脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

考えれば考えるほどわからなくなるけど、一つだけヒントをもらえた一冊 『天皇とは何か』読後感

 

 

独特の「井沢史観」で知られる小説家、井沢元彦氏と伝統的な宗教から新興宗教まで幅広く研究し、さまざまな形で言及している宗教学者島田裕巳氏との対談をまとめた一冊。題名の通り、「天皇」という存在について歴史的、宗教的にアプローチし、今後の天皇並びに天皇制というもののあり方について語り下ろしている。

 

この本の出版年は2013年なので、ここ数年を代表する皇室関連問題である「眞子さま結婚問題」については全く触れられていない。英国のヘンリー王子の王室脱退問題やら、チャールズ皇太子の再婚問題などとより詳細に比較していただきたかったが、まあこの一冊が企画された時点では、眞子さんと小室氏は知り合ったか知り合わないかくらいの状態ではなかったかと思われるので仕方ない。

 

さて、「天皇」とは現行の日本国憲法下では「国民の象徴」と定義されている。「普通」の国民には必ずあるはずの選挙権や、戸籍、名字がなく、私有財産もないが、日本国民にとってはなんとなく「偉い方」だと認知された存在だというのが一般的なイメージであろうと勝手に推測しておく。

 

だがよくよく考えてみればこの「象徴」という言葉で表される存在の実態は曖昧模糊という言葉をそのまま当てはめるしかないほどよくわからない。

 

なぜこんな状態に現在の「天皇」は祭り上げられてしまったのだろう?

 

そこには、武力で世を治める「覇者」よりも徳によって治世する「王者」の方を尊ぶという儒学の影響を受けた武家政権が「天皇」の王者としての徳を利用し、あくまでも天皇に成り代わって政務を担当するという形を取り続けてきた歴史がある。そして、第二次大戦の敗戦国となった日本を平和裡に民主化するにはこの「天皇」の徳を利用すべきだという判断をGHQが下したことにより、象徴天皇制などという摩訶不思議な国体が生じたのだ。極々荒っぽく私なりに天皇の現状を概観してしまうと上記のような理解となる。

では「国民の象徴」って一体どんな存在なんだ?

SF小説の大家小松左京氏の代表作に『日本沈没』という作品がある。この作品は地球規模の地殻変動の影響で日本という国の国土が完全に水没してしまうまでを描く第一部と、その後の日本人たちを描く第二部で完結する物語だ。1973年に出版された第一部で描かれた「日本という国が地球上から物理的に消失してしまう」という衝撃のストーリーがある意味独り歩きをしてしまったのと、谷甲州との共著という形で第二部が出版(2006年)されるまでに30年以上の時を経てしまったため、多くの人の中では日本が沈没してしまった時点で物語が終わってしまっているであろうと推測する。実際に私も二部はまだ読んでいないし、映画やドラマなどで再三取り上げられるのは衝撃の強い第一部のストーリーばかりだ。しかしながら、この作品は実は日本がなくなるという衝撃を描くことが本来の目的ではなく、本当は「国土」を失った後の「日本人」がどのような生き方をしていくのかを描くことだった、というのを小松氏がエッセイにしていたのを読んだ記憶がある。故に当初は題名も『日本沈没』ではなく『日本漂流』にする予定だったとのことだ。

 

この第二部では天皇家はスイスに避難したという設定になっているらしい。何しろ私は作品を読んでいないので、標題の書の中の井沢氏の紹介に従うしかない。で、世界の各地に散らばった日本人たちが「日本」という国を文字通り再建しようとした際に、その旗印として戴こうとするのが「天皇」という存在なのだ。「日本国民の象徴」としての天皇が「実際」に意識されるのは確かにこんな時でしかないだろう。

 

ロシアがウクライナに侵攻したという報道が日々大々的になされているが、例えば、北方四島を起点としてロシアが攻め込んできて、日本が軍事的脅威に晒された場合に、日本人は一体何を精神的な支柱にして戦うのだろうと考えた際に、一番イメージしやすい存在であるように私は思う。家族や愛する人たち、私有財産を守るという現実的な戦闘への意志とは別の次元で、「国を守る」という概念を抱いた時に、比較的早い段階で頭に浮かぶ存在である。まさに「日本国民の象徴」だ。

 

とはいえ、理屈もヘッタクレもなく、戦って死ぬ決意を持てるほどの強大な存在ではない。そんな状態も「象徴」と呼ぶのにふさわしい。この駄文の題名にもした通り、存在に関しての一つのヒントだけは得ることができたが、まだまだ「実体」を掴むのには程遠い状態にあるのが「天皇」という存在である。