カウンセラーとして活躍し、うつに関する著作も多い大嶋信頼氏による「不幸な未来」の回避方法を述べた一冊。
自動車教習所に通った経験のある方は、座学の際に「人間は無意識に目が向いた方向に進んでしまう。従って、何かに衝突しそうになったら、咄嗟に視線を逸らして回避することが有効」という主旨のお話を聞いたことがあると思う。この一冊の主旨もざっくり言ってしまうと、その自動車教習所の教えと一緒。最悪の事態を想定して、コトを進めていくのは悪いことではないのだが、悪い想定に引っ張られすぎると、自然と悪い結果をもたらす方向に行動してしまい、結果的に最悪の状態を招くことになるので、一旦、最悪の想定を忘れて行動してみましょう、というものだ。
この指摘はすんなりと私の心には刺さった。ここ数年は常に「ミスしたらどうしよう。資料に間違いでもあったら、上司には叱責されるし、他部署の人間からは信頼を失くすしで、ただでさえ窓際の私にはそれこそ居場所がなくなってしまう」などと勝手に想像を暴走させて、憂うつな気分になってしまっていたことは確かに多かった。物事に取り掛かる前に、悪い想像だけで、既にして仕事全体の8割方の疲労を感じてしまっていた。
実際は、ケアレスミスが多いのが私の最大の欠点につき、チョコチョコとしたミスは確かにあったが、概ね問題なく物事は進んでいった。最悪の事態なんざ、逆にそうそう簡単に勃発するものではないのだ。とはいえ、ケアレスミスも積もれば「バカ扱い」されるし、楽観していて痛い目にあったことも少なくはないので、やはり物事は少々悲観的に考える癖はついてしまっている。そしてその悲観的な思考は仕事への憂うつさにつながり、やがては身動きできなくなるまでに疲弊してしまう。月に数度襲ってくる「今日は何もできない」という気分なんぞはまさにその精神的疲労が蓄積した結果だ。
何もやってもない状態なのに、想像だけで疲れてしまう。さらになんとか無理して行動を起こしても、失敗する方失敗する方に気持ちも行動も勝手に向かってしまう。これほど馬鹿らしいことはないのだが、ここ最近のお話だけではなく、考えてみたら、既にして小学生時代にはこの、勝手な悪い想像に取り憑かれていたということに気づいた。
小学校時代のボス的な存在のやつが、実にもって教師を代表とする「公的権力」を味方につける事が上手かったのだ。体格自慢であった私は、おそらくまともにケンカをすれば、ワケなくそいつをノシてやることはできたと思うのだが、「暴力はいけないという常識」を当時の権力の象徴である教師から教え込まれた私は、文字通り武器を失った。そこで暴力を肯定するような考え方を身につけていたら、今頃刑務所暮らしだったかもしれないので、正しい教えであったことに間違いはなかったのだが(苦笑)。
ただし、ここで暴力をはじめとする「悪いこと」をやったら、警察に連れて行かれて、少年院とかに入れられて、一気に犯罪者の仲間入りして、将来的に悪い人間と認定されてまともに生きていけない、とまで考えてしまう癖がついてしまったことは私にとっては大いにマイナスだった。のちの生活で厄介なメンタルの病を得てしまうような思考癖であったからだ。
まあ、現在は「四の五のいう前にまず行動」を信条にして、変な想像が走る前にコトを始めてしまうことにしているので、そうした態度でいることについては間違ったことではないという事が書いてあったのは理解できたし、今後も実践していく予定だ。早速、ライティングの方で色々と挑戦し始めている。会社の仕事については間違っても「挑戦」しようなどという気は起こさないが、まず取り掛かる、という姿勢だけは持ち続けている。
ところで、大嶋氏は途中から「脳内時間旅行」なる概念を持ち出してきた。私の理解が足りないのだろうが、どうもこの概念がうまく理解できなかった。脳内で未来まで見通して失敗してきたのだから、その失敗策を取らないようにすれば成功につながる、という理屈だと一旦は理解しておく。大嶋氏の「理論」によれば、この脳内時間旅行は他人の未来まで変えられるというのだが、このあたりはさっぱり理解できなかった。ここも他人を直接変えるというよりは、他人の反応をある程度予測しておくことで、最悪の状態とならないように対処を変え、結果的に、「自分の解釈」が最悪にならないようにする事なのだろうと強引に解釈しておく。
なにしろ、最悪の場面ばかり予想して、身動きが取れなくなってしまう状態こそが最悪で、何か行動を起こしさえすれば、悪い結果ばかりで終わるものではない、という意識を持っておくことが大切、ということだけは理解した。