体の知れない熱気と空気感の渦中に身を置きながらも、この二つのチームの歴史に裏打ちされた強さを冷静に分析してみせる。一つ間違えば「国賊

のレッテルを貼られてしまう社会情勢の中で冷静さを保つことは容易なことではない。

 

彼の冷静さは筋金入りだ。私は2011年のW杯の前に、とある酒場で行われたトークショーに参加したことがあるが、他の出席者が「NZにはさすがに勝てないが、ムラっけのあるフランスとは十分に勝負になる。トンガとカナダに勝つのは当たり前」というリップサービス込みのコメントを発する中、藤島氏だけは「1分3敗」という、その場の熱気に一気に冷水をかけるコメンとを残した。「いや(主催の)ラグビーマガジンの記事を読んでたら、どのチームも強そうなんで」と笑い話に変えてはいたが。実際は不幸なことに藤島氏の予想がズバリと的中してしまった。

 

叙情的な文章で、チームのみならず、試合が行われるスタジアム、そこに詰めかけるファン、試合後の酒場を描写することで、あたかも自分がその場にいたかのような錯覚を起こさせてくれる一方で、戦力分析に関してはあくまでプロとしての冷静な目を失わない。

 

まさにスポーツライターの鏡と言って良い存在である。私も、早くバシバシ現場に行って情報を集めて、追い越してやる!とう心意気だけは持っているのだが、実際の行動は全くともなっていない。まだまだ情報量、文章力ともに藤島氏の足元にも及ばないのは事実だ。いずれ、同じような立場で取材が可能になったら絶対に追い越してやる!「という情緒的な文章でこの稿を終えることにする。