脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

人生はピークを迎えた後の方が長い 『人生はそれでも続く』読後感

 

私は、結構「あの人は今?」的な企画は好きだ。それも、どちらかといえば、華々しいデビューを飾ったものの、その後はヒット曲に全く恵まれないいわゆる「一発屋」とか、絶頂期には寝る暇もないほどメディアに出まくっていたものの、とんと姿を観なくなったお笑い芸人とか、芸能マスコミが追いかけるような人を取り扱ったものが好きだ。

 

過去の栄光にすがって、いまだにいわゆる「営業」を地道に続けている人もいれば、全く別の分野に転職して暮らしている人もいる。こちらも、地に足のついた地道な仕事をしている人もいれば、派手な商売で芸能人の時以上に稼いでいる人もいる。

 

この方々たちに共通するのは、若くしてスポットライトを浴びたはいいものの、その後、大きな挫折を味わっているということ。その挫折をどう乗り越えたのか?あるいは挫折を乗り越えられず、恵まれない暮らしを続けているのか?下手なドラマを見ているよりはよほど面白いお話が存在している。

 

この企画を「市井の人々」にまで広げ、単なる興味本位の追いかけ記事から一歩踏み込んだものにしたのが読売新聞。「まじめな話題」の主として、ある時期大きな紙幅をさいて報道された人物たちのその後に迫っている。決して明るい話題だけではなく、家族を皆殺しにされ一人取り残された人物の長い苦しい日々を追ったものもある。月に一度ほどの企画だそうだが、長い場合には1年もの間取材を続けた上で記事にするのだという。速報性重視の名の下で日々の出来事の表層を伝えざるを得ない宿命を持った新聞としてはなかなかに意欲的な取り組みだ。読者からの反響も多い企画だという。

 

私が一番興味を惹かれたのは、千葉大への飛び級進学者のその後だ。そもそもこの本を読んでみようと思ったのも、ネットに載った、この方の紹介記事からだった。

 

で、この方、研究者としての生涯を若くして約束されたような方だったのだが、現在は大型トレーラーの運転手をしているという。理由は簡単。研究者では「食えない」からだ。

 

日本の特に企業の研究所というのは、いかに利益を上げるかに直結する研究を課題として出され、しかも1〜2年などという短期間で成果を上げることを求められる。学術的な期間で研究に勤しむ場合、論文の一つも書いて地位を上げないことには給料は安く据え置かれたまま。

 

技術立国を謳っておきながら、日本の学術界の現状はお寒いばかり。お金に執着しない仙人のような方もいるには違いないが、研究者だって人間だ。やしなうべき家族もいれば、自身が「人並みの生活」を営む権利だってある。研究者としてもらう給料では生活していけないとなれば、「食える」職業に宗旨替えせざるを得ない。彼の選択を誰も責めるわけにはいかない。責めるのだとすれば日本の社会環境そのものだ。

日本の強みであった、白物家電もIT機器も中国や韓国の後塵を拝している現状のなかで、逆転につながりそうなチャンスの芽を自らむしり取って捨てているような現状。今後のことを考えると暗澹たる気持ちにさせられる。たった一人の人生の変転の背後には、これほどまでに深く、暗い構造的欠陥が横たわっているのだ。

 

いずれにせよ、スポットライトを浴びるのはほんの一瞬だったが、その後の人生の方が長い。一度もスポットライトを浴びない人物からすれば、一度でも光を浴びた人物というのは羨望の対象なのかもしれないのだが、そこで光が当たったことがよかったのか悪かったのかは、それこそ死ぬ間際までわからないし、本人にしか判断のつかないことだ。そんな当たり前のことを改めて認識させてくれた一冊。是非とも続編を望みたい。