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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

ストーリーもよく出来てはいたが、それ以上に気になってしまったことが二つあった作品 『上意討ち 拝領妻始末』鑑賞記

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TVerにラインアップされていたので、何とはなしに観てしまった一昨。特に期待していた訳ではなかったが、実によく出来た作品だった。

 

原作は滝口康彦の「拝領妻始末」。1967年に三船敏郎主演で映画化、1992年には加藤剛主演でドラマ化されており、2013年に制作された田村正和主演ドラマは3度目の映像化作品ということとなる。脚本は映画化時にも筆を執った「黒澤組」の橋本忍氏が務めた。

 

ストーリーは封建制の矛盾を鋭く突いたもの。主人公の笹原伊三郎(田村)は会津藩馬廻り役で、藩内きっての剣の使い手という設定。剣の腕を見込まれて笹原家に婿入りしてきた伊三郎は、家では妻のすが(梶芽衣子)に全く頭が上がらない状態だったが、与五郎(緒方直人)、文蔵(石黒英雄)の二人の息子にも恵まれ、楽隠居の身分。

 

そんな平穏な笹原家に、ある日思いもよらぬ大事が降りかかる。藩主松平正容の側室お市の方(仲間由紀恵)を与五郎が娶れという藩命が下るのだ。お市の方は、正容の寵愛を受けていたが、正容が若い側室の方を可愛がるようになったことに激怒し、その側室に暴行を加えた上に、正容の頬を平手打ちするなど大暴れしたことが原因だった。悪いのは明らかに正容故に、ただ縁を切って追放するというわけにもいかず、それなりの家格の家に下げ渡すという判断になったのだ。

 

江戸時代というのは、離縁、再縁というのは現代で思うよりも活発に行われていたらしい。どこかの家から離縁された女が別の家に嫁ぐ、というのはちょいちょいあったようのなのだが、この場合は相手が相手だ。しかもお市の方は正容との間に後継候補となる男児までもうけている。

 

笹原家の「当主」であるすがは猛反対するが、藩命は絶対であるという時代である。しかも、与五郎は実はお市の方に密かな恋慕の情を持っていたため、この理不尽な婚姻は成立し、お市の方は「いち」として笹原家に嫁に入る。嫁に入ったいちへのすがのいびりが、実に見事(笑)。この作品の一番の憎まれ役は藩主正容であり、その意を受けた側用人高橋外記(北村有起哉 若い!)ではあるが、すがも十分に観客の恨みを買うに十分な存在だ(笑)。それだけ梶氏の演技が上手いってことなんだろうね。

 

与五郎はいちを深く愛し、二人の間にはとみという女児が誕生する。伊三郎にとっては待望の初孫だ。スタートこそ理不尽極まりないものではあったが、笹原家にはささやかな幸せが訪れていた。

 

そんな時に、再び笹原家の運命が急変する出来事が起こる。松平家の嫡男が急死し、いちの子供である男児が後継者の一番手に躍り出てしまったのだ。体面を重んじる武家社会において、藩主の母が、藩士の妻であるなどという状態は許されない。制度としての「正当性」は理解できるのだが、一度追い出した者を、追い出した側の理由で呼び戻そうなんざ、いくらなんでも勝手が過ぎやしねえかよ、おい!観ている人のほぼ全員がそう思わされるであろう筋立ては実に巧みだ。

 

で、その後いくつかの紆余曲折あって、伊三郎と与五郎は藩に喧嘩を売る。到底勝ち目のない戦いで、与五郎は斬死。剣の達人である伊三郎は生き残り、藩の非道を幕府に訴え出るために、江戸へ向かう、というのが結末に至るストーリーだ。最後には二つの悲劇が起こり、結局伊三郎は志を果たせぬまま散る。

 

さて、非常に出来の良い作品であったことは間違いないのだが、ストーリーに関係ないところで二つほどどうしても気になってしまったことがあって、素直な感動を妨げられてしまった。

 

一つは、田村正和氏の老いだ。この作品の制作は2013年で、田村氏は70歳。殺陣の際の体捌きにキレが全く感じられない。ジャイアント馬場氏の晩年の16文キックは「ロープに振った相手が、馬場氏があげた脚に向かって突っ込んでいく」と苦笑まじりに揶揄されていたが、この作品の田村氏がまさにそんな状態。田村氏が刀を振ったところに斬られ役が体を持っていっている、という状態にしか見えなかった。これは田村氏の年齢を考えると仕方のないオハナシなのかもしれない。武道の達人は最小限の動きで相手の攻撃をかわし、反撃する、というから、伊三郎がそういう域に達している者だと見做して鑑賞するのが正しいのかもしれない。

 

二つ目は、乳飲児のとみを江戸まで連れて行こうとしたこと。どう考えたって無理のある話だ。江戸まで向かう宿場に早々都合よく乳の出る女がいるとは思えないし、そもそも、乳児は長時間の移動は避けなければいけないはずだ。いくら肉親としての愛情が深くとも、いや深いからこそ、ここは乳母に任せて単身で江戸に向かうべきではなかったか。幼い姪っ子のいる私としてはそんなことばかり思ってしまった。

 

憎たらしい奴はあくまでも憎たらしく、理のある方はあくまでも凛としている。そんな演出がうまくいっていただけに少々残念だという感情が残った一作だった。