脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

スポーツの目的は勝つことか?それとも楽しい瞬間を味わうためか? 『10-ten-』読後感

 

ラソンランナーを描いた『HEAT』シリーズなどで、アスリートの試合中の事細かな心理描写をみせ、スポーツ小説ライターとしての評価が高い堂場瞬一氏の、大学ラグビー部を舞台にした長編小説。

 

主人公は二人。

 

一人は城陽大学ラグビー部監督七瀬龍司。城陽大学ラグビー部は進藤元(しんどうはじめ、という名前です。進藤「元」監督ではありません。ああ、ややこしい 笑)監督というカリスマ指導者によって、所属リーグの優勝常連校にまでのしあがったが、あと一歩で大学日本一にまでは届いていないという設定になっている。進藤監督は、リーグ戦を目前に急逝。ヘッドコーチであった七瀬が監督に昇格した。この七瀬という人物、高校で進藤監督の指導を受け、花園に出場した経験はあるが、大学は城陽のライバルである天聖大学ラグビー部の出身という一風変わったキャラクターを付与されている。

 

もう一人は進藤監督の次男で城陽のキャプテンでスタンドオフを務める、進藤直哉。ラグビーはポジションによって背負う背番号が決まっている。スタンドオフの背番号は10。チームの司令塔として他の14人のプレーヤーを操り、チームとしての力の最大値を引き出す役割を担う。プレー中に監督が指示を与えることができないラグビーというスポーツにおいては「現場監督」としてさまざまな意思決定を行うポジションである。

 

そんな二人の対立とお互いの心理描写を軸に物語が進んでいく。

 

進藤氏の指導したプレースタイルは、スタンドオフパントキックキックを上げ、そのボールの落下点めがけてフォワードが殺到するというもの。アップ&アンダーという名称で、往年の慶應大学ラグビー部がお家芸としていたプレースタイルだが、この小説が執筆されたであろう2008年頃には、もはや「役割を終えたプレースタイル」とされ、慶應もほとんどこの戦法は用いていない。

 

城陽は進藤監督の指導の下、この戦法を突き詰める道をとってきた。バックスに展開できるチャンスがあっても、とにかくスタンドオフの直哉がキックを蹴ってフォワードがその落下点に突っ込むという判で押したような戦法は、大学のリーグ戦レベルではそれなりに効果的で、直哉の入学以降リーグ戦は3連覇中。しかし、全国大会ではあと一歩のところで栄冠に届かない。

 

頂点を目指すためにどう指導していくのか?今までの戦法をさらに追求するのか?それとも新しい戦法で臨むのか?その答えを出す前に進藤監督は急逝してしまう。

 

七瀬はその迷いをそっくりそのまま引き継ぐ。そもそも七瀬の持つ「進藤監督像」は選手が自らプレーを選択し、自由奔放なラグビーを賞賛する指導者だったのだ。七瀬は部員たちの自主性に任せて、やってて楽しいラグビーを目指そうとする。しかし、城陽の部員たちは、アップ&アンダーの戦法に固執しているし、何から何まで監督の指導を仰ぐことが習慣化していて試合前後のミーティングでも、とにかく監督の意向を聞きたがる。自分たちで考えて議論しろと指導すると不満すら漏らす。

 

リーグ戦は順調に勝てていたが、チーム内には七瀬監督に対しての不満が渦巻く。直哉はその急先鋒。父の戦法を否定されたという反発心も加わって、ますます頑なに自らのキックを軸にした戦法にこだわり続ける。

 

そこに名門大学にはありがちな、有力OBの介入なんかもあって、グラウンド内外での戦いが繰り広げられていく、というのが物語のあらあらな筋立て。

 

この、型にはめるか、自主性に任せるかという判断は実に難しい。ヘボラガーである私自身は、そもそも指導もへったくれもないレベルでのラグビーしか経験したことがなく、そんな悩みとは無縁だったのでなんとも言えないのだが、ラグビーに限らず、日本のスポーツは国内で勝つためには「型にはめる」指導の方が結果が出やすい。約束事をしっかり決めて、その約束事を守るためのトレーニングを、できるまで強制的にやらせる。「勝利」は確かに競技する上での大きな喜びだし、指導者にとっては「実績」となるので、勝つために型にはめる指導を行う指導者は多いが、そんな競技はやってて楽しいのだろうか?有力校の指導者の暴力的指導が表面化するたびに「黙って俺について来い」的な指導方法の弊害は叫ばれるものの、「実績」を残す指導者が現にいる以上、今後も型にはめる指導者は一定数必ず存在するだろう。そしてそんな指導者のおかげで嫌気がさして競技を離れるタレントも少なからず存在し続けるのだろう。

 

自分たちの思う通りにプレーして、その上で結果が出れば一番良いのだが、これは才能に恵まれた選手が数多く集まって、お互いの能力をしっかり把握して、さらにさまざまなエクササイズを経てお互いの意図するところを瞬時に理解するまでにチーム全体を成熟させるという過程を経なければならない。7連覇を果たした頃の新日鉄釜石、あるいはやはり7連覇を果たした頃の神戸製鋼などがこのイメージに近いだろうか。ともに監督をおかず、選手たちの自主性に任せたトレーニングと、変幻自在のプレースタイルで勝ち続けた印象がある。

 

ラグビーの質の変化が激しい現在においては、実際に戦う選手の瞬時の判断力を鍛える必要があるが、これは「指導」して身につくものではない。指導者にできることがあるとすれば、ある環境下において、いかに多くの選択肢を持たすことができるかということになると思う。あとは選手が経験の中から学んでいくしかないのだ。この物語も、最後は七瀬が直哉に新しい可能性を示してみせ、そこに向けて努力していくことで、新しいチームが生まれる可能性を示唆して終わっている。