私が一番最初にこの作品を観たのは1977年制作の、石坂浩二が金田一耕助を演じたもの。最高権力者様が観ていた横に座って、時折別の本を読んだり居眠りしながらの片手間鑑賞だったので、筋立てもおぼろげにしか覚えていないのだが、今回鑑賞した1961年制作の高倉健主演作は、記憶とは全く違う筋立てのものだった。
ちょっとググって調べてみたら、それもそのはずで、1961年版は、原作のエッセンスをとり入れてはいるものの、全くの別のオハナシと言って良いくらいに再構成されてしまっている作品なのだそうだ。
冒頭、舞台となる岡山県鬼首(オニコウベと読む。ちなみに宮城県には同じ読み方のスキー場と温泉があり、宮城県に多少の縁のある身としてはオニコウベと聞いてまずそちらを想像してしまい、横溝正史に宮城県を舞台とした作品なんてあったっけ?とも思ってしまった)村の長者、仁礼家の長女で人気歌手である和泉須磨子(このすまこ、という名が「スマホ」に聞こえて困った 笑)が殺害されてしまう。彼女は故郷鬼首村に伝わる手毬唄を大々的に売り出したところ、何者かに脅迫状を送り付けられたので、金田一にその犯人の捜査を頼んでいたのだ。
しかし、この大々的な売り出しはかなりの無理がある。思いっきりのおどろどろしいメロディーの童謡というか、民謡というかそういうものを美々しいドレスを着てフルオーケストラを背に歌う場面が映し出されるのだ。後の世の紅白で、衣装というよりは装置と言って良いとてつもなく派手な仕掛けの中で、年老いた母への愛を歌い上げた小林幸子もかくやと思わせるほどの、ドミスマッチである。まずそんなところに目が行ってしまった。
次は須磨子の依頼を受けて鬼首村に乗り込む、健さん演じる金田一が颯爽としていすぎ。左ハンドルのオープンカーで田舎の温泉宿「亀の湯」に乗り付けちゃったりするのだ。健さんをカッコよく見せようとするのはいいんだけど、警視庁嘱託とはいえ、外車買えるほどの収入なんかあるのか?とここでも余計なツッコミが入ってしまう。石坂版以降のモジャモジャ頭で金のなさそうな書生風の衣装の金田一のイメージが強い身としては、ここ最近見た三作(この作品と、『吸血蛾』、『三本指の男』)の金田一はスーツをビシッと決めた身なりの良い二枚目ばかりでどうもイメージと合わない。まあ、ヒーロー像なんてのは時代と共に移り変わるものだし、そもそも石坂版の前までは金田一の一般的イメージは「カッコいい」ものであったのだろう。
さて、依頼人須磨子が殺されてしまったこともあり、金田一は鬼首村に何か謎があり、その鍵となるのが件の手毬唄なのではないかと考え、仁礼家の次女里子(太地喜和子。若い!下ぶくれのほっぺがキュート。この作品では志村妙子名義)の大学の友人遠藤と共に捜査を開始する。そこで金田一と遠藤にはお約束の厄難やら、妨害やらが襲いかかってくる。ついでに言うと仁礼家の長男源一郎も殺されてしまう。しかもこの殺人は自殺を装わされていた。この厄難やら妨害やら偽装自殺を仕掛けてくるのは誰で、どんな意図によるものなのか?これはこのストーリーのキモとなるので、ここではこれ以上は語れない。ストーリー展開および結末は実際の映像をご覧ください、としか言いようがない。ただ、後になって作られた「原作に忠実」な作品たちと比べて違いを探してみる、という鑑賞法はそれなりに興味深いと思う。
下手に凝った仕掛けを作るよりは、人気者の健さん出しといて、短時間で撮り切ってしまったんだろうなというのが率直な感想。仕上がりは悪くないのだが、最初に濃い豚骨スープのラーメン食った後に、淡い出汁の吸い物を啜ったような変な物足りなさを感じた一作だった。