脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

努力したらしただけ見返りがあったという幸福な物語 『明治・父・アメリカ』読後感

 

「ショート・ショートの神様」の異名を持ち、その生涯で1000編をはるかに超える作品を世に出したSF作家星新一氏の数少ないノンフィクション作品。星氏の実父であり、星製薬の創業者にして星薬科大学創立者でもある星一氏が、アメリカで悪戦苦闘した時代を描いた一作である。

 

私に読書の楽しさを教えてくれたのは北杜夫氏であるが、読書の習慣化を促してくれたのは星新一氏のショート・ショートたちだった。一つ一つのストーリーが短く、次から次へと新しい世界を目の前に見せてくれ、その全てに見事な起承転結があった星氏の作品に中学時代の私は傾倒した。星氏の作品をきっかけに、他のSF作家にふれ、そこからまた純文学やエンターテインメント文学一般へと世界が広がっていった。そして、一人の活字中毒者が誕生して四十年余り。

 

あの日、あの時北氏と星氏(なお、このお二人は私生活上で親交があったとのことだ。北氏のエッセイには何度か登場したという記憶はあるが、辻邦夫氏や宮脇俊三氏ほどの濃密な関係性は感じなかった)の作品に出会わなかったら、今の私はおそらくただのおデブで、生活習慣病を拗らせた挙句にコロナウイルスを拾って死んでしまっていたに違いない(苦笑)。読書の楽しさを知らなければ、知的好奇心は育たなかっただろうし、そうなれば、勉強しようなどという気にもならず、おそらくは「進学校」にいくこともなく、そこの体育の時間にラグビーに出会うこともなかっただろうからだ。

 

自分語りが長くなってしまったが、作品の紹介に移ろう。

 

星一氏は福島の寒村に生まれた。詳しい内容は本文に譲りたいが、一氏の父は複雑な過程を経て、一氏の生家に婿入りしてきたらしい。一氏は長男だったが、生家には別にすでに跡取りがおり、生家を差配するという権利はなかった。ただし、その分自由に動けたし、自立のためには学問が必要だということで学校に通うことができた。

 

この学問上の繋がりから、一氏は当時はまだ到底対等の関係とはいえなかった大国アメリカへ渡航することになる。当時のアメリカには、数は少ないながらも、一山当てようとした日本人たちがいたようだが、働く口は単純労働か、裕福な家庭の雑役夫くらいしかなく、およそ「出世」には程遠い環境だったようだ。

 

一氏は一所懸命雑役夫の仕事に取り組むのだが、生真面目な仕事ぶりは彼の地のこの時代では「のろま」とみなされることが多かったようで、行く家、行く家、すぐにクビになってしまったそうだ。

 

ここで挫けないのが一氏の最大の長所。生活費を得るために働かなければならないが、さりとて雑役夫を「本業」にしてしまったのではいつまで経っても底辺の生活からは抜け出せない。そこで、雑役夫の賃金を最低限度まで自ら引き下げる代わりに、勉強する時間を確保させておしいと、雇い入れた家の主人に頼み込み、努力を続けたのだ。

 

なんだか、この辺、昨今の日本に来ている技能実習生の姿にカブってしまった。当時のアメリカ人は、日本人を含めたアジアの人々を体良く奴隷扱いしていただけだ。今の日本の中小零細企業技能実習生を単なる人件費抑制策としてしか考えていないように。

 

怒りと絶望の中で、昨今の技能実習生は、近所の農家から豚や鶏を盗んでバーベキューパーティーを開いたりしてしまうようだが、一氏の周辺にもその日暮らしから抜けられない人間は多々いたようだ。そこで転落する人間と、のし上がっていく人間との違いは、這い上がる道はどこにあるのかを見定め、努力を続けて行けるか否かだ。努力が実を結ぶとは限らないが、努力を続けないことには成功の可能性は0%のままだ。まあ、これは人生のどんな場面においても当てはまることではあるが…。

 

一氏は勉学に励んでビジネスの知識を身につけ、さまざまな職を経験していく過程で日米ともに人脈を築き、日米間の情報を交流させるための通信社を設立し、その経営に腐心する。そして、経営を軌道に乗せて、友人に譲渡し、日本に戻ってくるところで、唐突にストーリーが終わってしまう。日本に戻った後に星製薬や星薬科大学のお話が始まるわけで、その辺のお話もぜひ読んでみたかったのだが、新一氏にとっては望んだ道ではない上に、経営に散々苦労させられた星製薬に関してはあまり思い出したくない話題のようだ。

 

大国への道を歩み始めたアメリカ、長い鎖国から国際舞台に飛び出した日本、そしてその狭間でさまざまに揺れ動く当時の日本の青年たち、それぞれの「青春時代」を感じられた一作であったように思う。