脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

「歴史の影に女あり」を実感できる一冊 『大奥婦女記』読後感

 

 

Kindle Unlimitedのラインアップから衝動DLした表題の作。ろくに著作を読んだことのないまま「ミステリーの大家」というイメージをぼんやり持っていた松本清張氏の歴史小説ってのは珍しいな、と言うのがその衝動の源泉だったが、これは恥ずべき認識で、松本氏には歴史に関する著作も多く、それぞれの作品が高い評価を受けているとのことだ。

 

のっけからの反省の弁はさておき、この作品、実に面白かった。後々の世まで大きな影響を及ぼす「大奥」と言うハーレムを作り上げた春日局から始まり、11代将軍家斉から12代家慶に政権移行がなされた際の役人の失脚に至るまで、大奥とそこに関連した人々の行状が具に記され、その行状がその時々の政治の動きにどのような影響を及ぼしたのかが、生き生きと描写されているのだ。

 

洋の東西を問わず、古代から現代に至るまで、「女」で身を滅ぼした政治家は数知れず。その多くは「女」の欲望に応えるために放蕩の限りを尽くし、そのツケを庶民に払わせる苛政を行なったことで、反発を買って政権の座を追われたり、殺されてしまったりという報いを受ける羽目に陥った。政権担当者という、万民の幸せを考えなければならない立場にありながら、一人の女の歓心を優先してしまう男が実に多いところに、人間というものの愚かしさ、悲しさを感じる一方で、大きな社会の動きも、その根本のところでは、ごく個人的な惚れたのはれたのに左右されてしまうことへの滑稽さも感じてしまう。

 

ともあれ、大奥という存在が時の将軍をはじめとした政府のお偉方に、大きな影響力を持ち続けていたというのは事実のようだ。時の将軍の寵愛を受けた女性は元より、時の将軍の生母、乳母、さらにはこうした「当事者」に付き従っている取り巻きの女性達までが入り乱れて、表の男達にさまざまな影響を及ぼす。それゆえ、幕臣も商人もどうにか政権のディープスロートである女性を見定めて、そこにいろんな働きかけを行う。

 

大奥史上一番のスキャンダルと言われている「絵島生島事件」などは、大奥の然るべき地位にいた絵島という女性の一番の欲求が「恋愛」であったことを見抜き、二枚目役者の生島をあてがって、大いに歓心を買ったという出入りの商人としては会心の「接待」ではあったが、絵島の欲望に歯止めが効かなくなってしまったことから、大奥の女性には許されていない外部の男性との密会を重ね、ついにはそのことが露見して、元も子も無くしてしまった事例だ。いつかは露見するであろうことを薄々は感じていて、なおかつ露見すれば身の破滅につながることがわかっていたにもかかわらず、一度ハマってしまった快楽からは逃れられない…。時代は変わっても変わらぬ人間の本質を見た思いだ。

 

最後の方で取り上げられていたのは、荻原重秀。日本史の授業では「小判の改悪を行い、『悪貨は良貨を駆逐する』を日本にも出現せしめた愚かな政治家」と習った記憶があるが、この方の通貨の改悪の動機は実は私腹を肥やすことにあったことが描かれてる。そしてこの悪事は、他の幕閣たちの経済への無関心と無知さ故に、ずっと見過ごされていたのだが、大奥に奉公に上がった娘を親戚に持ったことで、元々の稼業であった町医者から幕府の役人により取り立てられた一人の人物が、自身の俸禄が予想よりも随分と少ないことを不審・不満に思ったことに端を発し、ついに将軍の知るところとなる。彼は奉公に上がっていた親戚を通じて将軍に自分の不審と不満をぶつけたのだ。閨房政治もいい方に向かうことがあるという稀有な一例だった。

 

なお、この荻原の一件、私はつい最近話題になった、若手官僚の持続化給付金詐欺を連想してしまった。これも部下への信頼という、組織成立の根源にある盲点を突き、私腹を肥やすための犯行という点については、この元若手官僚は実にうまく荻原を見習っている。制度の根本に大きな盲点があるということは江戸時代以来の伝統なのだろうか?だとすればこんな伝統はすぐさま断ち切っていただきたいものだ。