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野球というコンテンツは生き残っていけるのか? 『野球消滅』読後感

 

野球消滅 (新潮新書)

野球消滅 (新潮新書)

  • 作者:中島 大輔
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 新書
 

  今シーズンは、久々にプロ野球中継を数多く観た。在宅勤務を終えて、一風呂浴びてビール片手にテレビの前に座ると、ちょうどTV中継が始まる、という一連の流れが日々のルーティーンと化したからだ。

 

思えば、私の親の世代くらいまでは、プロ野球シーズンにおいてはウイークデイの夕刻の茶の間ってのは、こんな光景が一般的だった。ちょうど巨人が9連覇を果たした頃合いで、長嶋、王をはじめとする、巨人のスターたちと、セリーグ他球団のライバルたちの戦いが、世のお父さんたちの胸を熱くしていた頃だ。地上波各局は巨人戦というコンテンツを必死で獲得しようとしていたし、実際に視聴率も高かった。

 

しかしこんな光景は2000年代の初頭には見られなくなっていた。今やゴールデンタイムの地上波にプロ野球が放映されるのは年に数度、そしてその中継の視聴率も10%に満たない。今年観た中継もそのほとんどがBSだった。往年のプロ野球人気を知る者にとっては寂しい限りだ。

 

日本全体の「野球」というスポーツに対しての熱量が低下して久しい。球場での観戦者は逆に増えているらしいから、コアなファンは一定数いる。主にパリーグ各球団の地域密着戦略も奏功しているし、ちょっと前まではイケメンの多さに引っ張られた「カープ女子」なんてのも出現した。スポーツビジネスにおいては、入場者収入、グッズ販売、そして放映権料というのが三つの収入の柱であるが、前述したようなコアなファンたちは球場に足繁く通ったり、グッズを買ったり、球場で飲み食いしたりして、球団の収益を支えている。しかし、長らく球団経営を支えてきた放映権料は激減した。プロ野球に関心はあるものの、球場に行くまでの熱心さはない、という「浮動票」が一気に失われてしまったからだ。

 

では、なぜ、プロ野球は人気を失ってしまったのだろう?いくつか原因は考えられる。標題の書でも記されているが、私は三つ指摘しておきたいと思う。

 

まず第一に、スポーツの多様化。サッカーもあれば、バスケットもプロ化したし、私が一番関心を持っているラグビーも地元開催のW杯での躍進を機に一気に知名度が高まった。知っているスポーツが日本のプロ野球と大相撲だけ、という時代ではなくなったのだ。

 

第二に日本のプロ野球が、最高峰ではなくなったこと。日本で卓越した成績をあげた選手は、FA権を得たら、巨人や阪神といった日本国内の人気球団への移籍を望むのではなく、MLBを目指すことが「一般化」してしまった。国内の球団からは人気、実力ともに備えた選手が脂の乗り切ったところでポンと抜けてしまうし、そうなれば、人気のみならず、実力的にも「最高峰」とは言えなくなってしまう。また、国代表が覇権を争う、WBCやオリンピックなどの国際大会で優勝できなくなったことも影響しているだろう。国内でいかに人気があっても、国際大会で通用しないことが分かった途端に、一気に人気が落ちてしまうことは、W杯でずっと勝てずにいたジャパンの姿を見せつけられた結果、最盛期には国立競技場に抽選でしか入れなかった早明戦のチケットが紙屑同然にまで値下がりしたラグビーファンなら身に染みて分かっているはずだ。

 

第三が、標題の書の著者中島氏が指摘するところの「競技者の二極分化」である。プロを目指そうとする選手は小学校、中学校時代から頭角を現し、高校野球の名門高校に入ることがまず第一の関門となる。そこで、まず、甲子園を目指すような名門校と、公立の普通高校とでは人材に格差が生じる。今や、どの県でも公立の普通高校が甲子園に出場するのは至難の技である。それこそ、出身中学が明らかに地元ではない選手が集まった私立校やら、地元の出身者は多くても、スポーツ推薦制度があったり、勉強する時間よりも部活の時間が倍あるような効率の実業高校ばかりが名を連ねる結果となる。そこで、多くの選手は野球への情熱を失う。

優れた身体能力を買われて、入学した選手たちも、甲子園で勝利して学校の知名度を上げる、という目的の下、勝利至上主義の指導者たちに酷使を強いられる。下手をすると、高校で選手生命が終わってしまうようなことも起こる。それでも残っていけるのがプロだ、という考え方にも一理あるが、そこまでの犠牲を強いられる野球に没頭できるのは余程のもの好きか、体力に恵まれたやつだけだ、と素人考えでは思えてしまう。手っ取り早く有名になるのなら、苦しい思いをして、野球をやるよりはYouTuberにでもなった方が良いと考える現代の中学生の野球に対する歩留まり率は低下していくとしか考えられない。

 

こうした状況を打破する一つの考え方として、中島氏はドミニカの育成システムを紹介している。中学や、高校のレベルではプロを目指すような選手を預かる指導者は勝利を目標にはしない。むしろ、休養をしっかり取らせ、できるだけ、故障しない体づくりを優先する。そして、育成した選手がプロ入りし、一定の成績を残した場合にのみ、報奨金を受け取れる、という制度だ。日本で、同じようなことをやろうとすれば、文部科学省の偉い方々が、眦を釣り上げて猛反対することだろうが、少なくとも、「腕も折れよと投げ抜く闘志」などという自己犠牲の美名の下に酷使される選手を生まない、という効果は認められるだろう。

 

今年は幸か不幸か、夏の甲子園大会は開催されなかった。したがって、炎天下の試合で何百球も投げさせられるような投手はいなかったことになる。今年の高卒選手の選手寿命や成績などのデータをしっかりとって分析することは、今後の高校野球のあり方に対して大きく示唆を与えるものではなかろうか。誰か、専門的な方なり、プロ野球の運営の方なりが研究する準備を進めておいていただきたいものだ。中島氏の指摘した問題点が少しでも解消の方向に向かわない限りは、野球というスポーツの日本における将来は暗いとしか言いようがない。