上田氏といえば、低迷していた母校慶應義塾大学を二度に渡って大学日本一(うち一回は社会人チームを破っての日本一も達成)に導いた名将として名高い。入試の難度が高く、早大や明大といったライバル校に比べ、人材的な不足感が否めないという環境下でいかにしてチームを強化し、日本一にまで導いたかに関しての「苦闘記」に関しては、当時それこそさまざまなビジネス誌で取り上げられたし、管理職者の心得やらノウハウやらとしてさまざまな形で世の中に「流通」した。
上田氏の指導方針の根本は「メンバーたちの『好き』をいかに引き出すか」であるというのが私個人の理解。上田氏はカラダの大小に関係ないラグビーという競技に取り憑かれ、プレーヤーとしてチームとして勝つにはどうしたら良いかについてさまざまに試行錯誤して突き詰めていった。そしてその突き詰める過程そのものも楽しんだ上できちんと結果も出したのだ。その経験から、指導者から強制されるのではなく、選手自身に勝つためになすべきことを考えることが楽しいと感じさせるにはどうしたら良いかを考えて指導したのだ。
好きこそものの上手なれとはよく言われる言葉だが、努力することを苦ではなく楽しいと感じることができればいつまでも努力することが可能だし、努力が成果に結びつきやすくもなるだろう。そうなればしめたもので、勝手に成果はついてくる。
こうした考えは、慶應の監督を退いて、女子ラグビーや少年院の少年たちへのラグビー指導に携わるようになってから、より進化していった。プレーヤーたち一人一人の特性や考え方をしっかり把握してきめ細かい指導を行う。そうした指導を本格的に実施し始めたところで残念ながら病魔に冒されてしまったのだ。
著者大元よしき氏は、上田氏がフジテレビのキャスター時代に綴っていたコラムの後任者として上田氏に見出された。そこから親交が始まり、上田氏が秩父宮ラグビー場で担当していたミニFM局でのラグビー試合解説番組にコメンテーターとして出演したり、少年院での指導を手伝ったりする中で上田氏の人となりを深く知ることになった人物である。標題の書も、本当は慶應の監督時代のお話よりは、特に少年少女に対して今後ラグビーの魅力をどう伝えていくかに紙幅を多く割く予定だったそうだが、残念ながら、志半ばにしての遺書という趣が強い書に仕上がってしまった。
上田氏は2015年7月に難病とされるアミロイドーシスにより逝去されたが、それから早8年。上田氏はジャパンの「ブライトンの奇跡」も初の世界8強進出も目にしないままにお亡くなりになられたが、世界の強豪との差が縮まった現在にこそ、上田氏のような指導者に若年層の指導を任せられたら、ラグビーの裾野はもっともっと広がったのではないかという思いを強く持った。改めてご冥福をお祈りいたします。