世にネットが急速に普及し始めた前世紀末。
私は大瀧詠一師匠の作品を愛好する方々のメーリングリストに入れてもらっていた。そこから得られた知識は、ほぼ『ロンバケ』以降の師匠の作品しか知らなかった私にとっては、まさにあたらしい世界の発見だった。いろんな蘊蓄を持っている方々がそれこそ毎日惜しげもなくそれを披露してくれていたのだ。
メーリスの一つの大きな議題の一つがバージョン違いやアレンジ違い。大瀧師匠は同じ作品でも例えば、終わりをフェイドアウトにしたものと、きちんと歌いきっているもので発表していたりする。そういうことに異常に詳しい方々ばかりだったのだ。私は到底そこまでのマニアにはなれなかったが…。
そんな流れの中で、いつも誰かが話題にしていたのが『夢で逢えたら』は一体何人の人が作品として発表しているのか?ということだった。で、標題の4枚組CDはこの積年の問題にズバリと答えてしまった商品である。
詳細な知識をお持ちのナイアガラーの皆さんであれば、それこそ「いやあの人が発表したものが入っていない」などのご意見をお持ちかもしれないが、少なくとも私にとってはこの商品で全てと言い切ってしまって良いほどの充実したコレクションではある。
唯一、私が入っていない、と指摘できるのは松本伊代氏のカバー作だ。高校時代にTBSラジオしかまともに入らなかった群馬の片隅で、「ヤングタウン東京」(ザ・ぼんちが司会で故甲斐智枝美氏がアシスタント)公開放送時に歌ったのを一度聴いたきり。アルバムに入っていないかと収録作をググってみたのだが、引っかかってきたのはほぼ全ての作品を収録したベストボックスだけ。それもコンサートの様子を収めたDVDの中の収録曲なのでCD化された音源はないのだろう。まあ、標題の商品には何人かの方のライブ音源も収録されてはいたので、コレクションに加えるという手はあったのかもしれないが、その辺は大人の事情ってやつかもしれない。
さて、この『夢で逢えたら』という作品の私なりに解釈は、かき氷のようなものだということになる。大瀧師匠が提供したのは削った氷という素材だけ。その素材にどんなシロップをかけ、どんなデコレーションを施すかは制作に携わった人の手腕というわけだが、縁日の屋台で売ってるようないかにもなシロップをかけたものもあれば、生のフルーツをふんだんに使った贅沢なもの、手作りのシロップをたっぷりかけたもの、かき氷ってカテゴリーで食わなくたっていいんじゃね?と思わせるようなクリームたっぷりな濃厚なもの、しまいにゃ、ガスバーナーで表面を炙るようなケレン味たっぷりなものまで様々な仕上げ方がある。で、いかにもなシロップかけたやつが、超豪華なものに完敗しているかというとそうでもない。安物のシロップかけた氷にはそれなりのジャンクな美味さがある、ってのがこの例えの理由だ。
むしろ安いシロップの方が満足度が高いことだってありうる。この商品の中にも石川ひとみ、北原佐和子、石井リカ・メロン記念日など歌唱力にあまり恵まれているとは言えないアイドルの方々の作品が収められているのだが、歌の上手い岩崎宏美やアレンジが特徴的なラッツ&スターなんかの作品と比べて見劣りしているとは思わない。むしろ作品の世界観の表現としては、いかにも儚げな少女のイメージをまとったボーカルの方が馴染む気がするのだ。メロディー的にも歌うのに難しい部分はなく、歌詞(珍しく大瀧師匠ご本人の作詞)も思春期から成人を迎える前くらいまでの少女のちょっと幼い夢見る気持ちを表しているのだから、女性アイドルが歌うのが一番ふさわしい。
大瀧師匠プロデュースの松田聖子のアルバム『風立ちぬ』に収録されなかったのが不思議なくらいだ。いかにもブリッ子に相応しい世界観だと思うんだけど…。まあ、その辺は大瀧師匠なのか、当時のスタッフの考え方なのか、だが、いずれにせよ一度歌ってみて欲しかった(今の彼女には歌ってほしくない…)作品ではある。
最後に私の中のベストな作品をあげておこう。それはシリア・ポール氏の歌唱作である。そもそも私がこの曲に触れたのは『Niagara Fall Stars』という、大瀧師匠が楽曲提供した人々の作品を集めて作られたアルバムだった。つまり、一番最初に『夢で逢えたら』という作品とはこういうものだ、と刷り込まれたバージョンなのだ。最初に聴いた時の感動を今でも思い出させてくれるのはシリア・ポール版なのである。彼女の歌声も、ちょっとモヤがかかって一枚極薄の壁を隔てて響いてくるようなアレンジもどこか不明瞭な夢の中の世界をイメージさせるのに相応しい。
同じ曲だというのに、4枚全部聴き通しても少しも飽きることがないという事実がこの作品の素晴らしさを物語っている。企画を考えた方には是非ともカルトなナイアガラーたちを唸らせるような音源の収集を再度お願いしたい。