脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

支離鬱々日記Vol.127(もろにお題その2)

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

今日も今日とて、引越しの荷造りが続いているが、朝寝が大好きな最高権力者様が起き出してくるまでの早朝の短時間だけは自由に使えるので、息抜きを兼ねて、お題に乗っかってみるシリーズその2行ってみよう。

 

10年間の変化か…。変わったようでいて変わっていないのが日常だし、改めて考えてみると随分と変わっているのも日常だ。思いつくままにつらつら書いて行くことにする。

 

最初に思いつくのはラグビーかな。10年前はまだ現役で、20代の奴らに混じって、クラブチーム選手権なんかにも出場してた。もともとなかった持久力は加齢によりますます衰えてはいたが、スクラムに関してだけはまだまだ勝負になると思っていたからだ。筋力の維持向上のために週に2〜3回はジム通いしてたし、休日には近所の公園を走ったりもしていた。で、実際にスクラムで負けたと感じた試合はあまりなかった。

 

ところが加齢は思わぬ形で現れてくるもので、ある日の試合でスクラムを組む際に、相手とかなりの勢いでぶつかり、直後から背中のあたりに強烈な痛みを感じた。なんとか試合をしのいで、整体に行ったのだが、痛みは引かず、整形外科に行ったら胸椎ヘルニアの診断を受け、医者から「命に関わる可能性があるから、ラグビーなんていう激しいスポーツは控えたほうがいい」と言われてしまったため、引退を決意。

 

実に寂しかった。20年以上も打ち込んできたスポーツから離れることが心身に多大なダメージを及ぼすことを実感した。その後、5年ほどの空白期間を経て、シニアチームに加入し、「自分の納得できる範囲で最大限の努力をする」という覚悟でプレーすることで何割かは精神の「ハリ」は取り戻せた気はするが、でも、もう年齢に関係ない「現役」でいることは叶わないので、命を張ってもいいと思えるような気持ちの高揚はない。ちなみに現役引退後ほどなくして、職場が変わったが、その職場では職務も人間関係もうまくいかず、二度も休職する羽目に至った。その一因には真剣勝負のラグビーから離れてしまったことがあるように思う。

 

ラグビーといえば、日本におけるラグビーの「位置」は劇的に変わった。2011年のW杯までは通算で1勝しかできずに「お情け出場」だのなんだのと陰口を叩かれ、典型的なマイナー競技に陥ってしまっていたが、2015年の南ア戦勝利、いわゆる「ブライトンの奇跡」で一気に潮目が変わり、自国開催の2019年W杯では史上初のベスト8入りを果たし、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。低減傾向に歯止めがかからなかった競技人口も回復しつつあるようだし、このままの人気を保ち続けていただきたいものだと、切に思う。昨今のコロナ禍でジャパンとしての活動に支障が出ているし、国際試合そのものの数も減っているし、今夏の五輪の7人制ラグビーは男女ともに惨敗だったりと、逆風ばかりなのが気がかりだが、2023年に躍進を遂げられれば、また一瞬で風向きは変わる。なんとかもう一度強いジャパンを魅せていただきたいものだ。

 

ちらっと先述したが、この10年で職場は2回変わった。最初の異動で配属になった部署が、これまでの会社人生では最悪の部署だった。業務には全く興味が持てなかったし、人間関係も最悪で、結果として2回も休職を余儀なくされた。おかげさまで、会社からは完全に余剰人員扱い。二度目の異動でいわゆる出世などには絶対繋がらない部署に移り、これまた絶対に出世には繋がらない業務を割り振られて捨て扶持をもらってめでたく飼い殺しである。

 

虚栄心と言う名の上っ面の向上心だけはまだ持ち合わせているので、会社の仕事とは別のところでなんとか自己実現ってやつを果たそうと、日々文章修行に励んでいる。ただ、文章修行に励むことが本当に自己実現なのかという疑問は常に内在する。捨て扶持をもらいながら、好きなことにエネルギーを浪費しているだけではないか?と内なる自分が時折自分を責めてきたりするのだ。好きなことをやってカネがもらえることが最高の幸せのはずだ、と言い返しながらも、責めてくる声にもそれなりの重みがあると思わざるを得ないという葛藤の日々である。

 

2019年には何の因果か、オペラってやつに小さいながらも役付で出演した。出演した団体は素人集団で、お世辞にも質が高いとは言い難かったが、それでも、演じるとか歌声で聴衆に何かを訴えることの難しさや奥深さの一端には触れることができた。ドラマや映画などで、簡単に演者の演技を酷評していたのが恥ずかしくなるほど、人前で何かを演じるということについて考える機会となった。この経験は継続していきたいと考えていたのだが、これもコロナ禍の関係で大声を出すことがはばかられる雰囲気だったり、喉の調子をおかしくしたりで、団体の活動には参加できないまま、故郷に移住することになってしまった。故郷で落ち着いたら、改めて楽譜の読み方から学び直そう、と考えている。こっちに関しては自分で宣言しない限りは「現役引退」はないので、一生モノの挑戦にしていきたいとは思う。

 

最後に、1番の変化は何と言っても故郷に戻ることを選択したことだろう。会社という場に集まる必要性というものが社会的に低下したということも1つの要因だが、一番は母親の衰えが激しいこと。往年に比べちょっとした動作が驚くほど鈍くなっているし、記憶力も衰えている。言動もおかしなものが増えている。まだまだ介護レベルとしては軽症の部類に入るが、この衰えの坂道は決して逆転することはない。衰えの速度を遅くすることしかできないので、手が打てるうちに手を打っておくための移住だ。新しい家が建ったことは素直に嬉しいのだが、今後の通勤や介護のことなどを考えると、手放しで喜んでばかりもいられない。旧友との交流を復活させたり、暮らし方を様々工夫したりと楽しみの方が多い、と無理やり信じ込んで生活して行くしかないだろう。