脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

これはバックスの視点 『脱・筋トレ思考』読後感

 

脱・筋トレ思考

 

ラグビー元日本代表にして、現役引退後は合気道などを深く学び、カラダの有効な使い方を研究し続けている平尾剛氏の、トレーニングに関する「哲学」を記した一冊。

 

平尾氏の解くところは明快だ。筋トレをガンガンやって筋肉を「つける」よりも、必要な技術を身につける間に「ついた」筋肉こそが競技の場で最も力を発揮する。ゆえに、マシンやダンベルで無理やり筋肉をつけるよりは、自らの感覚を重視したり、必要な技術をしっかり練習することで結果的に筋肉がついてきた、という状態こそが最も望ましいというものだ。平尾氏自身が、無理に筋肉をつけるための筋トレを行った結果として、カラダが重くなり、最も得意としていたステップワークに支障を生じたという経験から導き出した結論だ。

 

そして、筋トレ偏重の考え方に疑問を呈した平尾氏は、過酷な筋トレを強いることは勝利至上主義につながり、選手の肉体を損なうばかりか、とある大会以降の選手の競技人生、さらには人生そのものも歪めてしまうとも述べている。

 

私は中高と剣道をやっていた。剣道という競技は、基礎体力はもちろん必要だが、それ以上に平尾氏の言うところの自分自身の感覚や、間合い、技を繰り出すタイミングなどの方がモノを言う。そして、そうした「筋肉以外」の部分を鍛えるにはやはり、実戦に近い稽古を繰り返すことが一番だ。そういう稽古を繰り返すことで、私の場合は結果的に筋肉もついてきた。

 

ゆえに、平尾氏の主張はよく理解できる。毎日ただ走ったりダンベル持ち上げたりしてりゃ、試合に勝てるわけではない。早く動くのに必要な筋肉や基礎体力は必要だが、それ以上に相手との駆け引きや間合い、呼吸の方が重要だというのは事実だ。

 

ラグビーに関しても、バックスは剣道と同じように「筋肉以外」の部分の鍛錬が重要であることは理解できる。一方でこれはやはり平尾氏のポジションがバックスであったことによるやや偏った見方であるようにも思う。

 

バックスはいかに相手に捕まらずに前進できるか(トライできるか)が勝負で、バックスのプレーシーンでは確かにパスの技術やステップのタイミングなどの感覚を研ぎ澄ますことが重要になってくるだろう。

 

しかし同じラグビープレーヤーでもフォワードは違う。バックスにも共通するような技術を持ち合わすに越したことはないが、相手を止められない第三列、ボールの争奪戦に勝てないロック、スクラムの弱いフロントローはいかに技術が高くてもセンスが良くてもフォワードには必要ない。フォワードに一番求められるのはパワーであり、そのパワーを十分に発揮するための勇気だ。勇気はともかく、少なくともパワーを身につけるには筋肉を太く、強くするためのトレーニングは不可欠だ。ゆえにフォワードに関しては「結果的に筋肉がついた」などとまどろっこしい練習だけをしているわけにはいかない。時には無理にでも筋肉をつけるようなことも必要となってくるように思う。

 

どんなトレーニングを行うにせよ、一番肝心なのは「自分で考えて納得した上で行う」ということだろう。何でもかんでも指導者の言うことを聞いてりゃいいってもんでもないし、サボってちゃいつまで経っても何も鍛えられない。試合や練習の場で、自分に不足していることは何で、その不足分を補うためにはどんなトレーニングが必要かをしっかり考えて鍛えていく。方法が間違っていたり、自分に合わなかったらその方法に固執せずに柔軟に変えていく。こうした方針は「自分で考える」ことの鍛錬にもつながるだろう。

 

中学や高校などのステージでは、厳しい指導者の方針に従った者しか試合に出られないなどということもあろうが、そうした体験は次のステージで活かすことを考えて、適度に距離を保っておくことも大切だ、と言う平尾氏の主張には賛同できる。一番肝心なのは、中学、高校レベルの指導者から「勝利至上主義」を排除することだろうが、それは残念ながら一朝一夕で為るお話ではない。今の所は個人で「対策」を持っておく他はない。