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サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

住まいの「完成」は竣工時ではなく、「暮らし方」が定まった時 『住まいのプロ七人と語る』読後感

 

住まいのプロ七人と語る

住まいのプロ七人と語る

  • 作者:宮脇 檀
  • 発売日: 1993/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

私に先んじて、新しい家に住み始めた友人から借り受けた一冊。著者である宮脇壇氏を始めとして、斯界では有名な方々(であろうと思われる。私は建築とか建設とかいうことに一切興味がなかったので、名前をみても、書中で紹介されている彼らの仕事をみてもピンと来ない)が登場する対談集。

 

新しい家の設計図はほぼ固まり、来週の末には完成予想スケッチが上がってきて、その翌々週に契約締結して地鎮祭、という流れまでは決まった。実は本日は、春の異動の発表がある日だったのだが、めでたく私は異動なし、ということで少なくとも家の竣工までは、現在と同様の勤務形態が継続することは決定した。まあ、秋の異動でできたばかりの新居を横目に遠隔地へ旅立つ、という可能性は否定しきれないが…。

 

ともあれ、秋までの私生活に関しては家の建築という事象が中心となることは決定した。とはいえ、まだまだ家というものに関しての知識が絶対的に不足しているので、知識の習得もしばらくは続く。実際の現場に行ってケチつけたり、追加で注文しようなどという気はないが、最低限、おかしいと感じたことはおかしいと言えるだけの知識だけは身につけておきたいからだ。そんなわけで、ちょいちょいと関連本を読み飛ばしている状態だ。

 

さらに言うと、「家」は建物ありきではなく、どんな生活をしたいかを考えてその生活にマッチしたものになるべきで、理想の暮らしとはどんなものなのかを真剣に考えて、その理想に沿う状態を実現すべき場だ。この本にもズバリと書いてあったので題名にもあげた。

 

自分の理想の暮らしって、一体どんなものなんだろう?それを考え始めると、とてもじゃないけど軽々に話を進めていくわけにはいかなくなる。実際はもうかなり具体的なお話が決まっていて、走り始めているんだけど(苦笑)。

 

現状で考えられる「理想の暮らし」を私たちなりに考え、そこから発生してきた様々な要望を設計事務所の方々には伝えたが、結局、枝葉末節の設備のお話しかできていないような気がする。

 

大切なのは、設備を思いつくままに取り付けるのではなく、その設備を使ったら、どんな暮らしが創出できるのか?である。同じ使うにしても、様々に工夫を凝らして、より快適で創造的な暮らしができるよう、日々試行錯誤していかなければなるまい。さあ、建物が出来上がりました、だけでは「家」は完成したことにはならないのだ。

 

また、家族を取り巻く環境も年々歳々変化していく。我々自身のカラダが衰えていくというのもあるし、母親を介護のために引き取るなんて事態になるかもしれない。そうした事態に対応するために、家も変化していく必要がある、と語っていた方もいた。この方の自宅は様々な事態を想定して、かなり改築が自由にできるよう設えてあるそうだ。う〜ん、ますます今の設計図のまま進めて良いのかどうか、迷っちゃうじゃねーか!

 

今までは基本的に集合住宅の一角を借りる、すなわち、家の形の方に暮らしを合わせる、という方法で生活してきたので、その辺は、時々の状況の中で折り合いをつけていくしかない。最終的には雨露さえ凌げればなんとかなるんだ、くらいに考えておくしかない。

 

一生借家住まいの方だっているんだし、私自身も「自分の家」なんてのは転勤族卒業する、すなわち会社を定年退職した後にしか持てないと思っていたので、どんな形にせよ、自分たちの意向をある程度反映させられる「持ち家」を建てられるのは嬉しいことなのだ。家の形はある程度定まったが、家の使い方に関しては、これからじっくりと、それこそ日々の生活の中から学び取っていくことにする。