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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

問題先送りは江戸時代からの伝統?それとも確信犯? 『動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実』読後感

 

 

久しぶりに読んだ井沢元彦氏の歴史書。表題の書では、幕末から明治維新に至る史実を追いかける中で、徳川システムすなわち江戸幕府の「根本思想」の確立の過程とその崩壊を描いている。もちろん「井沢史観」とでもいうべき井沢氏独特の視点による解説付きだ。

 

江戸幕府の始祖といえば徳川家康。彼の名を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、天下を取るまで忍耐に忍耐を重ねる姿では無いだろうか。戦国の世を生き抜き、最後の最後で天下を平定した家康は用心の上にも用心を重ねる人だったとのことだ。2000年代から2010年代の前半にかけては「想定外」などという言葉が流行り、定着した。その期間に目立った人物が使ったこともあったし、実際に想像を超えるような大きな震災も発生したからだが、家康という人物は「想定外」という事態を想定し得ないようなリスクヘッジを行った。

 

まず第一に、徳川政権にとって最大の抵抗勢力である豊臣家を二度の大坂の陣で跡形もなく葬り去った。そして征夷大将軍として治世者としての最高位に上り詰めた後には、抵抗勢力を発生すらさせないよう、朱子学という、為政者に一番都合の良い学問だけを学ばせることを武家に義務付けた。そればかりか、豊臣家亡き後の「仮想敵国」を薩摩の島津、長州の毛利であると想定し、万に一つも江戸に攻め上がって来られないよう、熊本城をはじめとして仮想敵国から江戸に至るまでの道中の要所には堅固な城を築いた。それでもこの仮想敵国たちが防衛線を突破してきた際に備え、甲州に最後の砦となる城を築いた上で、そこまで一直線に逃げられる甲州街道を家康守護のシンボルであった服部半蔵の名をつけた江戸城半蔵門直結で整備した。

 

これだけでもいい加減しつこいな、と思わされるくらいだが、徳川家にとっての朱子学の最大の矛盾、すなわち武力によって世を統べるようになった「覇王(もろに徳川家のことを指す)」はいずれ滅び、天から使わされた徳のある王者(これもずばり天皇のこと)こそが絶対の統治者となるという考え方に対しても抜かりなく対策を立てている。水戸徳川家の存在である。表向きは徳川家の血をたやさないための「ストック」ではあるが、創設以来、水戸徳川家は尊皇を第一に考えることを旨としている。天皇を担いだ勢力が登場してきたら、創設以来の哲学を披露して天皇方に味方し、徳川家の存続を果たすという仕組みだ。

 

いやはや。明日をも知れぬ戦国の世を生き抜いて天下を獲るためには、途方もない想像力による危険の想定と、その危険を回避するための十重二十重の対策が必要なのだということに改めて気付かされたし、家康という人物の周到さには恐れ入るばかりである。

 

では、ここまでやった徳川家の世はどうして存続し得なかったのだろうか?答えは簡単、家康の想像力をもってしても及ばなかった事態、すなわち技術の進歩である。江戸末期までは日本と取り巻く海がいわば堀の役目をして、諸外国を寄せ付けなかった。しかし、蒸気機関の発明により、長い航海にも耐えうる丈夫で大型な船が出来たことで、先進国である、欧米諸国が容易に日本沿岸にアクセスできるようになったことと、火薬や製鉄の技術革新で、武器の性能が格段に上がったことで、海上から直接江戸城を狙うことが可能になってしまった。

 

黒船の来航というのはまさに欧米諸国の先進性と、日本の軍事力の低さを痛感させられた出来事なのだが、ここで朱子学のもう一つの悪の側面が影響してくる。軍事力を上げるためには海外の技術を学ぶ必要がある。学ぶには積極的な交流が必要だし、学ぶための原資を得るためには貿易によって利益を得ていくことも必要となる。しかしながら、朱子学という毒に骨の髄まで侵されてしまった幕府のお偉方は、外国の人間は全て野蛮人であるからそこから学ぶことはないし、商業などというのは一番卑しい職業であるから、そんなことを進んで行う必要はない、と切り捨ててしまったのだ。海外の脅威を説く人物もいたのだが、悪いことを口にすればその悪いことが実現してしまうという、江戸時代よりさらに古代から日本人が持ち合わせる「言霊信仰」も徳川幕府にとっては悪い方に作用した。

 

外国の力を思い知らされた結果、積極的にその先進技術を学ぶ方向に転換した仮想敵国の薩長は着実に力をつけ、ついには徳川幕府という統治体制を終焉させたのだ。

 

なお、井沢氏によれば、時の幕府老中首座の阿部正弘は全くのバカではなく、黒船の来航についても、情報収集などからある程度予測はしていたそうなのだが、ある意味確信犯的に来航するまで無為無策でいたそうだ。実際に黒船が来て、その脅威を目の当たりにするまでは、阿部以外の幕閣を動かすのが難しいと感じていたためだし、予測はできても何が適切な施策であるかまでは思いつけなかったのだろうと推測する。

 

さて、この、どこからかいつの間にか、未知の脅威が襲ってきて、対応に右往左往するという事態には多くの方が心あたりをお持ちだろう。そう、昨今世に蔓延っているコロナ禍というやつとそれに対する政府の皆様の対応だ。緊急事態宣言とか、蔓延防止重点措置とかいろんなことをやっているが、目先の感染者数をとりあえず下げるための小手先の策でしかない。厳しくロックダウンしてその間にワクチンの接種を進めるという海外の先例があるのにそれに倣おうとしない。国民の犠牲を強いる時間稼ぎはしてはいるものの、根本的な対策はいつまで経っても進んでいかない。まさに問題の先送りだし、自然免疫ができるのを待つために確信犯的に対策を遅らせているのではないかと勘ぐってもしまう。

 

朱子学では改革を行おうとすると「祖法に逆らうな」、すなわち優れた先人たちの施策を否定するような改革はすべきではないという精神的な圧力がかかるそうだが、祖法をしっかりと守り続けてきた江戸幕府は祖法を守ったまま崩壊した。無節操に考え方を変える必要はないが、今までの考え方では到底対応しきれない異常事態が発生している現状においては、例えば、一定期間全ての製造業にワクチンを製造させるなど、実現不可能と思われることへチャレンジすべきではないか?明日から緊急事態宣言が4都府県で発出されるが、せめて我慢の後には何かいいことがあるくらいの希望の光を見せて欲しいものだ。面倒なことを先送りにするという悪祖法はこの際是非捨て去ってほしい。