脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

たかが芸人のやることに目くじら立てるんじゃないよ 『芸人と影』読後感

 

芸人と影(小学館新書)

芸人と影(小学館新書)

 

 2月も半ば過ぎて、ようやく今年の初投稿なんて、どこがプロブロガー目指してるんだってツッコミは甘んじて受けるとして、今回取り上げるのは、毎度おなじみ週刊ポストに連載されてる『21世紀毒談』の使い回しで金を取ろうって、出版社とタケちゃんにとってオイシイ一冊。最後の最後に語り下ろしも含まれてるって書いてはあるけど、もろにとってつけた言い訳だよ。ちっともセクシーですらない。

 

さて、今巻では昨年世間をざわつかせた、宮迫氏を筆頭とする吉本芸人の闇営業問題と、同じく吉本所属のチュートリアル徳井氏の脱税問題をメインのネタとして芸能界と一般社会のギャップについて、いつものタケちゃんツッコミを入れている。

 

芸能人、とりわけ笑いを主戦場とするお笑い芸人ってのは、そもそもが世の中の常識ってやつからは外れた人間たちだ。歴史的に見たって、芸人はその時々の「常民」からは外れた存在として、誰のものでもない「河原」に隔離されて蔑まれることと引き換えに、様々なタブーにとらわれない自由な表現ってのを手にしてきたんだ。現在でいうところの反社会的勢力の方々たちとも、いわば一つの根から株別れして行ったようなもので、親和性は高かった。

 

でも最近は、二言目にはコンプライアンスコンプライアンスで、芸人にまで「一般常識」を求めるようになっちまった。世間のタブーにアプローチして、いかにそこで笑いをとるのかが勝負の芸人に、常識求めてもしょうがねーだろ。笑いを生み出すセンスの一つとして、一般の人はこう思うだろうな、というメーターを持つことは必要だろうが、それを守ることまで芸人に求めたら、笑いなんて作れなくなっちまう。真面目なお話なんてのは、エライ方や教育者の訓示にでも求めておけばいいんだよ。そのうち、例えばタケちゃんが広く世に知られるようになった「赤信号みんなで渡れば怖くない」って毒舌標語を舞台にかけたら、いろんなところから抗議がきてしまうような世の中になってしまったら、そっちの方がよっぽどおかしいとおいらは思うけどね。

 

安倍首相を舞台に出したり、その返礼として官邸を訪問したり、「官」の仕事を受注したりしている吉本そのものが笑いの本質から外れた団体になってる。そういう意味では宮迫や徳井なんかは、権威に反してるわけだから、逆にお笑いの王道なのかもしれないね。

 

とはいえ、この「あいつの言動はけしからん」とか「不倫した奴のCM流している企業の商品なんか買うか」って圧力はどんどん強くなるんだろうね。ネットの普及で、誰もが簡単にいろんなことを広く世に流すことができるようになったし、自分の意見が正しかろうが、間違っていようが、声高に発信し続けることで、それを「真実」にしてしまうっていう「ポスト真実」って手法を堂々と超大国の一番エライ方が使っちゃう時代だからなぁ…。

 

マスコミもそういう「声高な発信」を取り上げて余計に煽るからタチが悪い。でかい声をあげたやつが勝ち、ってことに味をしめて。みんながみんな「ポスト真実」手法を行使し始めたら、それこそ道徳も法律も意味がなくなっちまうっての。それに、たかだか芸人の言ったこと、やったことなんかよりもっと重大な問題はいくらもあるだろうっての。同じ声高に叫ぶなら、もっと大きな問題を、個人的な誹謗中傷を交えずに言い続けなさいよ。ジャン、ジャン。