脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ひろゆき氏の「視点」だけは見習う価値あり 『自分は自分、バカはバカ』読後感

 

 

日本最大の電子掲示板「2ちゃんねる(現在は5ちゃんねる)」の創始者ひろゆき西村博之)氏の心の持ち様を記した一冊。

 

リモート出演するTV番組などでは歯に衣着せぬ物言いで物議を醸し、また各種メディアでさまざまな人と論争を巻き起こしている方、というのがこの方に対する私の印象。直近では、やはり一癖ある物言いが特徴の堀江貴文氏をして「彼は論争のための論争をして、しかも自説を曲げることを一切しない」という趣旨の発言をせしめたが、飄々とした物腰ながら、確かにこの方、自説は曲げない。また、ネットで有名になった方につきものの、日々に有象無象から投げつけられる膨大な数の罵詈雑言にも動じない、非常に強い方だという印象も持っていた。こういう方を好ましいと思うか否かはちょいと脇に置いておいて、彼のこの強さは一体どこから来るのか、ということに興味を覚え衝動DLした。

 

結論から言おう。このかたは徹頭徹尾、物事を他人事としてみているのだ。ただし、無責任というわけではない。人柄云々への好悪は別として、本当に無責任な方であるなら、一緒に仕事をしようという人は集まって来ないわけで、やるべきことはしっかりやっているはずだ。ただし、自分のこととして悩んだり苦しんだりすることをしないのだ。直面している問題に対して、過剰な思い入れを持たず、感情的なお話は一旦脇に置いて、問題点の解消に絞った活動だけを行い、解決した後はもちろんのこと、拗れた場合でも徹底的に傍から見た視点で、ひたすら解決策を見つけて実行していくという姿勢だ。

 

彼のこの視座は徹底していて、自分自身をも他人であると捉え、内なる他人を効率よく働かせるにはどうしたらいいか、喜ばせるにはどうしたらいいかを考えているそうだ。

 

自分の取り巻かれた状況を客観視して、問題の解決のみに絞った行動に徹する…、出来そうで出来ないことの典型だ。問題が困難であればあるほど、「この問題が解決できなければ死んでお詫びしなければならない」という気持ちが募るし、逆に「この問題を解決できれば一段階上の人間になれる」などという過剰な思い入れも生じてしまう。

 

うそうそ。会社の仕事で失敗したところで、死ぬ必要はないし、首尾よく解決したところで、同じ部署の人間からちょっと賞賛されるだけのお話。広く考えたってせいぜい、失敗したままなら会社をやめなきゃいけないか、成功すれば給料がちょっと上がるだけのお話。その程度のことで深刻になるなんざバカもいいところだ。なんだかんだ言いながらも、幼少時から叩き込まれた滅私奉公を美徳とする考え方は心根の深部に文字通り根強く息づいているし、仕事に打ち込むこと=人間的な向上という考え方なんかは、もはや哲学も超えて宗教の領域にまで入り込んだド正論である。

 

なるほど、自分が望んだ仕事なら、その仕事上の課題を解決していくことは人間的な向上につながるというのは理解できるが、望みもしない苦役はいくらやっても苦しみでしかない。常々思っているこの意識を改めて認識しなおした。今、会社が私に与えているのは苦役でしかない業務だ。つまり、報酬に見合った仕事さえこなしていればよく、人間としての価値には影響しないと割り切ってしまえば良いのだ。

 

その上で、自分で望んだ仕事において、効率よく自分を働かせるためにどうしたらいいかを改めて考えてみることにする。おりしも、引っ越し作業に忙殺される時間が大半であろうとは思うが、まとまった時間、会社の業務からは離れることのできる期間を控えている。この期間内、自分の残りの生存期間において注力すべきことを再度認識しなおし、その対象に「本気」で注力するためには私という人間をどう動かすべきなのかを考えてみたいと思う。こういう視点を持つことの大切さを気づかせてくれただけでもこの本を読んだ価値はあったように思う。