脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

やりがいは与えられるものではなく自分で作り出すもの 『「やりがいのある仕事」という幻想』読後感

 

 

最近にしては珍しく紙の本として買い求めた一冊。確か、メンタルクリニックの受診後に帰りの電車で読む本がないと気づいて本屋で衝動買いした。

 

メンタルクリニックで現在の私の不調の原因である「仕事」について話をした直後だったので題名を目にした瞬間に吸い寄せられるように手にしてしまった。著者森氏は名古屋大学工学部の助教授を務める傍らでミステリー小説を書き、たちまちベストセラー作家となって、今は好きな模型作りに打ち込む毎日を過ごしているという、羨ましい限りの経歴をお持ちだ。

 

私自身は今現在一番やりがいのある「仕事」は文筆業であり、これから死ぬまで、できれば文筆業者として食っていきたいとも考えている。森氏のように「手っ取り早く金を稼ぐため」に作品が書け、しかも書く本書く本全てがベストセラーになってしまうほどの実力は到底持ちえないだろうが、なんとか今の生活を維持するくらいの生活ができれば、執筆に専念したい気は満々だ。

 

会社で夢見ていた仕事には就けなかったし、かと言って今の仕事が楽しいわけでもない。会社は個人の欲求を満たすために存在しているのではないとは理解しているものの、実績を残せば希望は叶う、と言っておいたくせにいざ実績を上げたらそんなことは関係ないとど田舎に島流しにあった恨みは一生消えない。会社のために懸命に働くことが人格の向上にもつながるなんてのは、経営者が育成にかけた投資を回収するためにちらつかせる幻想にすぎない。

 

では会社を辞めないのは何故か?辞めたら食えない、という恐怖心に囚われてしまっているからだ。あるいは、こういう宙ぶらりんの状態が無意識のうちに自分にとってのコンフォートゾーンと化してしまっていて実は抜け出す気がないのかもしれない。

 

こうした仕事に関する悩みや迷いに関しての森氏の解答は単純明快だ。全ては自分が選び取ったことであり、その結果として今の自分の姿がある。それが気に入らないのなら別の道を探せ。嫌でも金を貰えていることがメリットだと感じるならそのままの状態を続けろ。全ては自分が決めることだ、というのが大まかな趣旨だ。

実に以ってごモットモ。自分の人生の進路なんざ他人に聞いて決めるものじゃない。そもそも他人に聞くにしても人間というのは無意識に自分の進みたい方向にプッシュしてくれる人から助言を得ようとするのだという。自分の中には漠然とながら結論はあるのだが、それを阻害する要因があるからこそ、その結論に向かって進むことができないってのが言い訳で、言い訳のネタはいくらでも出てくる。そこで言い訳してしまうのも「自分の選択」だ。

 

森氏のフラットな考え方と発言や文章は、受け手からすると「冷淡だ」とか「突き放されている」とか感じられるようだが、森氏は単純な真理を述べているに過ぎない。成功も失敗も自分の裁量と努力にかかってくるお話で、他人がシナリオを用意してくれるわけじゃない。成功へのシナリオをまことしやかに提示してくれるのはたいていの場合、詐欺だ。

 

こうした現実を示した後で、森氏はさらにクールに、努力することを「やりがい」と感じることにも疑問を呈している。私も先に述べた通り「会社の仕事」に関する「やりがい」は経営者がちらつかせる幻想に過ぎないとは思っているが、自分のやりたいことに関して努力することで得られる充実感は「やりがい」と考えて良いのではないかと思っている。問題はその「やりがい」がただの自己満足に終わってしまう場合が少なくないということ。私はなんとか自分の努力を自己満足に終わらせないためにも社会的評価として報酬を求めたいとは思っている。冷静な森氏はおそらく私が考える「社会的評価」についても「本当にそれが満足につながるのか?」という疑問を発してくるだろうとは思うが(苦笑)。

 

とにかく、今の自分には文筆業者として食っていくための努力を続けることが最優先事項だということについて、何度目かの認識をし直した。