脳内お花畑を実現するために

サラリーマン兼業ライター江良与一 プロブロガーへの道

これから多様なスポーツが文化として根付く節目を迎えようとしている。『横浜ストロングスタイル』読後感

 

 

 

 

今を去ること24年前、当時のラグビー日本代表(以下ジャパン)はW杯の予選プールでニュージーランドと対戦し、17-145というスコアで叩きのめされた。この試合の失点数および得失点差は未だもってW杯の不名誉なレコードであり続けている。この試合ののちに時の日本ラグビー協会の会長がマスコミに対して放った第一声は「大丈夫だ。日本ラグビーには早明戦がある」というものだった。

 

世界の一流チームとジャパンとの信じられない差を見せつけられたショックで錯乱して、精一杯の強がりを口走ったのだと「好意的」に解釈したい気持ちもないわけではないが、事実を冷静にみつめれば、世界各国がラグビーのプロ化に舵をきり、それに伴って「仕事」として国代表に選ばれるような選手を育成・強化し始めたことに対し、日本ラグビー協会が意味のない「高潔なアマチュアリズム」を愚直なまでに守り通そうとした、意識のズレを端的に表した言葉だったと見るほうが正しい。

 

どんな競技であれ、世界の舞台で、強豪たちと互角以上に渡り会うことができなければ、必ず衰退して行く。この出来事を境に、絶対的な黄金カードで、日本協会のドル箱であったはずの「早明戦」は見事に色あせ、2000年代の半ばには各地のラグビー協会を通じて無料でチケットをばらまいて観客を集めようとしても、国立競技場の観客席が半分も埋まらないという、文字通り寒々とした状態が続いた。

 

2015年の「ブライトンの奇跡」を経て、日本で開催された先日のW杯では、ジャパンは史上初めて、ベスト8入りするという快挙を果たし、日本のラグビー熱は一気に沸騰した。私がこの駄文を書いているのは12/2(日)のことだが、本日行われる早明戦のチケットは早々に完売になったそうだ。W杯の躍進もあるが、両チームが全勝で激突するというのも要因の一つだろう。勝負事は強ければ、世間の関心をひき、観客数に如実に結びつくのだ。プチナショナリズムがどうの、ルールが難しいのなどというマイナスイメージなど蹴散らしてしまう力が「強い競技」にはあるのだ。

 

ただし今の、盛り上がりは「にわかファン」の激増によるバブル景気に過ぎない。一旦ジャパンが弱体化すればたちまち元の木阿弥である。こうしたにわかファンをいかに本物のファンとして根付かせるかが、日本ラグビー協会の最重要課題であるはずだが、日本教会内には未だに「高潔なアマチュアリズム」に代表される旧弊さや、既得権益にしがみついている人物が多いようだ。W杯に先立ち人気を博したドラマ『ノーサイドゲーム』においても、日本蹴球協会会長は「ラグビーはあくまでも余暇を使ってやるもの」という趣旨のセリフを吐いていたと記憶している。今では海外出身のプロ契約選手が多数を占めるジャパンであり、トップリーグの各チームではあるが、今だに「高潔なアマチュアリズム」の信奉者は数多いらしい。例えば、ラグビーには今回のW杯のような15人制、オリンピックで採用されている7人制の他に13人制のものもある。この13人制のラグビーは15人制・7人制とはかなりルールは異なるものの、ラグビー強豪国とされる国々ではキチンとプロスポーツとして興行が成り立つマーケットを有するポピュラーなものである。しかし、日本では全く知られていない。これは13人制のラグビーが、1990年代以前は世界の主流であった「ラグビーで報酬を得ることを良しとしない」という15人制のラグビーのあり方に異議を唱え、当初から報酬を得るための競技として成立したことによるものだ。日本でも同様の動きが広がるのを恐れたラグビー協会が、マスコミに圧力をかけて、13人制の存在を全く無視させ、日本には紹介しないという策をとったからだ。

 

さて、前置きばかりが長くなってしまったが、著者の池田純氏はDeNAベイスターズの球団経営に携わって数々の改革を成し、チームの成績も利益構造も改善させた実績を買われて、サンウルブズのCheef Branding Officer(最高ブランド責任者。ごく大雑把に言えばサンウルブズのブランド価値をいかに高めるかが任務の役職。以下CBO)に就任した。

 

しかしながら、結論から言えば、サンウルブズというチームは十分な価値を産まないままで、スーパーラグビーという舞台から姿を消そうとしている。元々はサンウルブズはジャパンに準ずるチームで、ジャパンとして国際試合に出場する選手の強化・育成を主な目的に結成されたチームのはずだった。しかし、参入初年度のシーズンに16戦して1勝しかできなかったことで、主催団体としてのスーパーラグビーからも日本国内からも「もっとチーム自体を強くすべきだ」という意見が出された。ゆえに明日の勝利を取ることをある程度犠牲にして、ジャパンに選出される資格のない外国人選手を起用せざるを得なくなったが、今度は「ジャパンの選手の育成の場になっていない」という批判にさらされることとなった。まあ、こうなることは池田氏自身もある程度までは予想していただろうし、対策もある程度持ってはいたのだろうが、何しろ、協会自身のスタンスがはっきりしなかった。W杯イヤーの今年に至っては、サンウルブズの他に、明確にジャパン選手育成を目的としたウルフパックなどというチームまで出現したくらいだ。同じ年にスーパーラグビーに参入して、今年はプレーオフの決勝にまで進出したジャガーズ(ほぼほぼアルゼンチン代表)との差は一体どこで生じたのか、しっかりと分析して次の打ち手を考えていただくのに、池田氏は最適な地位と権限を与えられていると感じていたのだが、すでに数年前から池田氏CBOの座にはいなかった。中途半端な結果しか産まなかった責任を押し付けられるような形で辞任に追い込まれたのである。

 

ラグビー協会ののちに在職した明治大学でも、業績よりは学内政治が優先され、同じような無念を味わったそうである。DeNA時代のような手腕がふるえずさぞかし悔しかったのだろうと思う。

 

ラグビー協会や明治大学のようなことは、どのスポーツの協会にもありうる話であると思う。改革を掲げた人間が結局は既得権益を守ろうとする勢力に潰されてしまうという図式だ。既得権益を守る人間の多いスポーツは改革につながる動きを全て消してしまい、気がついたら「ゆでガエル」になってしまう可能性が高い。少し前のテコンドー協会の騒動なんかはその典型ではなかろうか?組織内の争いにばかりかまけているうちに、選手強化のための合宿が遂行されないという体たらくに陥ってしまったのだ。

 

自分が応援するチームの勝利は、喜びというカタルシスを与える。観衆はそのカタルシスを得たいが故に、スタジアムに足を運ぶし、グッズも買うのだ。スポーツ団体の経営者や各協会の首脳陣は、もう一度この原点に立ち戻って、いかに自分や自国のチームを強くするのかに専心してほしい。メジャースポーツになる可能性を秘めながら、もう一皮がどうしても突き抜けられない競技は、池田氏のようの成功も失敗も両方とも経験した人物に一度手綱を委ねてみてはいかがだろう。